|
カテゴリ:さいたま市浦和区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら
今日は大東不動堂と大東北児童公園の石仏です。 大東不動堂 浦和区大東2-3[地図]北 前回見た大東1丁目の三差路の向い側、ブロック塀に囲まれた塚の上にお堂が立っていた。 お堂の中に不動明王坐像 造立年不明。お堂にはしっかりと鍵がかかっていて、扉の格子越しに撮った写真は鮮明というわけにはいかない。火焔の光背の前に剣と羂索を手に座る忿怒相の不動明王。衣装など一部彩色されていた。 台の正面に制吒迦童子と矜羯羅童子。この不動三尊形式は江戸時代中期以降「成田山不動」でよく見られる。紀年銘はないが江戸時代後期の造立か? 石塔の正面に東組 講中と刻まれていた。 不動堂の右脇に小堂が立っている。 小堂の中 大日如来坐像 正徳4(1714)舟形光背に智拳印を結ぶ金剛界大日如来を浮き彫り。顔はつぶれていてのっぺらぼう。光背両脇に造立年月日。右下に領家村、左下に施主とあり個人名が刻まれていた。 大東北児童公園富士塚 浦和区大東3-17[地図] 木崎方面から大東方面に至る県道1号線の支線が赤山通りと合流する交差点に大東北地蔵公園がある。公園内の富士塚の頂上に石塔が立っていた。 フェンスに囲まれクマザサの生い茂る中に庚申塔 文化14(1817)四角い台の上の大きな唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。クマザサのために台はほとんど見えない。 彫りは細部まで丁寧で華やか。三眼の青面金剛の頭上、怒髪の先にのぞいているのは蛇の頭か?腕輪をした前の右手に剣を持ち、左手は合掌するショケラの髪をつかむ。残りの四臂の持物は三叉戟・法輪・弓矢。 足の両脇に小さな二鶏を半浮き彫り。足元の邪鬼はあおむけで、左足は腹部を右足はあごのあたりを踏まれていた。 塔の右側面、上部に諸願成就 郷中安全。下部右に西組助成二十人、中央に瀬ケ﨑 山﨑 講中五人、左に東組講中十八人。 左側面に造立年月日。右脇に武州足立郡領家村。下部に發願とあり二名、願主とあり一名の名前が刻まれている。 三猿は下の四角い台の正面に彫られていた。フェンスとクマザサのために写真は難しい。左端の言わ猿は片手で口を押え、右足を立て左足を投げ出してやや斜め内向きに座り、中央の聞か猿は足を開かずに両足をそろえて正面向きに座る。 右端の見猿は両手で目を覆い、やや外向きに直立、三猿は三者三様の姿勢で個性的だ。 台の左側面に八丁石工 兼左エ門と石工名が刻まれていた。石工名が刻まれた庚申塔は比較的少なく、自信作ということか。それだけの名作と言えるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.18 19:22:04
コメント(0) | コメントを書く
[さいたま市浦和区の石仏] カテゴリの最新記事
|