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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.04.14
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今日は普門院の石仏の続きです。

普門院 大宮区大成町2-402​[地図]

普門院参道左の広い駐車場の南、フェンスの中、塀沿いに多くの石塔が集められていた。入口近くに無縁塚、続いて地蔵菩薩塔が並び、さらにその裏にも石塔が立っている。フェンス近くに「無縁さまにお参りをしましょう・・・」と記された看板があって、これらの石仏を大切にお祀りする普門院の心意気が感じられた。この広い駐車場も山門内と同じように掃除が行き届き、普門院全体が本当に気持ちの良い空間である。

入口近くに無縁塚。頂上の丸彫りの阿弥陀如来坐像の下に多くの無縁仏が整然と積まれていた。正面には延宝から元禄まで江戸時代初期の如意輪観音塔の墓石が揃っていて壮観である。


無縁塚の台の右手前端に一石六地蔵菩薩塔 元治元年(1864)角柱型の石塔の三面に書く二体の地蔵菩薩立像を浮き彫り。三面合わせて六地蔵菩薩塔となる。


裏面に造立年月日。施主は個人名が刻まれていた。


続いてフェンス近くに五基の丸彫りの地蔵菩薩塔が並ぶ。右の四基はサイズ、像の様子ともにまちまちで銘も確認できないが、いずれも墓石と思われる。


左のやや大きな地蔵菩薩塔は庚申塔だった。江戸時代初期にしばしばみられる地蔵庚申塔 正徳4(1714)


尊顔はふくよか。左手の宝珠は健在だが右手の錫杖の柄の下の部分が欠けていた。


角柱型の石塔の正面中央「奉供養庚申」両脇に造立年月日。右下に大成村、左下に願主。塔の左側面に四名の名前。右側面にも四名の名前が刻まれている。


お地蔵様の背中にも銘が刻まれていた。「大日本國関東道武蔵國足立郡 木村奉造立地蔵大菩薩 在庚申□福□智・・・・・・・ 樂者也   造立主 道全」後ろのほうはちょっと自信がない。



地蔵菩薩塔の後ろには三基の石塔が並んでいた。


無縁塚近くに観音霊場順礼供養塔 宝暦7(1757)背の高い隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に大きく「南無觀世音菩薩」塔の右側面に「西國秩父坂東 奉順禮諸願成就之攸」左側面に造立年月日が刻まれている。


後列中央 庚申塔 延宝3(1675)江戸時代初期らしい他に類を見ない個性的な庚申塔。舟形光背型石塔の正面に「奉造立石塔庚申講成就所」両脇に造立年月日。その下に七名の名前。さらに願主 敬白。


下部に大きな二鶏を半浮き彫り。その下に手をついて向かいあう二猿を浮き彫りされていた。


右 三界万霊塔 文化13(1816)角柱型の石塔の上に如意輪観音坐像が乗っている。


塔の上の六臂の如意輪観音菩薩坐像。こちらもかなりユニーク。右足を立てた半跏像で頭を右に傾けて、右手はひじを膝の上にのせて手のひらを頬のあたりに添える思惟相というのが如意輪観音の特徴だが、この如意輪観音像では右手は頬ではなく顎下に当てられていて、これはとても珍しい。さらに今まで見てきた六臂の如意輪観音像は、数珠を持つ手は右足のかげに垂らしている例が多かったが、ここでは肩の上のほうに掲げ持つ形になっていてこれもユニーク。残りの二臂は腹前に如意宝珠と未敷蓮華を持っていた。


塔の正面中央に「三界萬霊等」両脇に天下泰平・國家安全。右側面には願主を含め六名の名前が刻まれている。江戸牛込、同下谷、同湯嶋などとあるが、大成村出身の人たちなのだろう。願主と他の二名のは最後に「妻」とあり、この村から江戸に嫁いでいった人たちなのかもしれない。


左側面に造立年月日。続いて中央に「念佛講中」その下に下大成邑とあり世話人三名の名前が刻まれていて、そのうち二名は女性だった。


駐車場の西に大きな風神雷神像を前に「開山堂」正面の階段両脇に地蔵菩薩塔が立っている。


左 回国供養塔 明和5(1768)角柱型の石塔の上に丸彫りの地蔵菩薩立像。白カビが多い。


角柱型の石塔の正面中央「奉納日本廻國供養塔」両脇に天下泰平・國土安全。


塔の右側面に造立年月日。左側面には厚い白カビの中、武州足立郡大成村 願主 自安と刻まれていた。


右 石橋供養塔 寛保2(1742)主尊は丸彫りの地蔵菩薩立像。石橋供養の像塔は地蔵菩薩塔が多いようだ。


両足に二童子。子育て地蔵のようにすがりつく姿ではなく正面向きに立っていた。二童子のいわれについてはわからない。厚い蓮台の下、敷茄子に腹ばいになった幼児?と正体不明の果実のようなものが浮き彫りされていた。


角柱型の石塔は下部が土の下に浮埋もれている。正面を彫りくぼめた中に「造立石橋 供養尊像 右六箇所」


左側面に造立年月日。右側面には施主 辻村とあり、山口杢右衛門と刻まれていた。酒井さんに教えていただいたのだが、西区指扇領辻の有名な「辻の庚申塔」と同じ施主である。しかも造立年も同じだった。辻村の石橋供養の地蔵塔がなぜここに立っているのかは謎だが、こちらの施主が信心深い裕福な篤志家であることは間違いない。





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Last updated  2024.04.14 20:17:03
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