私家版 さいたまの石仏

2024/04/22(月)19:50

北区日進町 日進駅北路傍の石仏

さいたま市北区の石仏(24)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 日進町の石仏、最終回です。 日進駅北口駐車場前 北区日進町2-1739​[地図]​ JR川越線日進駅北口前の駐車場の一角に小堂が立っていた。 小堂の中 庚申塔 元禄16(1703)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 羂索・ショケラ持ち六臂。 目を吊り上げた丸顔の青面金剛の頭上に蛇が首を垂れる。青面金剛は右手に剣の代わりに羂索を持っていた。たぶん初見、大変珍しい。足を折り曲げ青面金剛の腰のあたりにすがりつくショケラが妙に生々しい。胸のあたりに見えるのはドクロ?足元には風神のような?顔立ちの邪鬼が横たわる。 塔の最下部に正面向きに並んで座る三猿。邪鬼と三猿の間に銘。右から「奉造営青面金剛尊像現當 成就所」その横に造立年月日。続いて二段に、上が漢字、下がひらがなで男女合わせて十数名の名前。左端に武刕足立郡上加村庚申講結衆と刻まれていた。 小堂の裏に隠れるように二基の石塔がならんでいる。 左 馬頭観音塔 明治18(1885)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」右脇に造立年月日。左脇に施主は個人名。 右 猿田彦大神塔 明治26(1893)角柱型の石塔の正面 中央に「猿田彦命」右脇に造立年月日。左脇に願主は個人名。 下部に浮き彫りされた正面向きに並ぶ三猿。彫りが細かくリアルでかわいらしい。 日進駅北東路傍 北区日進町2-1821​[地図]​ 日進駅前から東へ進んで「奈良別所通り」を左折、北へ250mほど進むと道路左側に小堂が立っていた。 小堂の中 庚申塔 宝暦4(1754)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂・ 風化が進みはっきりしないが青面金剛の頭のこぶこぶは何だろう?顔はつぶれていた。 足の両脇に二鶏を半浮き彫り。こちらもはっきりしない。足元に邪鬼。その下に三猿。両脇の見猿・聞か猿は内を向く。正面の言わ猿は御幣を肩に正面向き。このあたりも風化が著しい。 塔の右側面 武刕足立郡上加村。 下部に 東 はらいち いわつき みち。 塔の左側面中央「奉供養庚申講」その下に廣□邑仲。左脇に造立年月日。さらに願主 法誉浄心と刻まれていた。 下部に南 よの 北 あげを おけがわ みち。両側面合わせて三方向五地名が刻まれた道標になっている。 日進北小学校西住宅庭先 北区日進町3-257​[地図]​ 日進北小学校の北西の信号交差点から西に進み、宮原駅西口から国道16号線に向かう広い道に出る。その少し先の交差点を左折、100mほど進むと、道路左側の住宅の庭先に三基の石塔が並んでいた。こちらの家の方が大切にされているのだろう、訪問時にはいつも新しい花が供えられていた。 左 庚申塔 元禄14(1701)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔全体に白カビが多い。 経年のために摩耗しているが、彫りは力強くしっかりしている。頭上に蛇。像の右脇「奉造立庚申供養現當□成就所」左脇に造立年月日。足の両脇に二鶏を半浮き彫り。足元にはひしゃげた邪鬼が横たわる。 下部に正面向きの三猿。その下の部分にも銘が刻まれていた。右から武州足立郡 西谷村 遍刻□秀□ 善進浄□ 願主九人。銘は薄くなっていて自信はない。 中央 馬頭観音塔 文政8(1825)角柱型の石塔の正面 梵字「カン」の下に「馬頭觀世音菩薩」塔の右側面に造立年月日。 左側面に武州足立郡 西谷村と刻まれていた。 右 庚申塔 明和元年(1764)四角い台の上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。こちらも白カビが多く細部がはっきりしない。 青面金剛の頭上のこぶこぶが気になる。このあたりではこれが普通なのだろうか?白カビにまみれたショケラは深く足を折り曲げ合掌、正面を向いたその顔が笑っているようでなんだかかわいい。 足の両脇に二鶏。足元にはブルドッグのような顔立ちの二匹の邪鬼。左右がお互いにそっぽを向いているようだ。その下の三猿は正面向きに並ぶが、その座り方はまちまち。両脇の言わ猿と見猿は片手をひざに置き、片手で口、目をふさぐ。このあたりの表現はユニークで面白い。 台の正面にも銘が刻まれているが、なかば土に埋もれていて完全には読み取れない。右から武刕足(立郡) 西(谷村) 奉供(養) 庚申(塔) 講(中または衆)あとは□人か? 塔の両側面に造立年月日が刻まれていた。

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