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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.05.08
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奈良町の北、別所町 の石仏を見てみましょう。

別所稲荷共同墓地 北区別所町94​[地図]


別所町、しらかば通りの一本北の通り沿いにある別所公園、そのすぐ西に別所稲荷共同墓地がある。駐車場の右脇、道路沿いに大きな標石と地蔵菩薩塔が並んでいた。


地蔵菩薩塔 寛政元年(1789)四角い台に反花付き台を重ねた上に角柱型の石塔、その上に丸彫りの地蔵菩薩立像が乗り、総高3m近い。石仏の小型化、簡素化が進んだ江戸時代後期に、これだけの大きな地蔵菩薩塔が造立されたのは驚きだ。石塔の正面に「奉造立地蔵菩薩像 現世安穏後生善處」両脇に造立年月日。


塔の左側面 武刕足立郡別處村 施主村中、願主三名。左に開眼供羪導師 柏座村 日乗院 當村 長福寺。長福寺は上尾市柏座の日乗院の末寺らしい。


右側面 上の段に三つの童子、童女戒名、下部に八名の俗名が刻まれていた。


その奥に三基の丸彫りの地蔵菩薩塔が並んでいる。左の二基は墓石だった。


右 地蔵菩薩立像 享保4(1719)蓮台と宝珠を持つ左手だけがやけに白い。あとから補修されたものだろう。


角柱型の石塔の正面に「岩船地蔵 供養佛」左側面に造立年月日。


右側面に別所村中 施主敬白と刻まれていた。


駐車場の西一帯に墓地が広がっている。その入口、道路沿いに地蔵菩薩塔、その後ろに小堂が立っていた。

地蔵菩薩塔 正徳3(1713)右の地蔵菩薩塔と同じような構造。高さも3m近く、ただ造立年だけがかなり隔たっている。錫杖・宝珠など大きな欠けはないが首がやけに細い。後から補修されたのだろうか。


角柱型の石塔の正面「奉造立地蔵菩薩像 現世安穏後生善處」左脇に造立年月日。


右側面 武刕足立郡別所村 施主講中、願主當村二名、続いて江戸浅草中村氏とあり童女戒名。左脇に開眼供羪導師 柏座村 日乗院、當村 長福寺。正面とともに入口右の地蔵菩薩塔とほぼ同じ内容になっている。


左側面は一部白カビが厚く上部の銘は読み取りが難しい。下部には二段に渡って名前が刻まれていた。上の段はひらがなで7,8名、下の段には漢字で4名。男女合わせて十名あまり。上部も合わせるともっと大きな講かもしれない。


小堂の中には如意輪観音塔と六地蔵塔が並んでいた。


左 念仏供養塔 文政5(1822)角柱型の石塔の上、敷茄子・蓮台に二臂の如意輪観音半跏坐像。石塔の正面に「念佛供養塔」


左側面に足立郡別所村 講中。その奥に世話人 阿弥陀堂。


右側面に造立年月日。その脇に信女戒名が刻まれている。


続いて六地蔵菩薩塔だが、これが少々変わっている。まず丸彫りの地蔵菩薩立像はサイズはほぼ一緒だが、左の三体は四角い顔で白毫が目立つのに対し、右の三体は顔は細長く卵型ですっきりとした顔立ち。蓮台の下の石塔は左から2番目と3番目には昭和46年彼岸 別所稲荷墓地維持会 再建とある。


他の地蔵塔の石塔の正面には戒名や命日が刻まれていて、その命日は寛政12(1800)~文政~天保6(1835)に渡っている。最終的な再建は昭和46年だが創建はいつなのかはっきりしない。右端の石塔の正面には武州足立郡大谷領西光山長福寺。奉開眼 柏座村西光山日乗院。


その右側面に別所村 講中と刻まれていた。

別所公園南民家庭先 北区別所町50​[地図]


別所公園の南、しらかば通りを越えて100mほど先のT字路交差点、北西の角の民家の庭先に石塔が立っていた。


猿田彦大神塔 明治25(1892)駒型の石塔の正面中央 日月雲の下に「庚申猿田彦尊」右脇に造立年月日。左脇に願主 個人名。風化が進み塔全体にひびが入っていて剥落が心配だが、銘はなんとか確認できる。

庚申公園 北区別所町67​[地図]


別所公園から東へ250mほど、庚申公園の北西の角に庚申神社がたっている。祠の入口は閉じられていて中に入ることはできないが、正面の左下に比較的大きな穴があけられていて、なんとか写真を撮ることができた。


庚申塔 宝暦4(1754)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。(造立年は資料による)正面から見る限り像の周りに銘は確認できなかった。銘は塔の側面にあるのかもしれない。


三眼の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。足の両脇に二鶏。足元に二匹の邪鬼。このあたりで二匹の邪鬼というと先日見た本郷町の高林寺の寛延3(1750)の庚申塔が記憶に新しい。あらためてよく見ると青面金剛の頭上のこぶこぶ、右手の剣、身にまとう衣装の様子など、両者はよく似ていた。造立年は4年違い、同じ石工さんの仕事だろうか?


下部、小さな鳥居の向こうに三猿、両脇が内を向く構図だが、行儀のよい坐像ではなく、足を投げ出して腰かける姿は自由奔放、この三猿も高林寺の庚申塔の三猿と雰囲気が似ているような気がする。

旧中山道市境路傍 北区別所町1125-17​​[地図]



庚申公園のあたりから東へ向かい高崎線を越えた先、つつじが丘公園西交差点を左折して北へ進む。ちょうど市境付近、道路左側にお堂が立っていた。お堂の前の小型の石塔は魂霊神塔 昭和49年再建となっている。


お堂の中 不動明王立像。造立年不明。右手に剣、左手に羂索を持つ独尊。像の左脇、施主 個人名。右脇に造立年月日だが、戊寅年八月吉日だけで肝心の造立年は見えなかった。戊寅年というと元禄11(1698)宝暦8(1758)文政元年(1818)明治11(1878)あたりになるが正解はどうだろう?





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Last updated  2024.05.08 19:41:40
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