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カテゴリ:御聖訓集
(地涌倍増と大結集)
【十一 日】・・・・・《文永元年11月11日.・・・小松原の法難》
故親父は武士なりしかどもあながちに法華経を尊み給ひしかば、臨終正念なりけるよしうけ給はりき。 其の親の跡をつ(継)がせ給ひて又此の経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。 あはれい(生)きてをは(坐)せばいかにうれ(嬉)しかるべき。 此の経を持つ人々は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給ふなり。 いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信ぜさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし。
『上野殿御返事』・・・・・御書745頁
『通 解』 亡くなられた親父は武士ではあったが、強盛に法華経を尊ばれたので、臨終正念を遂げ安らかに亡くなられたとお聞きした。 その親の跡を継がれて、またこの法華経を信仰されるならば、故聖霊はどれほど草のかげにて喜んでおられるであろう。 ああ、生きておられたならば、どれほどうれしいことであろうか。 この法華経を持つ人々は、他人であっても同じ霊山浄土に詣り合わせるのである。 まして故聖霊と殿は父子であり、同じく法華経を信仰しているのであるから、必ず同じ霊山浄土に生まれることであろう。
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最終更新日
2009年05月12日 19時11分35秒
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