有難いご指南です。
御法主日顕上人猊下お言葉 御法主日顕上人猊下 御登座二十五周年奉祝行事の砌 平成十六年八月六日 於 総本山大書院 次に僧俗の関係ということを少し言っておきたいと思います。僧俗の関係はやはり信頼が大事です。けれども、やはり僧侶は世間知らずなのです。世間の人達には色々な意味の厳しい世間の事柄が多々あり、そのようななかで生活しているのです。いわゆる色々な意味の人情の機微などは世間の人間のほうが詳しい意味もあるのであって、僧侶はやはり世間知らずの意味があるのだ。ですから、僧侶がいい加減でわがままなことを言う。すなわち放言癖というものがあると、こちらにそんなに悪い気持ちはなくとも、ちょっとした言葉が、ある信徒の心を大変に傷つけて、結局、その人は信心を退転してしまうこともあるのです。せっかくお寺へ来ているような縁故がある人の信心を退転させてしまうということは、これも一つの大きな謗法になるわけです。 それよりもお互いのなかに信頼ができてくれば、その信徒の人達が逆に「あの御僧侶の所へ折伏した人を連れて行こう」という気持ちになるのです。なかには折伏してきた人に対して冷たい態度を取ったり、知らん顔をしてみたり、「金持ちで御供養するような人間でなければ折伏する必要はない」とか「お寺に迷惑をかけるような人だったら折伏するな」などと言うことはとんでもないことだ。どのような人でも全部、受ける気持ちでやってもらいたいのだ。それで、仮りにお寺に迷惑がかかったらかかったでよいではないか。どのような人をも救っていこうということが大聖人様のお心ではないでしょうか。その上でこの下種の大法をもって、どのような人でも救うのである。時には非常にひどい境遇の人を折伏したとしても、正しい気持ちで導いていくところにおいて、本当にその人が大きな功徳を持ったときに、今度はその人が完全な、真剣な正しい信心をもって折伏することができるのだ。だから、「御供養する人だけ折伏しろ」などという、けちな考えは絶対に捨ててもらいたい。私はそういう話をよく聞くのだ。(大日蓮平成16年9月号)*************************************有難いことではないですか。御法主上人様のお心は、謙虚で、大慈悲にあふれていらっしゃいます。このご指南を拝見できただけで、十分、日蓮大聖人様からの御内証をお持ちであることが、感じられますよね。血脈は脈々と日蓮正宗の御法主上人様の中に流れている。そこに、縁を頂ける福運に、感謝です。そして、一人でも多くの方、顕正会員が、目覚め、気付いてくれることを心から、祈っています。今日も夫と顕正会時代のことを思い出して、話していましたが・・・夫が、「顕正会の時は、ほんまに年取ったな~と思っていたけれど、今も、昔に比べたら、動きは鈍くなってるけど、ちょっと・・・ほんまにちょっとやけど、若くなったみたいに見えるで」ムフ・・・若いだなんて~のろけてすいません。。。。。