2614480 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

一夢庵別館

一夢庵別館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

K.Mark

K.Mark

Rakuten Card

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

背番号のないエース0829@ あだち充 「タッチ名言集 ~ 西村勇 ~ 」に、上記…
背番号のないエース0829@ カトリック 「聖バレンタインデー」に上記の内容につ…
はうリング@ 困ったものです。 はじめまして。 いつも、興味深く拝見さ…
pintu7923@ こんにちは。  掲載が停止したときには、今回の事態の…

Freepage List

Headline News

2008.07.21
XML
カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話第3シリーズ 第230話 「イエスの遺灰」

 キリスト教徒以外が謎に思っていることの一つに、処刑されたイエスがどこに葬られたのか?という事があるのですが、キリスト教徒にとってはイエスは復活したことになっていますから、仮に一時的に埋葬されていた場所と言い換えてもいいかもしれません。

 このあたり、磔(はりつけ)にされたキリストの脇腹を刺して息の根を止めた処刑用の槍が”ロンギヌスの槍”で、槍で突かれてイエスから流れ出た血をイエスの家族の女性たちが受け止めたのが”聖杯”、十字架から降ろされたキリストの遺体に掛けられた布が”トリノの聖骸布”といった具合に、当時は珍しくもなんともなかったであろう道具類が聖遺物と称されることとなり、さまざまな伝説を産みだしていくこととなります。

* 聖杯に関しては、最後の晩餐でキリストが葡萄酒を飲んだコップという説もあれば、両者が同じモノであるとする説もある。

 ただ、不思議なことは、”生前にイエスが日常的に愛用していた道具や衣類”の類に関する伝承や、残されたであろうイエスの家族たちに関する記録が皆無に近いことなどにキリスト教関係者が言及しないことがあるかなと。

 このあたり、イエスの死後、その家族集団と、高弟集団に分派し、高弟集団が自らの正当性を主張するために家族集団に関する事象を計画的に抹消していったという説があるくらいで、この手の内部抗争は、日本の新興宗教などでも初代の開祖が死んだときに、教団経営を直系の血族が担うか、高弟達が担うかで揉める事が珍しく無い光景を思い浮かべれば足りるのかもしれません。

 世界的なベストセラーになった”ダヴィンチ・コード”では、イエスは結婚していて子供もいたとか、少なくとも(イエスの子供かどうかはともかく)イエス・キリストの一族の血統が初期の仏蘭西王朝に混ざっているといった仮説が前提となっていて、カトリック教会を含むキリスト教系の団体の立脚点に暗部があることを暗示しているわけです。

 このあたり、イスラム教の方が過激で、スンナ派(正統派)とシーア派(マホメットの女婿を正統とする)の対立も、煎じ詰めれば高弟達が組織として継承するか、家族が血統として組織を統轄するかという勢力争いが根底にあり、両者の間で大規模な殲滅戦が行われた事が記録に残っているのですが、その辺りのことはまた別の機会に。

 それはともかく、新約聖書を旗印に”自分たちこそがキリストの正統な弟子である”とイエスの生前からの高弟達が主張するのはまだわからないでもないのですが、最大の問題は、キリスト教を組織化した人達というのは、キリストの死後、あるいはキリストが処刑されたことに触発されて教徒となった人達であって、生前のキリストとは面識が無いケースも珍しく無かったりします。

 逆に言えば、キリストの家族達どころか、キリスト生前からの高弟達とも接触が無かった可能性さえもあるわけで、知れば知るほど首を傾げる話が多くなっていく原因が少なからずそのあたりにもあるような気が(私は)しています。

 このあたり、キリスト教に関しては、新約聖書が聖典とすれば、偽書、偽典とされる幾つかのイエスに関する記録や、死海文書のように全てが公開されずに判定もされていない資料群が存在するという話はこれまでにも少ししたことがあります。

 そうした異端の書物の一つの頂点として知られているのが”フィリポの福音書”で、1945年にエジプトのナグハマディで発見された古代エジプト語の書物群の中から発見されています。

 同じ書籍群からは”トマスの福音書”も発見されたのですが、フィリポの福音書が有名になったのが、”(母)マリアが精霊によって(イエスを)身ごもったと言っている人がいるが間違っている”とか”イエスの伴侶はマグダラのマリアである”と、主流派のキリスト教徒としては受け入れがたい内容が含まれていたためだったりします。

 もっとも、バチカン関係者を震撼させている遺物で最大級の未公認物件といえば、死海文書やフィリポの福音書などもさることながら、1980年にイスラエルのタルピオットのマンションの工事現場で発見された墓所から出てきた、いわゆるキリストの骨箱(骨壺と訳している資料もある)の存在だったりします。

 骨箱というのは日本人には馴染みが無いのですが、一種の風葬に近いのですが、人が死んだら骨になるまで数年単位で墓所に放置しておいて、墓所に本格的に埋葬するときに、骨をあらためて納めた箱のことで、日本では一般的な火葬した後に骨を(一時的に)入れる骨壺とは異なります。

 ちなみに、この墓所からは10名分の骨箱が出ているのですが、アラム語で書かれた名前が判明しているのが、”イエス、マリア、マグダラのマリア、マタイ、ヨセフ、イエスの息子ユダ”の6名分だったりします。

 さすがに、”イエスの息子ユダ”という記述には”まさか ・・・”という意見が多かったようですが、2007年に、骨に残されていたわずかな筋繊維などを使ってDNA鑑定を行った結果が公表され、少なくとも、この墓所に納められていたイエスとユダの間には血縁関係があったようです。

 もちろん、懐疑派は、発見された骨箱に刻まれていた名前は(当時既に)一般的なものであり、たまたま同姓同名の家族がいたというだけのこと ・・・”と主張しているようです ・・・ この理屈でいけば、同じような墓所がもっとゴロゴロ出土しているような気が私はしていますし、イエスの息子にユダと名づける神経というのもいかがなものがと(笑)。

 ただし、確かにマリアという名前の女性は、新約聖書の中で、イエスの母、マグダラ、ヤコブの母、ヨセの母 ・・・ と、いった冠付きで複数人が登場しますから、同姓同名説に根拠が無いわけではもちろんありません。

 ユダの最後も、首を吊って死んだ事は記録されていても、その後、ユダの死体がどうなったか?に関しては記述が無く、その最後が不明瞭であるが故に、いわゆる”ユダの福音書”の実在が根強く(一部で)囁かれていることは御存知の方もおいでかもしれません。

 ユダに関しては、イエスの息子説だけでなく、イエスの愛人説もあるくらいで、いわゆる十二使徒の中で一番イエスに近かった弟子であり、後継者候補NO.1だったとすれば、キリストが逮捕されたどさくさに紛れて暗殺され”師を裏切った”という汚名を着せられた可能性も否定できないかなと。

* 銀河英雄伝説風に言えば、”教団のNo1とNo2を同時に欠く事態”に陥ったわけです。

 それはともかく、判明した6人の中にヨセフの名前があったのも意味深で、羅馬の提督ピラトにかけあって処刑されたイエスの遺体を引き取った男の名前もヨセフですから、仮に同一人物だとすると、マタイ伝だとヨセフも弟子だったということになっていますが、特にキリストの高弟というわけでもない地元の有力者(議員であったとか大金持ちであったとかいった記述は聖書の他の伝にもある)がイエスの遺体を引き取ったことになり、その男と同じ名前の骨箱が出土したということは、イエスの処刑後はヨセフが残されたイエスの主な家族達を保護し、その死後はヨセフ家の墓所で弔っていた可能性さえあるのではなかろうか?

 少なくとも、イエスの死後のヨセフの義侠心に富んだ行動や、マグダラのマリアなどのイエスの家族達のイエスの処刑前後の肝の据わった行動などと、イエスが逮捕され処刑された後も大半が逃げ回っていた十二使徒たちの行動を比較するとき、なぜ、十二使徒に代表されるキリストの高弟達とイエスの家族達との関係が疎遠になったのかはわかる気がしないでもない(笑)。

 なお、十二使徒というのは、本来はイエス・キリストに選ばれて福音を宣べる事を託された高弟達のことで、ペテロ、ゼベダイの子(大)ヤコブ、福音書記者のヨハネ、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子(小)ヤコブ、タダイ、シモン、イスカリオテのユダということになっています。

 ちなみに、イエスの死後は十二使徒の定義に紆余曲折があり、ユダではなくマッテヤが十二使徒とされたり、パウロやイエスの弟(従兄弟という説もある)ヤコブなどを使徒として加える政治的な改変が行われています。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第230話(2008/07/15)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.07.21 00:34:09
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.