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2021.09.13
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カテゴリ:宗教
帰ってきた怪しい話 第0014話 「白骨街道、遥か・・・」

 1945年に終結した第二次世界大戦の結果として、大日本帝国は無条件降伏を受け入れて敗戦国となり、その責任の所在を明確にするために開廷された”東京裁判”において訴追されて裁判が結審した後に戦犯という呼称が確定した当時の上級国民の中には裁判の審理中に気が狂ったふりをしてまで罪を逃れようとした人まで出たというのは当時の映像記録付きで残されている実話です。

 何度となく書いていますが、「大日本帝国は第二次世界大戦における敗戦国という現実がある」ということですし、「その敗戦国という立ち位置が嫌なら第三次世界大戦に参戦して戦勝国として国際的に認知される以外の手立てはない」ということになります ・・・ 第一次、第二次世界大戦における戦勝国側の言い分を踏襲するとすればですが。

 念のために書いておくと、第二次世界大戦当時の日本軍の戦場に存在していた欧米列強が公認していた”独立国”といえば、タイ王国、オーストラリア、中華民国(実質的には蒋介石を首班とする国民党軍)、ソビエト連邦共和国、亜米利加合衆国で、欧米列強が(彼らの基準だと独立国として公認し傀儡政権を成立させて軍事的、経済的な援助でテコ入れすることが第二次世界大戦後からこれを書いている時点まで珍しくもなんともない)満州国を当時からず~っと非公認として”なかったこと、なかった国”にしたがっているあたりでも欧米列強の主張の胡散臭さは分かりそうなものではないかと。

 正気を疑うのが、第二次世界大戦当時どことか第二次世界大戦が終結した後に”日本は戦犯国で自分たちは戦勝国”と主張して(サンフランシスコ講和会議に招待もされてないのに戦勝国側を自称して参加しようとして門前払いを喰らった)大韓民国の主張で、”そもそも論でいえば、第二次世界大戦が終結した直後から(清王朝から連続性のある政治体制を維持していた中華民国(国民党軍)の系譜という)引き取り手が戦時中からすでにいた”台湾”と違って、戦争終結後に政治的と言うより地域的な空白地帯となっていた朝鮮半島のどこに第二次世界大戦中に独立国で日本と開戦して戦争終結時まで交戦し続けたとする根拠があるつもりでいるのか?

 中華民国の系譜ということでは、第二次世界大戦中から終結までの間は蒋介石が率いる国民党軍を英吉利、亜米利加、ソビエト連邦といった有力な欧米列強が公認したというのは、ヤルタ会談などでも世界史の一部になっていることは御存知のとおりですし、中華人民共和国は第二次世界大戦が終結した後に中華民国の系譜の一つであった共産党軍(周恩来、・・・、毛沢東)が唐突に内戦をしかけて実効支配地域を広げていって、大戦終結後に建国したというのも比較的知られた話かなと。

 というか、第二次世界大戦と期間が一部重複している日中戦争において欧米列強が清王朝からの連続性を公認して交渉相手の代表とし続けたのが国民党(軍)勢力ですし、大戦中に兵力を温存して日本軍との抗戦を避け続けて余力があったからこそ戦争終結後に簒奪戦争をしかけて”国共内戦”で圧倒的な優位に立てたとも言えます ・・・ まあ、その辺りのことは第二次世界大戦後の混乱期の話になりますし、日本がGHQというか亜米利加合衆国の占領下にあった”オキュペイド・ジャパン”の時間帯にもなりますので深入りは避けます。

 ただ、”孫文がもっと長く生きてリーダーシップを発揮できていたら随分とその後の中国というか世界の歴史は変わっただろうなあ(遠い目)”とは思いますし、孫文との連続性がある国民党軍や共産党軍と比較するとき、第二次世界大戦が終結して5年も経過した後に唐突に朝鮮戦争という内戦を発生させて休戦期間を挟んではいるものの内戦状態が終結していない南北朝鮮勢力とは別物でしょう。

 つまり、日朝併合が当時の国際社会の場で公認された独立している国家間の交渉の末に成立した話ですし、例えば清王朝の最後の皇帝となった溥儀と中華民国の首班が交渉の末に政権を継承し連続した国として国際社会でも公認されていった流れというのは、関係者各位に様々な言い分があるとしても、それなりに分かりやすい話であり、”それほど日本に併合されたことが納得できていなかったというのなら第二次世界大戦が終結した直後からでも李氏朝鮮の王族たちを首班にして李王朝を国家として再興するのが本筋だったんじゃないですか?ということ。

 日本に併合された後、李王朝の主要というか中核を形成していた王族たちは併合以前の序列に準拠して日本において皇族に準じた待遇を受けていた(少なくとも、併合以前に既に確定していた日本の華族たちよりも上の立ち位置とされて衣食住も皇族並みの水準で公費で支給され続けた)のは有名な史実ですから、併合以前の体制に戻すのなら李王朝の王位継承権を有する人達を中心に据えて独立を回復するというのが、分かりやすい筋論ではないかと。

 韓流ドラマの中でも李王朝関連の歴史ドラマの類を時代考証込みで本気で実話だと思い込んでみている戦後の日本人もそうとうな間抜けだとは思いますが、現実世界だと第二次世界大戦が終結するとほぼ同時に”我々は被害者であり、朝鮮半島において正当な権利を有する”と日本に在住していた李王朝の王族やその関係者が言い出したというか実際に朝鮮半島に渡って李王朝を復興しようとしたというのも実話だったりします。

 なぜ、韓国や北朝鮮の関係者各位が第二次世界大戦までの期間限定で日本の戦争責任を云々し戦犯国あと言いたがるのかといえば、日本が半島から完全に手を引いた1945年の9月以降に、朝鮮半島で生まれ育った人たちが李王朝関係者にどのような選択をした末に現在に至っているのかに関して語れば語るほど歴史的な整合性と正当性が取れなくなり、特に北朝鮮に関しては李王朝に対する簒奪国家になることが朝鮮戦争が終結すると同時に確定するためではないかと ・・・ これを書いている時点だと、南朝鮮は北朝鮮に国家体制が統一される形での南北統一に舵を切っていることには留意が必要でしょう。

 さて、第二次世界大戦が終結した直後の混乱期に「我々は日本の皇室(天皇+皇族)や華族によって迫害され続けていた被害者であり支配地であった朝鮮半島において李王朝を復興させて頂点に君臨する」つもりで、いそいそと現地に乗り込んだ李王朝関係者各位がどうなったかというか、どういうあつかいを半島で生まれ育った人達から受けることになったのか?をざっくりと解説すると、「引き取り手が居なかった」とまとめることができます。

 第二次世界大戦直前の時期でさえ、亜細亜に置いて欧米列強各国から国際的に公認されていた独立国は片手で足りる程度でしたし、その中で皇帝や国王が国の元首として君臨していた国と言えば日本とタイ王国しかなかったというのが現実だったわけですし、欧米列強が日本の植民地獲得戦争がけしからんと幾等声高に主張したとしても、”でも、中華民国の領域は英吉利を筆頭とする欧州各国によって日本が大陸に進出する清王朝の時代から既に蚕食され続けて中華民国への政権交代を挟んで、日本が大陸から完全に撤収した直後も(香港や澳門などがわかりやすいですが)欧州各国は即時の返還に応じなかった”だけに”自分たちが印度を含む東アジア全域でやらかした植民地獲得戦争そのものの基準が最初からダブルスタンダードになっているわけです。

 とても分かりやすく解説すると、主に仏蘭西が広域に植民地化したインドシナ半島の場合、第二次世界大戦の内の太平洋戦争に該当する地域の一つですが、日本軍がインドシナ半島に進軍してイギリス軍やフランス軍を駆逐しながら実効支配下においたのは1941~1945年までの足掛け5年ほどの間の話になります。

 それでいて、”日本がインドシナ半島を自国の勢力圏としたり植民地化することは犯罪行為である”とイギリスはともかく(第二次世界大戦の前半であっさりと独逸の占領下に下ったことで、結果的に”何もしなかった”)フランスが戦勝国側に立ってインドシナ半島の植民地を再度支配下に置いたというか置こうとしたことで欧米列強の連合国側の主張に矛盾と無理が生じて現在に至っていると言えます。

 その意味で、12世紀ごろから本格化していったヨーロッパ各国の国外植民地獲得戦争の欧州における最終的な勝者は英吉利ということで確定し、戦後も広域の英吉利連邦地域として考えると、南アフリカ、印度、オーストラリア、ニュージーランド、亜米利加合衆国、日本などが良くも悪くも含まれていますし、その間の英吉利の外交交渉能力や世界規模の戦略能力を客観的に分析していくと、日本の外交能力が未熟と言うより底辺で皆無に近いことがよくわかります。

 英吉利にとって大日本帝国というのは物理的な距離のある亜細亜圏の東の端にある発展途上国でせいぜい”丁稚から教え込んだ番頭”扱いのポジションだったということですし、ある意味で”筆頭の大番頭”である亜米利加合衆国からすれば組織内で必要以上に成り上がってきたから序列を教え込むのが当たり前のポジションにいる下っ端ということで、そう考えると、ある意味で21世紀の日本の立ち位置もとても分かりやすいと、私は、思います。

 まあ、第二次瀬下大戦前夜の圧倒的な白人国家優位の時期だと、欧州人にとっての日本人というのは”片言の人の言葉を話せる程度の猿”という程度の認識が一種の常識だったことに留意が必要で寿司、第二次世界大戦中にインドシナ半島に英軍で従軍した経験がある、プエル・ブルーが戦後に自身の経験から「戦場に架ける橋」と「猿の惑星」を執筆してベストセラーとなり映画化もされたという話はこれまでにも何度か触れたことがあります。

 当時の現地にいた英吉利人にとって”猿にいつの間にか人間並みの知恵がついていた”という認識の変化をもたらせることにもなった第二次世界大戦ですが、皮肉なことに戦後の日本人にもファンが多い「星の王子様」のサン・テグジュペリはバリバリの白人至上主義の仏蘭西人で日本人を含む有色人種を白人と同列に扱う必要があるとは爪の先ほども考えていなかったことが残されている資料などを素直に読むとよくわかります。

 まあ、当時ほどでなないとしても、例えば発足した当初は捕鯨国による国際的な鯨の適切な資源管理の場であった国際捕鯨員会が、次第に”日本をバッシングすることが主目的の集団が開催する組織に変質して、組織を財政面でも大きく支え続け、まともに資源としての鯨の頭数調査(いわゆる調査捕鯨)を真面目に実施している極めて少数派の国となっていった末に”あまりに他の捕鯨国と比べると不合理で馬鹿らしくなり過ぎたので脱退します”と脱退して沿岸の国内捕鯨に専念する選択をしたことは御存知の通り。

 まあ、その辺りでも、韓国が鯨以外の漁に紛れ込んだけだと自国の鯨の混獲を主張し続けて(その混獲された鯨の頭数や総トン数、種別)が、国際捕鯨員会を脱退する直前数年間に限定しても日本の調査捕鯨における頭数や総トン数の10倍以上の規模になっていても、”混獲”だから種別も性別も年齢も捕獲された場所といった資源管理に必須の(ハズの)資料も不明というか実質的に国際捕鯨委員会において”不問”とされ続けていたというか現在進行形でも不問とされていますから、問答無用で日本だけをバッシングして露骨に差別することが彼らにとっての正義という点で第二次世界大戦当時と大差が無いと考えておいた方がいいでしょう。

 もっとも、日本の政府も外務省も、国連において決議され廃止されていない”敵国条項”の対象国から外れるチャンスがありながら、対象国になれないままで”国連の常任理事国入り”を真顔で延々と言い続けている浮世離れした集団というか外交能力と国際的なセンスが壊滅している国だと認識する方が現実的な選択なのかもしれません。

 ちなみに、この場合の”敵国条項”というのは”第二次世界大戦当時に連合国側で参戦していて戦勝国となった国に対して、敗戦国となった日本、独逸、伊太利の枢軸国側の三か国が軍事行動に出たと考えられた場合は問答無用で(直接は無関係の国も参戦し)反撃する権利を持つ”とでもいった決まり事で、現在進行形で有効です。

 その辺りでも、大戦中に足を引っ張って途中退場しただけに終わった伊太利はそつなくさっさと対象から外れ、ある意味で枢軸国側で戦争を主導した独逸は”NATOに参加するから”という理由で西ドイツが対象から外れた後、東ドイツと西ドイツが再統一したからという理由で統一独逸としても完全に対象から外れていますので、間抜けな日本だけが延々と敵国条項の対象国であり続けているわけです。

 日米安全保障条約が締結されたことを理由にすれば、西ドイツがNATOに加盟したことで敵国条項の対象外になったのですから、日本も対象外になって不思議ではないハズですしそれ以外の機会でもなんどとなくチャンスがあったのですが、なぜか日本政府も日本の外務省もまともに交渉することがないまま現在に至っています ・・・ どう考えても、日本の国としてのリスクとしては、モリカケ騒動を延々と国費と時間を無駄に浪費している現状より対処する優先順位が高いと、私は、思います。

 というか、国連で第二次世界大戦直後の時期に制定された敵国条項でさえ半世紀以上経過しても撤廃できないでいる日本という国が、なぜ敵国条項から抜け出せないでいるままで国としての交戦権などとも関わる”憲法九条”を改正できる気になっているのか?改正が不要というより”それ以前に越えておかないと何かとまずいハードルがあるけどどうすんの?ということですな。

 国際政治の原則は「自国にとってその選択が有利か不利か」ですからどこかの国が日本にとって有利だからというだけで日本の選択に賛同することが無いというか、日本が自分の利益を確保するためには自分で動いて選択するしかなく”善意の第三者”の類は現実の国際世界には存在したくても存在できない幻のようなものと認識すべきでしょうなあ。

 まあ、印度の植民地化と並んでイギリスがやらかした極悪な植民地獲得戦争の一つに”アヘン戦争”があるのは比較的知られた話ですが、なぜか(少なくとも日本の公教育においては)触れられることがなことに”清王朝の貿易赤字が無視できない規模になるほどの阿片を英吉利は国策としてどこで主に製造して清にもちこんだのか?”という話があるのですが、その阿片製造の拠点を確保するために滅ぼされたのがアフガニスタンにあった王国で、そのアフガニスタン戦役の一環で戦地で負傷して帰還したワトソン博士が倫敦界隈でぶらぶらすることになったというのがシャーロックホームズの物語としての背景というか発端だったりします。

 その意味で、アフガン問題というのは昨日今日始まった話ではありませんし、インドシナ半島におけるラオスの黄金三角地帯のように巨大な芥子畑が広がる(広がっていた)地域は欧州列強国の麻薬栽培拠点がルーツになっていることが珍しくもなんともなく、その消費市場として狙われたのが清国であり植民地下の諸地域などだったということ。

 ちなみに、そういった構図は南米のコカイン製造においても類似点が多く、コカインの場合は、当初は商品名というか含有成分としてコカ(イン)が明記されていたコカ・コーラを愛飲している人が珍しくない北米の巨大消費市場に繋がっていますし、中南米におけるいわゆる麻薬カルテルといった利権集団がなぜ根絶されないのか?という話にも繋がっていく長く複雑怪奇な話がそこにはあります ・・・ どこでどう繋がっているのかよく知りませんので深入りはしませんが、”テロとの戦い”と真顔で言われてもねえ?

*これを書いている時点のコカ・コーラはコカの葉を漂白して成分のコカインを抜くことで、コカの葉に浸してあるけれど麻薬成分は含んでいないので、商品名としても成分的にも問題ないとしているようです。

 大日本帝国は欧米諸国との駆け引きに戦前から既に敗れていたという点でも第二次世界大戦における”敗戦国”となったわけですが、東南アジア戦線における戦略的な意味に乏しいというか当時の日本の国力から考える限りにおいて机上の空論だった陸軍の作戦の結果が、ろくに補給も受けられないままに死んでいった日本兵の遺骨が並んだことで”白骨街道”と呼ばれることになった地域などではないかと。

 天皇陛下の指令の下でハエに喰われて白骨化していった日本兵たちに、戦後の日本政府や皇室は何をもって報いたのか?彼らにとっては今も昔も下級国民は自分たちと同列に扱う存在でないのかもなあと。

 それでも、昭和天皇の御代までは大多数の日本人は承知の上で従軍していたわけですし、昭和天皇までが自分たちのとっての天皇と考えている人が多数派を形成していたと書いても過言ではないとも思います ・・・ 逆に言えば、平成天皇以降の天皇や皇族に関しては”それほどの思い入れはない”人が多数派を形成するようになっているということです。

 本当に不思議なのが、”学生時代に海外留学も経験し、ニューヨークで新生活を公費を使って始める”とのたまう某・お姫様は一度も白骨街道などの悲惨な激戦地を訪れたことがないということ。

 南方戦線の激戦地が戦後に観光地化した中には、日本軍が立てこもった洞窟の類といった設定で白骨化した日本兵が銃を構えた姿勢でディスプレイされて晒されていることさえ現在進行形で続いていたりします ・・・ さすがに時間の経過とともに次第に数は減っていますが。

 かって厚生省が主導して実施ていた戦後の戦地における遺骨収集事業は、いつの間にか有耶無耶になって”終わった”ことになったのですが、現地を知る人ほど”まだ終わってなどいない”という声が上がることもあって民間の有志などが現地で供養したり細々とでも遺骨の回収などを試みていたりします ・・・ 

・・・ 沖縄の激戦地の一つとして知られる”ひめゆりの塔”などに天皇や皇族は参拝するのが当たり前だと思いますが、沖縄の激戦地やインドシナ半島の白骨街道などよりもさらに南方の、赤道を越えた激戦地でも、慰霊さえされることもないままの民間人を含む英霊たちが眠り続けている現状がありながら、平成以降の皇室は何をもって”戦犯として処刑も処罰もされなかった一族が、延々と税金で衣食住が保障され続けていることの正当性”がどこにあると考えているのか?

 あるいは、戦禍で親兄弟や親戚一同を失い、空襲で家屋敷から焼け出された戦災孤児が、戦後の上野駅周辺だけで一日平均で二人以上の規模で飢えや栄養失調などで、路上の片隅で死んでいた時期が年単位で続いたことを知っていると、或いはそういった光景に遭遇して覚えている人達にとっては、某・お嬢様や某・A宮家の御一同様の言動と選択というのは”ふざけたこと言ってんじゃねえ!”ということいなるのではなかろうか?

 もう、日本の戦後の皇室システムを維持する選択というのは、令和天皇の代まででいいのではないか?皇族にとって自分たちは民間人と同じ権利があってあたりまえで、税金で衣食住が高水準で永代保障され続ける環境を満喫するのが当たり前と思っている人達に無理にお願いしてまで皇室を演じてもらう必要は無くなったなあ~と。

 まあ、自分たちに戦争責任は爪の先ほども無いし、赤紙一枚で死んでいった兵や軍属、玉砕を強要された民間人、戦後に看取られることの無いまま死んでいった戦災孤児たちが、某・A宮家の一族の選択と言動をどう思うのか?と考えると、法律で皇室制度を保護するのは止めて、一民間人の立場で宗教法人で働く神職という立ち位置で仕切り直すだけで十分ではないかと。

 19世紀に入ってから、仏蘭西革命によって王朝が打倒され王族まで処刑される事態が珍しく無くなった後に、王侯貴族は何故に王侯貴族たりえるのか?と貴族階級に属する人たちも考えて理路武装するようになったのですが、貴族が貴族たりえるのは貴族としての矜持を持ち貴族として社会に対しての義務や責務を果たそうとするからとでもいった(ノブレス・オブリージュ)あたりに落ち着いたようです。

 わかりやすく書くと、戦場で一般人の兵は弾が飛んで来たら即座に身を伏せていいが、指揮官である貴族は弾が飛んで来たら周囲を観察して現状を把握してから身を伏せるといった、上に立つ者に命がけで求められる行為と選択を当たり前のこととして実行できるからこそ貴族たりえると考えられるようになったということ。

 ちなみに、戦時中に前線で従軍していて亡くなられた皇族や華族は意外と多く、そもそも年齢的に該当する皇族、華族という母集団が少ないが故に戦死する確率が高くなりやすいのですが、彼らもまた貴族としての義務に黙って殉じたと言えます。

 そういった皇族、華族たちの命がけの行為も戦後の皇室制度を支えてきたと、私は、思いますが次代の天皇を輩出する可能性が今の時点で一番高い某・A宮家の御一同様は、自ら”民間人と同じでいい。皇族や貴族としての矜持や義務を負って働くのは嫌だ。”と言い出しているわけですから、皇室制度そのものをリセットした方が、貴族、上級国民、下級国民のいずれにとっても良いと思うのですが?


では、また~。





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Last updated  2021.09.13 20:16:47
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