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2008.08.09
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カテゴリ:おたく文化
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第247話 「赤塚伝説」

 日本で子供からオトナまで楽しめるギャグ漫画を描いた漫画家といえば、赤塚不二夫(あかつか・ふじお:赤塚藤雄:1935/09/14~2008/08/02)先生ではないかと私は思っているのですが、そもそも漫画は大なり小なりギャグの要素を含んでいるものなのかもしれません。

 赤塚不二夫といえば、女性ギャグ漫画家の土田よしこの師匠としても知られているのですが、赤塚先生御自身も”ひみつのアッコちゃん”を”りぼん”で連載していたことは有名だったりします。

 経歴をざっと辿ると、中国東北部(旧満州)に生まれ、敗戦に伴い帰国し、1946年から約3年間、母の実家がある現在の奈良県大和郡山市で暮らしています。

 その後、父親の故郷である新潟へ移り、新潟県内の中学を卒業、18歳の時に上京して東京都江戸川区の化学工場に勤務しながら漫画少年へ投稿を続けているのですが、その漫画が石森章太郎(後に石ノ森章太郎に改名)の目に留まり石森が主宰する「東日本漫画研究会」が制作していた肉筆回覧誌「墨汁一滴」の同人となった ・・・ とかいった話はもはや神話に属しています。

 同人活動と平行して1956年に貸本漫画「嵐をこえて」で漫画家デビューをしているのですが、上京した石森を手伝う形で「トキワ荘」に入って本格的な創作活動を始め、横山光輝の出張アシスタントをしたのもこの頃の話になります。

* 横山光輝が”魔法使いサリー”の作者であることもまた有名。

 赤塚先生の「トキワ荘」時代は5年程のことなのですが、当時のトキワ荘の住人で後に巨匠となった人達を直接知る某氏が言った名言によれば、”寝ることよりも、食べることよりも、漫画を描くことが好きな人達が残った ・・・”のだそうで、”・・・ そりゃあ、ああいった生活を長らく続けていれば寿命も縮むだろうけれど、漫画を描くのを止めて長生きするか、漫画を描いて早死にするかどちらかだと言われても、それでも漫画を描かずにはいられなかった人達”ということになるのかなと。

* なお、トキワ荘を退去(1961)したのは結婚のため。

 金銭的な事を考えれば、若くして同世代のサラリーマンの生涯年収くらい稼いだトキワ荘出身の漫画家さんというのは複数実在されるわけですから、描くのを止めて若い内にリタイアして悠々自適の生活をすることも可能だったのではないかと私は考えてしまうのですが、やはり”それでも描きたかった”のかなと。

 話を急ぐと、運命の1962年に週刊少年サンデーで”おそ松くん”、りぼんで”ひみつのアッコちゃん”の連載が始まりこのあたりから本格的な赤松伝説が始まったと書いてもいいのかもしれません。

 その後、1966年に”おそ松くん(毎日放送系)”がTVアニメに、1967年には週刊少年マガジンで”天才バカボン”の連載が始まり、ある意味で頂点を極めることになります。

 残念ながら、漫画作品としてはこの頃が頂点で、これ以降はTVアニメの方がメジャーとなっていくのですが、1969年には”ひみつのアッコちゃん”と”もーれつア太郎”が、1971年には”天才バカボン”がTVアニメとなっていますから、ほとんどの作品がTVアニメ化され、社会現象となったと書いても許されるのではないかと私的には思っています。

 その全盛期の稼ぎっぷりと浪費もまた一部で都市伝説化していて、いわく、タモリたちがデビューしたての若手だった頃、彼らを引き連れて新宿や銀座で毎晩のように豪遊していた(彼らの”お笑い”や”ギャグ”の感覚を吸収していたのか、単に飲むのが好きだったのか見解が別れるところですが)とか、飲み歩いていてふらりと目に付いた宝石店に入ってローレックス腕時計を店にあるだけ買って道を歩いている見ず知らずの人達に配ったとか、飲んで新宿三丁目の路上に寝ころんで空を眺めていて交通を麻痺させたとか ・・・ まあ、都市伝説の部類ですから(笑)。

 赤塚先生の作品の凄まじいところは、TVアニメが複数回リメイクされていることで、”ひみつのアッコちゃん”が3回、タイトルは微妙に異なるのですが”天才バカボン”は4回、それぞれTV化されています ・・・ これを書いている時点ではですが。

 主な受賞歴ということでは、1997年に第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞を、1998年に紫綬褒章をそれぞれ受章されているのですが、この頃から本格的に体調を崩すようになり、1998年11月に食道がんで入院、2000年には硬膜下血腫で手術、2002年4月に脳内出血を起こし倒れて以降は、東京都内の病院で、意識が戻らないまま闘病生活を続けていた事は有名。

 二度結婚されておいでなのですが、二度目の奥さんが2006/07に、最初の奥さんが赤塚先生の亡くなる3日前に亡くなられておいでで、怪しい話ではしばしば書いているように”あちらの方に知り合いが多くなった”のであちら側へ行かれたのかな?という気がしないでもありません。

 愛猫家としても知られていて、中でも1979年から飼っていた菊千代は”死んだフリ”や”バンザイ”など多芸で知られ、CMにも出演しています。

 そんなわけで、CMの出演料などで一財産築いた菊千代は銀行に個猫口座を持つに至ったのですが、赤塚先生がアルコール依存症から脱却できずにいた関係で”飲みに行けないように”お金を押さえられた時、菊千代からお金を借りて飲みに行った話もまた一つの伝説となっています。

* そんな菊千代も1997年に他界。

 怪しい話としては、晩年といっていいのか、赤塚先生が巻き込まれた”サザエボン騒動”をメインに書こうかとか、実写版”ルパン三世・念力珍作戦”について書こうかとかいろいろ考えたのですが、ざっと書いただけでかなり長くなってしまいましたので、今回はこれまで ・・・ 赤塚先生だけに、これでいいのだ!

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第247話(2008/08/04)





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Last updated  2008.08.09 00:05:54
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