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2008.09.11
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第275話 「富士山の闇」

 富士山に関しては、昔から都市伝説めいた話が多く、現代でも、青木ヶ原の樹海や富士山の麓で人気があまり無いような場所には、自殺しようとして死にきれずにいる人達が集落を形成したり溶岩洞窟などに住み着いているという話があります。

 ちなみに、そういった集団の主産業は”松茸の栽培と販売”という説もあり、実は既に松茸の自然林を利用した人口栽培は実用化されていて、値崩れを避けるためと、栽培方法や栽培地を秘匿するために、そういった世捨て人達の集落で以前から栽培されている ・・・ という、微妙~に信じたくなるような都市伝説の続きもあったりはします。

 最近では、漢方薬の原料としてツチノコの養殖も行われるようになり、一匹単価は百数十万円であるとかいった噂も囁かれるようになっているのですが、そもそもの(天然物の)捕獲や養殖技術は、樹海や山岳地帯を生活圏としていたサンカ(”山家”と書く場合もある)のノウハウであり、未だにサンカ衆は山岳地帯や樹海などを縦横無尽に行き来している ・・・ 物品の運び出しや販売もサンカ衆の裏ルートで行われているという、これまた微妙~に嘘臭い解説が付く場合もあります。

 まあ、サンカの存在そのものが、ある意味で言い出しっぺの柳田圀男の時代でさえ仮説の域を出なかった事ではないかと思うのですが、彼らが存在しないことの証明は不可能に近い難事でしょうから、伝奇SF小説などでは定番のネタにはなっています(微妙~)。

 それはさておき、富士山ですが、富士山には富士山信仰というものが起源が定かではないほど昔からあり、”不死の山”から転じて”富士の山”となったという説は竹取物語(いわゆる”かぐや姫”の元本)にも採用されているという話は以前にもしたことがあります。

 もっとも、竹取物語では、エンディング近くで、かぐや姫がお爺さん、お婆さんの為に残した不死の薬を、お爺さんお婆さんに依頼された帝(の家来でしょうねえ)が月に一番近い山の頂上で燃やしたことから不死の山となったようですが ・・・。

 あまり良くわからない辺境の地ということもあったのでしょうが、古来中国では、日本を不死の国ではないか(と疑い)、富士山を蓬莱山ではないかとする説が何故か存在しているのですが、なぜに彼らが大陸の西域の山岳地帯ではなく、東の海の果てに浮かぶ日本に仙境の類を想定するようになったのかは定かではありません ・・・ まあ、現在は伝わっていない中国版の東方見聞録とでもいった本(というか記録)が話題になったことがあったのかもしれませんが。

 富士山の麓にはかって古代王朝があり、火山の噴火などで短期間(場合によっては短時間)で壊滅したのではないかという話は以前にも富士古文書群と絡めて少ししたことがあるのですが、日本史では黒歴史になっている大和朝廷が成立する以前の王朝が東日本には複数存在した可能性はかなり高かったりします。

 このあたり、現在でも東海地震などの大規模地震による被害が想定されている地域とも重複しますし、過去には浜名湖と太平洋を隔てていた砂州が大規模地震で沈降というか崩壊してしまって湖と海が繋がったりもしたわけですから、過去の大規模地震や火山の噴火などで当時の文明が根こそぎにされていてもさほど不思議ではないのではないかという気がしないでもありません。

 安東氏の事例のように、大規模地震とそれに伴う大規模な津波の襲来は沿岸部の拠点を根こそぎにして壊滅させているわけですし ・・・。

 そもそも、富士山界隈には奇妙というか起源が定かではない信仰が幾つか存在していたようで、その尻尾のようなものが、江戸時代に流行した富士講(ふじこう)あたりになるとされているのですが、そもそもがよくわかならいということは確かだったりします。

 大和朝廷の記録では、富士山の本来の神様は”浅間大神(あさまのおおかみ)”とされているのですが、これは孝霊(こうれい)天皇の時代に富士山が大噴火し垂仁(すいにん)天皇の時代に祀ったとされ、806年に坂上田村麻呂が浅間神社(せんげんじんじゃ:富士山本宮浅間大社)を造営したとも言われています。

 が、御山としての富士山の開祖ということになると、富士山の人穴でも修行したとされる角行(かくぎょう)とされ、修験道やら浄土信仰やらいろいろ混ざっていったようで、前述した富士講までくると信仰というよりも娯楽を兼ねるようになったのかなと。

 以前、出羽三山の即身仏の話をしたときに、即身仏そのものが熱烈な信仰の対象となったというあたりまでは書いたのですが、やがては、即身仏が信者獲得の手段へと変貌し、即身仏になることを暗に強制された僧侶や修験者が出るようにまでなっていたようで、富士山信仰においても、六代目になる身禄(みろく)は、富士山の山頂で即身成仏を遂げてから後の方が(爆発的といってもいいかもしれませんが)信者が増加したようです。

 ちなみに、江戸時代には富士講が行われるようになったとはいっても、そうそう簡単に一般人(特に女や子供、高齢者など)が長距離の旅をすることはできませんでしたから、江戸時代の中頃には、御府内の浅間神社の境内などにミニチュアの富士山を築いて”富士塚(ふじづか)”と称し、富士塚に登ることで富士山登山というか富士山信仰の代用としたりもしています。

 もっとも、加熱しすぎた富士山信仰になにやら危機感を抱いた幕府は、富士塚を壊したり、あれやこれやと弾圧といえば弾圧、規制といえば規制を加えたようです。

 なお、富士塚が富士山の山岳信仰としての行き着いた果てとすると、もう一つの富士山信仰とされる人穴のような溶岩洞窟を信仰する洞窟信仰が存在するのですが、長くなってきましたので、その辺りはまた別の機会に ・・・ 書くことがあればですが(笑)。 

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第275話(2008/09/05)





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Last updated  2008.09.11 02:34:49
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