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2009.12.15
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第669話 「中陰の間」

 2009年の12月の初めに、叔父の通夜と告別式に行って骨を拾って帰ったのですが、奇妙なモノで生前の親しさと通夜で泊まり込んだり骨を拾うかどうかは別の話になるようです。

 覚えている範囲で最初に骨を拾ったのは小学校に入る前の5歳の頃の事だったのですが、それ以降、普通の人よりはかなり多く骨を拾ってきています。

 結果的に、”人は死ぬとモノになる”という身も蓋もない考え方をするようになったのですが、葬儀というのは生きている人が死んだことを納得するための儀式のような気もしています。

 もちろん、身も蓋もない事を書けば、死んで腐敗していく遺体をそのまま放置しておけば異臭が漂い見苦しくなっていきますし、病原菌などの巣にもなってしまうため適切な処理が必要という現実もあります。

 既に少子高齢化が進行している日本では孤独死をする人が増加していて、異臭がして発見されればまだ良い方で、死後数年経って白骨化してもなお発見されなかった話も増加しています。

 以前だと、そうした孤独死して遺体が白骨化していたという話は都会の集合住宅に多かったのですが、最近は田舎も過疎化が進んで来ていますから都会だけの話でもなくなってきているようです。

 それはさておき、日本の仏教の考えでは、死後に天国へ行くか地獄へ行くかの判定を受けるため、死者は7日に1度の頻度で7回の裁判を受けるとされ、それ故に”死後49日目の法要”が必要とされています。

 49日の法要の間も、あれこれと細かな作法を伴う供養を行う宗派が多いのですが、これはテストでいえば”下駄を履かせる”ようなもので、これほど生き残っている人に慕われた人ですと裁判の心証を良くする ・・・ 良くできると考えたようです。

 まあ、そういった事を考えついたのは大元の印度人や思考がシンプルな日本人ではなく、神様さえ買収可能と考える中国人だと邪推していますが、その程度のことで成仏できるならと思った遺族は多いのかもしれません。

 ちなみに、裁判を定期的に受けている49日の間、死者は一箇所にじ~っとしているのではなく、中陰の世界と呼ばれるどこでもない場所を延々と歩いているとも考えられていて、その旅路のために白装束の旅姿で送り出す宗派が多いようです。

 一説には、薄暗くて険しい山道を八百里ほど旅することになっているのですが、それ故に、杖を必需品として棺に入れる事が多いようです。

 比較的知られている三途の川は、49日目に到達するという説が主流ですが、仮死状態から蘇った人の話などから考察する限り、意外と近いところに流れているような、渡るかどうかで生死が分かれると考えた方が良さそうです。

 そのあたりの疑問はともかくとして、三途の川を渡る時には、生前の行いによって概ね3つの方法に分かれるとされていて、善行を積んでいる人は橋を渡ったり、渡し船で渡る事ができるとされています。

 この三途の川の渡し賃が、なぜか昔から六文とされ、六文の銭が無ければ舟賃として身ぐるみ剥がされるという話や、六文銭を旗印にした真田家など、戦国の武士達の中には戦場に出るときに甲冑や肌着に六文銭を縫いつけていたといった話は以前にしたことがあります。

* 諸説あるのですが、舟の渡し賃が前払いというのは共通しているようで、ということは、渡し賃の六文さえも準備できなかった貧乏人は”生前貧乏であったことが罪”と考えた人がいたということなのかなと。

 もっとも、罪状が重い人はそもそも舟に乗る事が許されず、比較的罪が軽ければ三途の川の浅瀬を、罪が深いほど流れが速い深水を渡るとされているようです ・・・ 幼子心に金儲けの才能も無さそうだし泳ぎの鍛錬をしておこうと思った由縁ではありますが(笑)。

 当然、こうした考えは日本の仏教が主張しているものであって、神道や基督教、イスラム教などはまた別の考え方をしているのですが、意外とエジプトの死者の書などと共通しているところもありますから、根底のところで共通している何かがあるのかもしれません。

 で、49日目に”辿り着いたら”どうなるんですか?と聞かれて、四十九日の話をしたことがあるのですが、一族があの世で暮らしている家に辿り着いて旅装を解き、あの世の一族が出迎えて宴会を開いて出迎えているようです。

 その時、生前の行いを省みて、素直にがんばれるだけがんばってここに来れたと思えればそこは極楽でしょうし、合わせる顔が無い身の置き場がないようなら地獄ではないかという気がしないでもありません。

 そもそも、地獄と極楽は同じ場所というのが私の結論で、己の心がそこを地獄にも極楽にもしてしまうが故に、胸を張って死んでいけるかどうかが分かれ目になるのではないかと思っていますし、早晩、人の魂が転生しているとすれば、あの世もまた一炊の夢のようなものではないかと。

 全般にあの世は薄暗い事が多いのですが、偶に、煌々と明るくなっているときがありますから、やはり心の状態が事象に反映しているのかもしれません。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第669話:(2009/12/09)





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Last updated  2009.12.15 00:21:03
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