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2010.08.17
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第879話 「シオン修道会」

 日本でシオンといえば、キク科の多年草の”紫苑(しおん)”か、”ボクの地球を守って(日渡早紀)”の主役の一人である紫苑としたものですが(笑)、世界的にシオンといえばエルサレムの古い呼称も知られています。

 というか、歴史などによく登場するエルサレムという地名は、本来はエルサレム南東の丘にあって(サムエル後書の5-6によればですが)ダビデ王が征服したとされるエブス人の城塞の名が元になっているそうで、後に、周囲4.5キロの周壁で囲まれたいわゆる旧市街も含めたやや広い範囲がエルサレムと呼ばれるようになっていったようです。

 なお、現在のユダヤ人が広義にユダヤ教の信者全般を意味しているのに対して、旧約聖書や新約聖書で語られている本来のユダヤ人というのは、特定の民族の呼称であり、アスケナージ・ユダヤなど実は細かく定義されているのですが、深入りするといろいろな意味で何かとややこしくなるので略とします。

 いずれにしても、シオンという名称は古代のユダヤ人にとって古代ユダヤ王国の首都の名称で栄華の象徴でもあり、更に遡れば天にある神都の呼称の一つがシオンであったともされているようですし、古い書物で”シオンの娘ら”と複数形にしてある場合、エルサレムの住人全体を詩的に表現していたり暗示している事が多いようです。

 ただし、シオンはユダヤ教だけではなく、同じセム系の一神教とはいえ(だからこそか?)基督教、イスラム教にとっても聖地になる関係で、どの宗教勢力が実行支配を確立するか?という宗教戦争の舞台にもしばしばなっていて、特に十字軍の遠征に伴う基督教徒のイスラム教徒の虐殺は、その後の基督教VSイスラム教の原点となったと言えます。

 それはさておき、シオン修道会に話を進めると、シオン修道会といえばテンプル騎士団とセットにして考える必要が出てくるのですが、テンプル騎士団といえば、3-861”マルタの鷹”の回などで少し触れた聖ヨハネ騎士団と同じく、第1次十字軍(1096~1099)の頃から存在している騎士団てあるのは御存知の通り。

 とはいうものの、ヨハネ騎士団の正式名称がエルサレム・聖ヨハネ救護騎士修道会で有ることから分かるように、紛争地帯におけるメディックとしての役割というか、主に基督教巡礼者の怪我人や病人の救済で知られた集団であったのに対して、武闘派で知られるテンプル騎士団は、そもそも”基督教が発祥した聖地パレスティナを(イスラム教国である)セルジューク・トルコの占領下から解放する”ことを建前上の主目的としていた十字軍とは別の目的でエルサレム入りしたのではないか?と言われている謎の多い団体であるというのは比較的知られた話だったりします。

 正確には、小説”ダヴィンチコード(ダン・ブラウン)”でテンプル騎士団とシオン修道会が取り上げられたことでそういった仮説が一般にも知られるようになり、”ダヴィンチコード”が映画化されたことで世界中に知れ渡ることになったのですが、映画が完成する前から、基督教、ユダヤ教、イスラム教のさまざまな宗派から大反発が生じたのは有名な話で、ノーカット上映されて無風に近かったのは、仏教国というか宗教に関して節操の無い日本位だったのかも知れません(笑)。

 歴史的には、第1次十字軍がエルサレム占領(1099)に成功しエルサレム王国(1099~1187(エルサレム陥落)~1291)を建国したこともあって、テンプル騎士団やヨハネ騎士団が小国家並の独立性を手に入れたというか保証されるようになったという説があるのですが、実際には十字軍に参加した段階で十分に独立した騎士団としては機能していたようで、小国家並の待遇を受けるようになったのが第1次十字軍以降の話になるようです。

 特にテンプル騎士団に関しては、宗教騎士団というか騎士修道会(Templarii)の代表格として知られているのですが、そもそもは、1118年に仏蘭西はシャンパーニュの騎士ユーグ( Hugues )など数名が聖地巡礼の保護を掲げて創設した団体が1128年に教皇が公式に認可され、聖地エルサレムに堅城を築いて十字軍の主戦力として活躍したことで名声と富を手にしたとされているのですが、実際には彼らは聖地で聖杯などの聖遺物の類を探すのが主目的だったという噂もあります。

 いずれにしおても、彼らが、国境通過の自由、課税の免除、・・・、教皇以外の者への服従義務の免除といった数々の特権を手にしていたのは確かな話で、修道士として、清潔、貞潔、純潔の誓いを立てている団員が戦場で死ぬ事を神への奉仕としていた団体だけに、BLが喜びそうな話もあるのですが、一頭の馬に二人の騎士が乗っている騎士団の紋章はなかなか暗示に富んでいることは否めません。

 いささか、スパルタの戦士達を連想させるところのあるテンプル騎士団ですが、仲間を裏切らない団結力の強い武闘派集団として知られた十字軍に従軍していた主力がエルサレムから帰国すると、テンプル騎士団は(団員や巡礼者が預けた資産が原資という説もあるのですが)ちょっとした国家並の資金を運用する団体にもなっていき、騎士団の支部が置かれた欧羅巴の複数の国の王室では金庫や裏側の連絡網として重宝されていったようですが、彼らが”どうやって巨万の富を手に入れたのか?”は謎のままになっているようです。

 というのも、彼らがどうやって巨万の富を手に入れ運用しているか?ということよりも、どうやれば丸ごと自分のものにできるか?ということを優先させた王様がいたためで、1307年に仏蘭西国王フィリップ4世の陰謀によってテンプル騎士団のメンバーは、少なくとも仏蘭西国内にいた全員が異端行為を理由に逮捕された上で大多数が1307/10/13の金曜日に生きたまま火炙りにされて処刑され、財産の大半が没収されたのですが、1312年にはフィリップ4世の共謀者とされる教皇のクレメンス五世にも十分なメリットが生じたためか教皇によって騎士団は解散が命ぜられ、テンプル騎士団の団員や資産の一部はヨハネ騎士団に移されたようなのですが、ヨハネ騎士団が未だに独立小国家並の待遇を国際社会で受けているといのは”マルタの鷹”の回で既に触れたので略とします。

* この一連の騒動から13日の金曜日が、基督教徒にとってのアンラッキーデーになっていったという説もあるようです。

 現在、テンプル騎士団の名称の由来となったエルサレムのテンプル(寺院)が建っていた場所にはアル=サクサー・モスクが建っているのですが、テンプル騎士団が彼の地で何の発掘に成功したのか?は謎のままですし、この時、騎士団が発掘に成功した遺物の中に古代の知識に関するモノがあり、その分野を継承した団体がフリーメーソンの中核になっていったという噂があるくらい彼らが発掘した”何か”は謎に満ちています。

 もっとも、最大級にブラックな噂としては、テンプル騎士団はキリストの子孫を守るために国家レベルの軍事力にも対抗できる組織を目指して結成され、彼らが何らかの予備知識に基づいてエルサレムで発掘に成功したのは、イエス・キリストに妻と子供がいたという証拠の書類と、キリストの妻の棺という物証だったという説があり、そういった物証を無効化するためにも、マグダラのマリアは娼婦だったという説がカソリックを中心に流布されるようになった ・・・ と話が続くこともあるようです。

 で、シオン修道会ですが、こちらの方は、ダ・ヴィンチコードで知られるようになった、”キリストの子孫や関係者達は、5~8世紀に仏蘭西全域を支配したフランク族最初の王朝である”メロヴィング朝”の王室関係者と婚姻することでその血統を存続させていて、そういった秘密を継承するために秘密を知る(継承者の一人とされる)ゴドフ・ロワ・ヴィヨンがシオン修道会を設立したとされるのですが、そのメンバーの名前にニュートン、ユゴー、ドビッシー、・・・、ダ・ビンチなどがあることを考えると、シオン修道会もまたフリーメーソンの母胎の一つになっていた可能性が高いのではないかと考えられます。

 テンプル騎士団の財産を横取りするだけでも十分なメリットがあったわけですが、シオン修道会とテンプル騎士団のそもそもの設立理由を知る人達にとっては、仏蘭西国王と羅馬教皇が何を狙っていたのかは自明のことだったようで、自国にあったテンプル騎士団の支部の名称を変更させて別組織として存続させたり、自国の軍隊に団員を紛れ込ませるといった王室が珍しく無かったようですが、何より、結局、仏蘭西王室も羅馬教皇もテンプル騎士団の”物証”を手にすることには失敗したようで、それがまた抑止力にもなっていったようです。

 それ故に、例えば、シオン修道会の最後の総長と名乗っていたピエール・プランタールが1993年になって唐突に”実はシオン修道会の機密文書とされていたものは捏造品である”と告白したように、”何で今になって?”という素人にさえ裏側の駆け引きを勘ぐらせるには十分な表の騒動が未だに生じていたりしますが、フリー・メーソンに限らず、シオン修道会やテンプル騎士団の流れを汲む組織が表にも裏にも未だに存在していて秘技や物証などを継承しているのではないか?という噂は今後も絶える事が無いのかもしれません ・・・ ま、仏教徒にとってはどうでもいいことのような気がしますが。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第879話:(2010/08/11)





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Last updated  2010.08.17 00:18:50
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