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2011.07.02
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カテゴリ:経済学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第147話 「世界遺産」

 日本における世界遺産(せかいいさん)は、どちらかといえば新規の温泉地の開発にも似たところのある”村興し”として捉えられているところがあり、観光資源の格付けで最上級のお墨付きとでもいった認識の人が少なくないようです。

 しかしながら、本来の世界遺産の理念は”保護と保全”であり、観光客を誘致してがっぽがっぽと儲けましょうというよりも、どちらかといえば経済的に困窮している発展途上国において、自然環境や歴史的な遺物の類を保全、保護していく予算を捻出するための観光地化といったことになります。

 したがって、一度は世界遺産に指定されていても、経済開発を優先したり、ふさわしくない人工物(橋、ビル、道路など)が建設された結果として指定の取り消しが検討されたり、実際に対象外となって指定が取り消された案件も存在します。

 或いは、日本の富士山のように、登山観光客によって生じる大量のゴミや糞尿などで汚れていることが主な理由で指定されない案件もあり、特に日本の行政機関の認識と世界の認識とのギャップは大きいようですし、改善点を指摘されても”金を出してまで環境を改善しても、それに見合った収益が上がるのか?”といったことになりがちなのは御存知の通り。

  そもそもは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関:United NationsEducational,Scientific and CulturalOrganization)の設立後、1954年に採択された(戦争捕虜の取り扱いなどで知られる)ハーグ条約において、戦争などの武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出されたのが出発点になるようです。

 つまり、戦争というものが、山河が変形させたり、歴史的な建造物を破壊したりすることも戦闘の主目的になりうるだけに、”一度壊してしまうと元へは戻せないものの価値を考え攻撃の対象外にすべきだ”というまっとうな感覚の持ち主が多かったということですが、これは第二次世界大戦中に京都などへの空襲が極力制限されていたこととも共通している文化財保護の考え方とも共通しています。

 ちなみに、亜米利加合衆国ではホワイトハウスの国際協力協議会自然資源委員会が1965年に”世界遺産トラスト”を提唱していて、亜米利加で国立公園制度が生まれてから100周年に当たる1972年までに具体化する方向で独自に動いていて、後にユネスコの動きと合流することになり、世界遺産条約も亜米利加が最初に批准しています。

 世界遺産条約というのは、1972年のユネスコ総会で採択された”世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約”のことで、これに基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、”人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ物件”を世界遺産としていくことになったわけですが、基本的に移動が不可能な不動産や、それに準ずる(奈良の大仏のような簡単には動かせない)モノものも対象となっています。

 しかしながら、日本国内でいえば無形文化財に相当する、”形の無い世界遺産はどうするのか?保護しなくていいのか?”ということが問題になって対策が講じられようになったのは21世紀に入ってからのことで、2003年のユネスコ総会で無形文化遺産保護条約が採択されているのですが、(これを書いている2011年現在では)世界遺産と世界無形文化遺産は別の区分とされ、取り扱う事務局も別で、世界遺産はユネスコ世界遺産センター、世界無形文化遺産はユネスコ文化局無形遺産課が担当しています。

 もっとも、ユネスコが本来の主旨を逸脱して特定の集団の政治色を強めたことで、”財政負担と政策への主張の反映が比例していない”という不満から亜米利加、英吉利などが一時的に離脱し、他国も負担金の不払いなどを生じさせ、ユネスコ自体が存在価値を疑われる事態に陥った時期もありますし、その当時のドタバタがこういったことが好きそうな日本が先進国の中で最後まで批准しないという異例の事態になった原因の一つのようです。

 時系列的に少し整理しながら話を進めると、直接のコトの始まりは、

 1960年に、エジプト政府がアスワン・ハイ・ダムをナイル川に建設し始めたことで、ダムが完成するとアブシンベル神殿などで知られるヌビア遺跡が水没することになり、エジプト政府は”それで良い”としたのですが、ユネスコは”ヌビア水没遺跡救済キャンペーン”を立ち上げて、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿などの移築を決行して水没から救うことに成功します。

 早い話、一国の国内事情だけで、人類全体にとっての遺産に相当する物件を葬り去ることが許されるのか?失っていいのか?という気運が盛り上がり、英国のトラスト運動の拡大版のような動きが世界規模で活発化したわけです。

 1965年には、国際組織として”国際記念物遺跡会議”が発足して、何を保護対象とするか?といった定義や具体的な候補などに関する会議が開かれるようになります。

 1972年になって、亜米利加合衆国が独自で行っていた”世界遺産トラスト”の動きが国連人間環境会議で合流し、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会(1972/11/16)で、”世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(いわゆる世界遺産条約)”が成立しています。

 1975年に正式に発効するまでに、1番目に批准した亜米利加を筆頭に20ヶ国が条約締結していて、主な先進国はこの段階でほぼ世界遺産条約に参加しています ・・・ その意味で、財政負担だけが日本の参加が遅れた理由とは言い難いところはあります(笑)。

 1978年の第2回世界遺産委員会で、具体的に、亜米利加のイエローストーンやエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リストに登録されているのですが、この頃の日本人に”世界遺産って何?”と聞いても、おそらくほとんどの人が満足に答えられなかったのではないかと(私はですが)思います。

 で、日本が批准しないまま世界遺産は順調に増加していくのですが、前述したユネスコの政治志向の強化に対する亜米利加、英吉利などの反発と離反を日本も無視できなかったようで、日本にとっては指をくわえて眺めているだけの1980年代が経過していくことになります。

 1992年の6月30日に125番目の世界遺産条約の締約国になる(発効は9月30日)のですが、先進国では最後の締約国という不名誉な記録を樹立することになります。

 1993年になると、日本から、白神山地、屋久島、法隆寺、姫路城が登録され、世界遺産が国内でも話題になることが多くなっていきます。

 1994年には京都の17の社寺・城、1995年には白川郷・五箇山の合掌造集落、が世界遺産に登録され、観光地のブランド化に利用されるようになり始めます。

 1996年には原爆ドームと厳島神社が登録されたのですが、いわゆる”特定の政治勢力”が世界遺産の登録や指定に賛成、反対の両側から介入する行為が目に付くようになっていったのは御存知の通り。

 1998年には奈良の文化財(東大寺、興福寺、平城宮址など)、1999年には日光の社寺、2000年には首里城跡と琉球王国時代の八つのグスク(今帰仁(なきじん)城跡、座喜味城跡など)などが登録され、このあたりまでが20世紀の話になります。

 これを書いている時点(2011/06)では、世界遺産条約を批准して締結している国は187ヶ国に至っているのですが、その中に世界遺産が一つも無い国が36ヶ国あるかと思えば、伊太利亜、西班牙、中国などのように1国で40を越える世界遺産を登録している国もあり、世界規模で考えて本当に普遍的な価値がある登録になっているのかどうかは微妙な気がしないでもありません。

 世界遺産はその内容によって三種類に大別されていて、

1・文化遺産 ・・・ 普遍的価値のある建築物や遺跡など。

2・自然遺産 ・・・ 普遍的価値をもつ生物、地形や景観など。

3・複合遺産 ・・・ 文化遺産と自然遺産の両方で普遍的価値のあるもの。

といったことになっていて、登録対象は移動が不可能な土地や建造物といった不動産に限定され、寺院が世界遺産でも、中にある仏像などの美術品は動産と見なされて通常は世界遺産登録対象とはならないのですが、これまた前述したように、奈良の(東大寺の)大仏のように移動が困難と認められる場合などには登録対象となることがあるようです。

 世界遺産に登録されると、条約を批准している国には景観や環境の保全が義務付けられるのですが、観光振興の目玉と勘違いしている某国などもそうですが、観光や地域開発と環境保全の間で問題が生じるケースも出ていて、独逸のドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁が建設されて景観が破壊されたとして世界遺産リストからの抹消が決議された事例もあります。

 つまり、登録時に存在していた”世界的に見て顕著な普遍的価値”が失われたと判断された場合、もしくは一定の期間内に幾つかの条件を満たすことが登録の前提になっていた案件で、登録後の一定期間内に条件が満たされなかった場合に、登録が削除される事がありますから、一度、登録されると生涯安泰というわけではありません。

 ちなみに、初めて抹消された世界遺産は、2007年のオマーンにおけるアラビアオリックスの保護区で、それこそ経済発展を優先する国策の下、オマーンが意図的に価値を失わせたことでも知られていますが、どうもイスラム教圏と基督教圏との宗教的な価値観の相違もここのところ目に付くようになってきているのは御存知の通り。

 もちろん、特に発展途上国の世界遺産において、密猟、人口増加、難民の流入とスラム化などで登録の継続が危ぶまれるようになっている地域は増加中で、監視活動や保護活動などの観点からも、世界遺産の総数に上限を設ける時期に来ているという議論がここのところ活発になってきているそうです。

 世界遺産に指定された後の俗化と観光地化ということでは、白川郷の場合だと、登録前は毎年60万人台だった観光客数が、140~150万人台になったのですが、観光客と一般住民とのトラブルが話題になったのは御存知の通りで、本来の主旨から考えると”いかがなものか?”と思わないでもありません。

 国内の世界遺産を整理しておくと、

1・文化遺産

1993/12:法隆寺地域の仏教建造物、姫路城
1994/12:古都京都の文化財
1995/12:白川郷・五箇山の合掌造り集落
1996/12:原爆ドーム、厳島神社
1998/12:古都奈良の文化財
1999/12:日光の社寺
2000/12:琉球王国のグスク及び関連遺産群
2004/07:紀伊山地の霊場と参詣道
2007/06:石見銀山遺跡とその文化的景観
2011/06:平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
2・自然遺産

1993/12:屋久島、白神山地
2005/07:知床
2011/06:小笠原諸島
3・複合遺産

・該当無し。

初出:一夢庵 怪しい話 第147話:(2011/06/27)





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Last updated  2011.07.02 00:33:11
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