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2012.12.26
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カテゴリ:経済学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第582話 「江戸の三富」

 理論上、生涯経費とでもいいましょうか?平均寿命あたりまで生きるとした場合の必要経費がどのくらいになるか?といえば、仮に月に15万円(年に180万円)を消費すると想定し、平均寿命を85歳で考えると1億4千万円ということになるので、生涯年収が1億5千万円を超えていれば概ね食べて死んでいくことはできる計算になります ・・・ 1人ならばですが。

 これが同じ程度の収入がある相手と結婚すると、単純計算で3億円以上の収入と2億円8千万円前後の支出といった話になり、子供を一人育てて公教育だけで大学まで卒業させて2千万円程度とすれば、1人程度は子供を育てることが可能となります ・・・

・・・ ”え?”という声が聞こえてきそうですが、では、なぜ現実社会がそうなっていないのか?といえば、”重税”と”浪費”に帰結するのですが、最大の浪費が何かと聞かれれば(私に言わせれば)”土地と家を購入すること”になります。

 なるほど、国土の狭い日本で不動産価格は右肩上がりの値上がりを続けた期間が特に明治以降は長く、それは明治に入った頃で4500万人程度だった日本の総人口が日露戦争の頃で6000万人程度、第二次世界大戦の頃で1億人程度と激増していったことと、その就業先として主産業が農業から、投入する資産の量に比例して(市場があればですが)収入が増加する工業へと切り替わっていったことが背景としてあります。

 ただし、資本主義の常として”利益=販売収入ー必要経費+運用益”と考えれば、資産家が必要以上に儲けようとすればするほど必要経費を削減することに熱心になり、必要経費の中で材料費などは(安全を確保し品質を維持する気があればですが)一定水準以下に落とせませんから、自然と人件費をいかにして削るか?という話になっていきます。

 一番分かりやすいのが、職人をロボットに置き換えることで、単位時間当たりの生産性を上げ、長時間労働を可能とし、労働組合問題も企業年金などの福利厚生負担も無くなる生産ラインの改革ですが、別に生産ラインを人からロボットに置き換え無くても、ロボットを投入して生産するより安価な生産ラインを構築できるのならそちらを選択するのも資産家達にとって本能レベルの選択肢のようで、労働賃金の安い地域へと工場を国境を越えてまで移設させている根本的な原因と言えます。

 実際、国際競争に勝ち残るためだと主張して海外へ工場を移転して激増したのは社長や幹部の給料や株主への配当であって、実際に働く社員の給料はかえって目減りしていることは御存知の通り。

 もっとも、貿易を軸に経済成長を遂げた日本の場合は、輸入した原材料を加工して付加価値を付けて輸出することで生じる差額(貿易黒字)で食料品や生活資材を買い付ける(貿易赤字)ことで経済成長を遂げた典型的な加工貿易ですから、人件費削減を理由に海外へ工場を移転するというのは純粋に企業の経営上の問題ということにもなります。

 つまり、主力の生産拠点を日本から海外へ移さなくても、国内の労働賃金を下げればいいだけのことで、それこそ円ではなく国債基軸通貨(これを書いている時点だとドルですが)で給料を支払えば、A国で時給10ドルで生産できているものが日本ではなぜ20ドルかかる?という話もしやすいわけです。

 仮に給料が下がってもそれ以上に食料品が下がればかえってリッチになれるとしたもので、100円ショップやユニクロなどの隆盛は、収入が目減りしていく中で生活水準をなんとか維持しようとする庶民の選択の一つと言えますし、デフレ状態になっていなければもっと早い段階で食えなくなった生活苦から暴動が発生していたと私は思います。

 では、なぜ生活が苦しくなったと感じている人が多くなり、企業が海外へ逃げているのかといえば、ざっくり書くと”農業を筆頭に時代錯誤な既得権益を保護しているところ”にあり、国際相場に比べて割高な農産物などを個別所得保障したり、一社独占体制を堅持してまでなんで延々と継続する必要があるのか?保護するメリットよりデメリットの方が大きくなっているということに帰結します。

 農業の場合、従来は天災や広域災害などの非常時に備えているという主張もあったのですが、3.11の福島原発事故で国が滅びるかどうかという非常時に首都圏の小売店の店頭から米が消えても政府が何の対策も講じず、数名の国会議員が現状視察として大型スーパーの店頭などを見物したに留まったことで、非常時のための備蓄が単に倉庫代を払って寝かせて役人の仕事を増やしていただけであることが露呈したのは確かな話になります。

 つまり、非常時を名目に備蓄はしてありますが、どういったときにそれを無償提供か有償提供かを含めてどのように取り崩して使用するのか、その決断をしたり指示する指揮系統も明確には決まっていないので、福島原子力発電所事故で首都圏全域で屋内避難がありえた(というか、屋内退避すべきだった)状況下でも特に何もしませんでしたが、それでも非常時のために米の備蓄は続けますと主張しているのが現状いうことです(溜息)。

 既に日本の人口は減少に転じているわけで、これから少子高齢化が進むということは、中長期的に土地など不動産価格が下がることと、それぞれの産業で新規就業する若い子が減少することなどを意味していますから、農業への新規就農者の減少も不可避でしょうし、それは結果的に農業政策が産業政策ではなく限りなく農家への福祉政策と化していくこを意味しています。

 また、総人口の減少は人口密度の減少を意味しますし、宅地として造成されたり建設されているマンションでさえ地域差はあっても基本的に余剰が出やすくなっていますから、首都圏を含めて不動産を購入しても目減りしていく時代が既に始まっているということです。

 これまで若年層の流入で拡大を続けていた首都圏の場合、団塊の世代を中心に高齢者向け物件や施設が百万人を越える単位で不足している上に対応も遅れているというかほとんど進んでいないため、まず医療機関の入院ベットや手術台の数の絶対数の不足からこの問題は表面化してくると見ていますが、東京都は東京オリンピック誘致などに百億円単位の税金を浪費している財政や時間の余裕は無いと私は思いますが?

 別の視点として、鎖国下の日本でわずかながらも増加していた総人口が、徳川八代将軍・徳川吉宗が享保の改革と称して課税を強化したとたんに人口増加が止まったことは(怪しい話において)比較的知られた話ですが、より悪い条件で消費税増税10%という一律の課税強化を行えばどうなるか?少なくとも少子化対策ではなく少子化促進政策を実施することに、これを書いている時点の政府が熱心なことはわかりますが。

 正気を疑うのが、国内で生産していたら人件費が高いので海外へ工場を移転すると企業が主張している一方で、労働力として大量のIT社会に対応できるだけの高等教育も受けていない経済移民を受け入れろと言い出す財界の主張の矛盾で、既に国内で産まれ育った人間が喰っていくだけの労働市場が無くなっている国に、単純労働を前提とした安価な賃金で働く労働力として大量の高等教育を受けていない移民を受け入れて誰が得をするというのか?

 何かと変革が要求されている時代に、一方で興味深いのは、失われた10年が20年へと長期化していく過程で日本の宝籤が年々高額化していることで、ジャンボ宝籤の高額当選ともなると、1億、3億、4億、6億円といった具合に、経済が停滞というよりも部門によっては破綻して全体として1980年代くらいまで押し戻されている経済指標もあることを考えれば、不思議といえば不思議な現象と言えます。

 徳川幕府の財政赤字が時代を追うごとに深刻化していった江戸時代も、やはり既得権を握っている勢力が前例踏襲を主張するが故に抜本的な(商業活動の利益への課税を見直すといった田村意次的な)現実路線の財政改革は実施されず、観念論的というか娯楽を排除して庶民が支出を抑えれば国家財政が回復するとしか解釈不能で意味不明な取り締まり強化に熱心になっていったことは御存知の通り。

 ちなみに、江戸時代にも”富くじ”という形で”宝籤”が公認されていたのですが、そもそもは、幕府財政が逼迫して、寺社仏閣などへ金品や建物を寄進するどころか維持、修復の経費負担が難しくなったため、寺が自分の才覚で金を稼ぐ手段として認めることになったというのが大雑把な経緯になります。

 ”富くじ”の場合も、番号入りの籤券である”富札”を購入してもらい、抽選を行い、当選者は抽選の翌日から次回までの間に換金するのが基本の流れで、もちろんというか受取人が現れない場合は原則としてお寺への寄付という解釈になっていたようです。

 というか、お寺の取り分としては、1両以上の当選金は1割以上が寺社に”寄付”とか”寄進”という形で奉納するのが暗黙の了解事項で、100両を越えるようだと奉納や御祝儀ということで2割程度になっていたようですが、肝要なのは、そういった”経費”がさっぴかれて払い戻されたため、当選金額の額面と実際の手取りが違っていたことでしょう。

 享保18(1732)年に谷中感応寺(現・台東区)に3年間、年6回の制限付きで”富み籤興業”を許可したのが始まりで、目黒不動りゅう(サンズイに龍)泉寺(現・目黒区)、湯島天神喜見院(現・文京区)にも許可されたことで、この三社の富くじは”江戸の三富(さんとみ)”と呼ばれて人気を博しています。

 享保の段階で1枚の籤が金一分とやや高額だったことから庶民は数名で金を出し合って購入し、売り出しの日には朝から並んで購入することが珍しく無かったようですが、興味深いのは、自らの財政難で従来のような支出が難しくなったから許可した富くじを、天保の改革では全面的に禁止したことで、さすがに風紀が云々では説得力が無く、単に庶民が楽しむことが気にくわなかったかから庶民の娯楽を何かにつけて規制したのが天保の改革という気がしてくるわけです。

 結果として、金が回らなくなったことで江戸の消費は冷え込んで閑古鳥があちこちで鳴くようになり、水野忠邦が自己満足しただけで終わり、この天保不況というか水野不況とでもいった現象は幕末まで尾を引くことになります ・・・ このままだと、消費税増税の行き着く先がそこにあるような気がするのは気のせいか?

(2012/11/30)





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Last updated  2012.12.26 07:58:59
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