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2013.02.26
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カテゴリ:神秘学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第644話 「魔法と護符」

 護符の出発点が何だったのか?と聞かれれば、いわゆる”ラッキーアイテム(幸運の御守り)”だったのではないか?と私は考えているのですが、良くも悪くも”運が移る”ことは比較的知られた話というか実際に経験したことが珍しくない話の一つで、”財布は自分より収入の多い人に買ってプレゼントしてもらう”という金運向上の方法は比較的知られた話になっています。

 もっとも、自分よりどのくらい収入の多い人に買って貰うといいのか?とか、自分より収入の多い人で自分に財布を買ってくれるような知り合いがいないといったあたりで断念する人が多い呪法でもあるのですが、実際には、財布は購入価格に応じた金運を呼ぶ(ことが多い)ようですから、自分で買ってもある程度の金運アップは生じます。

 つまり、自分より金持ちということは、良くも悪くも自分より金に好かれている人というか金の制御に長けている人なわけですから、そういった人の金運の波動をお裾分けしてもらうメリットと、その時点の自分の経済感覚では買わないような上位の価格帯の財布を選択してもらえるメリットの2つがあるわけで、後者に関しては自分で”清水の舞台から飛び降りるつもり”の価格帯の財布を購入することで(ある程度)再現できるわけです。

 その辺り、手相や人相にも共通した話で、実際に成功している人達の手相や人相を整理すると成功する人に共通した手相や人相が割り出されるのと同じように、金持ちが選ぶ財布というのは貧乏人が選ぶ財布とは違う相を持っている(ことが多い)と解釈してもいいのですが、金持ちが選ぶ財布で価格が1~2万円程度だと1年で200~300万円程度の金が出入りというか宿泊することになりやすくなることが経験的に知られているわけです。

 ある意味で類似の魔術と言えなくも無いのですが、金持ちになりたければ具体的な目標とする金持ちの真似をした方が貧乏人の真似をするよりも目標とする金持ちになりやすいということで、興味深いのは、福分は分けた方が陰徳を積むことになるのか、より大きな福になって返ってくる傾向があることで、”施し”に関して施し方や一定の支出に関するバランス感覚や基準は必要ですが、貯め込むだけで舌さえ惜しくて出さないような人は孤立し魂も肉体(というか内臓)も冷えていく傾向があります ・・・ 文字通り。

 念のために書いておくと、金をドブに捨てるような散財を勧める気もありませんし、他人に生き方をあれこれ強要する気も無いことは明記しておきますが、金は儲け(in)方だけでなく使い(out)方も学習が必要で、何事もバランスが大切ということは言えます ・・・ give and take ではなく、take and more take になりがちな人が多いだけに(笑)。

 話を戻すと、護符が誕生するためには、護符に記載する文字や絵の類が先行して誕生している必要がありますし、その文字や絵を記載する粘土板、木片、パピルス、布、紙などなどが発見ないし発明されている必要があり、ある種の御守りのように自然界にあるものをそのまま流用するのではなく、一手間も二手間もかけることになります。

 そもそも論で言えば、護符の”符”の字がわかりやすいですが、荷物や動物などに竹の板を付けたものが符で、それこそ住所氏名年齢、あるいは届け先や所属といった情報が記載されていたり刻まれていたりする一種の仕分けのための札と考えると分かりやすいかもしれません。

 ざっくり書けば、悪運や悪影響を回避するといった用途が限定されている符が”護符”で、魔法を発動する符全般が”呪符”ということになるのですが、(呪)符術として考えると、ある種の御守りのように呪符が単体で機能する分野と、呪文を唱えたりする儀式を伴う呪符に大別することができます。

 前者は術者が他人へ処方する符に多く、後者は術者が自分のために使う符に多いような気がしますが、例によって正確な統計資料の類がある話ではありません(笑)。

 護符の効能としては、以前にも解説したことがありますが、前段として、陰陽道で特定の日時に特定の方向へ移動すると障害が生じ物事が失敗しやすいことから”方違え”をすることで日時や場所が吉になるように転じて厄から逃れるという考えと方法論があり、平安時代の貴族たちが旅に出るときなどに自宅から直に旅立つのではなく、吉方になるように親戚や知人の家などにしばらく滞在して(角度を変えて)から旅立つことを大真面目でやっていたという話は古典や日本の歴史の授業で多少なりとも教わる(或いは教わっていた)話になります。

 なるほど、金に困っていなくて、ある程度時間に余裕がある貴族達なら”方違え”の呪法も可能でしょうが、その日暮らしの貧乏人までは言わなくても庶民がそんなことをやっていたらおまんまの食い上げに直結しかねないのは現代にも通じる分かりやすい話で、気になる人のために次善の策として災厄をもたらす存在から守護する護符を携行して旅や仕事などに出るようになったわけです。

 そういう、日時や方角が絡む護符の場合、効果は1年程度という話が多く、命に関わるような災厄に襲われて回避したような場合は、その段階で護符の効能は(1年経っていなくても)消滅することが経験的に知られていますが、その意味では子供の服の襟などに縫い込む”背守り”などとも共通したところがあります。

 陰陽道と符術ということでは、陰陽道が大陸の道教に由来することは比較的知られた話ですが、符術に関してもほぼ道教の系統で、護符に書かれている文字に”急々如律令”で末尾が結ばれているあたりも大陸由来らしいところかなと。

 つまり、”如律令”というのは、昔の法律である”律令”に従って(直訳は”律令の如(ごと)く”)とでもいった意味で、”急々”の部分は急げるだけ急ぐように(ただちに)という意味になりますから、それ以前に書かれている呪の理を(術者が所属している業界の)決まり事に従って速やかに実行せよ!とでもいったことになっているわけです。

 そういった護符のフォーマットの基本構造は西洋魔術でも大差が無く、悪魔や魔神を自在に使役して栄華を極めたとされるソロモン王を持ち出してきて、虎の威を借りる狐よろしく、ソロモン王が後ろ盾にいるんだから私の命令に従いなさいとかいった書き込みがされていたりするわけです。

 もちろん、神や天使の名前を利用した符もあれば、上位の魔神によって下位の魔族を従属させる符もありといった具合にさまざまな系譜があるのですが、基本的に遭遇する災厄を引き起こした存在より上位の神や魔を利用した護符だと守護され、逆に護符で想定した存在より上位の存在が引き起こした災厄だと防ぎきれないという法則が成立するようです。

 その辺り、戦に敗れた神の護符は戦でその神を破った存在にとっては紙切れ同然ということですが、ジャンケンのような相性問題が介在するという説もあり、火の禍を凌ぐための護符で水難は防ぎきれず、水の禍を凌ぐための護符では火難は防ぎきれないといった、五行理論で言うところの相克や相生といった考え方が護符でも生じると考えるとわかりやすいかもしれません。

 そういえば、”護符ってどういうものですか?”と茶飲み話で聞かれて、”3次元バーコードみたいなもの”と答えたことがあるのですが、頭の中で再生される情報が圧縮して記載されていると言い換えてもいいのですが、コンピュータで言えば、圧縮解凍ソフトでファイルを圧縮したり解凍する作業が近いかもしれません。

 まあ、問題は、その圧縮の仕方と、解凍する側の能力によっては元に戻せないことがあるあたりまで似ているところでのような気がしないでもありませんが、その意味でもコンピュータと魔法の相性は良いと言えるのかもしれません(笑)。

 ある程度、護符の効能を科学的に考えれば、”自己暗示”という話になるのかもしれませんが、思い込みがしばしば奇跡的な結果をもたらすことは比較的知られた話ですし、護符などの効能を疑って集中が途切れて押し切られる話もありますから、プラスの方向で”信じる者は騙される”話の一つが護符の類と考えておけばいいのではないかと。

 視点を変えれば、同じ目的の護符を持って勝負している状態というのは、神々の代理戦争を人間が俗世で行っているわけで、負けた側の神様は信用を低下させるというか信者の減少に直結しかねないわけですから、護符の類の売上というのは、神様達の人気のバロメーターであり、製作する魔法使い達の信頼度と収入に直結しているわけです。

 もっとも、護符に関する最大の問題は、幸運の御守りには自然界で自然に生成されたものがあるのに対して、護符の場合は100%人間が神の名を借りて製作してきたことで、”それって本当に効果があるの?”という疑念がつきまとうことではないかと。

 というか、少なくとも羅馬カトリックに関しては、免罪符を発行した段階で護符の効能どころか神罰の存在というか神の審判さえ聖職者が信じていなかったことの間接的な証明になっているだけに、なんだかな~と思わないでもありません(笑)。

 ましてや、印刷技術が発達してくると護符も手書きから機械を使った大量印刷時代に突入しましたから、製作段階で作成者の念や気を札に込めているかどうかという肝心のところさえ微妙~な話になっていると思いますし、そもそも特定の物質に念や気の類を込めて一定の期間固定する能力とノウハウを有する人がどのくらいの割合で存在するのかと考えると、外見は同じ札でも効能にはムラがあるというかばらつきがあって不思議では無い気もしてくるわけです。

 と、考えていくと、護符の表面に書かれている模様や絵柄、文字などは何を目的とした護符なのかを仕分けやすくするための記号に過ぎず、人が作成している以上は、中身(というか目的)を表書きとは別のものに書き換えることもできれば、充電池のように再度チャージすることもできることになり、材質は別として、外装というか護符の外回りというのは基本的にこけおどしの要素が強い部分ということになってしまいます ・・・ 念や気の類を判別できる人にとっては何を今更な話になるのかもしれませんが(笑)。

(2013/02/11)





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Last updated  2013.02.26 08:12:55
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