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2013.02.25
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カテゴリ:神秘学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第642話 「フラスコ生命」
は、
わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています
とのことなので転載省略。

一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第643話 「死霊魔術」

 古代エジプトに限らず、神話における生と死の境界線は曖昧で、死者を蘇らせるために黄泉の世界に赴く話はギリシャ神話のオルフェウスや日本のイザナギとイザナミの神話などなど洋の東西を問わず普遍的に存在します。

 もっとも、そういった話の多くは、もう少しのところで約定を破って”振り返る”ことで蘇生に関する約定が破綻して失敗してしまうのですが、エジプト神話におけるオシリスとイシスの場合は、弟のセトによってぶつ切りにされて死んだオシリスの遺体をオシリスの妹にして妻のイシスが(多少の欠損は生じたものの)繋ぎ合わせて復活させることに成功しています。

 オシリスとイシス、そして二人の間に産まれた息子のホルスが絡む死と復活の話はエジプト宗教の根幹たる来世信仰の中核になっているのですが、当然というか、古代エジプト起源を主張する西洋魔術においても生と死の研究は一つのジャンルになっています。

 もちろん、敵対勢力というか一方的に他の宗教に喧嘩を売って回る基督教勢力との長きに渡る抗争が絡むことで話がややこしくなっていくのですが、考えてみれば、基督が処刑される前からユダヤ教勢力に喧嘩を売って回り、基督が処刑された後は羅馬帝国絡みの各地の宗教勢力と喧嘩をし、羅馬帝国の国教となったあたりからは内ゲバが本格化し、東西に分裂した羅馬帝国の西羅馬帝国が滅びたあたりからイスラム勢力と現在に至るまで本格的な抗争を続けていることは御存知の通り。

 ちなみに、イスラムとの抗争が小休止状態になると大航海時代と称して阿弗利加や新大陸に魔手を伸ばして現地勢力をぼこぼこにし、阿弗利加を勢力下においたことでイスラム勢力圏を迂回して喜望峰経由で亜細亜に到達できるようになると亜細亜の植民地化の片棒を担ぐようになったことは比較的知られた話になります。

 良くも悪くもエネルギッシュなのが基督教ということになるのかもしれませんが、言っていることとやっていることがこれくらい違う宗教も珍しいだけでなく、あれこれ歴史をほじっていると、開祖の教えとこれくらい乖離し改変されている宗教もまた珍しいのでは無いか?という気がすることがあります。

 魔法の起源の一つに古代エジプトの文化があるのは確かな話ですが、北方系というかケルトやゲルマン絡みの宗教や、ゾロアスター教など中近東の宗教に由来する魔法もあり、そういった”基督教によって滅ぼされたか滅ぼされつつある宗教”が絡む知識を整理し統合していったのがグノーシス派と考えると大枠ではさほど間違っていないのではないかと。

 早い話、魔法というのは正統の宗教だったものが、新興勢力によって滅ぼされたり弾圧されるようになって以降の呼称で、新興勢力の側が”自分たちの信奉する神こそ本当の神で、今までお前達の崇拝していた神は邪神や悪魔の類である!”と定義すれば、当然のように、かっての神々は滅ぼされて当然の存在と化し、悪鬼羅刹の類や、人に仇なす妖怪や怪異の類にまで貶められたりするようになるわけです。

 故に、複数の異なる死生観というか死後の世界観が混在することになるのですが、時代が下がって反基督教の色彩が強くなっていくのに比例するように旧約聖書の世界観が一つの基準になって話が進められることが多くなっていくのですが、それでいて個々の魔術に関しては、それぞれの出自となった宗教や魔法の世界観を抜きに解釈しようとしても無理が生じることが珍しく無かったりします。

 惜しむらくは、国や文化の栄枯盛衰に伴って既に失伝してしまった宗教や神話の類も珍しくなく、往々にして時間が経過すればするほどオリジナルが他からの影響を受けて変質していく上に、仮に秘密や秘伝を包み隠さず文字や絵画などを使って記録に残したことがあったとしても、数百とか数千年の単位で時間が経過すれば、散逸したり作られた当時は説明不要な常識だったことが謎になったりで正確性に欠けていく傾向が顕著にあったりもします。

 それこそ、魔女狩りや宗教裁判で弾圧した側が崇拝する基督の誕生日でさえ12月25日では無いことだけは確かなのに、いつのまにやら12月25日で定着してしまい、本来の誕生日に関しては幾つかの説がある状態ですから、弾圧された側の魔術関連の話が断片的になったり虫食い状態になっていてもさほど不思議では無いと言えます。

 それはそれとして、欧羅巴で中世の頃に魔法使いや魔女達がどのような死後の世界観を持っていたのか?に関して言えば、ゲーテの”ファウスト”に描かれている世界が一つの代表例になっていると思われますが、ゲーテがパラケルススから大きな影響を受けていたことから、パラケルススの所属していた謎の組織(があればですが)の死後の世界観と考えていいのではないかと ・・・ 故に、他の系統の魔法や錬金術の組織だと別の世界観が前提になっていて不思議ではないことになります。

 死霊の存在を前提とする魔術の場合は、宗教的に書けば”死者の魂を管轄しているのは誰?”ということが分かっている魔術というか、そもそも”死後の世界がある”という前提で成立している魔術というあたりが実は最大の特徴と言えます。

 つまり、人は物理的に死んでしまえばそれまでで、日本言うところの魂魄などは存在せず、死者の魂が存在しない以上は、死霊を操ることが不可能なことはお解りいただけるかと思いますが、死してなお生前の記憶を有しているが故に死後に利用できるというか利用する価値が生じることになります。

 例えば、国家予算規模の財宝を隠匿して縛り首にされて死んだ伝説の海賊の死霊を呼び出して、財宝を格下場所や財宝を守るための仕掛けの解除の仕方などを聞き出すといったジャンルが死霊魔術にはあるということで、死者の生前の記憶を利用するノウハウは確実に死霊魔術に含まれます。

 死者の記憶を利用する場合、魂魄のようなものを想定した方が理解しやすくなるのですが、魂の容器である肉体が滅びると魂が体から抜け出すことになるとすれば、新しく魂の容器に相応しい肉体を用意して漂泊している魂をそこに入れれば以前の記憶を持った状態で復活しうるということが生じるという前提が必要になるわけです。

 魂が体から抜け出すといえば、死霊の他に生き霊と呼ばれる現象があるという話は怪しい話においては定番ですが、いわゆる”臍の緒”のような(かなり長い)ひも状の何かで魂と肉体は繋がっていて、死神などに鎌でその臍の緒を切られてしまうと魂と肉体の繋がりが切れて死んでしまうというか、魂が体に戻ることが難しくなるようです。

 亜細亜だと、眠っているときに魂が体から抜け出してさまよい歩くという話はさほど珍しく無く、人魂の中にその手の生き霊系の人魂があるとか、いわゆる”ろくろ首”の類も体外離脱現象の一種という説があったりするのですが、中国当たりの怪異談や奇談の類の中には、死霊が死んで間も無い別の死体に入り込んで記憶を保持したまま復活する話が複数存在しますから、その当たりの法則性を整理し再現することに成功すれば、それは死霊魔術にかなり近いのではないかと考えられます。

 また、日本だと恐山のイタコなどで知られる降霊術ということで、死者の魂を脂質に恵まれていて一定の訓練を積んだ巫女や霊媒などに一時的に入れて死者と問答するような光景は”よくあること”になってしまうのですが、霊魂なんぞ存在せず、連中がやっていることは良く言えばカウンセリングで悪く言えば詐欺の一種に過ぎないとのたまう人も少なからず存在するのですが、死霊に専用の新しい肉体を用意しなくても支配下において利用する技術も死霊魔術の一つのジャンルと言えます。

 興味深いところでは、死刑場を含めて大人数の死者が出たような場所や人の最期を看取ることの多い病院などで怪奇現象の話がつきまとうことからおわかりのように、死に際して人は一種のエネルギーである恨み辛みの念を生じさせることがあり、そういったネガティブ系のエネルギーが残留し累積されていくと、一種のパワースポットと化すことがままあるわけです。

 まあ、そういったパワースポットが必ずしも負のパワースポットになるとは限らないのが自然界の妙なのか、その場の管理の仕方によって残留思念の類の質が変わるのかは私には良く分かりませんが、逆に言えば、寺社仏閣絡みのパワースポットだからといって必ずしも正のパワースポットだけではないことは確かな話になります。

 死霊魔術の魔術たる所以は、そういった死に往くときのエネルギーで形成されたパワースポットのエネルギーを自分の目的のために変質させ利用しようとするあたりで、転換させるノウハウがなければかえって自分を害することになるような負のエネルギーを特定の術を使うことで正の(ないし、自分が利用したい)エネルギーに転換してしまえば、忌み地の浄化と自身のパワー強化が同時にできることに理論上はなります。

 理論上はと書いたのは、だいたいにおいて死に臨んでネガティブな思念エネルギーを残す人が多いためか、ネガティブ方向へ自身の思考が変質というか侵食される術者が珍しく無いことと、純粋なエネルギー処理の問題ですから、正義だろうが悪だろうが技術を伴わなければ呑み込まれてしまったり自分の方が磁石に吸い寄せされ磁化してしまう鉄粉のように変質してしまう事例が珍しく無いためで、魔術師の中でもネクロマンサーが専業になりやすいことと無縁では無いと(私には)考えられます。

 ただ、死者の霊を使役するノウハウは古代に遡るほど”当たり前”だったようで、それ故に、死んだ後の霊魂を利用されないような(呪術的な)仕掛けを墳墓などの墓所に施すことも珍しく無く、墓泥棒に関連してファラオの呪いの類が囁かれるのも、その手の仕掛けの発動と無縁とは考えにくいところがあり、日本だと仏教が公式に伝来した奈良時代から古墳時代あたりにかけてが一つのピークになっているという説もあります。

 もちろん、純粋に”死んだ人にもう一度会いたい。会って話をしたい ・・・、”とか”できれば”黄泉返って欲しい”というニーズは太古から普遍的に存在しますし、実際、死んでしばらくして蘇生する人が一定の割合でいますから、ネクロマンシー(死者蘇生)に医学的な蘇生法や日本武術の”活殺自在”で知られる活法の技法などを絡めて考えると、死霊を扱うとされる魔術の輪郭が見える気がしないでもありません。

 超能力にも、サイコメトリー(過去認知)能力の分野があり、故人が愛用していた衣服、日用品や最期に立っていた場所などに残る残留思念なのか何なのかは定かではありませんが、過去の情報を読み解くことで、過去にその場所で、或いはその道具などの持ち主に何が起こったのか追体験することができる能力者がいることは比較的知られた話になります ・・・ その読みとった情報の精度にばらつきがあることを含めてですが。

(2013/02/09)





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Last updated  2013.02.25 06:57:06
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