シはシネマのシ 第018回 「フィールドオブドリームス」
一夢庵 シはシネマのシ 第018回 「フィールドオブドリームス」 私は幼少の頃から野球にま~ったく興味が無いのですが、小学生の頃には、のび太君のように”野球の人数合わせ”にライ8として動員されることから完全に逃れることはできず、かといって未だに野球のルールは良く分かっていません。 が、今回の”フィールドオブドリームス(Field of Dreams:1982)”は、少し毛色の変わった野球映画になります。 原作は、ウィリアム・パトリック・キンセラが、亜米利加MLBの選手達の興味深いエピソードなどを下敷きにした(実録)小説”シューレス・ジョー(1982)”だけあって、そこで紹介されている幾つかのエピソードに登場する野球選手たちというか、何人かのMLBの選手が関わる話にもなっています。 映画では、アイオワ州の田舎町でトウモロコシを主に栽培している(亜米利加としては)小規模な農園主のレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が、その過去において、”ささいなことで父親と口論をして家を飛び出し、それ以降、一度も顔を見る事も口をきく事もない内に父を亡くした”ことが心に引っかかっていたりします。 そんな彼が、ある日の夕方、トウモロコシ畑を歩いていて、どこからともなく、”If you build it, he will come.”という声がしてくるのを聞いてしまい、唐突に、" 野球場を作れということだな ・・・”と聞こえてきた言葉の意味を解釈してしまいます。 当然のように、自分のささやかなトウモロコシ畑を整地して、ささやかな観客席付きの小さな野球場を作ることになるのですが、その小さな野球場は”幾つかの条件に合致する人達”にとって奇跡の舞台となっていくのですが、普通の周囲の人達からすれば、ささやかな収入源を潰して誰が使うわけでもない野球場を整備するレイの一家がおかしくなったようにしか見えなかったりもします。 そして、ささやかな野球場をレイ一家が造り上げると、その完成した夕刻から確かに”彼はやってくる”のですが、そこに好きなときにつかえる夢のような野球場があり、ささやかながら熱心な観客がいることを知った”彼”は仲間を連れてくるようになり、瞬く間に”彼ら”がやってくるようになり、観客も次第に増加していきます。 レイ一家の幼い一人娘である、”カリン・キンセラ(ギャビー・ホフマン:Gaby Hoffmann)”は最初から”彼ら”を見ることも会話をすることもできる優良な観客で、重要なキーパーソンですが、普通のオトナたちは、”彼ら”を見たり”彼ら”と会話を交わしたりすることができる人とできない人に分かれていき、最初は見ることができなかった人も、ふとしたことで見ることのできる人になっていったりもします。 その辺りは、”童心に返る事ができた人”や、”過去に何らかの後悔を残している人”などが、”彼ら”と時間と空間を共有することができるようなのですが、いわゆる拝金主義者や現実主義者といった夢を見ることが珍しいような人達にはそれができないようで、同じ場所にいながら、まったく違う光景を目にしているといった演出になっています。 映画のロケ先は、アイオワ州北東部のダビューク西郊の小さな町”ダイアーズビル”で、実際に劇中に登場する野球場は造られているのですが、この映画を見終わると、実在しない方がおかしいというか、行って野球をしたり、それを見物してみたい気がしてくる人の方が多いのではなかろうか? ちなみに、劇中で”ムーンライト・グラハム(Archibald Wright "Moonlight" Graham:1876/11/09~1965/08/25)”という野球選手を演じたバート・ランカスターにとっては、”フィールド・オブ・ドリームス”が映画としては遺作となってしまうのですが、ノースカロライナ州生まれの野球選手(右翼手・右投げ左打ち)で医師という風変わりな経歴を持つムーンライト・グラハムに関しては、この映画で始めて知った亜米利加人も多かったそうです。 映画では、カリン・キンセラを助けるためにフィールドの外に出る決断をして医師として行動したことで、グラハムは野球場を後にすることになるのですが、実際の彼は、1905年にニューヨーク・ジャイアンツの選手として登録され、6月29日の対ブルックリン・スパーバス戦で、8回裏にジョージ・ブラウンに替わってライトの守備位置についたものの、9回表のジャイアンツの攻撃は彼の打席の1つ前で終了してしまったことで、一度も打席に立たないまま試合が終わった選手だったりします。 結果的に、彼のジャイアンツでの出場試合が”その1試合のみ”となったことで、彼のメジャーリーグの経歴は”打席なし”で終わっている珍しい事例になっているのですが、その後、マイナーリーグに1907年まで所属していたものの、メジャーリーグのフィールドに再び立つことは無く、1908年には野球選手に見切りを付けたのか、医師(メリーランド大学の医学過程を終了)としてミネソタ州チスホルムで開業医となり、1915年から1959年まではチスホルムの学校の主治医を務め、1965年に亡くなっています。 そんなムーライト・グラハムの劇中の活躍は、野球選手の夢を諦めた後、学校の主治医を長く努めていたことなどを知っていれば腑に落ちるものの、彼の人生を知らないと今ひとつ何のことかわからない部分があるかもしれませんし、それはまた、他のほとんどの登場人物の”過去の後悔”の内容もそれほど詳細に描かず、”何らかの事情”があることを漠然と察する事はできる程度に留めているあたり、説明不足といわれればそれまでですから、意見が分かれるところかもしれません。 それはともかく、亜米利加人には常識でも、他の国の人にはさほど常識でもないのが、”彼ら”の内の数名が関わっていた“ブラックソックス事件(Black Sox Scandal:1919)”で、このメジャーリーグ史上最大級のトラブルに巻き込まれ失意のうちに選手生活というか生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソン達の話が、原作のタイトル”シューレス・ジョー”にも反映していますから、少し触れておきます。 ブラックソックス事件というのは、1919年のワールドシリーズで優勢を予想されていたシカゴ・ホワイトソックスがシンシナティ・レッズに3勝5敗で敗退(当時のワールドシリーズは9試合制)し、レッズの優勝で幕を閉じたメジャーリーグ・ワールドシリーズが、シリーズが始まる前から八百長の噂さが流れ、実際、裏でマフィアまで暗躍した八百長絡みの試合だったという一連の騒動として知られています。 シリーズ終了後に、ホワイトソックスの8選手が賄賂を受け取ってわざと試合に負けたという容疑で刑事告訴され、1年後に大陪審で8人の選手は証言を求められているのですが、彼らは八百長の存在は認めたものの、八百長を持ちかけたブッカーが死亡したことで具体的な金のやりとりは成立しておらず、大陪審の結論も(選手や家族への脅迫行為などの)情状を酌量したのか”無罪”となっています。 別の視点では、ホワイトソックスの当時のオーナー”チャールズ・コミスキー”が選手に払う金を惜しんでいたことが事件の背景という指摘もあり、当時のホワイトソックスの選手達が他のどのチームより低賃金だったこと、それでいて、ユニフォームのクリーニング代までも選手の自腹とされ、チーム名でもあり、彼らのユニフォームのトレードマークである”白ソックス”が常に黒ずんでいた(そういう写真も現存する)そうで、実は、八百長騒動以前から”ホワイトソックス”は”ブラックソックス”と揶揄されています。 といったことを考慮すれば、ホワイトソックスなど現役の選手の待遇を改善すれば事は収まりそうなものですが、亜米利加野球会の偉い人達は自分たちの面子と保身を優先し、高名な判事のケネソー・マウンテン・ランディスを、絶対的裁量権を有する「コミッショナー」として招聘し、現在に続くコミッショナー制度を導入するのですが、初代コミッショナーとなったランディスは、”大陪審の評決に関係なく、八百長行為に関与した選手、また八百長行為を知りながら報告を怠った選手は「永久追放」に処する”という無茶なことをやってのけます。 裁判所が”無罪”としても、コミッショナーとは言えども個人が有罪と思っただけで選手生命を断つことができるというのは、私はかなり無茶な制度だと思いますが、現実に、事件に関与した8人は刑事責任が問われず無罪判決が出ていたにも関わらず、メジャーリーグから永久追放の処分を受けてしまいます。 もちろん、ランディスが全員に同じような姿勢で臨んだというのなら筋は通るのかもしれませんが、同じく八百長疑惑のあったタイ・カッブなど他の有力選手は救済するというダブルスタンダードを平気で行っていますし、そもそも、八百長が成立する前提を作った張本人である”チャールズ・コミスキー”に関しては何ら処分を下さず、彼はオーナー職にとどまっただけでなく後に野球殿堂入りも果たすという、”それってどうよ?”な裁定を行っています。 当然、その裁決に不公平と不正を感じたメジャーリーグファンも当時から多かったようで、追放処分を受けた8選手は”悲運の8人(アンラッキー・エイト)”として語り継がれることになり、この事件をモチーフにした多くの文学作品、映画などでは悲運のヒーローとして(多少の美化を含みながらも)描かれ続けることとなり、何度と無く復権嘆願が行われているのですが、もちろん、彼らの復権を認めるということは、初代コミッショナーの判断が間違いであることを認めることに直結するだけに、未だに復権は認められていません ・・・ その意味では、メジャーリーグの上層部の面子を守るために、悲運の8人は蜥蜴の尻尾として切り捨てられたとも言えます。 ちなみに、悲運の8人というのは、 ジョー・ジャクソン(外野手)、エディ・シーコット(投手)、レフティ・ウィリアムズ(投手) 、チック・ガンディル(一塁手)、フレッド・マクマリン(内野手)、スウィード・リスバーグ(遊撃手) 、ハッピー・フェルシュ(中堅手) 、バック・ウィーバー(三塁手)の8人ですが、もっともファンから愛されていたジョー・ジャクソンが大陪審の法廷で八百長を認めて外へ出てきたところで、ファンの少年の一人から”本当じゃないよね、ジョー?(“It ain’t true is it, Joe?”)”と尋ねられたという一連のエピソードは、シカゴ・デイリーニューズ紙のチャーリー・オーエンス記者が丸々捏造した野球都市伝説です。 ちなみに、チャーリーの捏造話では、ジャクソンは"Yes, boy, I'm afraid it is."と応えたとしているのですが、彼の捏造話が西海岸に届くころには尾鰭が付いて脚色も水増しされ、ファンの少年が”嘘だと言ってよ、ジョー!("Say it ain't so, Joe!")”と叫んだ話になってしまうのですが、捏造元の新聞記者達は逆にその改変が気にいったようで、その後もメジャーリーグにトラブルが生じれば、新聞の見出しに”Say it ain't so, Joe!”が踊る光景が繰り返されています。初出:一夢庵 シはシネマのシ 第018回「フィールドオブドリームス」:(2011/07/03)