勝男武士
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第146話 「勝男武士」 日本の武家の文化というのは基本的にオヤジギャグの文化で、大真面目で駄洒落(だじゃれ)を口にしたり縁起を担いで奇妙な風習が成立している事例に不自由しないのですが、”その大本は?”となると貴族文化になるようです。 もっとも、貴族文化がオタク文化のルーツである(なにしろ、ロリと不倫を雅に歌い上げることが主流の文化だ)ことは比較的知られた話で、和歌などにおける”掛詞”といえば”駄洒落のルーツ”で、”枕詞”といえば”駄洒落のショートカット”に該当するのは御存知の通り(笑)。 したがって、勝男武士と鰹節が”かつおぶし”で括られる縁語(えんご)や懸詞(かけことば)になっているのは不思議でもなんでもないのですが、”鯛”が”目出度い”に懸かるのも分かりやすい事例になります。 武家が好んだ魚の中で、いささか由来がアカデミックなのが”鯉”で”恋”とか”請い”に懸かるのではなく、中国の伝承である”登竜門”に由来していて、黄河の上流にある(とされる)竜門を上りきった鯉は竜になるというあたりから一種の出世魚として位置付けられていたようですが、意外なことに、鯉幟(こいのぼり)が縁起物として用いられるようになるのは江戸時代も中期の頃からの話だったりします。 まあ、淡水魚の中では最大級に巨大化することがあるのが鯉ですし、淡水魚の中では短期間で成長しサイズ的にも食べ応えがあるタンパク源と考えた方が現実的な気もしますが、乳の出が悪いときに食すとか、肺病を患った人に生き血が効くとか養生食になるといった薬食いの話によく登場してきます。 で、鰹節ですが、鯖の生き腐れ程ではないにしても傷みやすい魚ではあり、物納させる税の対象としたものの、干し魚にしても奈良や京都に着くころにはかなりの割合で傷んで食用に適さなくなっていたようで、”いかにして日持ちさせるか?”がかなり真剣に研究されたようです。 ちなみに、基本的な鰹節の作り方は、”生切り”としてまず頭と尻尾を落として三枚におろし,半身をさらに2つ割りにして、背側を雄節(おぶし)、腹側を雌節(めぶし)とし、それを加工すると”本節”になっていくのですが、小さい鰹の場合など、雄雌というか腹背に割らずに三枚におろした二つ割りのままで製造すると”亀節”と呼ばれ、やはりグレード的には下になりますが初心者にはこちらの方がサイズ的にも値段的にも扱いやすいようです。 時代によって加工の仕方も変遷していくのですが、”生切り”にした肉を本節ならば皮を上に、亀節ならば身を上にして籠に並べる”籠立て”を経て、その籠を10枚程度重ねて90度くらいのお湯で1~2時間程度煮る”煮熱”となり、その後、水に入れて鱗や皮を剥ぎ、骨を抜き、皮下脂肪などもこそげおとす”骨抜き”を行います。 骨抜きまで作業が進むと、後は室(炉)に入れて熱と煙で焙って薫蒸して乾燥させ一晩程度寝かせる工程を10回程度繰り返すと、(日干しやカビ付けが行われていない)”荒節”と呼ばれ、多少の水分が残っていることもあって鰹節の中でも比較的軟らかい種類が完成となります。 ”荒節”を1日くらい天日干しにした後、冷暗所にしばらく寝かせ、表面が湿気てきたら、表面の汚れやタールの類、浮き出た脂などを削ぎ落とす”削り”が行われ、その後、天日で数日干してから”室(むろ)”に入れて特有のカビを意図的に付けることで水分を飛ばして発酵を進行させ、備長炭より堅い(笑)、”枯節”と呼ばれる鰹節へと仕上げていくことになります。 ちなみに、蒸した鰹の肉を一度だけ室(炉)に入れて焙り、その後、干したものは”なまり節”と呼ばれ、徹底的に水気が抜かれる鰹節に比べると水分含有量が多いため日持ちはしないのですが、その分、口当たりが良いというか干し魚と大差が無いため、軽く焙ってそのまま食べても良し、生姜を加えて煮付けにしたり、刻んで酢の物の具にして食べることもできます。 なまり節がそのまま食べることが多いのに対して、鰹節は、専用の鉋で削り節(ソウダガツオやサバを用いた雑節を削っても”削り節”と表記するする事が多い)にしてそのまま食べたりもしますが、削り節に湯をかけたり煮込んで”だし汁”をとって料理に使用されることも多く、昆布と並んで日本の出汁文化の双璧を担っているのは御存知の通り。 昆布の主要な旨み成分がグルタミン酸ソーダであることは、1908年に東京帝国大学の池田菊苗が突き止め、工業化されて化学調味料”味の素”の誕生へと繋がり、鰹節の主要な旨み味成分が、イノシン酸(のヒスチジン塩)であることは1913年に池田菊苗の弟子であった小玉新太郎によって突き止められ、”出汁の素”として量産されるようになっていくのですが、一応、現在でも昆布や鰹節から直接出汁をとっている店の方が高級店とされることが多いようです。 これを書いている時点の鰹節の主要産地は、静岡県の焼津、鹿児島県の枕崎と山川で、実にこの3ヶ所で9割を生産しているのですが、なぜか鰹節といえば高知県というイメージが強い人が多いようです。 ただし、現在の焙乾しながら製造していく鰹節の原型を創ったのは、江戸時代の紀州(現在の和歌山県)の甚太郎という漁師というのが定説で、鰹を燻して寝かす”焙乾”が主流となっていくのですが、前述したように、焙乾して一晩寝かす(あん蒸)を10回くらい繰り返した”荒節”、荒節の表面の脂や汚れを削り天日干しした後、室に入れてカビを付けて水気をさらに抜き、その後、日に当てて干してカビの菌糸を払った”枯節(かれぶし)”、更にカビを付けては日干ししてカビを払う行程を4回以上繰り返した”本枯節”といった具合に作業工程は複雑になっていったようです。 カビを付ける理由は、一つに水気をカビに吸わせて乾燥を進め、その際に進む発酵で脂肪が分解されて旨み成分に変わる上に酸化が抑制されることが大きく、副次的に鰹特有のアンモニア臭の成分が分解され自然と香り付けされることがあるのですが、スモークサーモンなどに見られるように、燻して乾燥させて魚を日持ちさせるあたりまでは世界的に散見される加工法だと言えますが、その上でカビを意図的に利用して保存性を高めていく事例は珍しいというか皆無に近くなります。 もっとも、出汁をとる食材の双璧が昆布と鰹節とは言っても、瀬戸内だと煮干し(カタクチイワシ)、九州北部や日本海側だとアゴ干し(飛び魚)が出汁の素として重宝されていますし、駿河の桜エビなど干しエビ、帆立貝の貝柱が多い干し貝柱などなど、その他の出汁の素も一つの勢力というか食文化を形成しているのは御存知の通りで、植物性の干し椎茸や天日干しした干瓢などは精進料理で出汁をとるときに昆布と並んで重宝されているのは御存知の通り。 最近は、細かく食材を短時間で粉砕できる安価なフードプロセッサの類が普及して、出汁が取れる食材を粉末にして不織繊維などで作られた使い捨てのお茶の葉パックに入れてオリジナルの出汁を手軽に楽しめるようになっているのですが、やはり基本は昆布と鰹節で、グルタミン酸とイノシン酸のブレンドということになることは言うまでもありません。 なお、一番出汁、二番出汁という言葉がありますが、基本的に一番出汁は沸騰させて煮立てたりせず、水を足していきながら80~90度くらいまで煮て、火を止めてから(渋みや苦みが出ない)1~2分程度寝かした上で、布などで昆布や鰹節を漉して出汁を取り終わるのですが、間違っても(貧乏くさく)布の上に残った昆布や鰹節を絞ってはいけません(笑)。 なぜならば、その昆布と鰹節を器に入れて、そこにお湯を注いで5~6分程度寝かせるか、渋みや苦みなどが出ない短時間だけ軽く煮立てて取れるのが二番出汁だからですが、その後は、やはり布などで漉して二番出汁の出来上がりとなります。 なお、二番出汁を取り終わった後の食材は、煮込んで三番出汁をとってもいいのですが、干してから粉砕して”ふりかけ”などに加工しても重宝します ・・・ が、なぜか捨てる人も珍しく無く、私的には”いかがなものか?”と思わないでもありません。 一番出汁や二番出汁に、椎茸や干瓢などの植物性の出汁を更に加えたり、酒、醤油、味醂などをいろいろな割合で加えて、さまざまな”(調味)出汁”や”ツユ”になっていくわけですが、もちろん、素直に一番出汁は吸い物に、二番出汁は味噌汁などに使ってもかまいませんというか、それが王道というものではないかと思いますが、関東と関西ではいささか嗜好が異なることは比較的知られた話になります ・・・ というか、長らく、醤油文化の関東、出汁文化の関西ということになってはいるようです。 ちなみに、私はイリコ文化圏で産まれ育ち、アゴ文化圏でしばらく過ごし、醤油文化圏に長くなっているのですが、次第に関東と関西の味が近くなっているというか、讃岐饂飩の関東侵出で関東の庶民も手軽かつ安価に関西の出汁文化を味わえるようになったのが一つのターニングポイントだったかな?という気がしないでもありません。初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第146話:(2011/06/25)