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そこで日本国がいかに道徳観念の希薄な国であるかをこきおろしている。 「私は一人でレストランに入り、食事をとることがある。周りの夫婦づれや 家族づれの賑やかな団欒に悩まされることがある。ナイフとフォークを両手 に持ちながら孤独の独舞を踊っているような気になる。 よく銀座あたりで行儀よく食事している外人を見ると同じ境遇に同情する。 日本に永く居ついている外人は随分多い。しかし妻子持ちであるのと、独身 であるのと問わず(官途や軍務で日本にいる人は別として)その外人たちの 顔には何かある種の空白と寂寥がある。 これは何故であるか。私ははっきり言う。これは日本が彼らにとって日本が 無道徳地帯だからである。 キリスト教国(今ではイスラムも含む)の厳しい道徳からのがれて、日本に やってきて安住の地を見出した外人はどんなに多いか知れない。 お金さえあれば万事OK。他人の奥さんを失敬するのもOK、ゲイボーイを 抱くのもOK。外国だってそれはさかんに行われている。 しかしそれは罪を犯すことで、神に反逆することであり、世間の爪弾き、地位 の失墜を覚悟することである。ところが日本では何でもOK、しかもキリスト やマホメットの手はここまで届かない。自分たちの故郷の道徳のきずなもここ では何の力もない。やりたい放題をやり羽根を伸ばす。しかし、彼らの顔には 言い知れぬ寂寥と空白感が刻まれる。彼らは本当は「道徳なしで生きられない」 のである。実にかわいそうである。 日本人はどうであるか。欧米や中東のように一神教国家のような厳格、様子ぶっ た、やきもち焼きの、オールドミス根性の神さまがいないので呑気な、明るい、 楽しい顔つきで暮らしている」と喝破する。 誠に明快であり、今も有効である。日本人はいつまでもなあなあ主義の話し合い 重視の解決しかもっていない。厳然たる「神」がない。「世間」という風向きで 何でも決まるというのが日本人を畸形にしている。 自由といい、民主主義といい、「独裁」はないのだが、いわゆる「黒幕」がすべ て裏で工作している仕組みがあり、多くの国民が萎縮しているのは実態であろう。 それを白日の下にさらせというのが私の見方である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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