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風狂夜話2

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2008年08月05日
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カテゴリ:政治
中曽根内閣の官房長官として時の官僚政治にらつ腕をふるった後藤田正晴は

「わたしの会った政治家で、田中角栄ほど天才的に頭のいい人物を見たこと

がない。どんなにむずかしい掛け軸の書体の文字でも、すらすら読み、その

意味を語った。わたしが会った政治家のなかで、それだけ教養をもった人物

は長崎選出の綱島正興しかいなかった」と回想した。

田中角栄はこの東大法学部出身の官僚政治家に舌をまかせた文学的教養のも

ち主であった。しかもかれは尋常小学校出の一介の土建屋的政治家にすぎな

い成り上がりであった。

かれの才能とすさまじい努力には伝説が山をなす。

「お国のために死ぬなんて、馬鹿げたことじゃん。おれは、かならず内地に

帰ってみせる」

田中角栄の刎頚の友と後年揶揄される小佐野賢治は、日中戦争のさなか湖北

省の野戦病院で「急性気管支炎」という診断書を書かせていた。

軍医はその添え書きに「本人苦痛を訴えるも、所見なし」と書く。

小佐野も山梨の貧農の長男坊で尋常小学校出である。徒手空拳の野望は並々

ならぬものがある。

この二人が昭和の裏と表の世界を奔走し、頂点に登りつめたところにロッキ

ード事件が起こり、まっさかさまに転げ落ちる。

小佐野賢治の少壮期のすさまじい野心はフォード社の代理店を断り、「日本

からフォードを叩き出してやる」と大喧嘩をふっかけたことからも伺える。

だがかれの晩年はいかにもさみしいものであった。

田中角栄とちがいかれの野心は途方もなく、周囲の人間の思量をこえていた

からである。むしろ角栄氏を軽んじていたふしもある。





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最終更新日  2008年08月05日 20時37分45秒
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