カテゴリ:政治
![]() サブタイトルが「米軍カメラマンが見たNAGASAKI」である。 昨日の残留放射線の被爆者の訴え…ヒロシマの続編であろう。NHKの渾身のドキュメ ントといえる。脱帽。 このドキュメントの主人公はアメリカの元軍人。1945年8月の長崎原爆投下の直後 軍の命令で焦土と化した長崎の町を撮影したジョー・オダネル(23歳)。かれは私用 のカメラで被爆者のケロイドや親のない子、浦上天主堂のマリア像などを撮り、私物と して残した。そして40年余その写真は密封され公にされなかった。 退役後CIAに勤め大統領専属のカメラマンとして活躍していても、つねに長崎の原爆 被害を忘れることができず、国家の正義との齟齬に苦しめられた。 あるときトルーマン大統領に直接尋ねてみた。「私は長崎の爆心地にいき、原爆の惨状 を体験しましたが、あれは正しい選択だったと思いますか」と。 トルーマンは「あれは私のアイディアではない。前任者の引継ぎ事項だった」と答える。 まさに権力者の高慢な責任回避である。無辜の市民・子供を大量殺戮する武器を優雅な 総統室で罪の意識なく操作できる神経。自国民の利益や要求の為にはいっさい手段を選 ばない政治的アンチモラル。 オダネルはあるとき核廃絶のテーマ会場でキリスト像に原爆被害者の写真がすきまなく 貼られた展示物を見て衝撃をうけた。もはや躊躇すべきではない。 封印していた自分の写真を公開し、展示や出版を求めたのである。だがアメリカの保守 陣営からおそろしくタフな攻撃と批判が寄せられた。 「アメリカがいやなら出ていけ」「真珠湾を忘れるな」「だれの差し金だ」などなど。 この為家族は崩壊し、最愛の妻とも別れることとなる。 60代になると原爆症の症状も出るようになる。いよいよかれの国家告発の活動は激しく なる。息子も父の活動の意義を理解するようになる。 「同じ人間に、なぜこんなことをしてしまったのか」 死んだ弟を背負い浦上川で荼毘にふす少年の口を結んだ姿の写真はオダネルの最も印象的 なスナップだがついに再会することはできなかった。 85歳で昨年死去。その遺業は息子に受け継がれ、日米の核廃絶の大きな運動にリンクする。 アメリカの異形。日本の萎縮。 原爆の正当性。原子力開発の意味。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[政治] カテゴリの最新記事
|
|