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詩誌AVENUE【アヴェニュー】~大通りを歩こう~

全1件 (1件中 1-1件目)

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Atsusuke Tanaka 【組詩】

2016年01月25日
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[象の椅子] カテゴリに掲載された組詩(10記事)を
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                 詩:田中宏輔さん
                 ツイッター:田中宏輔 @atsusuketanaka

                 フォト・アート:羊谷知嘉さん
                 ツイッター:羊谷知嘉 Chika Hitujiya @hail2you_cameo
                 ツイッター:Engineerism @Engineerism








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UNCOUNTABLE/COUNTABLE PAINKILLER ――― 『テラの時代』より






偶然


 あさ、仕事に行くために駅に向かう途中、目の隅で、何か動くものがあった。歩く速さ

 
を落として目をやると、飲食店の店先で、電信柱の横に廃棄されたゴミ袋の、結ばれてい
 
たはずの結び目がゆっくりとほどけていくところだった。思わず、ぼくは足をとめた。
 
 手が現われ、頭が現われ、肩が現われ、偶然が姿をすっかり現わしたのだった。偶然も
 
齢をとったのだろう。ぼくが疲れた中年男になったように、偶然のほうでも疲れた偶然に
 
なったのだろう。若いころに出合った偶然は、ぼくのほうから気がつくやいなや、たちま
 
ち姿を消すことがあったのだから。いまでは、偶然のほうが、ぼくが気がつかないうちに、
 
ぼくに目をとめていて、ぼくのことをじっくりと眺めていることさえあるのだった。
 
 齢をとっていいことの一つに、ぼくが偶然をじっくりと見つめることができるように、
 
偶然のほうでも、ぼくの目にとまりやすいように、足をとめてしばらく動かずにいてくれ
 
るようになったことがあげられる。
 





仕事から帰る途中、坂道を歩いて下りていると、

 
後ろから男女の学生カップルの笑いをまじえた
 
楽しそうな話し声が聞こえてきた。
 
彼らの若い声が近づいてきた。
 
彼らの影が、ぼくの足もとにきた。
 
彼らの影は、はねるようにして、
 
いかにも楽しそうだった。
 
ぼくは、彼らの影が、
 
つねに自分の目の前にくるように
 
歩調を合わせて歩いた。
 
彼らは、その影までもが若かった。
 
ぼくの影は、いかにも疲れた中年男の影だった。
 
二人は、これから楽しい時間を持つのだろう。
 
しかし、ぼくは? ぼくは一人、部屋で
 
読書の時間を持つのだろう。
 
もはや、驚きも少し、喜びも少しになった読書の時間を。
 
それも悪くはない。けっして悪くはない。
 
けれど、一人というのは、なぜか堪えた。
 
そうだ、帰りに、いつもの居酒屋に行こう。
 
日知庵にいる、えいちゃんの顔と声が思い出された。
 
ただ、とりとめのない会話を交わすだけだけど。
 
ぼくは横にのいて、若い二人の影から離れた。
 



セッ クス


 ぼくの理想は、言葉と直接セッ クスすることである。言葉とのセッ クスで、いちば

 
ん頭を使うのは、体位のことである。
 



フェ ラチオ


 二人の青年を好きだなって思っていたのだけれど、その二人の青年が同一人物だと、き

 
ょうわかって、びっくりした。数か月に一度くらいしか会っていなかったからかもしれな
 
いけれど、髪形がぜんぜん違っていて、違う人物だと思っていたのだった。太めの童顔の
 
体育会系の青年だった。彼は立ち上がって、トランクスと作業ズボンをいっしょに引き上
 
げると、ファスナーを上げ、ベルトを締めて、ふたたび腰掛けた。「なかなか時間が合わ
 
なくて。」「えっ?」「たくさん出た。」「えっ?」「たくさん出た。」「えっ? ああ。
 
うん。」たしかに量が多かった。「また連絡ください。」「えっ?」思いっきりはげしい
 
オーラ ルセッ クスをしたあとで、びっくりするようなことを聞かされて、ダブルで、
 
頭がくらくらして、でも、二人の顔がようやく一つになって、「またメールしてもいい
 
の?」かろうじて、こう訊くことが、ぼくができる精いっぱいのことだった。「嫁がメー
 
ル見よるんで、すぐに消しますけど。」「えっ?」呆然としながら、しばらくのあいだ、
 
彼の顔を見つめていた。一つの顔が二人の顔に見えて、二つの顔が一人の顔に見えてって
 
いう、顔の輪郭と表情の往還というか、消失と出現の繰り返しに、ぼくは顔を上げて、目
 
を瞬かせていた。彼の膝を両手でつかまえて、彼の膝と膝とのあいだにはさまれる形で跪
 
きながら。
 



フォルム


 詩における本質とは、フォルムのことである。形。文体。余白。音。これらがフォルム

 
を形成する。意味内容といったものは、詩においては、本質でもなんでもない。しかし、
 
意味内容には味わいがある。ただし、この味わいは、一人の鑑賞者においても、時ととも
 
に変化することがあり、それゆえに、詩において、意味内容は本質でもなんでもないと判
 
断したのだが、それは鑑賞者の経験や知識に大いに依存するものであり、鑑賞者が異なれ
 
ば、決定的に異なったものにならざるを得ないものでもあるからである。本来、詩には、
 
意味内容などなくてもよいのだ。俳句や短歌からフォルムを奪えば、いったい、なにが残
 
るだろうか。おそらく、なにも残りはしないだろう。詩もまたフォルムを取り去れば、な
 
にも残りはしないであろう。
 



ホラティウス


 古代の詩人より、現代の詩人のほうが実験的か、あるいは知的か、と言えば、そんなこ

 
とはないと思う。ホラティウス全集を読むと、ホラティウスがかなり実験的な詩を書いて
 
いたことがわかるし、彼の書く詩論もかなり知的だ。現代詩人の中で、ホラティウスより
 
も実験的な詩人は見当たらないくらいだ。そして、エミリ・ディキンスンとホイットマン。
 
このふたりの伝統に対する反抗心と知的な洗練度には、いま読み返してみても戦慄する。
 
さて、日本の詩人で、知的な詩人と言えば、ぼくには、西脇順三郎くらいしか思いつかな
 
いのだけれど、現代に知的な詩人はいるのだろうか。ぼくの言う意味は、十二分に知的な
 
詩人は、だけど。ホラティウスの詩でもっとも笑ったのは、自分がつくった料理のレシピ
 
をただただ自慢げに開陳しているだけという料理のレシピ詩と、自分の知っている詩人の
 
実名をあげて、その人物の悪口を書きまくっている悪口詩である。ほんとに笑った。彼の
 
詩論的な詩や詩論はすごくまっとうだし、ぼくもおなじことを思っていて、実践している。
 
詩語の廃棄である。これができる詩人は、現代においてもほとんどいない。日常語で詩を
 
書くことは、至難の業なのだ。
 



膝の痛み


 左膝が痛くて足を引きずって歩かなければならなかったので、近くの市立病院に行って

 
診てもらったのだけれど、レントゲン写真を撮ってもらったら、右足の膝の骨が奇形で、
 
体重を支えるときに、その骨が神経を刺激しているという話で、なぜ右膝の骨が奇形なの
 
に、左膝が痛いのかというと、右膝をかばうために、奇形ではないほうの左足が負担を負
 
っているからであるという話だった。これまでのひと月ほどのあいだ、歩行困難な状態で
 
あったのだが、そのときに気がついたのは、足の悪いひとが意外に多いなということだっ
 
た。自分が膝を傷めていると、近所のフレスコで、おばあさんたち二人が、「ひざの調子
 
はどう?」「雨のまえの日はひどいけど、ふだんはぼちぼち。」みたいな会話をしている
 
のを耳にしたり、横断歩道を渡っているときに、おじいさんがゆっくりと歩いているのを
 
目にしたときに、ぼく自身もゆっくりと歩かなければならなかったので、気がつくことが
 
できたのだった。それまでは、さっさと歩いていて、ゆっくり歩いている老人たちの歩行
 
になど目をとめたことなどなかったのである。このとき思ったのは、ぼくのこの右足の膝
 
の骨の奇形も、左足の膝の痛みが激しくて歩行困難になったことも、ぼくの目をひろげさ
 
せるための現象ではなかったのだろうかということであった。ぼくの目により深くものを
 
見る力をつけさせるためのものではなかったのか、ということであった。左膝の痛みが激
 
しくて、仕事の帰り道に、坂道の途中で坐りこんでしまったことがあって、でも、そんな
 
ふうに、道のうえに坐り込むなんてことは、数十年はしたことがなくって、日向道、帰り
 
道、風は竹林の影のあいだを吹き抜けてきたものだからか、冷たいくらいのものだったの
 
だけれど、太陽の光はまだ十分にあたたかくて、ぼくは坂道の途中で、空を見上げたのだ
 
った。ゆっくりと動いている雲と、坐り込んでいるぼくと、傍らを歩いている学生たちと、
 
坂道の下に広がる田圃や畑のある風景とが、完全に調和しているように感じられたのであ
 
った。ぼくは、あの動いている雲でもあるし、雲に支えられている空でもあるし、ぼくの
 
傍らを通り過ぎていく学生たちでもあるし、ぼくが目にしている田圃や畑でもあるし、ぼ
 
くの頬をあたためている陽の光でもあるし、ぼくが坐り込んでいるざらざらとした生あた
 
たかい土でもあるのだと思ったのであった。
 



開戦


 きょう、日本が宣戦布告したらしい。仕事帰りに、駅で配られていた号外で知ったのだ

 
った。それは、地下鉄から阪急に乗り換えるときに通る地下街にある、パン屋の志津屋の
 
まえで受け取ったものだった。まだ20歳くらいのやせた若い青年が配っていた。押し付
 
けられるようにして受け取ったそれをチラ見すると、バックパックにしまって、阪急の改
 
札に入った。階段を下りていくときに、ちょっとつまずきかけたのだけれど、戦争ってこ
 
とについて考えていたからではなくて、ただ単に疲れていて、その疲れが足元をもつれさ
 
せたのだと思った。烏丸から西院まで、電車のなかで戦争についてずっとしゃべりつづけ
 
ていた中年の二人連れの女たちがいた。こういうときには、なにも考えていなさそうな男
 
たちが大声で戦争についてしゃべるものだと思っていたので意外だった。むしろ中年の男
 
たちは何もしゃべらず、手渡された号外に目を落として、うんざりとした顔つきをしてい
 
た。若い男たちも同じだった。西院駅につくと、改札口で、いつも大きな声で反戦を訴え
 
ていた左翼政党の議員が、運動員たちとともに、警察官たちに殴られて連行されていくと
 
ころだった。人が警察官たちに殴られて血まみれになるような場面には、はじめて遭遇し
 
た。捜査員なのか、男が一人、その様子を見ている人たちの顔写真をカメラでバチバチと
 
撮っていった。ぼくはすかさず顔をそむけて駅から離れた。部屋に戻ってPCをつけると、
 
ヤフー・ニュースで戦争の概要を解説していた。ほんとうに日本は宣戦布告したらしい。
 
ふと食べ物や飲み物のことが気になったので、近所のスーパーのフレスコに行くと、みん
 
な、買い物かごに食べ物や飲み物を目いっぱい入れてレジに並んでいた。ぼくも、困った
 
ことにならないように、数少ない野菜や缶詰や冷凍食品などを買い物かごに入れてレジに
 
並んだ。酒もほとんど残っていなかったのだが、とりあえず缶チューハイは二本、確保し
 
た。値段が違っていた。清算するまで、いつもと違った値段が付けられていたことに気が
 
つかなかった。人間の特性の一つであると思った。こんなときにも儲けようというのだ。
 
どの時代の人間も同じなのだろう。どの時代の人間も同じように愚かなことを繰り返す。
 
ようやくレジで代金を支払い、買ったものを部屋に持ち帰ると、すぐにキッチンの棚や冷
 
蔵庫のなかにしまい込んだ。
 



蜜の流れる青年たち


 屋敷のなかを蜜の流れる青年たちが立っていて、ぼくが通ると笑いかけてくる。頭のう

 
えから蜜がしたたっていて、手に持ったガラスの器に蜜がたまっていて、ぼくがその蜜を
 
舐めるとよろこぶ。どうやら、弟はぼくを愛しているらしい。白い猫と黒い猫が追いかけ
 
っこ。屋敷には、ぼくの本も大量に運ばれていて、弟が運ばせていた。弟は、寝室で横た
 
わっているぼくの耳にキスをして部屋を出て行った。白い猫と黒い猫たちが後方に走り去
 
っていった。と思った瞬間、その姿は消えていて、気がつくと、また前方からこちらに向
 
かって、くんずほぐれつ白い猫と黒い猫たちが走り寄ってきて、目のまえで踊るようにし
 
て追いかけっこして後方に走り去り、またふたたび前方からこちらに向かって、くんずほ
 
ぐれつ走り寄ってきた。猫を飼っていたとは知らなかった。でも、よく見ると、それが母
 
親や叔母たちが扮している猫たちで、屋敷の廊下をふざけながら猛スピードで駆け巡って
 
いるのだった。ぼくのそばを通っては笑い声をあげて追いかけっこをしているのであった。
 
完全に目を覚ましたぼくは、廊下中に立っている蜜のしたたる青年たちの蜜を舐めていっ
 
た。
 



戦時下の田舎


 戦時下だというのに、弟の屋敷では、時間の流れがまったく別のもののように感じられ

 
る。中庭に出てベンチに坐って、ジョン・ダンの詩集を読んでいる。ページから目を上げ
 
ると、ふと噴水の流れ落ちる水の音に気がついたり、小鳥たちが地面の砂をくちばしのさ
 
きでつつき回している姿に気がついたり、背後の樹のなかに姿を隠した小鳥や虫たちの鳴
 
く声に気がついたりするのであった。ぼくが詩を読んでいるあいだも、それらは流れ落ち、
 
つつき回し、鳴きつづけていたのであろうけれども。足元の日差しのなかで、裸の足指を
 
動かしてみた。気持ちがよい。夏休みのあいだだけでも巷の喧騒から逃れて田舎の屋敷で
 
ゆっくりすればいいと、弟が言ってくれたのだった。西院に比べて桂がそんなに田舎だと
 
は思えないのだけれど。ぼくはふたたび、ジョン・ダンの詩集に目を落とした。ホラティ
 
ウスやシェイクスピアもずいぶんとえげつない詩を書いていたが、ジョン・ダンのものが
 
いちばんえげつないような気がする。
 



百人のダリが曲がっている。


中庭でベンチに腰掛けながら、ジョン・ダンの詩集を読んでいると、小さい虫がページの

 
うえに、で、無造作に手ではらったら、簡単につぶれて、ページにしみがついてしまって、
 
で、すぐに部屋に戻って、消しゴムで消そうとしたら、インクがかすれて、文字までかす
 
れて、泣きそうになった、買いなおそうかなあ、めっちゃ腹が立つ。虫に、いや、自分自
 
身に、いや、虫と自分自身に。おぼえておかなきゃいけないね、虫が簡単につぶれてしま
 
うってこと。それに、なにするにしても、もっと慎重にしなければいけないね、ふうって
 
息吹きかけて吹き飛ばしてしまえばよかったな。ビールでも飲もう。で、これからつづき
 
を。まだ、ぜんぶ読んでないしね。ああ、しあわせ。ジョン・ダンの詩集って、めっちゃ
 
陽気で、えげつないのがあって、いくつもね。ブサイクな女がなぜいいのか、とかね。吹
 
き出しちゃったよ、あまりにえげつなくってね。フフン、石頭。いつも同じひと。どろど
 
ろになる夢を見た。
 



科学的探究心


 きょうも、中庭で、ジョン・ダンの詩集を読んでいた。もう終わりかけのところで、昼

 
食の時間を知らせるチャイムが鳴った。ぼくは詩集をとじて、立ち上がった。ちょっとよ
 
ろけてしまって、ベンチのうえにしりもちをついてしまった。すると、噴水の水のきらめ
 
きと音が思い出させたのだろうか。子どものときに弟のところに行こうとして、川のなか
 
でつまずいておっちんしたときの記憶がよみがえったのであった。鴨川で、一年に一度、
 
夏の第一日曜日か、第二日曜日に、小さな鯉や鮒や金魚などを放流して、子どもたちに魚
 
獲りをさせる日があって、なんていう名前の行事か忘れてしまったのだけれど、たぶん、
 
ぼくがまだ小学校の四年生ころのときのことだと思う。川床の岩(いわ)石(いし)につまず
 
いて、水のなかにおっちんしてしまったのである。そのときに、水際の護岸の岩と岩のあ
 
いだに密生している草の影のところの水が、日に当たっているところの水よりはるかに冷
 
たいことを知ったのだった。しかし、川の水は流れているわけだし、常時、川の水は違っ
 
た水になっているはずなのに、水際の丈高い草の影の水がなぜ冷たいのかと不思議に思っ
 
たのであった。ただし、ぼくが冷たいと思ったのは、川のなかにしゃがんで伸ばした手の
 
さきの水だったので、水面近くの水ではなくて、水底に近い部分だったことは、理由とし
 
てあるのかもしれない。水底といっても、わずか2、30センチメートルだったとは思う
 
のだけれど。子ども心に科学的探究心があったのであろう。水のなかで日に当たっている
 
ところと水際の草の影になっているところに手を伸ばして行き来させては、徐々に手のひ
 
らを上げて、その温度の違いを確かめていったのだから。水面近くになってやっと了解し
 
たのだった。水の温みは太陽光線による放射熱であって、直射日光の熱であったのだった。
 
すばやく移動しているはずの水面近くの日に当たっているところと影になって日に当たっ
 
ていないところの温度は、太陽光線の放射熱のせいでまったく違っていたのだった。いま
 
でも顔がほころぶ。当時のぼくの顔もほころんでいたに違いない。40年以上もむかしの
 
ことなのに、きのうしゃがんでいたことのように、はっきりと覚えている。あっ、あの行
 
事の名前、鴨川納涼祭りだったかな。それとも、鴨川の魚祭りだったかな。両方とも違っ
 
てたりして。
 



ゴリラは語る


 弟の子どもの双子の男の子たちの勉強をみているときに、大谷中学校の2013年度の

 
国語の入試問題のなかに、山極寿一さんの『ゴリラは語る』というタイトルの文章が使わ
 
れていて、その文章のなかに、おもしろいものがあった。「「遊び」というのは不思議な
 
もので、遊ぶこと自体が目的です。」「ゴリラは、日に何度も、しかもほかの動物とは比
 
べものにならないほど長く、遊び続けることができるのです。」、「時間のむだづかいに
 
も見える「遊び」を長く続けられるのは、遊びの内容をどんどん変えていけるからです。」
 
いや~、これを読んで、ぼくが取り組んでる詩作のことやんか、と思った。ゴリラとは、
 
ぼくである。ぼくとは、ゴリラであったのだ~と叫んで、弟の子どもたちとふざけて、部
 
屋じゅう追いかけっこして騒いでいたら、突然、部屋に入ってきた弟に叱られた。ちょっ
 
とイヤな気がした。
 



死父


 朝、死んだ父に脇腹をコチョコチョされて目が覚めた。一日じゅう気分が悪かった。

 



寝るためのお呪(まじな)い


羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……

 
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
 
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
 
一晩中、羊たちは不眠症のひとたちに数えられて
 
ちっとも眠らせてもらえなかったので、しまいに
 
怒って、不眠症のひとたち、ひとりひとりの頭を
 
つぎつぎと、ぐしゃぐしゃ踏んづけてゆきました。
 



寝るためのお呪(まじな)い、ふたたび


棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……

 
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
 
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
 
一晩中、死んだ父親が目を見開いて棺から
 
つぎつぎ現われてくる光景を見ていたので
 
まったくちらとも眠ることができなかった
 



空気金魚


 人間の頭くらいの大きさの空気金魚が胸びれ腹びれ尻びれをひらひらさせながら躰をく

 
ゆらし、尾びれ背びれを優雅にふりまきながら、弟の差し出したポッキー状の餌を少しず
 
つかじっていた。空気金魚は、この大きさで、空気と同じ重さなのだ。ポッキー状の餌も
 
空気と同じ重さらしい。一人暮らしをはじめて三十年近くになる、広い屋敷は逆に窮屈だ、
 
そろそろ帰りたい、と弟に話した。弟は隣の部屋に入っていった。ドアが開いていたので、
 
つづいて部屋に入ると、空気娘たちが部屋のなかに何人も漂っていた。気配がしたので振
 
り返ろうとすると、弟がぼくの肩に手を置いて「兄さんは、興味がなかったかな?」と言
 
う。外見はぼくのほうが父親に似ていたが、性格は弟のほうが父親に似ているのだった。
 
まったく思いやりのない口調であった。
 



パーティー


 ぜったい嫌がらせに違いないと思うのだけれど、弟に屋敷を出たいと言ったつぎの日の

 
今日に、なんのパーティーか知らないけれど、パーティーが開かれた。空気牛や空気山羊
 
や空気象や空気熊や空気豚などが宴会場になっている大広間で空中にただよっているなか
 
に、弟に呼ばれた客たちが裸で牛や山羊や象や熊や豚などに扮して、かれらもまた空中に
 
ただよいながら酒や食事を空中にふりまきながら飲食や会話をしているのだった。不愉快
 
きわまる光景であった。あしたの朝いちばんに屋敷を出ることにした。
 



ブレッズ・プラス


 昼ご飯を食べに西院のブレッズ・プラスに行く途中、女性の二人組がぺちゃくちゃしゃ

 
べりながら、ぼくの前から近づいてきた。ぼくは、人の顔があまり記憶できない性質なの
 
で、もう覚えていないのだけれど、というのも、ちらりと見ただけで、もうケッコウとい
 
う感じだったからなんだけど、ぼくに近い方、道の真ん中を歩いてた方の女性が、ぼくの
 
出っ張ったお腹を見ながら、「やせなあかんわ。」と言いよったのだった。オドリャ、と
 
思ったのだけれど、まあ、ええわ。人間は他人を見て、自分のことを振り返るんやからと
 
思って、チェッと思いながらも、そのままやりすごしたのだけれど、ほんと、人間という
 
ものは、他人を見て、自分のことを思い出してしまうんやなあと、つくづく思った。パン
 
屋さんに入って、BLTサンドのランチ・セットを頼んでテーブルにつき、ルーズリーフ
 
を拡げると、つぎのような言葉がつぎつぎと目に飛び込んできた。「今、わたしの存在を
 
維持しているのはだれか?」(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)
 
「人間がその死性を免れる道は、笑いと絆を通してでしかない。それら二つの大いなる慰
 
め。」(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠への航海』下・第六部・5、冬川 亘訳)
 
「人生で起こる偶然はみな、われわれが自分の欲するものを作り出すための材料となる。
 
精神の豊かな人は、人生から多くのものを作り出す。まったく精神的な人にとっては、ど
 
んな知遇、どんな出来事も、無限級数の第一項となり、終わりなき小説の発端となるだろ
 
う。」(ノヴァーリス『花粉』 66、今泉文子訳)「人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を
 
払うこと。」(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)「細部こそが、すべ
 
て」(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)
 
「本質的に小さなもの。それは芸術家の求めるものよ」(フランク・ハーバート『デュー
 
ン砂丘の大聖堂』第二巻、矢野 徹訳)「人生はほとんどいつもおもしろいものだ。」
 
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遥訳)「そうした幸せは、まさしく
 
小さなものであるからこそ存在しているのだ」(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、
 
安藤哲行訳)「重要なのは経験だ。」(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)
 
「人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、」(ジェイムズ・エルロイ『キ
 
ラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)「経験は避けるのが困難なものである。」
 
(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』上・15、岡部宏之訳)
 
「すべての経験はわたしという存在の一部になるのだから」(ジーン・ウルフ『拷問者の
 
影』11、岡部宏之訳)「新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。」(エマソン『詩人』
 
酒本雅之訳)「レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われない
 
ってこと。書くんだ。」とぼくに言った。」(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』
 
通りで、安藤哲行訳)「われわれのかかわりを持つものすべてが、すべてわれわれに向か
 
って道を説く。」(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)「あらゆるものが、たとえどんな
 
につまらないものであろうと、あらゆるものへの入口だ。」(マイケル・マーシャル・ス
 
ミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)「創造者がどれだけ多くのものを被
 
造物と分かちもっているか、」(トマス・M・ディッシュ『M・D』下・第五部・67、松
 
本剛史訳)「作品と同時に自分を生みだす。というか、自分を生みだすために作品を書く
 
んだ」(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)
 
「人生の目的は事物を理解することではない。(……)できるだけよく生きることである。」
 
(ウィリアム・エンプソン『曖昧の七つの型』下・8、岩崎宗治訳)「生きること、生き
 
つづけることであり、幸せに生きることである。」(フランシス・ポンジュ『プロエーム
 
(抄)』VII、平岡篤頼訳)。
 



有理数と無理数


 学ぶことは驚くことで、学んでいくにしたがって、驚くことが多くなることは周知のこ

 
とであろうけれど、やがて、ある時点から驚くことが少なくなっていく。ぼくのような、
 
驚くために学んでいくタイプの人間にとって、それは悲しいことで、つぎの段階は、学ぶ
 
こと自体を学ばなければならないことになる。そのうえで、これまでの驚きについても詳
 
細に分析し直さなければならない。なぜ驚かされたのかと。その方法の一つは、単純なこ
 
とだが意外に難しい。多面的にとらえるのだ。齢をとって、いいことの一つだ。思弁だけ
 
ではなく、経験を通しても多面的に見れる場面が多々ある。ぼくたちが、時間を所有して
 
いるのではない。ぼくたちのなかに、時間が存在するのではない。時間が、ぼくたちを所
 
有しているのだ。時間のなかに、ぼくたちが存在しているのだ。まるでぼくたちは、連続
 
する実数のなかに存在する有理数のようなものなのだろう。実数とは有理数と無理数から
 
なる、とする数概念だが、この比喩のなかでおもしろいのは、では、実数のなかで無理数
 
に相当するものはなにか、という点だ。それは、ぼくたちではないものだ。ぼくたちでは
 
ないものを時間は所有しているのだ。ぼくたちでないものが、時間のなかに存在している
 
のだ。しかし、もし、時間が実数どころではなくて複素数のような数概念のものなら、時
 
間はまったく異なる2つのものからなる。もしかすると、ぼくたちと、ぼくたちではない
 
ものとは、複素数概念のこのまったく異なる2つのもののようなものなのだろうか。しか
 
し、ここからさきに考えをすすめることは、いまのぼくには難しい。実数として比喩的に
 
時間をとらえ、その時間のなかで、ぼくたちが有理数のようなものとして存在すると考え
 
るだけで、無理数に相当するぼくたちではないものに思いを馳せることができる。しかし、
 
それにしたって、じつは、ぼくたちではないものというのも定義が難しい。なぜなら、ぼ
 
くたちの感覚器官がとらえたものも、ぼくたちが意識でとらえたものも、ぼくたちが触れ
 
たものも、ぼくたちに触れたものも、ぼくたちではないとは言い切れないからである。こ
 
の部分の弁別が精緻にできれば、この分析にも大いに意義があるだろう。
 



チュパチュパ


 阪急西院駅の改札を通るとすぐ左手にゴミ入れがあって、隅に残ったジュースをスト

 
ローでチュパチュパ吸ったあと、そのゴミ入れに直方体の野菜ジュースの紙パックを捨
 
てるときに気がついたのであった、着ていたシャツのボタンを掛け違えていたことに。
 
朝は西院のマクドナルドを利用することが多くて、たいていは、チキンフィレオのコン
 
ビで野菜ジュースを注文して、あと一つ、単品のなんとかマフィンを頼んで食べるんだ
 
けど、今朝もそうだったんだけど、友だちと待ち合わせをしていて、野菜ジュースだけ
 
がまだ残っていて、でも時間が、と思って、ジュースを持って、店を出て、駅まで歩き
 
ながらチュパチュパしていたのだった。いや、正確に言うと、横断歩道では信号が点滅
 
していたし、車のなかにいるひとたちの視線を集めるのが嫌で、チュパチュパしていな
 
かったんだけど、それに、小走りで横断歩道を渡らなければならなかったし、改札の機
 
械に回数券を滑り込ませなければならなかったので、そんなに歩きながらチュパチュパ
 
していなかったんだけど、というわけで、改札に入ってから最後のチュパチュパをして、
 
野菜ジュースの紙パックをゴミ入れに投げ入れるまで目を下に向けることがなかったの
 
で、自分の着ているシャツの前のところが長さが違うことに、ボタンを掛け違えて、シ
 
ャツの前の部分の右側と左側とでは長さが違うことに気がつくことができなかったので
 
あった。「西洋の庭園の多くは均整に造られるのにくらべて、日本の庭園はたいてい不
 
均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、廣いものを象徴出來るからで
 
ありませう。」(川端康成『美しい日本の私』)「断片だけがわたしの信頼する唯一の
 
形式。」(ドナルド・バーセルミ『月が見えるだろう?』邦高忠二訳)「首尾一貫など、
 
偉大な魂にはまったくかかわりのないことだ。」(エマソン『自己信頼』酒本雅之訳)
 
「読書の楽しさは不確定性にある──まだ読んでいない部分でなにが起きるかわからない
 
ということだ。」(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)。
 



新しい意味


 赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。「言

 
葉同士がぶつかり、くっつきあう。」(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第四
 
部・22、黒丸 尚訳)よくぶつかるよい言葉だ。隣の言葉は、よくぶつかるよい言葉だ。
 
「解読するとは生みだすこと」(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・
 
71、土岐恒二訳)「創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかな
 
らない。」(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)
 
言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえの言葉に
 
言葉をのせて、とつづけて言葉をのせていって、そこで、一番下の言葉をどけること。
 
ときどき、言葉に曲芸をさせること。ときどき、言葉に休憩をとらせること。言葉には、
 
いつもたっぷりと睡眠を与えて、つねにたらふく食べさせること。でもたまには、田舎
 
の空気でも吸いに辺鄙な土地に旅行させること。とは言っても、言葉の親戚たちはきわ
 
めて神経質で、うるさいので、ちゃんと手配はしておくこと。温度・湿度・気圧が大事
 
だ。ホテルではみだりに裸にならないこと。支配人に髪の毛をつかまれて引きずりまわ
 
されるからだ。階段から突き落とされる掃除婦のイメージ。まっさかさまだ。ホテルで
 
は、みだりに裸にはならないこと。とくにビジネスホテルでは、つねに盗聴されている
 
ので、気をつけること。言葉だからといって、むやみに、ほかの言葉に抱かれたりしな
 
いこと。朝になったら、ドアの下をかならずのぞくこと。差し込まれたカードには、新
 
しい意味が書かれている。
 



無意味の意味


「芸術において当然栄誉に値するものは、何はさておき勇気である。」(バルザック

 
『従妹ベット』二一、清水 亮訳)たくさんの手が出るおにぎり弁当がコンビニで新発
 
売されるらしい。こわくて、よう手ぇ出されへんわと思った。きゅうに頭が痛くなって、
 
どしたんやろうと思って手を額にあてたら熱が出てた。ノブユキも、ときどき熱が出る
 
って言ってた。20年以上もむかしの話だけど。むかし、ぼくの詩をよく読んで批評し
 
てくれた友だちの言葉を思い出した。ジミーちゃんの言葉だ。「あなたの詩はリズムに
 
よって理性が崩壊するところがよい。」ルーズリーフを眺めていると、ジミーちゃんの
 
この言葉に目がとまったのだ。すばらしい言葉だと思う。以前に書いた「無意味という
 
ものもまた意味なのだろうか。」といった言葉は、紫 式部の『源氏物語』の「竹河」
 
にあった「無情も情である」(与謝野晶子訳)という言葉から思いついたものであった。
 
ジミーちゃんちの庭で、ジミーちゃんのお母さまに、木と木のあいだ、日向と木陰のま
 
じった場所にテーブルを置いてもらって、二人で坐ってコーヒーを飲みながら、百人一
 
首を読み合ったことがあった。どの歌がいちばん音がきれいかと、選び合って。そのと
 
きに選んだ歌のいくつかを、むかし、國文學という雑誌の原稿に書き込んだ記憶がある。
 
「短歌と韻律」という特集の号だった。ぼくが北山に住んでいた十年近くもむかしの話
 
だ。
 



詩と人生


 きょうは、大宮公園に行って、もう一度、さいしょのページから、ジョン・ダンの詩

 
集を読んでいた。公園で詩集を読むのは、ひさしぶりだった。一時間ほど、ページを繰
 
っては、本を閉じ、またページを開いたりしていた。帰ろうと思って、詩集をリュック
 
にしまい、さて、立ちあがろうかなと思って腰を浮かせかけたら、2才か3才だろうか、
 
男の子が一人、小枝を手にもって一羽の鳩を追いかけている姿を目にしたのだった。ぼ
 
くは、浮かしかけた腰をもう一度、ベンチのうえに落として坐り直して、背中にしょっ
 
たリュックを横に置いた。男の子の後ろには、その男の子のお母さんらしきひとがいて、
 
その男の子が、段差のあるところに足を踏み入れかけたときに、そっと、その男の子の
 
手に握られた小枝を抜き取って、その男の子の目が見えないところに投げ捨てたのだけ
 
れど、するとその男の子が大声で泣き出したのだが、泣きながら、その男の子は道に落
 
ちていた一枚の枯れ葉に近づき、それを手に取り、まるでそれがさきほど取り上げられ
 
た小枝かどうか思案しているかのような表情を浮かべて泣きやんで眺めていたのだけれ
 
ど、一瞬か二瞬のことだった。その男の子はその枯れ葉を自分の目の前の道に捨てて、
 
ふたたび大声で泣き出したのであった。すると、あとからやってきた父親らしきひとが、
 
その男の子の身体を抱き上げて、母親らしきひとといっしょに立ち去っていったのであ
 
った。なんでもない光景だけれど、ぼくの目は、この光景を、一生、忘れることができ
 
ないと思った。
 



人間であることの困難さ


 言葉遊びをしよう。言葉で遊ぶのか、言葉が遊ぶのか、どちらでもよいのだけれど、

 
ラテン語の成句に、こんなのがあった。「誰をも褒める者は、誰をも褒めず。」ラテン
 
語自体は忘れた。逆もまた真なりではないけれど、逆もまた真のことがある。一時的に
 
真であるというのは、論理的には無効なのだけれど、日常的には、そのへんにころころ
 
ころがっている話ではある。で、逆もまた真であるとする場合があるとすると、「誰を
 
も褒めない者は、誰をも褒めている。」ということになる。さて、つぎの二つの文章を
 
読み比べてみよう。「どれにも意味があるので、どこにも意味がない。」「どこにも意
 
味がないので、どれにも意味がある。」塾からの帰り道、こんなことを考えながら歩い
 
ていた。ぼくに狂ったところがまったくないとしたら、ぼくは狂っている。ぼくが狂っ
 
ているとしたら、ぼくには狂ったところがまったくない。じっさいには、少し狂ったと
 
ころがあるので、ぼくは狂ってはいない。ぼくは狂ってはいないので、少し狂ったとこ
 
ろがある。「おれなんか、ちゃろいですか?」「かわいい顔してなに言ってるんや。」
 
「なんでそんな目で見るんですか?」。「なんでそんな目で見るんですか?」いったい、
 
どんな目で見ていたんだろう。そういえば、付き合った子にはよく言われたな。ぼくに
 
は、どんな目か、自分ではわからないのだけれど。よく、どこ見てるの、とも言われた
 
なあ。ぼくには、どこ見てるのか、自分でもわからなかったのだけれど。「人間である
 
ことは、たいへんむずかしい」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)「人間であることはじ
 
つに困難だよ、」(マルロー『希望』第二編・第一部・7、小松 清訳)「「困難なこ
 
とが魅力的なのは」とチョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまう
 
からだよ」」(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』1、三田村 裕訳)「き
 
みの苦しみが宇宙に目的を与えているのかもしれないよ」(バリー・N・マルツバーグ
 
『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)ほんと、そうかもね。
 



放置プレイ


 さて、PC切るか、と思って、メールチェックしてたら、大事なメールをいったん削

 
除してしまった。復活させたけど。あれ、なにを書くつもりか忘れてしまった。そうだ、
 
オレンジエキス入りの水を飲んで寝ます。新しい恋人用に買っておいたものだけど、自
 
分でアクエリアス持ってきて飲んでたから、ぼくが飲むことに。ぼくのこともっと深く
 
知りたいらしい。ぼくには深みがないから、より神秘的に思えるんじゃないかな。「あ
 
つすけさん、何者なんですか?」「何者でもないよ。ただのハゲオヤジ。きみのことが
 
好きな、ただのハゲオヤジだよ。」「朗読されてるチューブ、お気に入りに入れました
 
けど、じっさい、もっと男前ですやん。」「えっ。」「ぼく、撮ったげましょか。でも、
 
それ見て、おれ、オ ナニーするかも知れません。」「なんぼでも、したらええやん。
 
オ ナニーは悪いことちゃうよ。」「こんど動画を撮ってもええですか。」「ええよ。」
 
「なんでも、おれの言うこと聞いてくれて、おれ、幸せや。」「ありがとう。ぼくも幸
 
せやで。」これはきっと、ぼくが、不幸をより強烈に味わうための伏線なのだった。き
 
ょうデートしたんだけど、間違った待ち合わせ場所を教えて、ちょっと待たしてしまっ
 
た。「放置プレイやと思って、おれ興奮して待っとったんですよ。」って言われた。ぼ
 
くの住んでるところの近く、ゲイの待ち合わせが多くて、よくゲイのカップルを見る。
 
西大路五条の角の交差点前。身体を持ち上げて横にしてあげたら、すごく喜んでた。
 
「うわ、すごい。おれ、夢中になりそうや。もっとわがまま言うて、ええですか?」
 
「かまへんで。」「口うつしで、水ください。」ぼくは、生まれてはじめて、自分の口
 
に含んだ水をひとの口のなかに落として入れた。そだ、水を飲んで寝なきゃ。「彼女、
 
いるんですか?」「自分がバイやからって、ひともバイや思うたら、あかんで。まあ、
 
バイ多いけどな。これまで、ぼくが付き合った子、みんなバイやったわ。偶然やろうけ
 
どね。」偶然違うやろうけどね。と、そう思うた。偶然であって、偶然ではないという
 
こと。矛盾してるけどね。
 



火の酒


 きょう恋人からプレゼントしてもらったウォッカを飲んでいる。2杯目だ。大きなグ

 
ラスに。ウォッカって、たしか、火の酒と書いたかな。火が、ぼくの喉のなかを通る。
 
火が、ぼくの喉の道を焼きつくす。喉が、火の道を通ると言ってもよい。まるでダニエ
 
ル記に出てくる3人の証人のように。その3人の証人たちは、3つの喉だ。ぼくの3つ
 
の喉の道を炎が通り過ぎる。3つの喉が、ぼくを炎の道に歩ませる。ほら、偶然に擬態
 
したウォッカが、ぼくの言葉を火の色に染め上げる。さあ、ぼくである3人の証人たち
 
よ。火のなかをくぐれ。3つの喉が、炎のなかを通り過ぎる。ジリジリと喉の焼き焦げ
 
る音がする。ジリジリと魂の焼き焦げる音がする。ジリジリと喉の焼き焦げるにおいが
 
しないか。ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。ジリジリと、ジリジリとしな
 
いか、魂は。恋人からのプレゼントが、炎の通る道を、ぼくの喉のなかに開いてくれた。
 
偶然のつくる火の道だ。魂のジリジリと焼き焦げる味がする。あまい酒だ。偶然がもた
 
らせた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。My Sweet Baby!
 
Love & Vodka! 「運命とは偶然に他ならないのではないか?」(フィリップ・ホセ・
 
ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・48、岡部宏之訳)「だれもが自分は自由だ
 
と思っとるかもしれん。しかし、だれの人生も、たまたま知りあった人たち、たまたま
 
居合わせた場所、たまたまでくわした仕事や趣味で作りあげられていく。」(コードウ
 
ェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)「すべては同じようにはかなく移ろ
 
いやすいものだ。少なくともそのために、束の間のものを普遍化するために書く。たぶ
 
ん、それは愛。」(サバト『英雄たちと墓』第II部・四、安藤哲行訳)「ぼくにとって
 
これが人生のすべてだった。」(グレッグ・イーガン『ディアスポラ』第三部・8、山
 
岸 真訳)「なんのための芸術か?」(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村
 
二郎訳)「作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?」
 
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)「言葉以外
 
の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?」
 
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)ウォッカ。火のようにあまくて、うまい酒
 
だ。喉が熱い。火のように熱い。真っ赤に焼けた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き
 
焦げるにおいがしないか。



TWZ150506-3(3) 41 Origines_Playing.jpg










最終更新日  2016年01月25日 07時09分00秒
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