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カテゴリ:テレビ・マスコミ
ボーリングと言っても、ガーター、ストライク!の、球ころがしじゃない。
地面を掘って、その上に建造物を作ってもだいじょうぶか調べる、あのボーリング。 沖縄で始まろうとしている海底ボーリング。 その上には、アメリカ軍の基地ができあがる。 アメリカ軍のヘリが落ちた。 この事故を知ったとき、沖縄・名護市辺野古に座り込む人たちの様子が頭に浮かんだ。 --こんな市街地に基地があるのは、やっぱり危ないじゃないか! --基地が移転することはずっと前に決まっているのに、なぜ計画は進まないのか! そんな声があがることが懸念された。 普天間基地の代替基地建設に反対して5ヵ月間にわたり座り込んでいる辺野古の人々。 その人々に対する風当たりがきっと強くなるだろう。 --辺野古がとっとと移転基地を作らせれば、ヘリが落ちることもなかったんだ! そんな論理で語るヤカラが必ず出てくる。 座り込む人々の多くを占めるお年寄りたちには、辛い風潮になっていく。 やはり、やっぱり、そうなった。 「お前らが、そんなところに座り込んでるから悪いんだ!」 そして、きょう。 那覇防衛施設局によって辺野古沖の調査が開始された。 アメリカ軍のヘリが大学構内に墜落した、その出来事は、新たな基地建設への追い風となった。 本土のマスコミはなにをしているのだろう? 沖縄のテレビや新聞は、日々、この問題を追い続け、 数多くの人々が基地の即時返還を求めて立ち上がっている。 しかし、その様子が本土のマスコミに取り上げられる率は限りなく小さい。 「冬ソナ」ブームで韓国を訪ねる女性が激増している? そんなこと、ゴールデンタイムのニュースで数分間の貴重な時間を使い、 国民に知らせるべきことなのか? 体を張って基地建設を阻止しようとしているおじいやおばあたちの姿が、 本土のテレビではほとんど見られない。 防衛施設局の調査がはじまりましたと、調査員の乗った船を映し出すのはそれでいい。 しかし、同時に、どのような反対運動が巻き起こっているのか、 その様子をもきちんと伝えて初めて“メディア”と呼べる。 沖縄のアメリカ軍基地からは、イラクに向けてアメリカ兵が飛び立っている。 辺野古の海岸で訓練を積んだアメリカ兵がイラクの人々の命を奪っている。 日本は既に戦争の当事者となっているのに、 兵隊を派遣している当の国民は、その大半が戦争を行なっている自覚がない。 「日本人は現状を認める名人だ」的なことを言ったのは、埴谷雄高さんだったろうか。 多少現状に対してぶつぶつとは言うものの、 やってしまったことは仕方ないじゃないか、というのがぼくらの姿勢。 追認追認で、いつの間にやら戦争へ。 満州事変から日中戦争へ向かうころの日本人と似ていると、最近、よく指摘されている。 60年前、ぼくらの胸に沸き起こったように、 自分自身の対応や判断を後悔するときが近い将来きっとくる。 外から帰ると、辺野古を取材している沖縄の記者からメールが来ていた。 海上に浮かぶ防衛施設局の調査船に向かって拳を突き上げるお年寄りたちは涙を流していたという。 「そのようす、見ていられなかった」 と、記者は書いている。 その姿こそヘッドラインであるはずなのに、きょうもニュースはピンぼけだ。 おじい、おばあの涙の意味を、あとを継ぐ者たちが身をもって知るのはいつのことだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.02.07 12:49:30
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