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あーら、不思議 この世はすべからず、 特殊性より日常性を中心として構成されている。 この当たり前のことを常に意識しておかねば、情勢判断を見誤る。 日常性の中で、目立ち、際立つのは特殊性であるからだ。 しかるに、世は特殊性に向かって進んでいる如し。 経営でも然りである。 経営は、複雑性。専門性へ激しい勢いで、進んでいる。 ファッションの流行と同様、経営が激しい流行の波に流されている、 といっても過言ではあるまい。 私は、ときおり何者か意図的に流行させいるのでは、 とすら思ったりする。 もとより物事には、「本質」があり、本質は不変、普遍のものである。 それが、ころころ変わることは、断じてあり得ないことである。 どう言い回そうと、そうした経営上の流行は、道具、スキルといった 脳力開発でいう「戦術」である。 だから戦術なら良し、とする。 許せないのは、 1に、戦術をことあたかも戦略、経営そのものが 変化しているが如き、言い回しである。 2に、経営そのもの 日常性から分離して、特殊性の方向へ引き込む動きである。 また、たとえどんな商品を作ろうと、扱おうと、 その帰結するところには消費現場であり、消費者である。 人間が生きていく術として消費しているのだから、当然である。 この消費者の消費が営まれている主なる場、 これが私のいう日常生活である。 だから経営の存在の中心、主流もまた日常の中に位置している。 それが特殊性、専門性という狭い世界で創られ、 押し流されてくる、といった風潮がとみに強くなっている。 そのことを私は杞憂しているのだ。 なぜなら、特殊性、専門性が高くなればなるほど、 普遍性、すなわち日常との乖離がでてくるからだ。 売れない時代といわれるが、私はこの乖離こそ、 マクロ的な根本要因だ、と思っている。 難しいことを難しく考えることは、解決にならない。 易しく考えれば、あら不思議、易しく解決できるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.21 09:29:58
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