JEWEL
日記・グルメ・小説のこと715
読書・TV・映画記録2705
連載小説:Ti Amo115
連載小説:VALENTI151
連載小説:茨の家43
連載小説:翠の光34
連載小説:双つの鏡219
完結済小説:桜人70
完結済小説:白昼夢57
完結済小説:炎の月160
完結済小説:月光花401
完結済小説:金襴の蝶68
完結済小説:鬼と胡蝶26
完結済小説:暁の鳳凰84
完結済小説:金魚花火170
完結済小説:狼と少年46
完結済小説:翡翠の君56
完結済小説:胡蝶の唄40
完結済小説:琥珀の血脈137
完結済小説:螺旋の果て246
完結済小説:紅き月の標221
火宵の月 二次創作小説7
連載小説:蒼き炎(ほむら)60
連載小説:茨~Rose~姫87
完結済小説:黒衣の貴婦人103
完結済小説:lunatic tears290
完結済小説:わたしの彼は・・73
連載小説:蒼き天使の子守唄63
連載小説:麗しき狼たちの夜221
完結済小説:金の狼 紅の天使91
完結済小説:孤高の皇子と歌姫154
完結済小説:愛の欠片を探して140
完結済小説:最後のひとしずく46
連載小説:蒼の騎士 紫紺の姫君54
完結済小説:金の鐘を鳴らして35
連載小説:紅蓮の涙~鬼姫物語~152
連載小説:狼たちの歌 淡き蝶の夢15
薄桜鬼 腐向け二次創作小説:鬼嫁物語8
薔薇王転生パラレル小説 巡る星の果て20
完結済小説:玻璃(はり)の中で95
完結済小説:宿命の皇子 暁の紋章262
完結済小説:美しい二人~修羅の枷~64
完結済小説:碧き炎(ほむら)を抱いて125
連載小説:皇女、その名はアレクサンドラ63
完結済小説:蒼―lovers―玉(サファイア)300
完結済小説:白銀之華(しのがねのはな)202
完結済小説:薔薇と十字架~2人の天使~135
完結済小説:儚き世界の調べ~幼狐の末裔~172
天上の愛 地上の恋 二次創作小説:時の螺旋7
進撃の巨人 腐向け二次創作小説:一輪花70
天上の愛 地上の恋 二次創作小説:蒼き翼11
薄桜鬼 平安パラレル二次創作小説:鬼の寵妃10
薄桜鬼 花街パラレル 二次創作小説:竜胆と桜10
火宵の月 マフィアパラレル二次創作小説:愛の華1
薄桜鬼 現代パラレル二次創作小説:誠食堂ものがたり8
薄桜鬼 和風ファンタジー二次創作小説:淡雪の如く6
火宵の月腐向け転生パラレル二次創作小説:月と太陽8
火宵の月 人魚パラレル二次創作小説:蒼き血の契り0
黒執事 火宵の月パラレル二次創作小説:愛しの蒼玉1
天上の愛 地上の恋 昼ドラパラレル二次創作小説:秘密10
黒執事 現代転生パラレル二次創作小説:君って・・3
FLESH&BLOOD 二次創作小説:Rewrite The Stars6
PEACEMAKER鐵 二次創作小説:幸せのクローバー9
黒執事 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:碧の花嫁4
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄1
火宵の月 芸能界転生パラレル二次創作小説:愛の華、咲く頃2
火宵の月 ハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁0
火宵の月 帝国オメガバースパラレル二次創作小説:炎の后0
黒執事 フィギュアスケートパラレル二次創作小説:満天5
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士2
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て5
薄桜鬼 現代妖パラレル二次創作小説:幸せを呼ぶクッキー8
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ5
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法7
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁12
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:幸せの魔法をあなたに3
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華14
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女0
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜18
火宵の月 昼ドラ大奥風パラレル二次創作小説:茨の海に咲く華2
火宵の月 転生航空風パラレル二次創作小説:青い龍の背に乗って2
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊1
火宵の月×薔薇王の葬列 クロスオーバー二次創作小説:薔薇と月0
金カム×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:優しい炎0
火宵の月×魔道祖師 クロスオーバー二次創作小説:椿と白木蓮0
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月10
火宵の月 遊郭転生昼ドラパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁1
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:それを愛と呼ぶなら1
FLESH&BLOOD 千と千尋の神隠しパラレル二次創作小説:天津風5
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母13
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫20
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黄金の楽園0
火宵の月 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:Ti Amo~愛の軌跡~0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳥籠の花嫁0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:蒼き竜の花嫁0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君0
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥6
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師4
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥27
火宵の月 転生昼ドラパラレル二次創作小説:それは、ワルツのように1
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計9
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~6
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華0
火宵の月 現代ファンタジーパラレル二次創作小説:朧月の祈り~progress~1
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:ガラスの靴なんて、いらない2
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師1
火宵の月 吸血鬼オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黎明を告げる巫女0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:光の皇子闇の娘0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:闇の巫女炎の神子0
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く1
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~2
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して20
天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿1
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:花びらの轍0
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達1
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔6
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~1
火宵の月 千と千尋の神隠し風パラレル二次創作小説:われてもすえに・・0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう8
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇2
火宵の月×天愛クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい4
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう)10
火宵の月×ハリー・ポッタークロスオーバーパラレル二次創作小説:闇を照らす光0
火宵の月 現代転生フィギュアスケートパラレル二次創作小説:もう一度、始めよう1
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:愛の螺旋の果て0
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風パラレル二次創作小説:愛の名の下に0
火宵の月 和風転生シンデレラファンタジーパラレル二次創作小説:炎の月に抱かれて1
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師0
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰2
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風昼ドラパラレル二次創作小説:砂塵の彼方0
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ルドルフは女性に連れられ、病院内にあるカフェで向かい合わせになって座っていた。「あなた、瑞姫とは一体どういうご関係なの?」「それはもう娘さんからお聞きになっていると思われますが?」ルドルフはそう言うと、水を一口飲んだ。「わたくしは血が繋がっていないとはいえ、瑞姫があなたのような方とお付き合いすることには反対ですよ。あの子は真宮家の大切な跡取りなんですからね。」女性は瑞姫を思っているように見えるが、この前の瑞姫と女性の会話を聞いたルドルフは、彼女が瑞姫の事を快く思っていないのだろうと感じた。「ミズキとは何度も身体を重ねた男と女の関係です。何か勘違いなさっておられるようですが、わたしは決してミズキとは遊びで付き合っているんじゃありません。」「まぁ、何て嫌らしいことを平気でおっしゃるの! あなたが良いように瑞姫を言いくるめて騙して、瑞姫の身体を弄んだに違いないわ!」女性はそう言うなり、グラスの水をルドルフにぶちまけた。お返しとばかりにルドルフも女性に向かってグラスの水を掛けた。「瑞姫と別れなさい。そうしないと酷い目に遭うわよ!」「ミズキとは別れるつもりはありません。」その後、黒塗りのリムジンが病院の正面玄関に停まり、真宮邸に着くまで車中は気まずい空気が流れていた。瑞姫の継母は絶えずルドルフを睨み付け、ルドルフも彼女を睨み返しており、そんな様子を瑞姫は何も言わずに見つめていた。 そんな彼らを乗せたリムジンが漸く真宮邸に着いた。真宮邸は高台に建てられ、昔ながらの武家屋敷には、明治時代に建てられた瀟洒な洋館が隣接している大邸宅であり、海を臨める中庭では錦鯉達が数匹、悠々と泳いでいた。「瑞姫様、ご無事で何よりです。」洋館の玄関ホールに瑞姫とルドルフが入ると、使用人達がそう言って一斉に彼女を出迎えた。それもその筈、半年間も失踪していた本家の娘が帰ってきたのだから、彼らが喜ぶのも当然だ。「お義母様、わたしは部屋で休ませていただきます。」そう言うと瑞姫は継母と目を合わせずにさっさと階段を上がっていった。久しぶりに自分の部屋に入ると、瑞姫は溜息を吐いてベッドに寝転がった。生まれてから18年間過ごしてきた家なのに、何故か自分がここに住んでいるという感覚が瑞姫には全くなかった。それよりも、ホーフブルクでルドルフと暮らしていた頃の方が、ホーフブルクの住人だという感覚が常にあった。 何よりも、ホーフブルクでルドルフとともに暮らしてきた時間が長いと感じていたのに、ここに戻って来てからその半分の時間しか経っていないことに瑞姫は驚いた。あの後―シリルに右肩を撃たれ、ルドルフに自分の血を飲ませた後一体何かあったのだろうか?何度思い出そうとしても、思い出せない。「ミズキ、入るぞ?」ノックの音がして、瑞姫はドアを開けた。「ルドルフ様、義母がどうやら失礼な事を言ったようで・・謝ります。」「謝らなくてもいいさ。それよりも傷の具合はどうだ?」「ええ、大丈夫です。あの、どうしてわたしの部屋がわかったんですか?」「お前の後を少しつけたんだ。ミズキ、今ここでしてもいいか?」ルドルフはそう言うと、瑞姫の華奢な腰に手を回した。「ええ。今日は排卵日ですから・・」瑞姫とルドルフは互いの唇を貪り合った。ルドルフはそっと瑞姫のワンピースの中に手を入れ、既に熱く潤っている部分に触れた。瑞姫はルドルフをベッドに突き飛ばすと、彼に馬乗りになった。「今日は積極的だな?」「だって、全然してなかったから・・」瑞姫はワンピースの裾を捲り上げると、ゆっくりと腰を落とそうとした。「姉様!」その時ドアが勢いよく開かれ、1人の男児が中に入って来た。「真珠(まじゅ)・・」瑞姫は慌ててワンピースの裾を下ろし、頬を赤く染めた。「姉様、その人誰?」男児はそう言うと、ちらりとルドルフの方を見た。にほんブログ村
2011.01.07
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シリルによって右肩を撃たれた瑞姫は治療を受け、一命を取り留めた。瑞姫が病室のベッドの上で目を開けたのは、病院に運び込まれて一週間後のことだった。「ミズキ。」彼女の傍には、ルドルフが手を握っている。「ルドルフ様、いつからここに?」「お前を病院に運んできた頃からだ。後遺症の心配はないと、医者が言っていた。」「そうですか・・良かった。」瑞姫がそう言って安堵の溜息を漏らすと、目の下に隈が出来ているルドルフを見た。「ごめんなさい、あなたに心配をおかけしてしまって・・余り休まれていないのでしょう?」「ああ。お前が心配で心配で堪らなかったよ。わたしが寝ている間にお前が死ぬのではないかとね。」「まぁ。わたしはこの通り大丈夫ですから少し横になって・・」瑞姫がそう言った時、病室の扉が開き、着物姿の女性が病室に入って来た。「瑞姫、その方はどなたなの?」女性はきっとルドルフと瑞姫を交互に睨み付けると、そう彼女に問い詰めた。「お義母様、彼はルドルフさん。わたしの大切な人です。」瑞姫は女性を見た。「まぁ、瑞姫! わたくしが知らない間にこんな年上の男と付き合っているなんて! あなたは真宮の娘だという自覚はないのですか!」「わたしと彼との事は真宮とは関係ありません! それに、わたしはお義母様のお世話にならずとも結婚相手は見つけましたから、どうぞお構いなく!」「何ですって? あなたという子は、いつからそんな生意気な口を利くようになったのです? ああ、やはりあなたは生まれてくるのではなかったわ!」女性は一方的にそう捲し立てると、病室から出て行った。(生まれてこなければ良かったですって? わたしだって、あんな家に生まれてきたくはなかった!)「ミズキ?」瑞姫が病室の扉からルドルフへと視線を移すと、彼は心配そうにルドルフを見た。「ごめんなさい、見苦しいところをお見せしてしまいまして。さっきの人は、わたしの継母です。」「あの綺麗な女性が? ではお前の実母は?」「わたしを産んでくれた母は、わたしと生まれた後に死別しました。」瑞姫の言葉が、全てを物語っていた。「ルドルフ様、これからあなたを色々と面倒な事に巻き込ませてしまうかもしれません。」「何を今更。わたしは、お前とともに生きてゆくことを決めたんだ。どんな事でも受け入れる。」「ありがとうございます・・」ルドルフは瑞姫をそっと抱き締めた。 瑞姫はルドルフに付き添われながら2週間後に退院の日を迎えた。「瑞姫。」病室に瑞姫の継母がやって来て、ルドルフを病室から追い出したのはその日の朝のことだった。「わたくしはあの男との結婚を絶対認めませんよ。あなたにはれっきとした家柄の許婚がいることを忘れないようにね。」「亜鷹兄様とは、別れました。」ワンピースに袖を通しながら、瑞姫はそう言って継母を見た。「なんですって?」「兄様は彼との事を認めて下さいました。」瑞姫はさっさと病室から出て行った。「お待たせいたしました。」ルドルフが俯いていた顔を上げると、そこには淡い水色のワンピースを着た瑞姫が立っていた。「大丈夫か? さっきあの女性と言い争っていたみたいだが?」「亜鷹兄様との事を聞かれたから答えただけです。」そう言うと、瑞姫はさっさと廊下を歩いていった。「あなた、ちょっとわたくしと来て下さらないこと?」ルドルフが瑞姫の後を追おうとした時、女性がそう言ってルドルフの手首を掴んだ。にほんブログ村
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暫く瑞姫を抱いて歩いていると、遠くから波の音が聞こえてきた。 ルドルフが俯いていた顔を上げると、遥か前方には松林が見え、その先には海が広がっていた。(一体ここは何処だ?)目の前に広がる新しい世界に驚きながらも、ルドルフは意識を失っている瑞姫を見た。道路があるのなら当然、人くらい通るだろう。ルドルフはそう思い、必死に助けを呼んだ。「誰か来てくれ、人が撃たれているんだ!」だが誰も来ない。やはりここでも自分は無力なままなのか―ルドルフがそう思っていると、前方から変な乗り物がやって来た。(何だ、あれは?)馬車と良く似ているが、御者も馬もおらずにそれは勝手に動いているし、振動もなく道路を滑るように走っている。好奇心を剥き出しにした目でルドルフがそれを見ていると、不意にドアが開いて中から人が出て来た。 変なものに乗っている人間もまた、奇妙な格好をした男で、鼠色のよれよれとした服を着ていた。彼はルドルフと、彼に抱かれている瑞姫を見ると、後ろのドアを開けた。どうやら、乗れということらしい。さっと優雅な動作で瑞姫を抱いたままその乗り物に乗ってドアを閉めると、それは再び道路を滑るように走っていった。 走ってから数分が過ぎただろうか、病院と思しき建物の前にそれは停まり、ルドルフはドアを開けてその中へと入っていこうとした。すると、男がルドルフを見て何かを言ったが、何を言っているのかが解らない。「ありがとう。」そう言って彼が男に頭を下げると、男は歯を見せて笑うとあの乗り物の中に入っていった。これは神の思し召しなのだろうか―ルドルフがそう思いながら病院の正面入り口から中に入ると、白衣の看護師や医師が慌てて彼の方へと駆けより、瑞姫を見た。車輪のついた担架のようなものを持ってきた医師が、瑞姫をそれに乗せようとしたのでルドルフは激しく抵抗した。やっと共に生きることを選んだのに、瑞姫を奪われてなるものか。「ミズキはわたしのものだ、彼女に触れるな!」そう叫ぶと、医師達は困惑した表情を浮かべていたが、その時すっと1人の若い医師がルドルフに英語で話しかけて来た。「彼女を治療するだけですから、心配ありませんよ。」医師の言葉を聞いたルドルフは抵抗を止め、瑞姫はそのまま担架のようなものに乗せられて廊下の向こうへと消えていった。(ミズキ、死ぬな! わたしにはまだ、お前が必要なんだ・・)赤いランプが点滅する部屋の前にある椅子に腰かけ、ルドルフは初めて神に瑞姫を助けてくれるよう祈った。 一方、巷では豪邸と名の通っているとある一軒の家の居間にある電話が鳴り響き、その家の使用人である家政婦が受話器を取った。「はい、真宮でございますが。」『奥様はいらっしゃいませんか?』受話器越しから聞こえて来た男の声が尋常なものではないと感じた家政婦は、女主人を呼んだ。「もしもし、お電話代わりましたわ。」『真宮さんの奥様でいらっしゃいますか? 実は、お宅の娘さんが病院に収容されています。』「病院!? 何処の病院ですの?」手で口元を覆い、そう叫んだ彼女は慌てて電話の傍にあるメモに何かを走り書きすると、それを握り締めた。「奥様、どうかなさったんですか?」「瑞姫が・・あの子が病院に居るってさっき警察から連絡があって・・」「瑞姫お嬢様が!?」「ええ。わたくしはこれからあの子の元に行ってきますから、留守番を頼むわね。」女性はそう家政婦に命じると、着物の袖をひらりと翻しながら居間から出て行った。にほんブログ村
2011.01.06
ルドルフは自分に銃を向けているシリルの言葉に耳を疑った。「何故だ? 何故わたしを殺そうとしている?」「お解りになりませんか、ルドルフ様? わたしは密かにあなたをお慕いしておりました。」シリルはそう言うと、自嘲めいた笑みを浮かべた。「いつから?」「あなたとともにウィーンへ行った時からです。わたしはあなた様のお傍にいられて幸せでした。けれども、唯の友人同士という関係では耐えきれなくなってしまいました。この想いを一生封じ込めるつもりでしたよ、ミズキさんがあなた様と出逢われるまでは。」シリルはじろりと瑞姫を睨んだ。「長い間あなた様と共にいたわたしが見向きもされず、ただ木の上から落ちて来たミズキさんがあなた様に愛される姿を見て、わたしの中で何かが崩れ落ちました。その日から、綿密にあなたと心中する計画を立てました。」「そんな、嘘だ・・」初めてシリルの本心を知ったルドルフは、呆然と彼を見た。「ルドルフ様、お命頂戴致します。」シリルが引き金を引こうとした時、彼の頸動脈から鮮血が噴き出し、彼は床に崩れ落ちた。「危ないところだったな。」亜鷹はそう言って血に塗れた刀を振るった。「う・・」ルドルフは瑞姫の呻き声に我に返った。「ミズキ、しっかりしろ!」「ルドルフ様・・」瑞姫は苦しそうに息を吐きながら、そっと自分の指をサーベルで傷つけ、滲みでた血を口に含むとルドルフの唇を塞ぐと、意識を失った。「ん・・」瑞姫の血を飲んだ途端、細胞がひとつひとつ甦って来るような感覚にルドルフは襲われた。「一体、何が?」「瑞姫がお前に血を飲ませた。彼女とともに生きろ。」亜鷹はそう言うと、ルドルフを見た。「勿論だ。」「そうか。では今の世には未練がないと受け取っていいんだな?」「ああ。もうわたしの皇太子としての役目は終わった。これからはミズキとともに新しい人生を生きる。」ルドルフはそう言って自分の腕の中で苦しげに呻く瑞姫を見た。彼女が纏っている真紅の振袖は、右肩の傷から流れ出る血によって暗赤色へと変わりつつあった。「もう行け、後はわたしがやっておく。」「すまないな。」ルドルフは服を着てコートを羽織ると、瑞姫を抱いて凍えた雪原へと飛び出した。漆黒の月がまるで彼を嘲笑うかのように仄かに2人の姿を照らす。(死ぬなよ、ミズキ!)助けを呼んでも、その声は虚しく闇へと消えてゆくだけ。この世の全てを手に入れたつもりでいたが、そんなものは全てまやかしだった。この時ほど、ルドルフは己が無力だということを思い知った。もう自分には地位も権力も、富も何もない。ただの、1人の人間になり下がったのだ。(馬鹿だな、わたしは。地位や権力よりも大切なものが、いつも自分の傍にあったのに。それに気づきもしなかった。)この腕の中の温もりが全てだと。ミズキがいつも、自分の傍に居てくれた。それなのに時々彼女を蔑ろにしてしまった。(神よ、どうかミズキを救ってくれ!)無神論者のルドルフは、カトリック国の皇太子でありながらミサを欠席し、神に一度も祈ったことなどなかった。それなのに今は、皮肉にもこうして神に祈っている。王になる代わりに、ミズキとともに生きると決断を下した時も、ルドルフは神にこう祈った。 どうか、命ある限りミズキとともにいられるようにと。にほんブログ村
1889年1月29日、マイヤーリンク。「皇太子様、わたし今とても幸せよ。」そう言ってマリーは、ルドルフの裸の胸にしなだれかかった。「わたしもだよ、マリー。」ルドルフは偽りの笑みをマリーに浮かべると、サイドテーブルの引き出しから拳銃を取り出し、彼女に向けた。「皇太子様、一緒に天国へ行きましょうね。」「ああ、勿論だとも。」ただし自分が逝くのは天国ではなく地獄だが。ルドルフはそう思いながら引き金に手を掛けた時、突然寝室の扉が乱暴に開け放たれ、数人の男達が乱入してきた。「なに、あなた達誰なの!」男達の姿に驚いたマリーは逃げようとしたが、その前にルドルフが彼女を殺した。「さよならマリー、君との恋人ごっこは楽しかったよ。」物言わぬ骸となったマリーを冷たく見下ろしながら、ルドルフはそう呟くと暗殺者達を見た。「オーストリア=ハンガリー帝国皇太子、ルドルフだな?」蝋燭に照らされた暗殺者は、反乱分子の1人だった。「ああ、そうだ。」「我らの理想の為に、死んで貰う。」カチリと撃鉄が起こされる音がして、ルドルフは静かに目を閉じた。(わたしはこの国の為にやれるだけのことはやった。後はこの命を捧げるだけだ。)もうこの世に思い残すことなどない。ルドルフがそう思った時、聞き慣れた誰かの声が聞こえた。「瑞姫、こっちだ!」シリルと亜鷹、瑞姫はウィーンを出てマイヤーリンクへと着いたのは、まだ夜が明けぬときだった。夏とは違い、冬のマイヤーリンクは一面雪に覆われ、彼らが走る度に雪がざくざくと音を立てる。(どうか、間に合って・・)ルドルフを死なせはしない。「くそ、馬車が・・遅かったか!」亜鷹はそう言って舌打ちした時、闇の中で長い銀髪が煌めいたかと思うと、緋禄がひらりと木の上から華麗に跳躍して瑞姫の前に立ち塞がった。「何処へ行くつもりじゃ、瑞姫?」「そこを退いて、緋禄。」「嫌じゃというたら?」黄金色の双眸を輝かせた緋禄は、そう言うと日本刀で瑞姫に斬りかかった。「わたしは、あなたと遊んでいる暇はないのよ!」瑞姫はそう怒鳴ると、長い銀髪を振り乱しながらサーベルを握り締め、その刃で彼の胸で貫いた。緋禄は大量に喀血し、白い地面が緋に染まった。「ルドルフ様~!」無我夢中に狩猟館へと走った瑞姫は、ルドルフの名を叫びながら彼が居る寝室へと向かった。扉を開けると、そこには数人の暗殺者達がルドルフに向かって今まさに銃口を向けて引き金を引こうとしていた。「彼から離れなさい!」憤怒を宿した黄金色の瞳で暗殺者達を睨み付け、そう叫んだ瑞姫は次々と彼らを斬り伏せた。「ミズキ・・ミズキなのか?」「そうです、瑞姫です。」瑞姫は全身返り血を浴びながら、そう言うとルドルフを抱き締めた。「わたしを迎えに来てくれたのか?」「ええ。一緒にわたしと・・」瑞姫がルドルフに笑みを浮かべた時、彼女の右肩を銃弾が貫いた。「ミズキさん、あなたの思い通りにはさせませんよ。」ルドルフは銃を構え、自分と瑞姫に向けて笑うシリルの姿に驚愕の表情を浮かべた。「シリル、何故・・」「何故って? ここであなたを殺してわたしも死ぬからですよ。」にほんブログ村
「あなたが、ミズキさんね?」「ええ。あなたが、ミッツィさんですね? どうしてわたしに手紙を?」「それがね・・」ミッツィは昨夜のルドルフの様子を瑞姫に伝えた。「ルドルフ様が、そんな事を?」「ええ。何だかルドルフ様は死に急いでいるように見えたわ。」ルドルフは、マイヤーリンクでマリーと死ぬつもりだ。そして自分の死を、ドイツの陰謀であることを皇帝に知らせ、この国を守ろうとしているのだ。それが、彼に出来る唯一の事だと信じて。(駄目・・そんな事をさせては。)「ありがとう、ミッツィさん。」「皇太子様があなたの事、愛していらっしゃることがわかったわ。あなたはとてもまっすぐで、大きな愛であの方を包み込むことができる。皇太子様を助けてあげて。」「ええ、必ず皇太子様をお助けいたします。」ミッツィと別れた後、瑞姫が視線を感じて振り向くと、そこには亜鷹が立っていた。「亜鷹兄様、教えて、緋禄が何を企んでいるのかを。」「瑞姫、それは無理だ。」「どうして、どうして兄様は知っているのにわたしには教えてくれないの? まだルドルフ様にわたしを取られたことを怒っているの?」「それは・・」亜鷹はそう口ごもると、気まずそうに俯いた。「わたしは、ルドルフ様を守りたいの! 彼には死んで欲しくないの! もう彼無しでは生きていけないの!」「瑞姫・・」「わたしはもう、彼が居ない世界なんて耐えられない! もし彼が死んだらわたしも死ぬ!」涙を流しながら必死に自分に訴える瑞姫の姿を、亜鷹は辛そうな顔で見た。(いつから、この子は強くなったのだろう?)まだつかまり立ちもままならぬ頃から、亜鷹は瑞姫とともに過ごしてきた。幼い瑞姫は泣き虫で、いつも自分の背に隠れていた。それがどうだろう、再会した瑞姫は美しく成長しただけでなく、誰かの命を救おうとこうして自分と向き合っている。何だか瑞姫を変えたルドルフが少し憎たらしく思ったが、2人の間にはもはや誰かが入る隙間が無いのだと亜鷹は解っていた。「わかった。耳を貸せ。」亜鷹はそう言って、瑞姫の耳元に何かを囁いた。 ドイツ大使館で行われているヴィルヘルム2世の誕生パーティーで、プロイセン式の軍服を纏ったルドルフは、マリーとワルツを踊った。公衆の面前で恥をかかされたシュティファニーはパーティーを退席し、ホーフブルクへと戻った。『愚かな小娘じゃ。せいぜい愚かな夢に溺れるがよい。』緋禄はそう言ってほくそ笑みながら、ルドルフと踊っているマリーを見た。だが彼の顔は、新たにパーティーにやって来た1組の男女の姿を見つけて強張った。そこには、夜会服に身を包んだシリルと、漆黒のドレスを纏い、ルドルフからプレゼントされたアメジストとダイヤのネックレスを首に提げた瑞姫が立っていた。「ミズキさん、本当に良いのですか?」「ええ。わたしは何としてでもルドルフ様を・・」瑞姫はそう言うと、マリーと踊っているルドルフの姿を見つけた。「ルドルフ様!」瑞姫の声を聞いたルドルフが、ゆっくりと彼女に振り向いた。「ミズキ、何故ここに?」「わたしは、あなたを・・」瑞姫がルドルフの手を掴もうとした時、マリーが苛々した様子で彼と瑞姫との間に割り込んで来た。「皇太子様、まだ踊り足りないわ。」そう言ったマリーは、にやりと瑞姫に向かって意地の悪い笑みを浮かべた。「ああ、わかった。」ルドルフはそう言うと、ちらりと瑞姫を見て声を出さずに唇だけを動かした。“すまない”と。にほんブログ村
また新しい年が明け、ルドルフと瑞姫はそれぞれの仕事に追われて慌ただしい毎日を送っていた。そんな中、ルドルフがマリーと頻繁に会っているという噂を聞き、瑞姫は心中穏やかではいられなかった。何だか、嫌な予感がするのだ。マリーはヴィルヘルムが指し向けた娘だということは薄々と解っていた。ルドルフは一体どうするつもりなのだろうかと瑞姫がそう思いながらレース編みをしていると、誰かがこちらへと向かってくる気配がした。「ミズキ、いる?」そう言ってドアをノックしてきたのは、フランツ=サルヴァトールと婚約したルドルフの妹・マリア=ヴァレリーだった。「ええ、おりますよ。ヴァレリー様、何か?」「あのね・・お兄様があの子とマイヤーリンクに行くんだそうよ。何だか嫌な予感がするの。」ヴァレリーはそう言うと、深い溜息を吐いた。(ルドルフ様が、あの子とマイヤーリンクに?)皇帝と口論した後、ルドルフは王宮に以前にも増して帰らなくなり、シリルも度々何日か帰らないこともあった。一体2人が何をしているのかは知らないが、ドイツの手先であるマリーをルドルフがマイヤーリンクに連れて行く理由は・・「ヴァレリー様、わたしがルドルフ様の事を必ずお守りいたします。この命に代えても必ず。」「そう。ミズキ、お兄様のこと、頼むわね。」ヴァレリーはそう言うと、そっと瑞姫の手を握った。「フラン様と、お幸せに。」心の中で渦巻く不安を押し隠しながら、瑞姫はそう言ってヴァレリーに微笑んだ。彼女の為にも、ルドルフを守らなければ。「おい、準備は出来ているか?」「ええ。」「これであの皇太子も終わりだな。」大使館職員の言葉を聞いた緋禄は、口端を歪めて笑った。 今夜もルドルフは、王宮には帰らずにミッツィの元へと向かった。「ルドルフ様、あの子が焼きもちを焼くのではなくて?」ミッツィがそう言ってルドルフにしなだれかかると、彼はこんな言葉を彼女に返した。「ミッツィ、わたしと一緒に死んでくれるかい?」「何を、おっしゃっているの?」ミッツィは驚愕の表情を浮かべながらルドルフを見ると、彼は真顔でミッツィを見つめていた。「君となら、死んでもいいと思ったんだ。どうだい?」「い、嫌だわ、そんな冗談をおっしゃるだなんて。」「そう、それが君の答えなんだね・・」ルドルフはそう言うと、ミッツィの前で十字を切った。「さようなら、ミッツィ。君と出逢えて良かった。」「皇太子様?」まるで今生の別れのような言葉を自分に言い、寂しげな笑顔を浮かべるルドルフの様子に、ミッツィは何かがひっかかった。「待って・・」ルドルフが邸から出て馬車に乗り込もうとするのを窓からミッツィは急いで階段を駆け下りて、彼の後を追おうとした。しかし馬車は既に走り出し、ミッツィが追いつけなかった。「皇太子様、あなたは一体何をお考えなの?」ミッツィの声は、漆黒の闇に溶けて消えていった。 一方マリーは、自室で家族に宛てた遺書を書いていた。『お母様、マリーは幸せでした。わたしが居なくてもお泣きにならないで・・』(お母様、これを読んだらお泣きになるかしら?)遺書を書き終えたマリーは、憧れの皇太子と会う日を楽しみにしていた。夜が明け、瑞姫の元に差出人不明の一通の手紙が届いた。“ウィーン市内のカフェでお会いしましょう。 ―ミッツィ―” 瑞姫が指定された場所へと向かうと、外のテラス席に座っていたミッツィがゆっくりと立ち上がり、彼女を見た。にほんブログ村
「ルドルフ様、皇帝陛下がお呼びです。」 侍従にそう言われ、フランツの私室へと呼び出された時点で、ルドルフは父親が何を自分に問い質したいのかが判った。案の定、彼は一枚の封筒を手にして怒りに震えていた。「ルドルフ、お前はシュティファニーとの離婚を許す手紙を法王に出したのか!」「ええ、そうです。」ルドルフがそう言うと、フランツの顔が険しくなった。「まだあの東洋娘と続いているのか? まだお前はあの娘と別れるつもりはないのか!」「ええ。ミズキとは別れません。父上、シュティファニーとの結婚は過ちでした。彼女もきっとそう思っていることでしょう。ですから・・」「もう良い、ルドルフ。お前には失望した! お前はわたしの跡継ぎには相応しくない!」フランツが放った言葉は、ぐさりとルドルフの胸に深く突き刺さった。 物心ついた頃から今日まで、皇太子らしく振る舞い、皇太子としての義務を果たす為だけに生きてきた。それなのに父の言葉は、その全てを―ルドルフ自身を否定したのだ。「父上、それを本気でおっしゃっているんですか?」「ああ、本気だ! お前は以前から新聞に過激な論文を投稿したり、反乱分子と密会していたり、ミッツィとかいう娼婦とは飽き足らずマリーとかいういかがわしい小娘と遊んでいたりして、お前は帝国の後継者としての自覚がない!」「父上・・あなたはわたしのことを、そう思っていらっしゃったのですか・・」今まで尊敬し、彼のような皇帝になりたいと思っていた。いずれは父のような皇帝に、自分もなるのだと思いながら今日まで生きて来たのに。それなのに―「わたしはもう、あなたを尊敬できません、父上。」「ルドルフ・・?」「わたしを殺すなり廃立するなりしてください。ではこれで失礼致します。」フランツはこの時初めてルドルフの様子がおかしいことに気づいたが、もう遅かった。「待ちなさいルドルフ、さっきは言い過ぎた!」慌ててルドルフを追おうとしたフランツだったが、ドアが閉められた音がもう息子との関係を修復できぬほどの深い亀裂が入った音だと彼は感じた。「ルドルフ様、どうなさいましたか?」瑞姫が自室で日記をつけていると、ノックもなしにルドルフが部屋に入って来るなり、瑞姫の手を掴んで彼女の身体を窓枠へと押しつけた。「足を開け。」「何をなさるんですか、おやめ下さい!」「言う通りにしろ!」「お願いです、許してください。月のものが来て今は・・」窓硝子にルドルフの冷たく光る蒼い瞳が映り、瑞姫は恐怖で身を震わせた。「お前までわたしを拒むのか? 父上のようにわたしを否定するのか!」「ルドルフ様・・」「どうして、みんなわたしを否定するんだ! わたしは今までやって来たつもりなのに・・精一杯してきた結果がこれか!」ルドルフの体温から伝わって来る、不安な彼の“気”。「ルドルフ様、わたしはあなたから逃げたりしませんから・・あなたを捨てたりなんかしませんから安心してください。」「ミズキ・・」ふと振り向くと、ルドルフは涙を流していた。「父上から見捨てられた。今までこの国の為に、民の為に必死でやってきたというのに・・どうして・・」「ルドルフ様・・」瑞姫はそっと、ルドルフを抱き締めた。少し手を伸ばし、彼の髪に触れた。「大丈夫です、わたしがずっとお傍におりますから。」(この方をお守りしないと。強くて凛々しいけれども、本当は繊細なこの方をわたしが支えなければ・・)首筋がルドルフの涙で濡れ、押し殺したかのような彼の泣き声が聞こえた。ルドルフと瑞姫が出逢って1年が過ぎようとしていた。にほんブログ村
マイヤーリンクの狩猟館は、広大な王宮と比べると少し小ぢんまりとした印象を瑞姫は受けた。「何だか静かな所ですね。」「そうだろう? 日頃の鬱憤を晴らす場所としてはいい所だ。」ルドルフはそう言うと笑った。そんな彼を見ていると、瑞姫は彼が抱える深い孤独を感じずにはいられない。ルドルフが幼少期に両親から充分な愛情を注がれずに育ったことは、マイヤーリンクを発つ前夜、彼の幼馴染であるシリルから聞いた。ルドルフとシリルの出逢いは、シリルが孤児院に居た頃にエリザベートとともに慰問に来ていたルドルフが湖で足を滑らせて溺れてしまったところを助けたことだという。「その頃からルドルフ様はハプスブルクの皇子としての振る舞いを為されておりました。いつも前を向いて、誰にも弱みを見せずに歩いておりました。」だがその反面、皇帝として多忙な父親と、各地を放浪する皇后から愛情を受けて育つことがなく、ルドルフの傍に居たのは厳格な祖母だけだった。今は亡き皇太后・ゾフィーは実の孫であるルドルフに厳しかったという。愛情を受けずに育った孤独な皇太子の友人となったシリルは、瑞姫と彼が出逢うまでいつも彼の傍に居たという。「これからはミズキさん、あなたがルドルフ様を支えてください。あなたの傍では、いつもルドルフ様は穏やかな笑みを浮かべております。」(これからはわたしが、ルドルフ様を支えてあげなければ・・)瑞姫の脳裡に、亜鷹の言葉が浮かんだ。ルドルフが何者かに殺されてしまうと。(わたしがルドルフ様をお守りしなければ。他の誰でもない、わたしにしかできないことだから・・)「・・ズキ、ミズキ?」はっと瑞姫が我に返ると、そこには怪訝そうな顔をしたルドルフが立っていた。「どうした?」「いえ・・とても素敵な所なので、つい見惚れてしまって。」「お前をここに連れて来たかった。気に入ってくれて良かった。」ルドルフはそう言うと、瑞姫に微笑んだ。「これからどうなさいますか? 遠乗りでも?」「そうだな、いい天気だし。」その日瑞姫とルドルフは、遠乗りをして昼食を緑の芝生の上で取った。いつもの多忙な時間とは違う穏やかな時間の流れに、2人は身を委ねた。「気持ちいいな。」「ええ・・」芝生の上で寝転がりながら、瑞姫とルドルフは互いの顔を見合わせて笑った。「このサンドイッチ、お前が作ったのか?」「ええ、シリル様と一緒に。あとエルジィ様もご一緒に作られましたよ。」瑞姫はそう言うと、エルジィが作ったサンドイッチをバスケットから取り出した。他のサンドイッチと比べると少し具が崩れたものだったが、ルドルフはそれをぺろりと平らげた。「美味いな。」「何だかここは時間が流れる速さがウィーンとは違いますね。ずっとこのままゆっくりと時が流れればいいのに・・」「ああ、そうだな。」マイヤーリンクで楽しい週末を過ごしたルドルフと瑞姫は、ウィーンで元の慌ただしい生活へと戻っていった。「ねぇ皇太子様、あのミズキとかいう女とはまだ続いているの?」久しぶりにマリーと会った夜、ルドルフはそう彼女に聞かれて一瞬答えに窮した。「彼女とは唯の友人だよ。君が考えているような関係ではないよ。」「そ、そう・・」見え透いた嘘を吐いても、ルドルフに夢中なマリーは簡単にそれを信じてしまう。彼女と付き合うのは後少しで終わりだ。今この場でマリーを絞め殺したい衝動に駆られていたルドルフだったが、それをぐっと堪えて彼女に微笑んだ。「皇太子様って、素敵だわ・・」愚かなマリーはルドルフの演技にすっかり騙されて、完全に熱を上げていた。翌日、ルドルフはフランツに呼び出された。にほんブログ村
2011.01.05
気まずい空気の中ヴィルヘルムとの茶会が終わり、瑞姫はほうっと溜息を吐いた。ふとルドルフを見ると、彼は険しい表情を浮かべて何かを考えていた。「ルドルフ様?」瑞姫がルドルフの肩を叩こうとした時、彼がゆっくりと瑞姫の方を振り向いた。「ミズキ、ヴィルヘルムには用心した方がいい。あいつは何かを企んでいる。」「ええ、わかりました。」その夜、瑞姫はまたルドルフに抱かれた。彼との子を流産してからもう2ヶ月以上が過ぎており、その間にも月のものが周期通りに来ていた。だが瑞姫はまたあのような悲しい体験をするのではないかと、彼に抱かれる度にそう思っていた。「ルドルフ様、お話があるのですが。」「なんだ?」「月のものはちゃんと来ているのですけれど・・」瑞姫はそう言って恥ずかしげに俯いた。その様子を見たルドルフは、彼女が何を言いたいのかが解った。「無責任な行動は慎んだ方がいいな。わたしだってお前を傷つけたくはない。」「ルドルフ様・・」今ではなくとも、いつか彼との間に子を産みたいと瑞姫は心からそう思った。一生日陰の身となっても、彼の傍に居られるのならそれでいいと思った。「ミズキ、今週末マイヤーリンクに向かう。お前も来るか?」「ええ。」ルドルフが新しい狩猟館を購入したことを瑞姫は知っていた。彼曰く、狩猟には格好の場所だというが、瑞姫は未だその地を訪れたことはなかった。「これから楽しみですね・・」翌朝、瑞姫は自分の部屋で日記を書いていると、ドアが誰かにノックされた。「どなた?」ドアを開けると、そこにはヴィルヘルムが立っていた。「な、なんですか?」「別に何も用はねぇよ。それよりもお前に会いたいって奴が居てな。」「わたしに・・会いたい方?」ヴィルヘルムが後ろに下がり、銀髪の少年が瑞姫の前に立った。「久しぶりじゃなぁ、瑞姫よ。」「あなたは・・緋禄?」瑞姫が少年の名を呼ぶと、彼は腕を伸ばし、瑞姫の首を絞めた。「気安くわしの名を呼ぶな、汚らわしい半妖が!」「どうしてあなたがここに? もしかしてルドルフ様を・・」瑞姫の言葉に、少年は口端を歪めて笑った。「お前が自由を満喫していられるのも今のうちじゃ。この方がこの国を支配する世となれば、そなたは籠の鳥じゃ。」「あなた達は何を企んでいるの? 一体何を・・」「それはお前には知らなくても良いことじゃ。あの皇子様に惚れておる馬鹿な小娘を少し使うだけよ。」緋禄はそう言うと、瑞姫の首から手を離した。「お前、あいつと知り合いなのか?」「ええ。わたしは昔も今も彼女の事が嫌いですが。何せ彼女はわたしの大切な兄を傷つけたのですから・・」静かな怒りを湛えた黄金色の瞳を光らせながら、緋禄はそう呟くと、ヴィルヘルムは笑った。「そうか。ではお前と俺の利害は完全に一致するということだな?」「そうでしょうね。」緋禄は口端を歪めて笑った。「あの娘はどうするのですか? 男爵令嬢とは名ばかりで皇太子に言い寄る姿が何かと鼻につきますが。」「まだあの娘には利用価値がある。切り捨てる時は切り捨てるだけだ。」「そうですか。」(亜鷹兄者、待っていてくれ・・兄者の恨み、この緋禄が晴らしてみせまする!) ヴィルヘルムがベルリンへと戻った数日後、ルドルフと瑞姫は馬車でマイヤーリンクへと向かった。どこまでも広がる緑の草原に、瑞姫は目を輝かせた。悲劇の舞台となる事を知らずに。にほんブログ村
ドイツ帝国の新皇帝・ヴィルヘルム2世がウィーン宮廷に来て、俄かに不穏な空気が流れ始めた。オーストリアとドイツは同盟国ではあったが、それは表面上のものだけで、オーストリアの広大な領地を虎視眈々と狙うドイツを警戒していた。―ねぇ、あの方って・・―ドイツの・・―嫌だわ、あんな田舎者が大きな顔をしてホーフブルクを歩いているだなんて・・ヴィルヘルム2世と彼の侍従達が廊下を歩いていると、女官達はそう囁きを交わしながら一斉に眉を顰めた。瑞姫は余り彼らとは目を合わせぬようにしながら、エルジィの部屋へと向かっていた。後少しで彼らの傍を通り過ぎようとしていた時、突然瑞姫は誰かに手首を掴まれた。「お前、今朝の女だな。」瑞姫が振り向くと、そこには獰猛な光を宿したヴィルヘルムが、彼女を見つめていた。「名は?」「ミズキと申します、陛下。急いでおりますので失礼を。」瑞姫はそう言ってヴィルヘルムの手を振りほどこうとすると、彼は手を緩めるどころかますます瑞姫の手首を掴んで離さない。「あの、お離しくださいませ。エルジィ様を待たせております故・・」「ミズキ、俺の茶会に来い。お前と色々と話がしたい。」「お断り致します。」瑞姫はヴィルヘルムに背を向けて歩こうとすると、彼は乱暴に自分の方へと彼女を引き寄せた。「ルドルフの女なんだろう? 余りあいつを困らせるような事をすべきではないと思うがな?」耳元でヴィルヘルムはそう囁くと、口元を歪めて笑った。「何をしている?」丁度ルドルフが通りかかり、瑞姫を抱いているヴィルヘルムを睨みつけた。「ヴィルヘルム陛下、その手を離してくださいませんか?」ヴィルヘルムは舌打ちし、瑞姫をルドルフの方へと突き飛ばした。「そうだ、ルドルフ様もわたしのお茶会に是非いらっしゃいませんか?」ルドルフとヴィルヘルムとの間で、小さな火花が散った。「ええ、是非伺わせていただきます。少しお聞きしたいこともありますので。」そう言ってにっこりと笑うルドルフだったが、目は笑っていなかった。「ではこちらへ。」ヴィルヘルムによって案内されたのは、王宮内の数ある部屋のひとつだった。そこには3脚の椅子だけがテーブルに置かれ、テーブルには3つのカップが置いてあった。部屋に入った瞬間から冷え冷えとした空気を感じた瑞姫は、思わず身を震わせた。「大丈夫か?」「ええ。」ルドルフが瑞姫を気遣う様子を見ていたヴィルヘルムは、何かを企んでいるかのような表情を浮かべた。暫くすると、女官達が淹れたての紅茶が入ったポッドと、焼き立てのアップルパイを載せたワゴンを持って部屋に入って来た。瑞姫は早くこの部屋から出て行きたいと思いながらも、アップルパイを一口大にフォークで切って食べた。甘酸っぱい林檎の味が口全体に広がったが、険悪な空気が流れている部屋の中では、美味しく感じられなかった。「あの、他の皆さんは? お茶会と聞いてもっと多くの方がお集まりになられるかと思いましたけれど・・」「いいえ、わたし達3人だけですよ。ルドルフ様には同年代として、皇族の先輩として色々とお話を伺いたいと前々から思っておりましたから。」「ほぉ、そうですか。」ルドルフはそう言って紅茶を一口飲んで笑ったが、目は笑っていない。険悪な空気の中、瑞姫はアップルパイをもう一口食べた。美味しい筈のパイは、何故か砂の味しかしなかった。画像は空に咲く花様からお借りいたしました。にほんブログ村
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「亜鷹・・兄様。」瑞姫は、かつての許婚の名を呼び、彼を見つめた。いつも袴姿の亜鷹は、今夜に限って漆黒のスーツを纏い、長い金髪を背中で一括りにして纏めていた。「兄様、どうしてそのような格好を?」「一族の方で動きがあった。緋禄は知っているな?」「緋禄?」その名を聞いた途端、瑞姫の脳裡にある光景が浮かんだ。何時の頃か解らないが、亜鷹といる時にいつも自分に敵意の眼差しを向けて来た銀髪の少年の姿を。「彼が、どうしたんですか?」「瑞姫、お前の力を欲している連中がお前を狙っている。」「それは一体、どういう意味で・・」亜鷹の視線が、瑞姫からルドルフへと移った。「彼は何者かの手にかかって死ぬだろう。その裏には、緋禄達が居る。」亜鷹はそう言うと、瑞姫に背を向けた。「待って兄様、どうして緋禄はルドルフ様を殺さなくてはいけないの? ねぇ、どうして・・」瑞姫が寝台から降りて亜鷹を追おうとすると、もう彼の姿はそこにはなかった。「兄様、わたしに何を伝えようとしているの?」瑞姫は微かな不安に襲われ、その夜は一睡も出来ずにいた。「どうしたの、お姉ちゃん? 眠いの?」エルジィはそう言ってちらりと欠伸をする瑞姫を見た。「ああ、すいませんエルジィ様。昨夜は少し忙しくて・・」瑞姫は椅子から立ち上がった拍子に楽譜を落としてしまった。彼女が身を屈め、それを拾おうとした時、エルジィは彼女の白い首筋に残る紅い痕に気づいた。「ねぇ、それ虫に刺されたの?」「え?」エルジィに首筋を指され、瑞姫は我に返った。「ええ。」まさかキスマークをエルジィに見られてしまうだなんてと思いながら、瑞姫は冷静に振る舞って彼女に微笑んだ。「お父様とは、仲直りしたの?」エルジィは蒼い瞳で瑞姫を見ながらそう尋ねてきた。その瞳は、ルドルフと同じものだった。「ええ。」「良かったぁ。わたしね、お父様も好きだけれどお姉ちゃんも大好き! だってお父様はお姉ちゃんと居るとお優しいんだもの。それに、お母様とは違ってお姉ちゃんは優しいし。」「エルジィ様はお母様のことをどう想われているのですか?」「わからない・・でも、お父様の事を悪く言うお母様は好きじゃない。お父様の事が大好きなのに・・」エルジィの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。両親の不和を、この幼い皇女は感じ取り、やがて大好きな父親が自分の前から居なくなってしまうのではないかという不安に駆られている。「エルジィ様・・」瑞姫は、涙を流している皇女をそっと抱き締めた。彼女にどう慰みの言葉をかけたらいいのかわからないが、かけたとしてもそれは何の意味も為さない。「お姉ちゃん、お父様を守ってくれる?」「ええ、お守り致しますよ。」(わたしが、ルドルフ様をお守りしなければ・・)エルジィの部屋を出た瑞姫は、向こうから歩いて来るルドルフの姿を見つけた。彼は白い軍服を纏い、左肩には黒い喪章を付けていた。その背後には、猛々しい空気を纏った青年が立っていた。瑞姫はそっとルドルフに会釈すると、彼はそっと瑞姫の手を握った。「今夜、部屋に来い。」ぼそりと甘い声で囁かれ、瑞姫は恥ずかしげに俯いた。その様子を見ていた青年がちらりと瑞姫を見た。猛禽類のような目を持った彼は、興味深げに瑞姫を見ると、廊下の角へと消えて行った。彼がドイツ帝国の新皇帝・ヴィルヘルム2世だということを瑞姫が知ったのは、その夜のことだった。にほんブログ村
一部性描写が含まれます。性描写が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。「そんな、誕生日プレゼントだなんて・・どうして判ったんですか?」「お前が着けていたアメジストのネックレスを見てな。アメジストは2月の誕生石だから、2月生まれだと思って。開けてみろ。」ルドルフはそう言って瑞姫に箱を手渡した。それは、ズシリと重かった。なんだろうと思いながら箱の蓋を開けると、そこにはアメジストの耳飾りとダイヤモンドのネックレスが入っていた。眩い光を放つそれらは、一見して高価なものだと判る。「こんな高価なもの、頂けません。」蓋を閉じて宝石をルドルフに返そうとすると、彼はそれを瑞姫に押し付けた。「お前にはいつも着飾って欲しいんだ。わたしの隣でいつまでも。」「え・・」今の言葉は、プロポーズだろうか。「でも、ルドルフ様には奥様が・・」「時間がかかるかもしれないが、法王に手紙を出す。」それはつまり、シュティファニーと離婚するということだ。英国のように国王が王妃との離婚の為にカトリックを棄教し、英国国教会という新しい宗教を作ることは、オーストリアに出来ない。なぜならば、オーストリアならびにハプスブルク家はローマ=カトリックとともに帝国の歴史を紡いできたからだ。その帝国の代表者であるルドルフが、カトリック国の王女であるシュティファニーを捨て、異教徒であり、貴族でもない自分を妻にしようとしている。そんな真似を、ルドルフにさせてはいけない。「ルドルフ様、はやまってはなりません。わたしは今あなた様のお傍に居るだけで充分です。ですから、シュティファニー様と離婚なさるだなんておっしゃらないでください。」「言っただろう、シュティファニーとの結婚は義務だと。もうこれ以上幸せな家族ごっこをするのはうんざりなんだ!」ルドルフはそう叫ぶと、苛立ちをぶつけるように寝室の壁を殴った。空気が振動した音に瑞姫はビクリと身を震わせた。「ルドルフ様・・」今夜のルドルフは、どこか違う。何か焦っているような、怯えているような感じがする。「着けてみろ。」瑞姫はダイヤモンドのネックレスを首に提げると、ルドルフは満足そうな笑みを浮かべた。「今度はお前が上になれ。」「え・・」今までルドルフとはいつも同じ体位でしていたので、彼にそう言われて瑞姫はどうすればいいのかわからなかった。ルドルフは瑞姫の手首を掴むと無理矢理瑞姫を立ち上がらせ、唖然としている瑞姫の下に寝そべった。「ゆっくりと腰を落とせ。」「はい・・」何度も身体を重ねたと言うのに、いつもとは違う体位ですると解った瑞姫は、その恥ずかしさで頬を赤らめながら、ゆっくりと腰を落とした。「あぁ!」自分の中にルドルフを受け入れた瑞姫は悲鳴を上げ、彼から降りようとしたが、腰をがっちりと掴まれて身動きが取れない。「どうした、動いてみろ。」蒼い瞳に射抜かれるように見られ、瑞姫は躊躇いがちに腰を動かした。最初は緩慢だったその動きは次第に激しさを増していった。腰下までの艶やかな黒髪を振り乱し、必死に声を堪えようとしているミズキの姿はとても淫らで、昼の凛々しい顔とは全く違う。彼女が動く度に、胸元でダイヤのネックレスが揺れながら眩い光を放つ。「お前はわたしのものだ・・わたしから逃げようなんて許さないからな。」「逃げません・・逃げませんから、もう・・」ルドルフは瑞姫の腰に爪を立てると、彼女は甲高い悲鳴を上げて絶頂に達した。自分の胸に倒れ込んで来た彼女の髪を撫でると、耳元で寝息が聞こえて来た。どうやら体力が限界に尽きてしまったらしい。彼女の細い背中を抱き締めながら、ルドルフは眠りに就いた。夜啼鶯の啼き声が、艶やかな夜の静寂を破った。「ん・・」喉の渇きを覚えて瑞姫が目を開けると、誰かが自分の手を握っていた。「久しいね、瑞姫。」にほんブログ村
瑞姫がラリッシュ伯爵夫人の言葉に何も返せないでいると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこう続けた。「あなたにだけは教えてさしあげるけれど、あの子と皇太子様を会わせたのはわたくしなの。」「あなたが・・?」瑞姫は驚愕の表情を浮かべながらラリッシュ伯爵夫人を見た。「どうして、そんな事を・・」「あのベルギーから来た田舎娘に身の程を知らせてやる為よ。皇太子様にはもっと相応しい相手があなた以外に居るとね。」彼女の鋭い眼差しから、瑞姫は逃れたいと思った。「あなたの時代はもう終わったの。エルジィ様のお気に入りだからって余り良い気にならないことね。」ラリッシュ伯爵夫人の言葉に瑞姫はただ打ちのめされ、暫く瑞姫は廊下に蹲って泣いた。(自惚れていたんだ・・)ルドルフと初めて結ばれた舞踏会の夜から、いつの間にか瑞姫の中でルドルフを独占したいという気持ちが湧きあがって来た。それと同時に、ルドルフが愛しているのは自分だけだと思い込んでしまったのだ。彼が自分以外の、同年代の愛人を作った今となっては、馬鹿だと思えてきた。ルドルフには星の数ほど女が居るし、自分もまたその1人なのだともっと早くに気づけばよかった。永遠の愛なんて、存在しないのだ。(馬鹿なわたし・・独りで勝手に舞いあがって、浮かれて・・)瑞姫はゆっくりと立ち上がると、前を向いて廊下を歩き始めた。人前では決して泣かない。泣くのは独りの時だけだ。早くエルジィの元に行かなければ。脳裡にあの愛らしい笑顔が浮かぶと、ラリッシュ伯爵夫人に傷つけられた心が少し癒された。「お待たせしてしまい、申し訳ありません。」そう言って瑞姫がエルジィの部屋に入ると、部屋の主はピアノの前に座っていた。「お姉ちゃん、エルジィ少しピアノが上手くなったよ。」エルジィは蒼い瞳―ルドルフに似た瞳でそう言うと瑞姫を見つめながら笑った。「そう、それは良かったですね。」マリーへの嫉妬、醜い己の本性をひた隠しながら、瑞姫はエルジィに笑顔を浮かべた。(わたしは綺麗じゃない・・醜い・・) その夜、ルドルフから呼び出され、瑞姫は久しぶりにスイス宮へと向かった。彼の部屋にはマリーが居るのだろうか。彼女はあの勝ち誇ったような笑みでルドルフにしなだれかかり、彼に愛されているのは自分だとアピールしてくるのだろうか。そんな事を思いながらも、瑞姫はルドルフの部屋の前でノックをした。中から人が動く気配がして、ガチャリと鍵が内側から開けられた音がして、ルドルフが瑞姫の前に現れた。「入れ。」「はい・・」部屋の中に入ると、そこにはマリーの姿はなかった。「あの、あの子は?」「マリーか? あんな小娘、わたしの趣味ではない。それにわたしはあんな野心家は嫌いだ。」ルドルフはそう言うと、瑞姫をそっと抱き締めた。「ミズキ、もう大丈夫か?」「ええ・・」ルドルフの言葉が何を意味するのかを知り、瑞姫は少し頬を赤く染めた。寝室に入ると2人は縺れ合うようにベッドに倒れ込み、久しぶりに愛し合った。何度も上りつめ、果てた後、瑞姫は熱で潤んだ黒い瞳でルドルフを見上げた。「ミズキ、わたしにはお前しかいない・・」「他の女人達にも、そんなお言葉を?」「馬鹿を言うな。」ルドルフはそう言うとさっと素肌にガウンを羽織ると、机の引き出しから長方形の箱を取り出した。「それは?」「誕生日プレゼントだ、随分遅くなってしまったが。」にほんブログ村
1888年4月12日、フロイデナウ競馬場。「皇太子様はどちらに?」「皇太子様は、フロイデナウ競馬場へと向かわれました。」「そう・・」ルドルフには女性の噂が絶えない。競馬場と聞き、彼は女性と会うのだと知った瑞姫は、嫉妬で胸が少し痛んだ。男の浮気は甲斐性だと言うが、ルドルフの事を心から愛しているが故に、自分だけを見てほしいと思ってしまう。誰と会うのだろうか。居ても経っても居られずに、瑞姫はフロイデナウ競馬場へと向かった。 一方フロイデナウ競馬場にある観客席よりもパドックが一際見渡せるロイヤル=ボックスでは、ルドルフがレースを鑑賞していた。だがルドルフにとってレースは余り関心がなく、あるのはこれから来るある人物だった。その人物はまだ来ない。(何かあったのか?)苛々しながらレースを見ていると、突然誰かが自分の手を握る感触がした。瑞姫かと思って振り向くと、そこには黒髪の少女が立っていた。「初めまして、ルドルフ皇太子様。」そう言って嫣然とした笑みを自分に向ける少女に、ルドルフは不快な表情を浮かべそうになったが、それを堪えて彼女に愛想笑いを浮かべた。「君は?」「マリー=フォン=ベッツェラですわ。あなたと出会えて嬉しいですわ。」「マリーか。可愛い名だね。」「まぁ、お世辞が上手いんですのね。」黒髪の少女―マリーはそう言うと、憧れの皇太子に自分の中で可愛いと思う笑顔を浮かべた。その様子を、陰からあの少年達が見ていた。『馬鹿な小娘よのう。』緋禄はそう呟くと、笑った。 フロイデナウ競馬場に着いた瑞姫は、ルドルフがいるロイヤル=ボックスへと向かった。様々な階級の者達が、目の前で繰り広げられる白熱したレースに熱狂していた。その人ごみの中を掻き分けながら、瑞姫は漸くルドルフの姿を見つけた。彼はロイヤル=ボックスで誰かと話をしていた。「ルド・・」ルドルフの元へと駆け寄ろうとした時、彼が話していた相手が瑞姫に見えた。それは、ルドルフとワルツを踊った舞踏会に居たあの少女だった。(そんな・・どうして・・?)少女が何かを言うと、ルドルフは笑顔を浮かべた。それを見た瑞姫は、嫉妬で胸がチリチリと痛んだ。自分の前でだけ見せる笑顔を、あの少女にルドルフは見せている。瑞姫の視線に気づいたのか、少女がゆっくりと彼を見た。彼女は意地の悪い笑みを浮かべ、わざとよろける振りをしてルドルフにしなだれかかった。やめて、と叫びたかったが、声が出ない。「どうした?」「すいません・・急に気分が悪くなってしまって。」マリーの見え透いた嘘をルドルフはすぐに見破ったが、彼女が誰かの指示で自分に会いに来たのかを知る為にわざと彼女の髪を撫でた。「大丈夫か?」「ええ。皇太子様、またお会いできますか?」「君が望むのならいつでも。」(ルドルフ様・・どうして・・)ルドルフが少女の目的を探っている裏で、彼の事を誤解した瑞姫は失意の中フロイデナウ競馬場から去った。 ルドルフの新しい愛人が17歳の男爵令嬢・マリー=ベッツェラであるということは、瞬く間にウィーンに広がった。その日の昼、瑞姫が廊下を歩いていると、ラリッシュ伯爵夫人と鉢合わせした。「ねぇあなた、いつまでここに居るおつもりなのかしら? もう皇太子様はあなたには興味はないのよ?」ラリッシュ伯爵夫人はそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべた。にほんブログ村
2011.01.03
謎の足音は、ルドルフが酒屋を出てからずっと聞こえてくる。 すぐに立ち止まり、尾行者の正体を暴きたいところだが、闇に包まれた路地では危険すぎる。ルドルフは溜息を吐くと、数メートル先に街灯を見つけ、そこへ早足で向かうと、さっとコートから拳銃を取り出した。「何者だ!」街灯の仄かな光が、尾行者の姿を照らし出した。尾行者は2人いた。どちらも銀髪紫眼で、纏っているのは日本のキモノだ。「すぐに気づかれてしまったなぁ、兄者。」左に居た少年がそう言って溜息を吐くと、右に立っていたもう1人の少年が舌打ちした。「煩いぞ、緋禄(ひろく)。」「わたしの質問に答えろ。答えなければ、お前達を撃つ。」ルドルフの言葉を聞き、少年達は笑った。「何が可笑しい?」「随分と威勢のいい皇子様じゃのう。」少年の1人が笑みを浮かべながらそう言うとルドルフに近づいた。「瑞姫を渡せば、そなたの命は助けてやる。」「ミズキとお前達とは何が関係あるんだ?」「瑞姫はわしら一族の媛(ひめ)じゃ。半妖で両性でありながら、わしらは瑞姫の絶大な妖力を欲しておる。瑞姫は一族の男と契る義務がある。」少年の話は俄かに信じがたいものであったが、ルドルフの脳裡にプラハでの出来事が浮かんだ。白銀の髪をなびかせ、黄金色の双眸で自分を見つめる瑞姫の姿が。「ミズキはお前達のことなど忘れた。だから彼女は渡さぬ。」「そうか。後悔するぞ、皇子様よ。」「緋禄、その位にしておけ。」不快な表情を浮かべながらもう1人の少年がそう言うと、少年は彼の方へと戻った。「また会おうぞ、皇子様よ。」2人は煙のように掻き消えた。ルドルフは溜息を吐くと、再び歩き始めた。 少年達が向かった先は、ドイツ帝国大使館だった。「只今戻りました。」「皇太子の様子はどうだったか?」「誰かと会っているようでした。」少年達から報告を受けた大使の顔が険しくなった。「それは誰か判るか?」「さぁ・・」左に立っていた少年―緋禄がそう言って首を傾げると、大使が彼の頬を強く打ち、緋禄は大理石の床に倒れ込んだ。「この役立たずが!」『おのれ、よくも・・』左に立っていた少年が鯉口を切ろうとした時、緋禄は慌ててその手を押さえた。『止めてくれ兄者。わしが悪いんじゃ。』『あやつらに従えというのか!?』『仕方なかろう。』少年は美しい顔を歪めると、鯉口から手を離した。「申し訳ございませぬ。」「もういい、行け!」大使館の奥にある部屋へと入ると、少年は腹立だしげにドアを蹴った。『兄者、短気は損気じゃ。あやつらはわしらの事を侮り、手駒として使おうとしている。じゃがのう、手駒として使っているのはわしらの方じゃ。』大使に打たれた頬を擦りながら、緋禄がそう呟くと少年は笑った。『そうだったな。』『最後に勝つのはわしらじゃ、兄者。』 翌日少年達は、ウィーンの街を歩きながら“彼女”の姿を目で追っていた。『兄者、あの女か?』『そうだ。』(今何か誰かに見られていたような・・気の所為ね。)マリー・ベッツェラは首を傾げながら歩き始めた。「マリー、あなたにお手紙よ。」母親から受け取った手紙には、こう書かれていた。“フロイデナウ競馬場にて、あなたの憧れの方と出会えます。”にほんブログ村
「で、話とは何だ?」ルドルフは司祭館にあるシリルの私室に入るなり、部屋の主を見た。「近頃彼らの間で不穏な動きがあります。」シリルの言葉を聞いたルドルフの美しい金色の眦が上がった。「そうか・・」最近ウィーンでは反ハプスブルクへの動きが高まりつつあり、その中でもある組織が帝国政府に対しての抗議文書をばら撒いたり、集会を開いたりしていた。 その中の何人かとルドルフは密かに連絡を取り合っているが、彼らには自分の正体を隠している。皇太子が反帝国組織の後押しをしていると知れたら、今まで計画してきた事が全て無に帰してしまう。「ルドルフ様、本当に・・本当になさるおつもりなのですか?」「何をだ?」「わたしが何も知らないと思っていらっしゃるんですか?」シリルはそう言うと、ルドルフを見た。その琥珀色の双眸に見つめられると、ルドルフは何故か嘘を吐けなくなる。昔から―幼い頃に出会った時から、彼の真っ直ぐな瞳を見つめられると金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまうのだ。「わたしは為すべき事を為す。シリル、あいつらに妙な動きがあったら知らせてくれ。」「わかりました。」シリルの部屋を出た後、ルドルフはちらりと中庭の方を見た。そこには、エルジィと遊ぶ瑞姫の姿があった。「エルジィ様、余り走っては危ないですよ。」「わかってるわよ。」そう言った途端、エルジィは派手に転んで強かに顔を打った。「まぁまぁ、お怪我はありませんか?」レースのハンカチを素早く出した瑞姫は、小さい皇女の額についた泥をそれで優しく拭った。その姿は、まるで実の母娘のようだった。微笑ましい光景をルドルフは暫く見つめると、険しい表情を浮かべながら私室へと戻りコートを羽織った後、密かに王宮を抜けだした。帽子を目深に被れば、誰も皇太子だとは気づく者は居ない。ヨーロッパ随一の美貌を持つ母・エリザベートに似た己の美貌は、相手に顔を覚えられてしまうというデメリットに気づき、彼らと接触する際は少し離れた席に座ることにしている。「ここか・・」王宮から少し離れたウィーン下町の片隅にひっそりとたたずむ一軒の酒屋を見ながら、ルドルフはその中に入った。ドアベルが鳴り、労働者の男達がちらちらと黒貂を衿元にふんだんに使ったコートを纏ったルドルフを見た。この店の客層は低所得者が多く、貴族の客が来るのはざらだ。もっと地味なコートにするんだったとルドルフはそう思いながら溜息を吐いた時、賑やかな笑い声とともに数人の男達が店の中に入って来た。(来たか・・)ルドルフは店主に彼らの分のワインを注文した。 中庭でエルジィと遊んだ後、彼女を世話係の女官に任せて瑞姫は自室へと向かった。茜色に染まってゆくウィーンの街並みを窓から眺めていた時、背後から強烈な視線を感じて瑞姫が振り向くと、そこには誰も居なかった。(気の所為かな。)瑞姫は部屋に入ると、夜着に着替えて浴室へと入った。湯船には温かい湯が使用人によって溜められていた。瑞姫が身体と髪を洗っていると、また視線を感じた。「そこに誰かいるの?」女官が控えているのかと思い、湯船から上がって外を見たが、誰もいなかった。何だか薄気味が悪いなと思いながら、瑞姫は寝室に入った。その時少し違和感を感じたが、さっさと寝台に横たわって眠りに就いた。「ではまた例の場所に。」「わかった。」ルドルフが酒屋を出て夜の路地を歩くと、微かに靴音が聞こえたような気がした。尾けられているな―ルドルフはコートの内側に隠した護身用の拳銃を確かめた。それはズシリと重く、冷たい感触がした。Photo by Abundant Shineにほんブログ村
ルドルフと瑞姫がデーメルを出てホーフブルクへと戻ると、ルドルフの娘、エルジィの部屋からピアノの音色が聞こえて来た。「ピアノのレッスン中だな。」「エルジィ様がお弾きになられているんですか?」「ああ。わたしも幼い頃休む暇も無くピアノのレッスンやヘブライ語、ラテン語の授業を受けていたな。」「そんな、まだエルジィ様は4歳になられたばかりですのに・・余り詰め込み過ぎては身体を壊してしまいます。」「お前の言いたい事は判るが、ハプスブルク家として生まれた以上、休む事は許されないんだ。王族というものは、常に国民の手本にならなければ。」瑞姫はルドルフの言葉を聞きながら、溜息を吐いた。王族というだけで普通の子どものように年相応に遊んだり、野原を駆けまわったりすることなく、王宮と言う名の牢獄に幽閉されて一生を過ごすなんて、悪夢のようだ。「あ、お父様。」瑞姫がそっとエルジィのレッスンをドアから垣間見ていると、エルジィがルドルフの姿に気づいてピアノを弾くのを止め、ルドルフの方へと駆け寄った。「エルジィ、少し上達したね。」「お父様に聞かせたくて、いっしょうけんめい練習したの。」「そうかい、それは嬉しいなぁ。」ルドルフの腕に抱かれたエルジィは、天使のような笑顔を浮かべた。「黒髪のお姉ちゃんも一緒なの?」父親譲りのエルジィの蒼い瞳が、ゆっくりとルドルフから瑞姫へと視線を移した。「お久しぶりです、エルジィ様。お元気そうで何よりです。」瑞姫はそう言うと、優雅に礼をした。「お姉ちゃん、ピアノ弾いて。わたし、お姉ちゃんのピアノが聞きたいの。」「エルジィ、お姉ちゃんはやっと怪我が治ったばかりなんだよ。我が儘を言ってはいけないよ。」「え~、でもわたし聞きたいだもの。」頬を膨らませ、拗ねるエルジィの姿が愛らしくて、瑞姫は思わず笑みが零れた。「解りました。1曲だけなら。」「やったぁ!」エルジィは瑞姫の手を掴むと、ピアノの方へと向かった。部屋の中央に鎮座する漆黒のピアノの前に腰を下ろした瑞姫は、ゆっくりと両手を黒白の鍵盤に滑らせ、脳裡に浮かんだ曲を弾き始めた。この物哀しい曲が大好きで、いつも時間がある時は弾いていた。この曲を弾く時は、あの女達の誹りを受けた事を忘れてしまうから。誰も観客がいなくても、構わなかった。ピアノだけが、唯一の自分の居場所だったから。瑞姫が演奏を終えると、辺りがシンと静まった。「あの・・」何か粗相をしてしまったのではないかと瑞姫が思い始めていた時、ルドルフが彼に微笑んだ。「ショパンの難曲を華麗に弾きこなせるとは、大したものだな。」「いえ・・昔弾いていた事を思い出しただけです。」「それにしてもお前の演奏は素晴らしかった。」ルドルフはそう言うと、瑞姫の頬にキスした。「お父様、エルジィもお姉ちゃんみたいに弾いてみたい。」「お前にはまだ無理だよ、エルジィ。お姉ちゃんみたいに上手く弾けるようになれるにはもっと沢山練習しないとね。」「ええ~!」父の言葉を聞き、嫌そうな声を上げたエルジィに、瑞姫は優しく微笑んだ。「大丈夫、エルジィ様ならきっと上手くお弾きになられますよ。」「じゃぁ、お姉ちゃんが教えてくれる?」「少しの間だけなら。」「お父様、いいでしょう?」「仕方無いね。ミズキ、済まないな。」「いいえ。」ルドルフがエルジィの部屋から出て行くと、そこからは娘の笑い声とピアノの音色が聞こえた。「ルドルフ様。」ルドルフが廊下を歩いていると、シリルがそう言って彼を呼び留めた。「シリル、どうした?」「少しお話がありまして。今宜しいでしょうか?」photo by Abundant Shineにほんブログ村
瑞姫がルドルフの子を流産してから1週間が経ち、バレンタインデーで世間は賑わっていた。それは宮廷に居る貴族達や女官達も例外ではなく、彼女達はこぞって高級菓子店のチョコレートを買い漁っては、意中の相手にそれをプレゼントしていた。そんな彼女達を、瑞姫は一線を画して何処か醒めた目で見ていた。瑞姫には誰かの為にチョコレートを作ったり、贈ったりする気はなかった。流産してから、自分だけが楽しんだりしてはいけないと瑞姫は思い始め、亡くした子への自責の念に苛まれていた。(わたし一人だけが楽しい思い出を作ってはいけない・・それは全て、あの子の為に・・)まだ本調子ではないものの、医師からはもう身体を動かしたり入浴してもいいという許可が出たので、床上げした瑞姫は身支度してアウグスティーナへと向かった。荘厳な祭壇が、ステンドグラスの光を受けて美しく輝き、瑞姫はその前に跪いて静かに祈りを捧げた。(わたしはこのまま、ここに居ていいのでしょうか?)祈りながら何度も祭壇を見たが、結局答えは出せず仕舞いだった。瑞姫が祭壇から背を向けて歩き出し、アウグスティーナから出ようとした時、ふと告解室が目に入った。「あなたの罪をお話しなさい。」狭い空間に瑞姫が入ると、そこにはあの黒髪の司祭、シリルが居た。「わたしは快楽に溺れた挙句、子を失ってしまいました。彼に愛されている間、わたしは幸せでした。彼の傍に居るだけで心の底から幸せな気持ちが溢れ出ましたが・・子を失った今は、もうそんな気持ちが湧きません。いつもあの子の事だけを・・この世に産まれずに亡くなってしまった子の事だけを考えしまうのです・・」瑞姫は涙を流しながらそう言葉を切ると、右手で下腹部を擦った。「よく話してくださいましたね。主はあなたの苦しみを解ってくださいます。あなたの子は天使となり神の御園で暮らしていることでしょう。その子はきっと、あなたの笑顔を望んでいる筈です。」シリルの琥珀色の瞳と、瑞姫の涙に潤んだ黒い瞳がぶつかった。「主は乗り越えられる試練しか与えません。あなたは今茨の道を歩んでいる。茨によってあなたの足と心は傷つき、血を流しているのかもしれませんが、その道には必ず終わりがあります。それを決めるのは、主ではなくあなた自身なのです。」「ありがとう・・ございます・・」シリルはにっこりと瑞姫に微笑んだ。 告解室を出た瑞姫は、聞きなれた靴音が近づいて来るのを感じて入口の方を見ると、そこには金モールの釦を煌めかせた漆黒の軍服を纏ったルドルフが立っていた。「ルドルフ様・・」「もう、身体の方は大丈夫なのか?」ルドルフはそう言うと、そっと瑞姫の髪を梳いた。「ええ・・あの、心配をおかけして申し訳ありませんでした。」「謝る事はない。それよりも、今日が何の日か知っているか?」ルドルフの言葉に、瑞姫は静かに頷いた。「この格好では行きにくい所だから、少し部屋で待っていてくれ。」「はい・・」ルドルフの部屋に入った瑞姫は、彼が着替えを終えるのを待った。「待たせたな。」軍服姿のルドルフは凛々しいが、私服姿の彼はそれ以上に優雅な雰囲気を纏っていた。「あの、どちらへ?」「着けば判る。」ウィーンの街を歩きながら、ルドルフはそう言って瑞姫に微笑んだ。その笑顔を見た瑞姫は、死んだ子の事を忘れずに前へ進もうと決意した。とあるカフェに着いた2人は、店員によって二階席へと通された。「ここは?」「デーメルだ。この店のザッハトルテをお前に食べさせたくてな。」暫くすると、店員がザッハトルテとコーヒーを持ってきた。「美味しいですね・・」「ああ。」2人の間に、穏やかな時間が流れた。photo by MOMENTにほんブログ村
2011.01.02
火照った素足を絡め合い、熱に溺れる。「ミズキ。」名を呼ぶと、花が綻ぶような笑みを自分に向けてくれる。艶やかな黒髪をそっと梳くと、それはさらさらと音を立ててするりと指の間から抜けてゆく。白い首筋から腹にかけて散る薔薇色の刻印。もっとその身体を貪る為に唇を塞ぐと、柔らかなその感触に興奮してそれを貪った。「皇太子様?」そっと唇を離すと、そこには瑞姫が熱を孕んだ瞳でルドルフを見つめていた。目の前に居るのは愛しい瑞姫なのに、何処かおかしい。ふと目を擦ると、そこには瑞姫ではなく、ミッツィがベッドに横たわっていた。「どうなさったの?」「いや、何でもない・・」ルドルフはそう言って行為を再開しようとしたが、先ほどまで感じていた熱がすっかり冷めきっていることに気づいた。「やっぱり、何かおありになったのね。」ミッツィはゆっくりとベッドから起き上がると、そっとルドルフの頬に触れた。「君には何もかもお見通しだな。」ルドルフは溜息を吐くと、ミッツィを見た。彼女を愛人として囲うようになったのはいつだったのか忘れてしまった。だが聡明でありながら美しく、それでいてそれを鼻にかけないミッツィには未だ魅せられている。そんな素敵な彼女でも、瑞姫の代わりにはなれない。「だって最近の皇太子様は黒髪の少女に夢中だと聞きましたもの。あなたがわたくしと居ることをその子が知ったら、焼きもちを焼くのではなくて?」ミッツィの言葉に、ルドルフの蒼い瞳が一瞬翳ったが、再び元の澄みきった火光を宿しながら彼は苦笑した。「そうかな・・彼女はあんまり嫉妬深い性格ではなくてね。年の割には落ち着いているよ。」「そう。でもそれは、余り人に弱みを見せたがらないんじゃなくて? あなたと同じように。」「ミッツィ、わたしは彼女の事を心から愛しているんだ。それなのに彼女を傷つけてばかりだ。彼女がわたしの子を流産しても、何も出来なかった・・」「余程愛していらっしゃるのね、彼女を。」わたくしよりも、という言葉を呑みこんで、ミッツィはルドルフを見た。「ああ。君は他の女の話をしているのに、嫉妬しないのかい?」「嫉妬なんて・・ヒステリーな女性はお嫌でしょう? それに、あなたがわたくし以外の方とどのようにお付き合いしているのか知りたいわ。」「・・君は本当に、頭が良い。」ルドルフは苦笑すると、ワインを飲んだ。「彼女と出逢ったのは昨年の冬頃だったかな。警官が彼女を追っていてね、猫のように木の上に隠れていた彼女は警官に発砲されてバランスを崩し、わたしの腕の中に落ちてきたんだよ。」「まぁ、ロマンチックな出逢いだこと。もっと聞かせて頂戴。」「そうかい・・」ルドルフは朝までミッツィに瑞姫との関係を話した。ミッツィは何も言わず、嬉しそうに瑞姫の事を話すルドルフの横顔を見ていた。(わたくしの前では、こんなに穏やかな笑顔を浮かべたことがない・・)いつも眉間に皺を寄せ、何処か気難しそうな顔をしているルドルフは、瑞姫のことを話している時だけは、穏やかな笑顔を浮かべている。それほど彼にとって、瑞姫の存在が大きなものなのだろう。(どうして、皇太子様はわたくしの所に来たのかしら?)「その方の所には戻らなくてもいいの?」「わたしはまだ、彼女をどう慰めたらいいのか判らないんだ・・ここでは沢山彼女に掛ける言葉が思い浮かぶのに、いざ本人を前にすると何も言えない・・」「皇太子様・・」ミッツィはそっと、ルドルフの逞しい肩に顔を預けた。「ミッツィ、わたしはどうすればいいのかな。いくら考えても判らないんだよ・・」「何も考えなくていいんじゃなくて? 余り考え過ぎると駄目になってしまうわよ?」その時初めてミッツィはルドルフの笑顔を見た。自分だけに向けられる笑顔を。にほんブログ村
―お前の所為で黒羽根は死んだんだ!女達の1人が、恐ろしい形相をしながら瑞姫を睨み付けながら言った。―お前さえ産まれてこなければ、あの子は死なずに済んだのに!女達の向こうには、母の仏壇と遺影があった。―人殺し!(わたしが母様を殺したの? わたしが産まれなければ、母様は・・)―お前はこの家に災いを呼ぶ子だ!悪夢にうなされながら瑞姫が目を開けると、そこには白い天井が広がっていた。下腹部に焼けるような痛みを感じて、瑞姫は先程医師から処置を施されたことを知った。「あなたはまだ若いし、まだ妊娠の可能性があります。余り気を落とさないでください。」「はい・・」医師の言葉に、瑞姫は力無く頷いた。何故こうなる前に、気づかなかったのだろうか。月のものが遅れている時点で医者にかかっていれば、こんなことにはならなかったのだ。妊娠していると判れば、もっと気をつけていたのに。今更後悔しても遅いのに、瑞姫は自らを責め続けていた。「ミズキ、入るわよ?」ノックの音がしたかと思うと、ドアの向こうで聞きなれた声がした。「どうぞ、お入りください。」ドアが開き、ルドルフの妹、マリア=ヴァレリーが部屋に入って来た。ヴァレリーはそっと瑞姫の手を握った。「お兄様から聞いたわ。赤ちゃん、残念だったわね。」「ええ。申し訳ありません、わたしがもっと気をつけていれば・・」そう言って俯く瑞姫の肩に、ヴァレリーはそっと触れた。「あなたの所為じゃないわ。それよりもこれからどうするの?」「わかりません、自分でも・・このまま、ルドルフ様のお傍に居る方が良いのか・・」「すぐに答えは出せないわよね・・でもミズキ、お兄様はあなたの事を愛しているの。それだけは忘れないであげて。」ヴァレリーが部屋から出て行った後、晴れていた空が急に曇り始め、やがて雨粒が窓を叩き始めた。(ごめんね、産んであげられなくて・・)ほんの数時間前には子宮に宿っていた新しい命に向かって瑞姫は気が済むまで詫び続けた。 雨は夜になっても病む気配はなく、土砂降りになった。ウィーンの街を皇太子の紋章が刻まれた馬車が走り、それは一軒の邸の前で停まった。「今夜は朝まで待たなくていい。」「ですが・・」皇太子専属の御者・ブラートフィッシュはそう言って邸の前に立つ主の顔を見た。彼は何処か寂しげな顔をしていた。「こんな酷い雨の中に済まなかったな。家に帰ったら身体を温めるといい。」「は、はい・・」馬車が次第にウィーンの街中へと消えてゆくを見送ったルドルフは、ゆっくりと邸の正面の扉にあるノッカーを叩いた。「どなた?」扉が開き、中から夜着を纏った黒髪の美女が出て来てルドルフを見た。「久しぶりだね、ミッツィ。」ルドルフはそう言って美女を抱き締めた。「どうしたの皇太子様、最近ご無沙汰かと思ったら・・何かあったのかしら?」「ああ、ちょっとね。ミッツィ、今夜はわたしを慰めてくれるかい?」「勿論よ。」美女―ミッツィ=ガスパルはそう言うと、にっこりとルドルフに笑うと彼の手を握り邸の中へと入った。雨は、未だに降り続けている。「ねぇお母様、わたし皇太子様にどうしてもお会いしたいの!」「マリー、あなたにはもっと相応しい方がいるわ。皇太子様の事はお諦めなさいな。」「お母様だって皇太子様の事を追い掛けていたじゃないの? わたしがお母様の代わりに彼を落としてみせるわ。見ていて、お母様。」マリーはそう言うと、屈託のない笑みを母親に浮かべた。にほんブログ村
ルドルフが皇太子妃の部屋に入った時、瑞姫が下腹部を押さえながら床に蹲っていた。 瑞姫の傍には紅茶のカップが転がっており、中の液体が上等なペルシャ絨毯に染みを作っていた。「一体何があった?」蒼い瞳で皇太子妃を睨み付けると、彼女は恐怖に顔を引きつらせた。「わ、わたしは何も・・」先程まで床に蹲る瑞姫を見下ろしながら勝ち誇ったかのような笑みを浮かべていた皇太子妃は、夫が冷たい瞳で自分を睨んでいることに気づき、彼から目を逸らした。その瞬間、ルドルフは彼女が瑞姫に何をしたのかを悟った。「お前、お前という奴は・・」獣の唸り声のような低い声でそう言うと、ルドルフは妻の頬を平手で打った。彼女は悲鳴を上げ、ルドルフから逃げようとしたが、ルドルフは彼女の髪を掴み何度も彼女を激しく打擲した。皇太子妃の悲鳴を聞きつけ、侍従達が慌てて部屋に入り、ルドルフと彼女との間に割って入った。「殿下、おやめください! お気を確かに!」老齢のロシェクと侍従達が数人かがりで漸くルドルフを皇太子妃から引き離した。その時彼の手には、皇太子妃から毟り取った彼女の髪が一房握られており、その持ち主は恐怖で泣き崩れていた。「もう一度ミズキに何かしてみろ。これで済むと思うな。」ルドルフはそう言うと妻に背を向け、床に蹲っている瑞姫をそっと抱き上げた。その時彼は、瑞姫が纏っているアイボリーのドレスが血に染まっていることに気づいた。「誰か、医者を!」(あなた、わたくしよりもその娘の方が大事なのですか? ベルギー王女であり、妻であるわたくしよりも?)「皇太子妃様・・」 瑞姫を医者に診せると、彼は妊娠7週目に入っていたが、腹の子は流れてしまった。ルドルフが部屋に入ると、医師から説明を受けた瑞姫は、彼から目を逸らした。「これから子宮内の残留物を取り除く処置を行いますので、申し訳ないのですが殿下・・」「処置?」瑞姫は不安そうな顔をして医師を見つめると、彼は笑顔を浮かべるとそっと瑞姫の手を握った。「大丈夫ですよ、麻酔を打ちますから。」「そうですか・・」瑞姫は安堵の表情を浮かべると、そっと夜着の袖を捲った。「後は、頼む。」突然の不幸に襲われ、嘆き悲しむ暇も無く呆然としている瑞姫を部屋に残して、ルドルフは静かに扉を閉じた。「ルドルフ様。」ふとルドルフが顔を上げると、そこには黒髪の司祭が立っていた。「シリル、どうした?」「申し訳ありません、わたしがミズキさんに救護院の手伝いをさせてしまったから・・」「お前の所為ではない、シリル。わたしがミズキを粗末に扱ったから、天上におわする神が新しい命を連れていったのだ。」「そのようなことは・・」シリルは自分の前で寂しげな笑みを浮かべているルドルフを抱きしめたい衝動に駆られた。「わたしはミズキを愛しているのに、傷つけてばかりだな・・」「ルドルフ様・・」去りゆくルドルフの背中を見送りながら、シリルは幼い頃の彼の面影を見た。広い王宮の中で、孤独という名の熱に独りで耐えていた彼の姿を。「お父様、どうしたの?」ルドルフが我に返ると、自分を心配そうに見つめる娘の姿があった。「どうして、悲しい顔をしているの? あの黒髪のお姉ちゃんは何処に居るの?」「エルジィ・・」ルドルフはそっと、娘を抱き締めた。この世に産まれてくることができなかった、新しい命の分まで。にほんブログ村
2011.01.01
あっという間に月日は過ぎ、新しい年を迎えたかと思えば、もう2月になろうとしていた。「こんにちは、シリルさん。」慣れぬ西洋の着物を身に纏いながら、瑞姫はそう言うと宮廷付司祭・シリルに向かって微笑んだ。「こんにちは、ミズキさん。ルドルフ様から最近体調を崩されていると聞きましたが、大丈夫ですか?」琥珀色の瞳でシリルは瑞姫を見つめながら言った。「ええ。少し食欲が落ちているだけですし、それ以外は何もありません。シリルさん、今日は何処へ?」外套を纏ったシリルを見て瑞姫がそう聞くと、彼はこれから救護院の手伝いに行くのだと答えてくれた。「わたしも、一緒に行っても宜しいですか?」「構いませんよ。あそこは人手が足りないので1人でも多ければ助かります。」そう言うとシリルはにっこりと瑞姫に微笑んだ。 シリルとともに救護院へと向かった瑞姫は、子ども達がシリルの姿を見るなり駆け寄って来るのを見た。「シリル先生だ~!」「シリル先生、ご本読んで~!」子ども達に囲まれて笑顔を浮かべるシリルの姿を、瑞姫は微笑ましく見ていた。ルドルフにも皇太子妃との間に幼い娘が居るが、彼が妻子と共に居る所を一度も見た事がない。以前皇太子妃と会った時、ルドルフは彼女との結婚は義務だと言ったが、本当にそう思っているのだろうか?国同士の“結婚”で夫婦となったルドルフと皇太子妃だが、彼は本当に皇太子妃の事を愛していないのだろうか?そして自分は、彼に愛される価値がある人間なのだろうか。そんな事を瑞姫が悶々と考えていると、不意に誰かにドレスを引っ張られる感覚がして、彼は我に返った。「お姉ちゃん、どうしたの?」ふと目線を下げると、7,8歳位の男児がじっと瑞姫を見つめていた。「少し考え事してたの。坊やは? お母さんは何処?」ドレスの裾を摘んだ瑞姫は身を屈め、男児と同じ目線になった。「お姉ちゃん、赤ちゃんどうするの?」「え?」男児の言葉に、瑞姫は眉をひそめた。「赤ちゃんって、坊やには弟か妹が居るの? それともお母さんのお腹の中に居るのかな?」男児は突然、瑞姫の腹に耳を付けた。「まだ何も聞こえないね。早くお姉ちゃんの赤ちゃんに会いたいなぁ。」「何言ってるの、わたしのお腹には赤ちゃんなんて居ないわよ?」「どうして? 僕お姉ちゃんの赤ちゃんに呼ばれて来たんだよ。」円らな翠の瞳に見つめられ、瑞姫は男児の言葉に狼狽した。 (あの子は一体、何を言おうとしていたんだろう?)王宮へと帰る道すがら、瑞姫は男児が言った言葉の意味を考えていた。月のものが遅れていることに気づいたのは、3日前のことだったが、ルドルフとの関係や宮廷内での揉め事に少し巻き込まれてストレスを抱えていたので、その影響なのだろうと瑞姫はそう思い込んでいた。「あら、こちらにいらしたのね。」スイス宮へと向かっていた瑞姫を、皇太子妃付の女官が目敏く見つけて彼に声を掛けた。「あの、皇太子妃様がわたしに何かご用でしょうか?」「お茶会があるから、すぐに来てくださらないこと?」余り皇太子妃とは顔を合わせたくないが、断れる立場でもないので瑞姫は仕方なく彼女の部屋へと向かった。「ミズキ、よく来て下さったわね。あなたの為にわざわざ英国から仕入れた紅茶を淹れたのよ。さぁ、お飲みなさいな。」皇太子妃シュティファニーはそう言うと、何処か裏がありそうな笑顔を瑞姫に浮かべた。「いただきます・・」紅茶を一口飲んだ途端、下腹部に激痛が走り、瑞姫は床に蹲った。「のこのこ来て毒を呷るなんて、馬鹿な子だこと。」シュティファニーの乾いた笑い声が、部屋にこだました。聞きなれた靴音が近づいてくるのを感じた瑞姫は、そこで意識を闇に堕とした。Photo by ミントBlueにほんブログ村
2010.12.31
ルドルフは呆然と、白銀の髪を靡かせた瑞姫を見ていた。あれは本当に、自分が愛している瑞姫なのだろうか。「ミズキ。」恐る恐る彼が瑞姫に呼びかけると、彼はゆっくりとルドルフの方を振り向いた。黄金色の双眸は禍々しい光を宿し、きらきらと輝く白銀の髪は自らの血に濡れていた。「ミズ・・」ルドルフが瑞姫の元へと駆け寄った時、彼が首に提げているアメジストのネックレスが粉々に砕けていることに気づいた。恐らく亜鷹に斬られた時に砕けてしまったのだろう。「ああ、何ということだ! 今まで、封じてきたのに!」背後で狼狽した亜鷹がそう叫んで頭を抱えた。「あのネックレスに何を封じていた?」ルドルフは撃鉄を起こしながらそう言うと、亜鷹は溜息を吐いて彼にこう告げた。「瑞姫の・・妖力だ。瑞姫は半妖の両性でありながら、わたし達よりも凄まじい妖力を生まれながらにして持っている。その力は瑞姫にとっては重荷以外の何物でもない。だからわたしは、あのネックレスに妖力を封じ込めた。せめてあの子が・・幸せになれるように。」「そうか・・」周囲を圧倒するかのような凄まじい妖気を纏った瑞姫を、ルドルフはじっと見つめた。彼はもう、自分が知っているミズキではない。妖力を封じた石が砕けた今、もう自分にはどうすることもできない。「瑞姫の妖力を再び封じ込めるには、お前の血を飲ませることだ。だがそれはほんの一時凌ぎにしか過ぎんが。」ルドルフはサーベルで自分の掌を傷つけると、滲み出た血を口に含んだ。瑞姫はじっとルドルフを見ていた。彼が顎を持ちあげ、自分の唇を塞ぐ感触がして、瑞姫は彼の背中に両手を回した。口内に彼の血が入ってくるのがわかり、瑞姫は喉を鳴らしてそれを嚥下した。すると髪と瞳の色が元の色へと戻った。「ルドルフ様・・?」「元に、戻ったな。」ルドルフはそう言うと、瑞姫に微笑んだ。「瑞姫。」悲しそうな声で亜鷹に呼ばれ、瑞姫はゆっくりと彼の方へと振り向いた。「兄様、わたし・・」「何も言わなくていいよ、瑞姫。お前はもう、彼なしでは生きられないのだね。わたしは、お前の事を諦めるよ。」亜鷹はそう言うと、悲しげに瑞姫に微笑んだ。「兄様・・」亜鷹は瑞姫から背を向け、ゆっくりと闇の中へと消えていった。しんしんと降り積もる雪がプラハの街を白く染め上げる中、瑞姫は汚れた身体を洗おうと、ルドルフの部屋から出ようとした。「何処へ行く?」「井戸へ行こうと思って・・」「また風邪をひくつもりか? こちらへ来い。」ルドルフはそう言うと、そっと瑞姫の手を握ると浴室へと入った。そこには湯気が立った猫足の浴槽があった。「一緒に入ろうか。」「え、そんな・・」「今更何を恥ずかしがっている?」狭い浴槽の中でルドルフと瑞姫は身を寄せ合いながら、互いの身体を洗った。ルドルフの手が局部へと伸びた時、瑞姫は変な声を出してしまった。「どうした?」「あの、そこは自分で・・」ルドルフは瑞姫の局部を愛撫すると、瑞姫は恍惚とした表情を浮かべながら嬌声を上げた。彼はそっと、瑞姫の手を自分の局部へと導いた。湯が撥ねる音と、2人が睦み合う音が浴室内に響いた。「ミズキ、愛している・・心から・・」「わたしもです、ルドルフ様・・」瑞姫はそう言うと、ルドルフの胸に頭を預けた。にほんブログ村
「さぁ、わたしたちと帰りましょう。」妖艶な美女はそう言うと、にっこりと瑞姫に向かって微笑んだ。「嫌・・」瑞姫はルドルフにしがみついた。「なかなかいい男を見つけたものねぇ。」美女はルドルフを見ながら舌なめずりした。「とても美味そうな肝を持っていそうねぇ、早速味見しちゃおうかしら?」「ルドルフ様に手を出さないで!」瑞姫はきっと美女を睨んでそう叫ぶと、彼女は美しい顔を顰めた。「相変わらず生意気だこと・・」美女はぼそりとそう呟くと、瑞姫に向かって念の塊をぶつけた。瑞姫は悲鳴を上げ、石畳の地面に転がった。「ミズキ!」ルドルフが瑞姫の方に駆け寄ろうとした時、路地裏から1人の男が日本刀でルドルフに斬りかかろうとした。「お前の相手はこのわたしだ!」紫紺の瞳を憎悪で滾らせた亜鷹の刃を、ルドルフは咄嗟にサーベルで受け止めた。「う・・」瑞姫は呻きながら立ち上がろうとすると、間髪いれずに美女が次の攻撃を仕掛けた。かまいたちによって瑞姫の全身から紅い血が噴き出し、彼は悲鳴を上げた。「こんな者が亜鷹の・・息子の嫁になるのだと思うと吐き気がするわ。あの子はこの子の何処が気に入ったというのかしらねぇ?」美女は瑞姫に跪くと、毒を含んだ言葉を吐きながら瑞姫を見た。「あなたには、死んで貰わないとね。」美女は呪を唱えて念の塊を瑞姫に放とうとしていた頃、ルドルフは亜鷹の攻撃に押されていた。「くっ・・」得物の大きさは同じなのに、圧倒的な力の差がある。「どうした、もう終わりか?」じりじりと亜鷹に押されながら、ルドルフは何とかこの状況を打開できないかどうか考えていた。ちらりと瑞姫の方を見ると、美女が彼を殺そうとしていた。「ミズキ!」ルドルフの気の緩みを捉えた亜鷹は不敵な笑みを浮かべると、彼の向う脛を蹴った。「死ね!」雪夜の中で、刃が酷薄な光を放った。「やめて!」ルドルフの前で、瑞姫が亜鷹の刃を受け、胸から鮮血を噴き出した。「瑞姫、何故だ・・何故、その男を庇う?」紫紺の瞳を驚きで見開かせながら、亜鷹は呆然と瑞姫を見つめた。「ルドルフ様は・・わたしの大切な人だから・・」瑞姫はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。「良かったわ、手間が省けて。」美女は亜鷹の肩を叩くと、にっこりと笑った。「母上・・わたしは・・」「こんな子、殺してもあなたは罪に問われないわ。さてと、本当に死んでいるのか確かめないと・・」美女が瑞姫に跪き、彼に触れようとした時、凄まじい妖気が彼女を襲い、美女は悲鳴を上げて煉瓦の壁に叩きつけられた。「ミズキ?」死んだ筈の瑞姫がゆっくりと目を開いた。彼の艶やかな黒髪はみるみると白銀へと変わり、人懐こい黒い瞳は、冷たい光を帯びた黄金色の瞳へと変わっていった。瑞姫はゆっくりと立ち上がると、憎しみの籠った黄金色の双眸で地面に蹲る美女を睨みつけた。「おのれ・・」姿を掻き消そうとした美女の首を、瑞姫は万力のように締め付けた。「瑞姫、やめろ!」骨が折れる嫌な音が路地に響き、美女はぐったりとして動かなくなった。image by【Moment】にほんブログ村
2010.12.30
「どうだ?」急遽プラハの視察を取りやめ、ホーフブルク宮内にある寝室から出て来た侍医をルドルフはそう言って見た。「ただの風邪です。休養を取れば大丈夫でしょう。」侍医はルドルフに頭を下げると、執務室から出て行った。ルドルフが寝室に入ると、寝台では熱を出した瑞姫が苦しそうに息を吐いていた。「ミズキ、大丈夫か?」「ええ・・それよりもルドルフ様、プラハへはまだ・・」「視察は取りやめた。わたしの所為でお前が熱を出してしまったのだからな。それに聖夜をお前と迎えたいし。」「そんな、わたしは何も用意していないのに・・」一国の皇太子であるルドルフが公務を取りやめ、何の後ろ盾もない自分の看病をするだなんて、あってはならないことだと瑞姫は思った。「ルドルフ様、わたしの事はいいですから視察に・・」「わたしお前と居たいんだ、ミズキ。お前はわたしと居るのが嬉しくないのか?」ルドルフの蒼い瞳が冷たい光を放ちながら瑞姫を見た。「それは・・」「あいつが、居るからか?」「そんな事は決して・・」瑞姫が次の言葉を継ごうとした時、ルドルフは背を向けた。(わたしは、あなただけを愛しているのに・・)固く閉ざされた扉の向こうで、瑞姫は涙を流した。 プラハへと発ってから、ルドルフは時折仕事の手を休めて窓の外を見つめていた。ウィーンでは瑞姫が今も苦しげな息を吐きながら自分の帰りを待っているのだろうか。(ほんの数日だというのに、ミズキが恋しくなるだなんて・・)数日後にはウィーンに戻るというのに、ミズキの温もりを無意識のうちに求めてしまっている自分がいる。今まで星の数程の女達と肌を合わせてきたが、これほどまでに相手の存在を心から欲することなど一度もなかった。だがミズキと出逢い、心を通わせるようになってから、いつも隣に彼がいるということが日常になりつつあった。初めてミズキと離れることとなり、ルドルフは彼の事が心配で堪らなくていつも上の空だった。(ミズキ、お前に逢いたい・・)あの時、変な嫉妬をしてミズキを傷つけなければよかった。何故素直になれないのだろう。陰鬱な心を独りで抱えるのが辛くて、ルドルフはコートを羽織るとプラハの街へと出た。 聖夜を迎えたプラハの街には、幸せそうな恋人達や家族連れが手を繋いだり肩を寄せ合いながら歩いていた。粉雪が舞う中、独りで街中を歩くルドルフは、向こうからミズキが歩いてくるのを見た。ミズキに会いたいが余り幻を見ているのだろうと思ったルドルフが目を擦り再び前方を見ると、そこにはミズキが立っていた。「ルドルフ様・・」円らな黒い瞳で自分を見つめるミズキを、ルドルフはそっと抱き締めた。「ミズキ、どうしてここに?」「あなた様に、お会いしたくて。いけませんでしたか?」「わたしも、お前に会いたかった。」「ルドルフ様・・」粉雪が舞う中、瑞姫はルドルフと手を繋ぎながらプラハの街を歩いた。「熱は? もう大丈夫なのか?」「ええ。」ルドルフと手を繋いで歩く幸せを瑞姫が感じていると、背後から誰かの足音が聞こえた。「やっと見つけたわ、黒羽根の子・瑞姫。」瑞姫がゆっくりと振り向くと、そこには妖艶な美女が立っていた。「さぁ、わたしと一緒に帰りましょう。」美女は全身から妖気を漂わせながらそう言うと、瑞姫に向かって手を差し伸べた。にほんブログ村
一部性描写・加虐表現が含まれますので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。「ミズキ、あいつは?」「あの人は、わたしの許婚だった人です。」瑞姫はそう言うと、アメジストのネックレスを拾い上げてそれを首に提げた。「許婚? そのネックレスは・・」「あの人から贈られたものです。ルドルフ様、わたしはあなたしか見ておりませんから・・」「その言葉を、信じろと?」ルドルフはそう言うと、瑞姫の手を掴んだ。「お前がいつの間にか居なくなるかもしれないから、今日はわたしの部屋に居て貰うぞ。」「そんな・・今日は、シリル様とお話をしようと・・」「シリルからはわたしの方から謝罪の言葉を述べておく。わたしとともに来い、ミズキ。」ルドルフは有無を言わさずにミズキの手を引っ張ると、私室へと向かった。「あの、手を離してください。逃げはしませんから。」「後ろを向け。」瑞姫は涙目になりながらも、ルドルフに背を向けた。「あいつに抱かれたのか?」耳元でそう囁くルドルフの声は、氷のように冷たいものだった。「いいえ・・あの人には抱かれていません・・」「そうか。ならいい。」ルドルフは振袖の裾を捲り上げて瑞姫の臀部を露わにすると、思い切り平手でそこを打った。「痛い!」臀部に痛みが走り、瑞姫の顔が苦痛に歪んだ。「壁に手をつけ。」「わかりました・・」ルドルフは瑞姫の腰を掴むと、まだ濡れきっていない瑞姫の中を乱暴に貫いた。「ひぃ!」焼けた火箸で何度も局部を掻き回されたかのような激痛が走り、瑞姫は床にくずおれた。だがルドルフは瑞姫を貫いたまま近くの椅子に座り、激しく下から瑞姫を突き上げた。「あぁ、お願いだから・・」「お前はわたしのものだ、ミズキ。あいつなんかに、渡してたまるものか!」そう叫んだルドルフの蒼い瞳には、嫉妬の炎が宿っていた。贅肉がついていない彼の腹が下から瑞姫を突きあげる度に激しい摩擦音を出した。「うう、痛い・・」瑞姫は涙を流しながら、ルドルフの責めが終わるのを待った。ルドルフは瑞姫の髪を掴んで自分の方へと向かせると、荒々しく瑞姫の唇を塞いで貪った。彼の腰の動きはますます激しくなり、瑞姫は声を出さぬように唇を噛み締めた。悪夢のような責めが終わり、ルドルフが瑞姫を解放すると、彼の内腿からは血が流れていた。「ど・・して・・」絨毯の上に力無く横たわりながら、瑞姫はそう言ってルドルフを見た。「乱暴に抱いてしまってすまない。わたしはお前があいつに取られてしまうのが怖かったんだ。」そんなつまらない理由で瑞姫を無理矢理抱き、彼を傷つけてしまった。「そうですか・・」虚ろな瞳で瑞姫がルドルフを見ると、彼はそっと瑞姫を抱き上げた。「何処へ?」「医者に診せるだけだ。」 その夜、瑞姫は凍えるような寒さの中、井戸の水で身体を洗っていた。身体を動かすたびに、局部に痛みが走り、漸く身体を洗い終えると瑞姫はゆっくりと宮殿の中へと戻っていった。 翌朝、ルドルフとともにプラハへと向かうことになった瑞姫は、必死に身体の不調を彼に隠そうとしていた。「大丈夫か?」「ええ。昨日の事は気にしてませんから。」瑞姫は咄嗟に嘘を吐いてルドルフを安心させようと笑顔を浮かべて馬車に乗り込もうとした時、視界が突然暗くなった。にほんブログ村
「あなたは・・」「忘れてしまったのかい、わたしを?」そう言って男は瑞姫の髪を撫でた。(この感触は・・)瑞姫の脳裡に、やっと“彼”の顔が浮かんだ。いつも酷薄な光を湛えている紫の瞳。腰下までなびく、長い金髪。「思い出せ瑞姫。」男が耳元で瑞姫に囁くと、彼はビクリと身を震わせた。―必ず迎えに来るからね。あの日、岸でいつまでも自分に向かって手を振ってくれた“彼”。いつも髪を梳いてくれたり、頭を撫でてくれたりしてくれた“彼”。「思い出すんだ。」男は瑞姫を抱き締めた。「亜鷹(あたか)・・兄様・・?」瑞姫はゆっくりと、“彼”の名前を紡ぐと、男は嬉しそうに笑った。「行こうか、瑞姫。」男が差し出された手を瑞姫が取ろうとした時、彼の背後に二本の腕が伸びて来た。「ミズキ、大丈夫か?」「ルドルフ様・・」瑞姫は男を睨み付けるルドルフを見た。「はい・・」「瑞姫、おいで。やっとお前を迎えに来たんだよ。」男はにっこりと笑いながら、瑞姫に向かって手を差し伸べた。あれほど焦がれていた彼の手を、瑞姫は取る事が出来なかった。いや、取れなかった。「ごめんなさい・・わたしは・・」「そうか、そうなのか。」男はじっと紫の双眸でルドルフを見つめた。「瑞姫、お前はもう逢ってしまったのか・・魂の片割れに。」男―亜鷹はゆっくりと、瑞姫の元へと近づき、そっと彼の頬に触れた。「やっとお前はわたしのものになると思ったのに・・残念だ。」亜鷹は指先で瑞姫の髪を弄ぶと、彼がいつも首に提げているアメジストのネックレスを指先で摘んだ。「君の本性を知れば、彼はお前を愛せるだろうか?」「兄様、何を言って・・」亜鷹はネックレスを乱暴に瑞姫から外した。「あ・・ああ・・」ネックレスが外された瞬間、瑞姫は自分の内に封じ込められていた“何か”を必死に抑え込もうとしていた。「ミズキ、どうした?」ルドルフがそっと瑞姫の肩に触れようとした時、彼は邪険にその手を払い除けた。「来ないで・・」グニャリと視界が揺らぎ始め、意識が徐々に遠のいてゆく。(駄目・・今は・・今はまだ!)荒い息を吐きながら瑞姫が必死に意識を保とうとしていると、ルドルフが自分の唇を塞ぐのがわかった。「わたしが居る。闇に呑まれるな!」その言葉を聞いた瑞姫は、我に返った。「瑞姫・・」瑞姫がゆっくりと顔を上げると、亜鷹が悲しそうな顔で瑞姫を見ていた。その手には、アメジストのネックレスが握られていた。「お前も・・わたしを独りにするのか・・」「亜鷹兄・・」瑞姫が亜鷹に向かって手を伸ばそうとすると、彼は煙のように彼の前から掻き消えた。先程彼が居た場所には、アメジストのネックレスが悲しい光を大理石の床の上で放っていた。「後少しで覚醒めるところだったのに・・亜鷹は甘いわね。」廊下の角で、1人の女はそう言うと舌打ちした。「まぁいいわ、別の手を考えましょうか・・」にほんブログ村
2010.12.29
皇帝主催の舞踏会にルドルフが見ず知らずの少女を連れてきたことは、瞬く間にウィーン中に広がった。星の数ほどの女達と浮名を流してきたルドルフが新たな愛人としたのは、異国の少女―これをマスコミが放っておくわけがなく、記者達は噂の少女の写真を撮ろうと必死になっていた。そんな中、当のルドルフと異国の少女・瑞姫は、シーツの中でまどろみ合っていた。「ん・・」「もう朝だな。」ルドルフはそう言って、瑞姫の髪を梳いた。「そろそろ着替えないと・・」「まだいい。」寝台から降りようとする瑞姫の腰をルドルフは引き寄せると、彼の唇を塞いだ。「今日は何もしたくない。」「でも、お仕事が・・」「休暇を取る。それでいいだろう?」「そんな訳には・・」瑞姫がそう言って困ったような顔をした時、寝室のドアを誰かがノックした。「あの、誰か来たようです。」「放っておけ。」ルドルフはノックを無視して、瑞姫の脇腹をくすぐった。「ルド・・」ノックの音がますます激しくなってゆくが、ルドルフはそれに介さない。「本当に、出なくていいんですか?」「いいんだ。」ルドルフが頭からシーツを被り、瑞姫の唇を塞ごうとすると―「ルドルフ、居るんだろう!」ガチャリとドアが開かれる音がして、黒髪の男が寝室に入ってきた。「ノックもなしに皇太子の寝室に入ってくるとは無礼だぞ、大公。」ルドルフは舌打ちすると、さっとガウンを羽織って寝台から出た。「ノックはしたさ、何度も! お前がいつまで経っても出てこねぇからドアを蹴破ったんだよ!」黒髪の男はそう言って天蓋の中に横たわっている瑞姫をちらりと見た。「もしかして邪魔だったかな?」「ああ。今日は休暇を取ってミズキと思い切り愛し合おうと思っていたのに。大公、用は何だ?」「E侯爵家一家が何者かに殺害された。犯人はまだ捕まっていない。」「そんなもの、警察に任せればいい。話はそれだけか?」「いや、まだだ。何でも殺害現場にこんなメモが残っていたんだ。」黒髪の男―ヨハン=サルヴァトール大公はそう言うとコートのポケットから1枚のメモを取り出した。そこには紅いインクで、こう書かれていた。『必ずお前を迎えに行くよ、ミズキ』それを見た瞬間、瑞姫の鼓動が高まった。―いつか迎えに来るからね・・また脳裡に、“彼”の声が聞こえた。「どうした、ミズキ?」「いえ、何でもありません・・」―いつかお前を妻にするから・・瑞姫は心を落ち着かせようと深呼吸した。「メモを書いた奴に心当たりがあるのか?」「いいえ。でも何だか嫌な予感がして・・」瑞姫はそう言うと、アメジストのネックレスを握り締めた。「顔色が悪いぞ、今日は休んだ方が良い。」「でも・・」「大丈夫だ。」ルドルフはそっと瑞姫の手を握ると、彼に微笑んだ。 振袖を着た瑞姫は王立図書館へと向かう中で、溜息を吐きながらあのメモのことを思い出していた。(あのメモを書いた人を、わたしは知っている・・)“彼”の顔がまだ思い出せないのは、何故なのか。「やっと見つけた。」誰かが手を握る感触がして瑞姫が振り向くと、そこには1人の男が立っていた。にほんブログ村
一部性描写が含まれております。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。「あ・・」ルドルフが瑞姫の内腿にそっと舌を這わせると、瑞姫が甘い嬌声を上げた。そっと中心へと手を伸ばすと、そこには蜜で溢れ、指先で触れるとクチュリという水音がした。ルドルフはそこで、瑞姫が普通の身体ではないことを知った。「ミズキ、お前は・・」ドレスの中から顔を出したルドルフを見た瑞姫は、憂いを帯びた黒い瞳で彼を見た。「そうです・・わたしは、両性なんです。」彼は溜息を吐いて近くの椅子に腰を下ろした。「いつから自分が両性だと知った?」「余り昔の事なので良く憶えていません。人に裸を見られてはいけないと誰かからきつく言いつけられていましたから、それだけは憶えているんです。あの、こんなわたしを気持ち悪いだなんて思っていませんか?」瑞姫はそう言うと、じっとルドルフを見た。「いや・・少し驚いただけだ。わたしはお前の事を気持ち悪いとか思ったことはない。出逢ってから一度も。」「そうですか。それなら、あなたに身体を委ねられます。」瑞姫はそっと椅子から立ち上がると、ルドルフに抱きついた。「わたしを、抱いてください。」黒い瞳に宿る真摯な光を見たルドルフは、その瞳にたじろいだ。「わかった。」その後、どちらともなく2人は唇を重ねた。ルドルフの手でドレスを脱がされ、それが床にふわりと落ちた。コルセットを緩め、彼は瑞姫をベッドへと運んだ。「本当に、いいのか?」「ええ・・」ルドルフは瑞姫の唇を塞ぐと、首筋を吸いあげた。「あぁっ!」瑞姫は喘ぎながらも、ルドルフのタイを緩め、彼の胸元を露わにした。「わたしにも・・キス、させてください・・」瑞姫はルドルフの首筋を吸いあげると、彼は耳元で荒い息を吐いた。「もう、いいかな?」「はい・・」ルドルフの顔が下肢へと沈んだ途端、瑞姫はシーツの上で弓なりになった。彼の舌と指で愛撫され、翻弄された瑞姫は口端から涎を垂らし、甘い嬌声を上げていた。「ミズキ、愛してる・・」熱を孕んだ蒼い瞳が、瑞姫の潤んだ瞳とぶつかった。「わたしも・・」大きく逞しい手から伝わる体温を感じ、瑞姫は心が安らいだ。ルドルフが中に入ってきた時、また“彼”の声が聞こえた。―必ず迎えに来るからね。その時は君を抱くよ。君の純潔は・・「あぁ、いやぁ!」緩やかだった律動が徐々に激しさを増し、瑞姫は思わずルドルフの背中に爪を立てた。「大丈夫か?」ルドルフは瑞姫を慮り、腰を引こうとしたが、瑞姫はそれを拒むかのように彼の足に自分のそれを絡めた。「余りにも快くて・・お願いです、続けて下さい・・」「そうか・・」ルドルフはそっと瑞姫の唇を塞いだ。2人が動く度にベッドが軋み、カーテンの中で睦み合う2人の姿がゆらゆらと揺れた。 共に絶頂に達したルドルフと瑞姫は、熱を孕んだ瞳で互いの顔を見つめ合った。「痛くはなかったか?」「ええ・・あなたのリードが上手かったから。」ルドルフは瑞姫の言葉に笑うと、再び彼の唇を塞いだ。瑞姫はルドルフの胸に顔を預けながら、ゆっくりと目を閉じた。 同じ頃、ウィーン市内の路上で1人の男がフード越しに路地の向こうに見えるホーフブルクを見ていた。「やっと見つけた・・黒羽根(くろはね)の子・瑞姫・・」男はそう言って笑うと、煙のようにその姿を掻き消した。にほんブログ村
ホーフブルクの大広間で行われている皇帝主催の舞踏会は、クリスマスが近いこともあってか、盛況だった。この日の為に着飾った貴族の令嬢達の狙いは、金髪の美丈夫であるルドルフである。ベルギー王女と結婚してからも、女性に関する噂がルドルフには絶えず、必ずや彼の目に留まらなければと気張っている彼女達は、ルドルフが大広間に現れるのを今か今かと待っていた。その中でも、今夜の為に衣装代と装身具代で大金を使い込み、社交界デビューを果たした新興貴族のマリー=ヴェッツラは、新聞でしか見た事がない憧れの皇太子様に逢えると聞き、胸を高鳴らせていた。「ルドルフ様だわ・・」誰かがそう言うと、マリーはさっと背後を振り返った。 大広間にゆっくりと、夜会服を優雅に着こなした長身のルドルフが入ってきた。シャンデリアの下で彼の癖のある金髪はきらきらと輝き、彼の登場によって一瞬その場に居た者達は男女問わず彼の美しさに見惚れた。(素敵・・素敵だわ!)新聞に載っている写真のルドルフに恋をしたが、本物を見たことによりマリーは本気でルドルフに惚れてしまった。「ルドルフ様・・」マリーがそう言ってルドルフに駆け寄ろうとした時、彼が1人ではない事に彼女は気づいた。ルドルフの背後に控えていた少女が大広間に現れると、男達が一斉にどよめいた。瑠璃色のドレスを纏い、控えめなアメジストとダイヤのネックレスを付けたその少女はどこか凛としていて艶めいた雰囲気を纏っていた。艶やかな長い黒髪を幾筋か垂らし、その頭頂部には真珠のティアラを付けている少女の美しさは、隣に立つルドルフの金髪と対をなした美しさを醸し出していた。ルドルフは少女とともに踊りの輪へと加わった。すれ違いざまに、マリーは少女と目が合い、彼女を憎々しく睨みつけた。(やはり、お部屋にいれば良かったのかな・・)大広間に入った瞬間、四方八方から浴びせられる視線に、瑞姫は物怖じして逃げ出したくなった。「あの、本当に来て良かったんでしょうか? さっきから皆さんがじろじろと見て・・」「臆する事はない。お前の美しさに惚れているのさ。わたしが居るから、安心しろ。」ルドルフはそう言うと、瑞姫の手を繋いだまま踊りの輪に加わった。「わたしがリードする。」「はい・・」ルドルフの手が腰に回され、瑞姫はビクリと身を震わせた。彼のリードが上手いからか、それとも身体が何処かで憶えているからなのか、ワルツのステップを踏むことに瑞姫は何の違和感もぎこちなさもなかった。ワルツが終わり、瑞姫が辺りを見渡すと、貴族達が自分達に向かって拍手していた。「ルドルフ様、そちらの素敵なお嬢様はどなた?」ルドルフとともに踊りの輪から外れると、好奇心を剥き出しにした貴夫人が瑞姫とルドルフの元へとやって来た。「彼はミズキ、わたしの前に舞い降りて来た異国の天使ですよ。」「まぁ、男の子なの? 可愛らしいこと。」貴夫人はそう言うと、瑞姫に微笑んだ。「は、初めまして・・」「ルドルフ様、ちょっとこの子をお借りいたしますけれど、よろしいかしら?」彼女は笑いながらルドルフにそう尋ねたが、目が笑っていなかった。「申し訳ないが、ミズキはこのような場が初めてでね。わたしが傍に居ないと幼子のように泣きじゃくるんだ。」「まぁ、そうでしたの。」 舞踏会が終わり、ルドルフの寝室に入った瑞姫は、きっとルドルフを睨んだ。「さっきの言葉、一体どういうつもりで言ったんですか?」「わたしは少し嘘を吐いただけだ。それよりもここからは・・」ルドルフは瑞姫の顎を持ちあげると、唇を塞いだ。「大人の時間だ。」「ルド・・」頬を上気させた瑞姫は、ルドルフがドレスの中へと潜り込むのを黙って見ていたが、彼の舌が内腿を這う感覚がして思わず声を上げてしまった。にほんブログ村
(遅い・・) 執務室の机の上で苛立ちを隠さずにいるルドルフは、ドアを開けてあの黒髪の少年が入ってくるのを今か今かと待っていた。1日前、突然自分の前から舞い降りた異国の天使。どこか艶やかで凛としていて、背中までの長さがある漆黒の髪はまるで黒檀のように艶やかな光を湛えていて、華奢な身体を包む真紅の布は彼の美しさを充分に引き立てていた。目が合った瞬間、ルドルフは彼が欲しいと心の底から思うようになった。昨夜悪夢にうなされた彼が自分の胸に顔を埋めている姿を見て、気が狂いそうになった。禁欲的でクールで、性欲には無縁な印象を持たれる自分が、たった1人の少年によって狂わされる。強引に彼の足を割り、己の欲望で彼を貫き、あの桜色の唇から甘い嬌声を朝まで聞きたいと願うのは、愚かなことだろうか。そんなにも彼の事を渇望している自分自身にルドルフが気づいたのは、彼と廊下で別れた時だった。彼の手が自分から離れた瞬間、このまま彼が戻って来ないのではないかという不安にルドルフは駆られた。今まで数々の浮名を流してきたプレイボーイであるというのに、少年の手が離れた位で動揺するなんて。「馬鹿だな、わたしは。ミズキはわたしのものではないのに・・」ぽつりとルドルフはそう呟くと、自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。「あの・・遅くなりました・・」ドアがそっと開き、瑞姫がルドルフの執務室に入ると、彼はゆっくりと書類から顔を上げた。「遅かったな。そんなに図書館に夢中になっていたのか?」「ええ。」「そうか・・こちらへ来い。お前の為にドレスを用意した。」「ドレスを、ですか?」「ああ。お前のサイズを昨夜の内に測っておいた。」寝室の扉が開くと、そこには深緑に近い瑠璃色のドレスが飾ってあった。「お前の黒髪と白い肌に合うだろうと思ってな。キモノを脱げ。」「は、はい・・」瑞姫が振袖を脱ぎ、帯と共に椅子の上に重ねると、ルドルフは下着のようなものを持ってきた。「コルセットを締めるから、寝台の柱に掴まれ。」言われるがままに瑞姫は寝台の柱に掴まった。その刹那、胴体を締め付けられ、瑞姫は悲鳴を上げた。「もう少しで終わる。」ギリギリと瑞姫のウェストをコルセットで締めあげたルドルフは、そう言うとそっと瑞姫から離れた。「大丈夫か?」「ええ・・」瑠璃色のドレスをルドルフの手によって着せられた瑞姫が鏡の前に立つと、そこには西洋の着物を纏った自分の姿が映っており、何だか奇妙な感覚がした。「良く似合う。後は髪と化粧だな。」ルドルフはそう言って満足気に笑うと、手を叩いて隣の部屋に控えていた女官達を呼んだ。彼女達によって薄化粧を施された瑞姫は、何が何だかわからぬままだった。「それは、どういたしますか?」はっと我に返ると、女官がおおぶりな真珠の首飾りを持って困惑気味に瑞姫が首に提げているアメジストのネックレスを見つめていた。「これは、大切なものなので・・」「そうですか。ではこちらの方がよろしいですわね。」違う女官がそう言って真珠の首飾りを下げ、代わりに持ってきたのはハートを象ったダイヤのネックレスだった。「それで、お願いいたします。」女官達によって扉が開けられ、瑞姫がドレスの裾を摘みながら部屋から出ると、ルドルフが柔和な笑みを湛えながらそっと彼の手を握った。「行こうか。」「はい・・」隣を歩く瑞姫を見ながら、今すぐにでも彼を啼かせたいとルドルフは思いながらも、それをぐっと堪え、大広間へと向かった。第10話へにほんブログ村
2010.12.28
「あの・・」皇太子妃の部屋から出たきり、黙ったままのルドルフの後ろを歩いていた瑞姫が声を掛けると、彼はくるりと振り向いた。「何だ?」「わたしは、ここに居ては迷惑ですか? 先程の奥様のご様子だと、余り歓迎していらっしゃらないようですし・・」「言っただろう、あいつとの結婚は義務でしたと。それにあいつが言ったことはお前も聞いていたと思うが、わたしは美しいものには目がない。」「それでは、あなたはわたしがただ美しいから傍に置いたと? 他の女人達のように?」ルドルフの言葉一つ一つに、瑞姫の胸がざわついた。自分がお情けでここに置いて貰っていることなど解っているのに、どうして・・「そんなバカな事を、わたしはしない。」ルドルフはぐいと瑞姫の手を掴むと、華奢な瑞姫の身体を抱き寄せた。「今までわたしの傍には誰もいなかった。どんなに富と権力があっても、わたしが心底望むものは手に入らない、永遠に。だがお前が、それをわたしに与えてくれると信じている。」「あなたが、望むもの?」出逢ってまだ間もないというのに、何故か瑞姫にはルドルフが望むものが解っていた。―わたしは、君に会えて良かった。脳裡に、“彼”の声が甦った。―わたしは今まで独りだった・・誰からも愛されず、必要とされず・・あれは誰なのだろうか?もう少しで顔が思い出せる筈なのに。「何を、考えている?」我に返ると、真摯な光を湛えた蒼い瞳でルドルフが自分を見つめていた。「いいえ・・“彼”のことを思い出していました・・」「わたし以外の者に、心を捉われるな。」ルドルフはそう言うと、瑞姫の唇を塞いだ。「いや、離してください・・」ルドルフは瑞姫の訴えを無視し、貪るように瑞姫の愛らしい唇を吸いあげた。「ルドルフ様、ルドルフ様ではありませんか?」背後から不意に声がしてルドルフが瑞姫から離れると、そこには1人の司祭が立っていた。質素なカソックと法衣を身に纏い、銀の十字架を首から提げている彼は、琥珀色の双眸で瑞姫を捉えた。「そちらの方が・・」「ああ、わたしが世話をすることになったミズキだ。ミズキ、こちらはアウグスティーナ教会のシリル=フェンネスト司祭だ。」「シリルです、初めまして。」「ミズキです。以後お見知りおきを。」司祭はそう言うと、瑞姫に右手を差し出した。「それが日本のキモノというのですね?」司祭の視線が、瑞姫が纏っている振袖に移った。「ええ。」「確か一枚の布から作られているんですよね? あなたの国では養蚕が盛んだと聞きました。」「ええ、わたしの祖国では全国各地に絹の名産地が何ヶ所かありますよ。」「そうですか。今度あなたの国について色々とお話を伺いたいのですが、宜しいでしょうか?」「わたしは構いませんが・・」瑞姫は隣で憮然とした表情を浮かべているルドルフを見た。「シリル、わたしは別に構わないぞ。ミズキ、舞踏会の用意もあるから行こうか。」「え・・」「ではまたお会いいたしましょうね、ミズキさん。」ルドルフに手を引かれながら廊下の角へと消えて行く瑞姫に向かって、シリルはそう言って微笑みながら手を振った。 ルドルフと別れ、瑞姫は王立図書館へと向かった。美しい内装が施された室内と、膨大な蔵書が収めてある書棚を興味深げに見ながら瑞姫が歩いていると、瑞姫は誰かにぶつかってしまった。「すいません・・」「いえ、こちらこそ。」瑞姫が顔を上げると、そこには栗色の髪をした兵士が立っていた。にほんブログ村
瑞姫が寝台から降り、椅子に掛けてある振袖と帯を取って身支度を始めると、痛いほど背後にルドルフの視線を感じる。ただ見られているだけなのに、全身を熱で焼かれたように感じてしまい、落ち着かなくなる。「ミズキ・・」ふと耳元で甘い声がしたかと思うと、瑞姫はルドルフに背後から抱きすくめられていた。「お離しください・・着替えが・・」「あとでいい、そんなもの。」ルドルフはそう言うと瑞姫の長い黒髪を一房掴んで自分の方へと振り向かせた。「あ・・」蒼い瞳がほんの数センチ前にあり、自分を見つめている事に気づいた瑞姫は頬を赤く染め、懸命に彼と目を合わせまいとした。だが、それは無駄なあがきだった。ルドルフは白い指先で優雅に瑞姫の桜色の唇を撫でると、形の良い己のそれを重ねた。「んふぅ・・」隙間から、甘い喘ぎが漏れた。(なんか、変・・)男からキスされるなんて初めてなのに、嫌じゃない。頭がふわふわしてきて、意識が徐々に遠のいてゆく。瑞姫は嫌がる代わりに、ルドルフの背に両腕を回して彼のキスに応えた。ルドルフの舌が、口内を蹂躙し始めたが、瑞姫は拒むどころかそれを受け入れた。互いの舌を欲望のままに絡め合った後、漸くルドルフは瑞姫から離れた。銀色の糸が2人の間に垂れ、瑞姫はとろんとした目でルドルフを見た。「感じたか?」「もう、終わりなんですか?」ルドルフは瑞姫の言葉に苦笑すると、再び彼の唇を塞いだ。彼の手が、締めたばかりの帯紐へと伸びた時、ドアが躊躇いがちにノックされた。「ルドルフ様、皇太子妃様がお呼びです。」ドアの向こうに聞こえる声にルドルフは舌打ちし、瑞姫からそっと離れた。「いま行く。」「皇太子妃様って・・ご結婚なされているんですか?」瑞姫の問いに、ルドルフは何も答えなかった。「ミズキ、わたしと共に来い。」「ですが・・」「わたしの言うことがきけないのか?」ルドルフはそう言うなり、瑞姫の手を引っ張ると寝室から出て行った。「わたしはお部屋でお待ちしておりますから・・」何度もそう言ってはルドルフから逃れようとしていた瑞姫だったが、その度に彼はきつく瑞姫の手首を掴んで離さない。「結婚はただの義務でした、それだけのことだ。」ルドルフは嫌がる瑞姫を皇太子妃の部屋へと引き摺った。「皇太子様、そちらの方は?」皇太子妃付の女官が、ルドルフの背後に立っている瑞姫をじろりと見た。「この者は、わたしが保護している者だ。皇太子妃は?」「皇太子妃様なら先ほどから皇太子様をお待ちしておりますわ。こちらへどうぞ。」ルドルフとともに皇太子妃の部屋に入った瑞姫は、激しい敵意を含んだ視線に気づいてゆっくりと俯いていた顔を上げた。 そこには、ヨーロッパ随一の美女と謳われている母皇后・エリザベートの美貌を引き継いだルドルフには似つかわしくないような、凡庸とした容貌の少女―皇太子妃シュティファニーが自分を見つめていた。「お初にお目にかかります、皇太子妃様・・わたしは・・」「あなた、あのミッツィとかいう女では飽き足らず、今度は得体の知れぬ東洋娘に手をお出しになられたのね?」少女の口から放たれた言葉は、猛毒を含む棘のように感じられた。「すまなかったね、シュティファニー。わたしは美しいものには目がなくてね。君のご機嫌を損ねたようだから、もうこれで失礼しよう。」ルドルフはちらりと妻を見ながら、瑞姫の手をしっかりと握り締めて皇太子妃の部屋から辞した。にほんブログ村
「あの、後ろを向いて貰えませんか? すぐに済みますから。」そう言うと瑞姫はルドルフに背を向けた。「わかった。」ルドルフが背を向いた気配がして、瑞姫は帯紐を解いた。しゅるりという衣擦れの音がして床に漆黒の帯が落ちた。真紅の振袖がその上に重なるように落ち、瑞姫が身につけているのは白の長襦袢と薄紅色の腰紐だけになった。「もう、こちらを向いてもいいですよ。」瑞姫がそう言ってちらりとルドルフの方を見ると、彼はじっと瑞姫を見ていた。「珍しい服だな。下着は穿いているのか?」「そんなこと、もう知ってる癖に・・」瑞姫はルドルフに見つめられるのが嫌で、彼から目を逸らした。「そうだったな。ミズキ、こちらへ来い。」ルドルフは瑞姫にそう言って手招きした。「わたし、やっぱり向こうのソファに・・」「大丈夫だ、君が考えていることはしないから。」出逢ってから数時間が経つが、瑞姫は未だにこちらを警戒して近寄ろうとしない。寝室というプライベートな部屋で、肌着姿となって他人のベッドに入ろうだなんて思う人間は皆無だ。「わたしが、信じられないなら出て行ってくれても構わない。だが風邪をひいても知らないからな。」「絶対に、そういう事はしないって約束してくれますか?」瑞姫は頬を赤らめながら、そっとルドルフの方へと近づいた。「ああ、約束する。」「そう・・ならいいですけど・・」ルドルフの言葉を聞いて安堵の表情を浮かべた瑞姫は、そっとシーツを捲り寝台の上に横たわった。「絶対に触らないでくださいよ。」「わかってるよ。」ルドルフは苦笑しながらも、寝台に入り背中越しに瑞姫の体温を聞きながら眠りに就いた。暫くすると、すうすうという安らかな寝息を彼が立てているのを感じた。―汚らわしい・・何処からか声がした。―何だってお館様はあんな子を・・―あんな半端者を・・何処かで悪意を含む声がして、瑞姫は恐怖で縮こまった。ゆっくりと顔を上げると、そこには冷たい目で自分を睨んでいる女達が立っていた。―忌み子・・―お前なんか産まれてこなければ良かったんだ。―そうしたら今ごろあの子は・・(嫌・・来ないで・・来ないで!)嫌な汗を額に流しながら、瑞姫は荒い息を吐いて目を開けた。ここにはあの女達はおらず、隣にはルドルフが眠っている。瑞姫は身体を反転させ、そっとルドルフの逞しい胸に耳を寄せた。トクントクンと脈打つ鼓動が心地良く耳に響き、瑞姫はゆっくりと目を閉じた。もうあの女達は夢に出て来なかった。 翌朝ルドルフが目を覚ますと、何か違和感を感じてふと隣を見ると、そこには自分に抱きついたまま眠っている瑞姫の姿があった。昨夜はあんなにも警戒していたというのに、まるで幼子のように縋りついてくる瑞姫の姿がルドルフは愛おしくて、彼の艶やかな黒髪を優しく梳いた。「ん・・」髪を梳かれ、瑞姫がゆっくりと目を開けた。「おはよう。昨夜はあんな事を言っていたのに、意外と甘えん坊さんなんだな。」ルドルフの言葉を聞いた瑞姫は、かぁっと赤く頬を染めた。「わ、悪い夢を見たから、ちょっと心細くなって・・」「わたしに一晩中しがみ付いて夜を明かしたのか? まぁ、可愛いから許すがな。」(この人、何を考えているのかわからない・・)ルドルフの蒼く澄んだ瞳に見つめられ、瑞姫は少し心がざわめいた。自分でもわからぬうちに、彼を意識し始めていることに、まだ瑞姫は気づかなかった。第7話へにほんブログ村
2010.12.26
暫し、部屋の中で気まずい沈黙が流れた後、最初に口火を切ったのは皇帝だった。「ルドルフ、最近お前は宮殿を抜け出してはカフェに行き、学者と密会しているようだな?」「それは紛れもない事実です、父上。それが何か問題でも?」ルドルフはそう言うと、父である皇帝を見た。彼と同じ蒼い瞳で。「ルドルフ、お前はまだ己の立場が解っておらぬようだな。お前はこの帝国の皇太子として・・」「お言葉ですが父上、わたしはこの国が崩壊せぬようにどのような事を為すべきかを真剣に考えているつもりです。」ルドルフは皇帝の言葉を打ち消すかのように、切り口上でそう言うと大袈裟な溜息を吐いた。「もしや父上はわたしがあなたを暗殺しようと企み、反乱分子達と会っているとお思いになられたのですか?」「それは・・」「わたしはそんな暗愚な考えを持ったことなど一度もありません。この国を憂え、守ろうとしているというのに、その思いが陛下には伝わらぬとは、なんと嘆かわしいことか・・」皇帝に弁解の余地を挟ませず、ルドルフは間髪いれずにそう言うと、椅子にもたれかかった。「ルドルフ、その事はもう良い。それよりも、お前の隣に立っている者は? 先程お前が保護したと聞いたが?」皇帝はそう言うと、再び瑞姫をあの冷たい瞳で見た。「陛下が気に掛ける者ではありません。わたしが勝手に保護した者です。この者をどうするかはわたしが決めますので。」「解せぬな。その者の名は?」「ミズキ、と申します。」「ミズキよ、お前は何故ウィーンに来た?」「わかりません・・」わざと拙いドイツ語を話しながら、瑞姫はそう言って頭を抱えた。「わたし・・あまりよくおぼえて・・いなくて。」「家族は居るのか?」「それもわからない・・」一本調子の会話に、皇帝は苛立ちの表情を浮かべた。「父上、この者は死体を見て激しく動揺し、疲れております。お話が済みましたのなら、下がってもよいでしょうか?」「うむ・・」何処か納得がいかないという顔をしながらも、フランツはルドルフに下がるように言った。「心臓が止まるかと思いました・・」皇帝の私室を出た瞬間、瑞姫はそう言って溜息を吐いた。「なかなか上手かったな。今日は色々とあったから部屋でゆっくりと休むがいい。」「はい・・」暫く廊下を歩いた後、ルドルフはある部屋の前で止まった。「あの、ここは?」「わたしの部屋だ。君は今夜、わたしと寝て貰う。」「えぇ!」てっきり別々の部屋で寝ると思っていた瑞姫だったが、ルドルフの言葉を聞いて彼は素っ頓狂な声を上げてしまった。「一緒に寝るといっても、疚しい事はしないから安心しろ。」「そうですか。」初対面の相手といきなりそういう関係になるのは御免被りたいところだと瑞姫はそう思いながら、ルドルフの私室へと入った。そこには座り心地の良さそうなソファがあった。「わたし、そこで寝ますので・・おやすみなさい。」「そんな所だと寒いだろう。」ソファに横になろうとした瑞姫の手を引っ張ると、ルドルフは寝室のドアを開けるなり、ネクタイを緩めた。「あの・・何をなさってるんですか?」「着替えに決まっているだろう。お前も着替えたらどうだ? 男同士だから何も恥ずかしがらなくても良いだろう?」「そんな・・」ルドルフの言葉はもっともなのだが、瑞姫は頬を赤く染め、恥ずかしげに俯いた。にほんブログ村
2010.12.25
警察署を出たルドルフと瑞姫は再び馬車に乗り、ホーフブルクへと向かった。「あの・・ひとつお聞きしたいことがあるんですけれど・・」「何だ?」窓の外を眺めていたルドルフは、そう言うと瑞姫に振り向いた。「どうしてあなたは、わたしを助けようとなさったのですか?」「警察署で、君が嘘を吐いていないと判ったからだ。普通嘘を吐いている人間は無意識に他人と視線を逸らそうとするが、君はそうしなかった。それに、色々と考えたいこともあるしな。」「考えたいこと、ですか?」「ああ・・」ルドルフが次の言葉を継ごうとした時、馬車が壮麗な門の下をくぐった。「もう着いたようだな。」ルドルフはそう言って溜息を吐くと、侍従達が馬車の方へと駆け寄ってくるのを窓から見ていた。「ミズキ、これから少々面倒な事に君を巻き込むことになるかもしれないから、言葉が解らない振りをしろ。」「解らない振りですか?」「君は何ヶ国語話せる?」ルドルフの問いに、瑞姫は少し唸った後にこう答えた。「フランス語と英語、ドイツ語を話せます。」「そうか。」ルドルフはそう言うと、馬車の扉を開けた。「お帰りなさいませ、ルドルフ様。そちらの方は?」彼が瑞姫とともに馬車を降りると、侍従がそう言って瑞姫を見た。「事情があって保護することになった。それよりもお前達、何かあったのか?」「じ、実は、陛下がルドルフ様を呼べとおっしゃられて・・」「父上が?」ルドルフは溜息を吐き、今頃自分の到着を私室で待ち侘びている父帝の姿が脳裡に浮かんだ。「すぐに行くと陛下にお伝えしろ。」「はっ!」ルドルフの言葉を聞くと、侍従は慌てふためいた様子でホーフブルク宮の中へと入っていった。「どうしたんですか?」「父上がわたしに用があるらしい。ミズキ、済まないが君も来てくれないか?」「は、はい・・」ルドルフとともにホーフブルク宮の廊下を歩いていると、女官達や兵士達の好奇の視線が、否応なしに瑞姫の全身に絡みついた。皇太子である自分が突然、異国の少女を連れて来たのだから、それは無理もない。「陛下にお目通りを願う。」ルドルフとともに瑞姫は美しい装飾が施された扉の前で暫く待たされた後、部屋の中に入った。「父上、ルドルフが参りました。」「ルドルフ、そこへ掛けるがいい。」ルドルフの隣で俯いていた瑞姫がゆっくりと顔を上げると、そこには真紅の軍服を着込んだ白い顎鬚をたくわえた厳めしい雰囲気の老人が座っていた。部屋を支配しつつある重苦しい空気を感じた瑞姫は、そっと扉を開けて部屋から出ようとしたが、ルドルフが彼の手を掴んでそれを阻んだ。「ルドルフ、その者は?」「この者は先程ウィーン市内にて保護した者です。決して怪しい者ではありません。」「そうか。」老人の視線が、ルドルフから瑞姫へと移り、冷たい光を湛えた蒼い瞳が射るように瑞姫を見た。(怖い・・)老人の瞳の奥底に秘められた彼の威厳さと恐ろしさを感じた瑞姫は、恐怖で華奢な身体をビクリと震わせた。瑞姫の恐怖を感じたのだろう、ルドルフは彼に大丈夫だというように瑞姫の手をそっと握った。その温もりを感じた瑞姫は、真っ直ぐな瞳で老人―オーストリア=ハンガリー帝国皇帝・フランツ=カール=ヨーゼフを見つめた。にほんブログ村
少年は青年に手を取られ、馬車から降りた。「何を呆けている、行くぞ。」青年の声を聞いた少年は、慌てて警察署の中へと入った。 古めかしい建物から感じられる威圧感に圧倒された少年だったが、中に入り廊下を歩くと淀んだ空気を感じて彼は倒れそうになった。(ここと似ている所、知ってる・・)今歩いている床よりももっと湿ったもので、中庭には人が吊るされていたり、膝の上に重い石を載せられていた。少年は逃げたくなる気持ちを押さえて、青年とともに狭い部屋へと入った。そこには粗末な木製の椅子とテーブルが1組あるだけの、殺風景な部屋だった。「そこに掛けろ。」青年はそう言って少年の前にある椅子に腰を下ろした。それに倣い、少年も椅子に腰を下ろした。「お前が、男を殺したのか?」「いいえ、違います。わたしはあの人を殺してなどいません。たまたま通りかかったらあの人が死んでいて・・」「それは事実か? もしかしたら真犯人と共謀していたのではないだろうな?」青年の蒼い瞳が射るように少年を見た。「そんなこと知りません! それにわたしは真犯人なんて知りません!」どんなに少年が無実を訴えても、青年は険しい表情を変えぬまま彼に同じ事を繰り返し質問し続けた。「もう一度聞く、お前はあの男を殺していないんだな?」「殺していません。何度も言ってるじゃないですか・・」少年はそう言って溜息を吐いた。この部屋に入ってからもう4時間も経過していたが、今日1日に余りにも衝撃的な出来事がありすぎて少年は疲労を感じ始めていた。「お前、名前は?」「瑞姫(みずき)と申します。あなたは?」「わたしはルドルフ。ルドルフ=フランツ=カール=ヨーゼフ=フォン=オーストリアだ。」「フォン=オーストリア・・じゃぁ、警官達が言っていた“皇太子様”というのは、やはりあなたなの?」少年―瑞姫の黒い瞳が、驚きで見開かれた。「そうだ。それにしてもミズキ、君は何処で英語を学んだんだ? 先程からわたしの質問を理解し、尚且つ正確に聞き取っている。その様子だと高等教育を受けていたのだろうな?」「そ、それは・・」濃霧の中を彷徨っている間、瑞姫は何故自分が外国語が話せるのか、何処でそれを学んだのかなど、自分に関する記憶を一切失くしてしまった。理由は判らないが、恐らく異国の街で彷徨った末に死体を目撃したことによるストレスによるものだろう。「わかりません・・自分の名前以外、全然憶えていないんです。家族の事とか、どうしてわたしが此処に居るのかも・・」瑞姫の言葉を聞いた青年―ルドルフはそう言うと、低く唸った。彼が嘘を吐いているようには見えないし、彼は尋問中に一度も自分から目を逸らそうとしなかった。ミズキの家族の事や何故ウィーンに来たのかは、調査すればいずれ明らかになる。それまでに、彼を自分の目が届く範囲内に置かなければならない。「ミズキ、わたしとともにホーフブルクに来ないか?」「ホーフブルクに、ですか?」ルドルフの言葉を聞いた瑞姫の美しい眦が、ピクリと動いた。「あの、そこでわたしは何をすればよろしいんでしょうか?」「それは君の返事次第だ。来るか、来ないのか?」(どうしよう・・)このまま異国の牢獄に繋がれても、良い事は何もない。せめて記憶が戻るまで、この人の傍にいた方が良い―そう思った瑞姫はゆっくりと椅子から立ち上がると、ルドルフに頭を下げた。「宜しくお願い致します。」「こちらこそ宜しく、ミズキ。」ルドルフはそう言って、瑞姫に優しく微笑みながら、手を差し出した。 その手に瑞姫が触れた時、彼の温もりが全身に伝わり、今まで強張っていた彼の顔に笑みが広がった。にほんブログ村
(ルドルフ?)何処かで聞いたような名前だと、少年は思った。ちらりと青年を見ると、彼は何やら警官達と話をしていた。(今の内に逃げよう・・)いつの間にか殺人犯と疑われ、木の上に隠れたものの落ちてしまったし、このままやすやすとつかまる訳にはいかない。少年はそうっと足音を忍ばせながら出口へと向かおうとした時、誰かが帯を掴んだかと思うと、彼は顔面を地面に強打した。「痛い!」頬を擦りながら痛みに呻いて少年が立ち上がろうとすると、またもや誰かが帯を掴んだ勢いで地面に倒れそうになった。帯を掴んでいる誰かの手を離そうと少年が振り向くと、そこには先程の青年が立っていた。「あの、帯から手を離してくれませんか?」「逃げようとしても無駄だ。」青年はそう言うと、蒼い瞳で射るように少年を見た。「に、逃げるなんて・・ちょっとトイレに行こうとしただけで・・」少年は咄嗟に嘘を吐くと、出口へと再び向かおうとしたが、青年に三度帯を掴まれた。「何か疚しいことがあるから、逃げようとするんだろう、違うか?」「だから、違いますって。」「ではわたしとともに来て貰おう。」有無を言わさず青年は少年の帯を掴んだまま馬車の中へと彼を押しこんだ。「あの、何処に行くんですか?」「それはお前が知らなくてもいいことだ。」冷淡な口調で青年はそう言うと、急に興味を失ったかのように帯から手を離した。(今だ!)何としてでも逃げなければ―少年はそう思い馬車の扉へと手を伸ばしたが、青年にそれを阻まれた。「今、逃げようとしただろう?」「ち、違います!」先ほどとは違い、馬車から出ようとしたところを青年に見られてしまった以上、嘘が吐けない状況に追い込まれてしまったことを、少年は気づいてしまった。「あの、わたしはあの人を殺したりなんかしてませんから!」「では何故あの場に立っていた?」「そ、それは・・自分でも解らなくて・・」少年の答えに、青年は冷ややかな瞳で彼を見つめた。「ますます怪しいな。まぁいい、これからたっぷりと事情を聞くからな。」(これからどうなるんだろう・・)ただ迷子になっただけなのにいきなり目の前に男の死体があり、容疑者扱いされて追いかけ回された挙句、警察署へと連行されてしまうだなんて―これはきっと悪い夢だと少年はそう思い込みたかった。だが馬車から小刻みに伝わる振動も、飽きる暇もなく自分を見つめてくる青年の視線も、全て現実のものだ。混乱する心を鎮めようと、少年はそっと衿元に手を伸ばし、鎖を掴んでアメジストのネックレスを取り出した。幸運を呼ぶとされる四つ葉を象ったダイヤの先に付いているハート形の紫紺の石を握り締めると、何故か心が落ち着いた。―なくしてはいけないよ。誰かの優しい声が、脳裡に甦った。(あれは誰・・)夢にも出て来た“彼”。自分の髪を梳いてくれたり、頭を優しく撫でてくれた感触は憶えているのに、“彼”の顔や名前は思い出せない。(どうして思い出せないんだろう・・)少年が溜息を吐くと、青年と目が合った。「それは大切なものなのか?」「ええ。」彼がそう答えた時、馬車が徐々に速度を落としながら停まった。青年は少年を残して先に馬車から降りた。少年が座席に座ったままでいると、扉が開き、青年が彼に向かって手を差し出した。「降りろ。」少年は渋々と青年の手を取った。もう、逃げられない。第3話へにほんブログ村
2010.12.23
◇第一部◇―これを、絶対になくさないようにするんだよ。そう言って“彼”は、首に何かをかけた。“これ、なぁに?”指先で摘んだ、アメジストのネックレス。紫紺の石が、月明かりの下で美しく輝いた。―これはね、お前の大切なものを封じる為にあるんだよ。“彼”は優しい光に満ちた瞳で見つめると、そっと髪を梳いてくれた。昔からこうして髪を梳いたり、頭を撫でてくれる事が好きだった。“彼”の大きくて逞しい手をいつも感じていたかったから。―さぁ、もうお行き。“一緒には、行かないの?”―すぐに迎えに行くから、待っているんだよ。ゆらゆらと小舟が動き出し、岸の方を振り向くと、“彼”がいつまでも手を振ってくれた。それが、“彼”に関する唯一の記憶だった。「ん・・」北風を感じ、少年は低く呻くとゆっくりと目を開いた。そろそろ日が暮れかかり、辺りが薄暗くなっていく。ぶるりと身を震わせながら、少年は寝床にしていた木から降りようとした。「居たぞ、あそこだ~!」「木の上に居るぞ!」低い声が地上から聞こえ、少年は慌てて葉に身を隠した。そっと隙間から地上を覗くと、軍服姿の男達がちらちらとこちらを見上げていた。濃霧の中迷子となり、突然霧が晴れたかと思えば自分の前に死体が転がっていた。呆然としていたら、何処から湧いて出て来たのか、あの男達が何やら勘違いして自分を捕まえようとしたのだ。(何であんな所で人が死んでたわけ?)何もしていないのに急に殺人の疑いをかけられ、こうして木の上に逃げる羽目となった。見つからないようにこのまま木から降りようか、それとも彼らが立ち去った後木から降りようか―少年がそう考え始めていた時、銃声がして彼の頬に何かが掠めた。「うわっ!」バランスを崩した少年は、何とかして枝に掴まろうと両手を振り回したが無駄だった。「ぎゃぁ~!」いきなり木から降ってきた少年に、男達は慌ててその場から逃げた。少年が地面に激突しそうになった時、すっと誰かの腕が彼を抱き留めた感触がした。「え?」「大丈夫か?」少年がふと顔を上げると、そこには軍服を纏った金髪蒼眼の青年が立っていた。「あ、すいません・・すぐ降りますので。」青年に礼を言って少年が降りようとしたが、青年はじっと何かを見ている。「あの、何か?」彼の視線を追ってみると、振袖の裾が太腿の所まで捲れていた。その下には下着すら身に着けていない。「降ろして、降ろしてください!」少年は青年の腕の中で暴れたが、青年は彼をなかなか降ろそうとしない。(ああ、もう!)捲れている裾を下ろそうと少年が手を伸ばそうとした時、急に青年が彼を抱いたまま動いたので、少年はまたもや大きくバランスを崩した。「ヴェッ!」得体の知れない悲鳴を上げながら、少年は大股開きで地面に落下した。「ちょっとぉ、いきなり何するんですか!?」少年はそう言ってじろりと青年を睨んだが、彼は平然と少年を見ていた。「どうして君は木の上から降って来た?」「そんなのこっちが聞きたいよ! ていうかあんた誰だよ!」「おい貴様、皇太子様に何と言う口の利き方だ!」「は、皇太子?」「いい、放っておけ。」「ですが、ルドルフ様・・」警官の口からその名を聞いた少年の黒い瞳が驚きで見開かれた。にほんブログ村