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龍水御朱印帳

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龍水(TATSUMI)

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2022.08.07
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テーマ:神社(391)
カテゴリ:意宇六社


熊野大社
出雲國一ノ宮
島根県松江市八雲町熊野2451
熊野大社公式HP



■御祭神  神祖熊野大神櫛御気野命
     (かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)



神社のホームページによるとこの御祭神は

伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)

その意味は

イザナギノミコトの尊い御子である神々の祖、熊野に坐す大神 櫛御気野命

そして素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名とのこと。

参拝日は2021年11月6日で、3度目の参拝。

初参拝は2008年、2度目は2016年でした。



​。​





境内の前にある意宇川。

いつもこの光景に見とれてしまいます。

2008年5月の初参拝のあと、出雲へのイメージが大きく変わりました。

出雲は神話の国であり、「出雲=大国主命」というイメージでしたが

出雲は須佐之男命の国なのではないかと強く感じたのです。

そして出雲は神々の里ではなく、「人」がつくった歴史があり

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)が治めた「国」があったのです。


​。​


西谷墳墓群・西谷2号墓



西谷墳墓群に行き、四隅突出型墳丘墓の上に立ったとき

大和王権にも勝るとも劣らない「王国」があったことを確信しました。

西谷墳墓群の四隅突出型墳丘墓は、大和の前方後円墳よりも古いものもあるのです。


そして熊野大社と意宇川の流れ。



​。​​​



2008年の出雲で最も印象に残ったのが、この意宇川の光景でした。

そのころ古事記と日本書紀の歴史しか知らなかった私は

この地がかつては出雲国の政治と祭祀の中心であったことや、

熊野大社も出雲大社と並んで「出雲国一ノ宮」であることを知りませんでした。

帰ってから参拝記録の記事を書くときにいろいろ調べて

この地の奥の深さや謎を目の当たりにしたのです。

普通は前もってリサーチして行くものですが、

私の場合はいつだって「事後調査」なのです。​


​。​



隋神門(2016年撮影・雨)




古事記神話の「国譲り」の印象が強すぎて

大国主命が国譲りの際に高天原から与えられた住処が「出雲大社」

そうイメージしている人は少なくないと思います。私も漠然とそう思っていました。

しかしよくよく調べてみると、出雲大社の創建はそれほど古くはありません。




熊野大社・本殿(2016年撮影)


​​
出雲国造家の記録によれば、

杵築(出雲大社)に移ったのは霊亀2年(716)だと記されています。

乱暴な言い方になりますが、まるで古事記の編纂(712)に合わせたみたいです。

元々の国造家の本拠地、意宇・大庭では大国主命を祀っていた形跡がありません。

意宇六社の御祭神にも、その名は見当たりません。

古事記神話で国譲りの舞台となった「伊耶佐の小浜(稲佐の浜)」近くに

8世紀になって大国主命を祀る神社が創建されて、国造家が移り住んだ。

スケールの大きな「つじつま合わせ」のような気がしてなりませんが。。。

【参照】​龍水御朱印帳・裏ばなし 「出雲大社創建は8世紀頃???」


​​




​​
しかし3回目の参拝(2021年11月)で新たな疑問が生じました。

それは意宇川の畔にあった案内板の内容です。

この意宇川の川上五百メートル 御笠山の麓に熊野大社の「上の宮」跡があります。
熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、
中世より里に下り「上の宮」「下の宮」(現在の当社)として近世末まで二社祭祀の形態をとりました。
「上の宮」には紀伊國の熊野信仰の影響を受けて伊弉冉尊、事解男神、速玉男神等を祀る神社が、また「下の宮」には天照大神・須戔嗚尊等祀る神社が造営されておりました。
明治時代に至り「上の宮」の神社は、政府による神社制度の改正を機に「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉還合祀されました。
「上の宮」跡背後の御笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
また登山道途中には、洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すると母乳が満ち足りるという御神水「明見水」が巨岩から滴り落ちています。
                             熊野大社


意宇川の流れを眺めながら古の営みに思いを馳せていた私でしたが、

どうやらこの辺りで祭祀が行われるようになったのは中世以降のことのようです。

日本書紀・斉明天皇5年(659)の記述に

「この年、出雲国造に命じて神の宮を修造させられた」とあるのは

熊野大社の元宮のことなのでしょうか。




伊邪那美神社



本殿の向かって左にある伊邪那美神社。

小ぶりながら大社造の社殿。

御祭神は本殿・御祭神の母神、伊邪那美命(いざなみのみこと)

その他、多くの神が合祀されているようです。​


​。​



稲田神社



本殿の向かって右にあるのは稲田神社。

本殿・御祭神の后神、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)が祀られています。

その他、近隣の神社に祀られていた多くの神が合祀されています。​



鑚火殿


変わった造りのこの建物は「鑚火祭」が行われる鑚火殿(さんかでん)。

この
鑚火殿は大正時代に造られ、熊野大社公式HPによれば

現在の物は平成3年に奉新建されたものです」とあります。

しかし最近修繕されたか、あるいは造替されたものと思われます。

2008年(平成20年)に撮った写真と比べても違いは歴然ですし。



2008年(平成20)の​
鑚火殿

鑚火祭」については​熊野大社公式サイト​をご参照ください。
​。​


舞 殿


神楽や舞が奉納される舞殿。

元々は拝殿として利用されていたものを

昭和53年に舞殿として移築したものだそうです。


さて毎度のことながら、今回の参拝も「宿題」が残りました。

「上の宮(かみのみや)」跡を訪れていないからです。

白状しますと、上の宮跡について書かれた案内板を読んだのは

この記事を書く準備をしているときでした。

「御由緒」とか「案内板」は、現地では読まずに、スマホなどで写真を撮ります。

で、帰ってから読む(読まないこともありますが)のです。

15年以上も神社参拝記録のブログをやっていて、この適当さ。

反省しております。


【参照】​龍水御朱印帳・裏ばなし 「意宇六社」









​。​
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Last updated  2022.08.07 20:54:23
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