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常識common senseで人権問題を考える      安心・しあわせネット 神戸人権交流協議会

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2017年10月18日
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​消えゆく「部落民」―心のゴースト​①
​「『橋下徹は部落の鬼っ子』部落解放同盟委員長に聞く」から検討する​

​​​
​◯​日本に「部落民」という少数民族はいない​​​​​​​
 もうそろそろ一律的・形式的に部落問題を語るのは止めませんか。
 登山では高く登れば下界の景色が変わります。部落問題も社会の発展段階を正確に踏まえれば社会の景色は大きく変化するはずです。 
 ご承知の通り、部落問題は日本国民内部の問題であり、少数民族問題ではありません。
 「部落」とは、かつて封建社会の身分を理由に差別を受けていた集落のこと、「部落民」とはその集落に住む人およびその出身者を指します。「部落」とは本来は集落を指し、一般的にも使われてきました。それとは区別するために行政が使い始めたのが「被差別部落」、そこに住む人たちは「被差別部落民」です。中には「特殊部落」「特殊部落民」という表現もありました。
 社会学的視点でいえばこうした用語は正確であるといえますが、不思議なことに「特殊部落」「特殊部落民」と発言したり、雑誌に書いたために「解放同盟」から確認・糾弾されたという事例があります。これは文壇や大学、芸能界の「特殊性」を「部落」になぞらえて表現したことが問題にされたようですが、直接、部落差別につながるような発言や表現とは到底思えないものです。
 「被差別部落」「被差別部落民」と「特殊部落」「特殊部落民」の内容にどこに違いがあるのか?日本社会の中に旧身分を理由に差別を受ける集落や住民が存在することは特殊なことではなかったか?水平社宣言の冒頭にも「吾が特殊部落民よ団結せよ」という文章があるではないか。 
 何故このような論理矛盾が存在してきたのか?そこには、「あなたは部落問題の素人だ。『部落民』が『差別だ』と言えば差別になるのです」という論理が存在することを見出さずにはいられないのです。 
​​​​ そこで今回は部落差別と「部落民」という認識の相関関係を分析し、問題提起させていただきます。

​​​​​​​​
◯「『橋下徹は部落の鬼っ子』部落解放同盟委員長に聞く」(ビジネスジャーナル・2012.12.30)から考える「部落民」​​
​​​​​​​​​
  
​​​​
 標記のネット記事で、「解放同盟」の組坂繁之委員長(組坂さん)が、『週刊朝日』の橋下特集に対して、興味深いご意見をのべていますので検討したいと思います。
 組坂さんの橋下市長(当時・橋下さん)に対するご意見の要点は下記の通りです。
​①橋下市長は、自身のルーツが部落にあることに対するアイデンティティを未だもてない状況にある。だから、水平運動や部落解放運動も理解していない。​
​②私は直接、橋下市長と話したことがありませんが、本当に弱者の気持ちがわかっているなら、先ほど言った部落解放・人権研究所への補助金カットなど考えられません。​
③ある意味では、「部落の鬼っ子」みたいな感じでしょうね。


​​◯「部落民としてのアイデンティティ」とは何か?​​
 
​​ 組坂さんは「自身(橋下市長)のルーツが部落にあることに対するアイデンティティがない」と嘆かれているようですが、アイデンティティ(identity)とは自己の存在証明というものであり、​その認識(cognition)は家族・社会関係および体験によって得られるものですから、​仮に父親が部落出身であったとしても、その成長過程において、被差別体験もなく、家族・社会からも影響を受けていない場合「部落民としてのアイデンティティが無い」のは極めて当然のことなのです​。​​​
 認識とは知覚、記憶、想像、概念形成、思考、判断、推理など、人間の知識獲得・情報処理などの様々な心的活動を指しますから、ほとんど地区外で成長した橋下さんに当てはめるというのは無理なのですね。さらに言えば、今日ではほとんどの「同和地区」(かつて同和対策の行われた地域)の若者にも当てはめることができなくなってきています。
 『週刊朝日』の下劣な攻撃(本ブログを参照)は別として、組坂さんも相当古いですね。先祖が「部落民」ならば「解放同盟」の「論理に従わなければならない」として、「部落の鬼っ子」などと悪罵を投げつけても、「部落民」という感情や自覚のない世代には通じません。
 私たちのような人に説教して運動をしている人間は、人間の認識の過程について知っておくことが大切なようです。
※心理学史の巨人といわれているスイスのピアジ(J・Piaget)は人間の認識を4つの発達段階で説明している。
誕生から2歳(感覚運動期)・感覚と体を使い外の世界を知っていく。
●2歳から7、8歳(前操作期)・頭の中で考えることが出来るが自己中心的。心の中と現実が混同する(アニミズム)。
●7、8から11歳、12歳(具体的操作期)・具体的なことは論理的に考える。
●11、12歳以降(形式的操作期)・抽象的なことや一般的なことを考えることが出来、実際に目の前にいなくても、言葉だけでもイメージすることができるというのである。




​◯「部落民」という自覚の強要は心的外傷(トラウマ)をつくる​
 

 こうした定義を踏まえるならば、その人の認識の原型は生まれて12歳くらいまでに外的作用により形成されることが分かります。12歳頃までに「部落民」という自覚形成が外的な作用によってなされなければ、「部落民」という感情や感覚は生まれないのです。そうした視点からいえば、​​橋下さんに「部落民としてのアイデンティティが無い」のは当然​​なのですね。​
 外部から無理やり自覚を強制するようなことをするのは抑圧となります。フロイトは抑圧というのは苦痛、不安、罪悪感など、自分が意識すると不快な感情となる記憶や観念を無意識に追いやる心の働きのことであり、それは心的外傷(トラウマ)になる可能性があると指摘しています。
 ついでに言えば、人間の発達段階を無視した、非科学的な人権教育・啓発などはやらないほうがいいのです。12歳以降に「お前は部落民だ!自覚しろ!」と言われた場合、「部落民」としての感情や自覚がない場合には心的外傷を作り出す危険性があるからです。
 最近、橋下さんのテレビ・マスコミへの露出度が減っているようですね。超大物ですから私どものような凡人には考えつかない戦術なのでしょうが、自分の知らないことを書かれたり、ネットで「部落民」の代表みたいに書かれてしまい抑圧感を感じているのも原因かな?と思ったりしますが....。
 部落問題について考えると抑圧感を感じる人はぜひこのブログを最初から読んで心を解放してください


​​◯「部落の鬼っ子」だらけになっていますよ組坂さん​​
 
 組坂さんは橋下さんを「部落の鬼っ子」と言っています。「鬼っ子」というのは異端、できそこないという意味ですね。これを「部落民」でない人が発すれば部落差別となるかもしれませんが、組坂さんはなりません。組坂さんには橋下さんが「部落民」という被差別者であるという同質認識があり、被差別者同士の言動は問題にされないという社会風潮があるからです。 
 「部落民」を同質の存在と考える人権認識は科学的ではありません。何度も強調させていただきますが、もともと日本民族内部に「部落民」などという少数民族は存在していません。さらに、「部落民」はすべて親戚・身内でもありません。恐らく組坂さんと橋下さんとの関係も「赤の他人」です。 
 この「赤の他人」という視点から見れば、組坂さんと橋下さんに共通しているのは「部落差別を受ける可能性がある共通の歴史を持っている」だけであり、その「可能性」は社会進歩の中で減少を続けており、同質意識の根拠にはなりません。その例が絶大な人気で知事・市長にまでのし上がった橋下さん自身です。そうした視点からいえば、組坂さんが橋下さんに、「部落の鬼っ子」という悪罵を投げつけるのは誠に失礼と言わざるを得ません。さらに、この悪罵には『週刊朝日』がやったように政敵を攻撃するためには、国民の極一部に存在する「部落」に対する遅れた差別・偏見をかきあげてもいいんだ、という意図が読み取れますね。こうした攻撃方法は部落解放団体としては厳に戒めるべきですね。
 以上のように、組坂さんが例え立派な「部落民」であったとしても、相手の地位や名誉を侵害する目的で、「赤の他人」に対して「部落の鬼っ子」などという悪罵を投げかけることは人権侵害となり、差別となる可能性は充分あるのです。
 「解放同盟」の皆さま、日本社会の激変と国民の意識の変化によって、私たち運動団体には極めてよろこばしい状況がうまれているのです。「部落差別を知らない子どもたち」が続々と生まれているのです。「部落」「部落民」の認識も自覚もない「鬼っ子さん」(わざと「さん」を付けました)が社会に蔓延しはじめているのですよ。
 お蔭様で嬉しいことに私たちのような運動団体は夕日の彼方に消えていくのです。みなさんの力で早く消して下さい。  

​​※すべての人は、万人が平等で独立しているのだから、誰も他人の生命、健康、自由あるいは所有物を損ねるべきではないということがわかるのである。なぜなら人間は皆、唯一全能でかぎりない知恵を備えた造物主の作品だからである。​​(ジョン・ロック『統治論』中央公論社)​


​​​​​​​​​◯​部落差別と「部落民」との相互関係は次のようになります​​​​​​​​​​

​​​​​①「部落民」であるという認識は差別者の存在が前提となります。​​​​​
※「ネット差別」や「差別落書き」のように責任者不在の「創作された差別」は入りません。

​​②差別的実態のあるところに差別者は存在し、「部落民」も存在します。​​
※ 悪口、陰口の類はお互いに注意しあいましょうね。

​③差別的実態がないところでは差別者も存在しないし、よって「部落民」という認識は個人からも社会からも解消されます。​

「部落」「部落民」は歴史用語として残っても、特定の地域や集団および個人を指す用語ではなくなるのです。


​◯部落問題は間違って教えるより教えない方がいい​

 「3歳までは神様のように、3歳からは16歳までは召使のように、16歳からは友達のように育てなさい」。これはカースト制が依然として根強く残っているインドのことわざです。3歳までは神様のように大切にし、3歳から16歳までの間に良いこと悪いことなどが理解できるようになったら親の言うことに従わせなさいという意味です。  
 日本にも「三つ子の魂百まで」という諺がありますね。前記のピアジさんとは少し年齢区分はちがいますが、子どもの認識の発達過程はほぼ同じですね。 
 インドでは3歳から16歳の間にカースト思想がたたきこまれるのですから大変ですね、反対に、この間に正しい人権認識が教えられると大きくカースト思想は転換することになります。「親の言うことに従わせなさい」と言うのは怖いですね。しかし、インドでも少しずつ意識は変化しているようです。
 「部落民」の人と結婚して40年経つ奥様に聞きました。当時「部落民」と結婚することに異質感や違和感を感じませんでしたか?と聞くと、「違和感、異質感なんかありませんよ」。「近くに『同和地区』のあるのは知っていましたが、両親からその地区のことを『悪く言う』のを聞いたことはありませんし、親しくつきあいもしていましたから、私も地区の子とも普通につきあいしていましたよ」と、答えられました。 
​ ​この人に「同和地区」があるという認識はあっても「部落民」は実態として存在していなかったようですね。偏見のない人には「部落民」は所詮ゴーストなのですね。​「部落問題は間違って教えるより教えない方がいい」という見本のようです。​


​​◯運動団体への補助金カットは当然ですよ組坂さん​​
 
 組坂さんは「私は彼(橋下市長)の人権認識はおかしいと思っています。独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館(リバティおおさか)や部落解放・人権研究所への補助金を打ち切ることを決定した」と批判しています。 
 実際に大阪人権博物館に何度か見学に行きましたからいえますが、展示物や資料が「解放同盟」の「監修」で造られているために部落差別の厳しさが一面的に誇張され、とても部落差別解消には「希望の持てない施設」でした。まさに、部落解放・人権研究所は「解放同盟」直属の理論・宣伝機関みたいなものですから、公正・中立であるべき自治体が補助金を支出すること自体が間違っていたのです。
  さらに、運動団体に対する補助金についてはこれまでも書いていますので詳しく書きませんが、自主財政で運動が成立しないのはその運動を社会が必要としていないからです。本当に必要ならみなさん会費や寄付金をはらってくれます。例えば、私たちの神戸人権交流協議会は完全自主財政です。さらに、東日本大震災仮設自治会支援では5年間で200万円近い募金が集まりました。
 最もいい例が日本共産党です。これだけ「共産党ぎらい」がいる日本で、政党助成金も受け取らず自主財政で立派に政党活動を成立させているのですからすごいですね。真の意味で日本国民に必要とされている政党なのですね。


​◯次回は橋下徹さんの言動から部落問題の本質に迫ります​
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このブログは少し橋下徹さんを擁護しているのではという印象を与えているかもしれません。そこでルポライターの佐野眞一さんでは書けない「橋下徹氏の有田芳生氏への意見を検証する」をテーマに橋下徹さんの差別観について書かせていただきます。




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最終更新日  2019年02月06日 13時29分37秒
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