「週刊朝日」橋下徹大阪市長連載記事に対する意見書2
3、朝日新聞は「同和地区」が何かわかっていない 橋下徹氏に対する「週刊朝日」の記事が「差別記事」であることきは明確です。しかし、「おわびします」ではそのことを明確にせず「同和地区を特定した」ことを反省していますが、この記事にある「同和地区」はすでに「週刊新潮」(2011年の11月3日号)に書かれており、そのことを理由に今回の連載をここで中止するのは極めて不自然なことです。 「同和地区」というのは同和対策事業を実施するために決められた区域のことであり、多くの場合かつての「被差別部落」と重なります。そこで、「被差別部落」あるいは「同和地区」という呼称は同義語として使用されてきました。 しかし、前記のように実態としての「被差別部落」も崩壊しつつあり、同和対策が終結した自治体が多くなりつつある段階においては、どちらの呼称も正確に実態を表わす呼称ではありません。敢えて呼称するならば「かつて同和対策が行われていた地区」という意味で「旧同和地区」とするべきです。 しかし、依然として現在も同和対策を行っている地区については「同和地区」という呼称を使用し、地区を特定しても構わないし、甘んじて受けるべきであると考えます。なぜなら、同和特別法が終結して10年も経過しているにもかかわらず、市民の税金を投入して同和対策を継続しているということは、行政だけでなく「同和地区住民」と地域の運動団体の側にも責任があり、その責任を明確にする必要があると考えるからです。「同和対策はやれ、地区名は出すな」などという甘い考えはこの際捨てるべきであると考えます。仮に「週刊朝日」記事中の「安中地区」が依然として同和対策の対象地区となっているとしたら「特定された」としても止むを得ないことであり、「週刊朝日」が連載を中止する理由とはならないと考えます。 「旧同和地区」という認識で地区を特定して使用する場合でも、今回の橋下徹氏の出自に関する記事のようなものは当然ながら厳しく批判され、必要な場合は法的措置も必要であると考えます。また、「旧同和地区」に対して差別的意図を持ち、明確な人権侵害となる可能性がある記述・表現や行為についても道理に基づく批判を加える必要があります。 しかし、明確な差別的意図も無く、実際に差別行為として現れなければ差別とはなりません。運動団体が支部名で特定の地区を明示することは勿論、学者・研究者が部落問題や同和行政について論文で書く場合、マスメディアが行き過ぎた同和行政を批判したり、「解放同盟」の行為を批判したりする場合に地区名が挙げられることは当然ながら許されるべきことです。 特に、具体的事実を挙げて論及しなければならない歴史・教育・文化・行政などの分野における調査や研究活動において使用される場合は当然ながら自由であるべきです。 4、朝日新聞は差別と批判を区別した報道を 各種意識調査の結果を見ると、部落問題に限らず少数民族やニューカマーの人たちに対する偏見や不理解が存在することは事実であります。こうした課題を解決していくためには、自由に人権問題が語り合える社会的状況を作り出す必要がある考えます。 しかし、部落問題に限っていえば、「解放同盟」のような暴力的な確認・糾弾と、それに追随する行政による上からの強制的な「同和研修」が長きにわたり行われてきたという歴史的経緯もあって、依然として自由に討論できるという状態にはありません。 今回の特集記事の連載打ち切りは、せっかくの国民的討論の題材を提起しながら、朝日新聞は橋下徹氏に敗北宣言をし、肝心の問題点を「第三者機関」という「奥の院」にしまい込ませてしまったという印象を与える結果となりました。 私たちは今回の記事が「差別記事」であると指摘しましたが、そのことについて当然反論を受けることも予想し、ある意味それも期待しています。反論を受けた結果、「差別記事」であるという指摘は誤りである場合も予想されますが、その論議の過程こそが大切であると考えています。 朝日新聞はよく「被差別者の側に寄り添う」という言葉を使い、「同和地区住民」や「解放同盟」などの行き過ぎた行為、誤った行為を擁護する報道をしてきましたが、私たち人権連神戸は人権団体(当事者・被害者団体)だから、自分たちの言い分はすべて正しいという立場はこれまでもこれからもとるつもりはありません。討論と対話による真理の探究という立場での問題の解決が重要なのです。 討論・対話による解決を促進するためには、人権団体の側も冷静な対応をすることが大切であると考えています。行政や企業、第三の権力といわれるマスメディアなどによる社会的影響力のある差別(人権侵害)と、「旧同和地区」が解消され、住民同士の交流が前進する中で派生する差別的言動とは厳密に区別した対応が必要であると考えます。 国民同士の問題についてはあくまでも対話と学習によって解決すべき課題と認識すべきであり、運動団体が肉体的・精神的抑圧を加えることにより解決すべき対象ではありません。また、国民の間に時々見られる「差別的発言」の中には、行き過ぎた同和対策、「解放同盟」の「同和犯罪・利権あさり」や「旧同和地区住民」の生活態度などを批判している場合も多々あり、「差別・偏見」に基づく言動とは厳密に区分する必要があります。そして、正当な批判に対しては真摯に耳を傾ける必要があると考えています。 5、朝日新聞は部落問題が解決された状態を明確にする必要がある 朝日新聞に限らず、マスメディアは部落問題の報道は非科学的であるばかりか主体性が欠如しています。その大きな理由には、部落問題の現状認識の誤りと合わせて、マスメディア自身が部落問題が最終的に解決された状態について明確な指針を所有していないからであると考えます。この根本的ともいえる問題点を是正しない限り、旧来の「解放同盟」理論依存の体質から逃れることは出来ないばかりか、今回のような「差別記事まがい」の報道を繰り返すことになることが容易に予想されます。 地域人権連の前身である全国部落解放運動連合会は、かつて「21世紀をめざす基本方向」(1987年3月)の中で、部落問題が基本的に解決された状態を四つの指標(1,部落と周辺地域との格差が是正されること。2,部落問題に対する偏見や言動が受け入れられない地域社会をつくること。3,部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること。4,自由な社会的交流が進展し、融合・連帯が実現すること。)で明確にしました。そしてその四つの指標が基本的に達成されたとして、地域人権連に発展改組(2000年9月)しました。 さらに 地域人権連神戸では、この発展改組を起点として、部落問題が最終的に解決された状態についても論議を重ね、部落問題が最終的に解決された状態を、「日本社会における社会問題が解決されなかったとしても、国民誰もが自らの出自・旧身分を意識することも、それによって不利益や人権侵害を受けることなく、職場や学園、地域社会において生活できる状態」と規定しています。 以上の通り、部落問題を真に解決するために必要と思われる問題点や課題を整理し、その解決の方向性を提起させていただきました。貴紙が鋭意検討され、改善されることを切に希望するものです。