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常識common senseで人権問題を考える      安心・しあわせネット 神戸人権交流協議会

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2024年07月26日
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​​90回記念・一皮むいた部落解放運動の話をしよう​
​​水平社創立100年周年のうち50年間は「同和団体補助金」で運動してきた​​






​今回は一皮むいたはなしです​​

全部ではないが、ほとんどの部落解放運動団体は一皮むくと「同和補助金」があらわれる。みんなは社会ではあまり問題にされることがないから関心はないかもしれないが、部落問題を終わるためには避けて通れない。
「こわい話」になるかもしれないが一緒に考えようぜ。
(人間も一皮むけば骸骨だろう)




 はじめに

 「そろそろ『部落問題』の『終わり』についてお話をしませんか」というシリーズの締めくくりとして、どうしても避けて通れない「同和団体補助金」(以下「同和補助金」)について考察することにした。
 ほとんどの部落解放団体は水平社運動が「部落民」の自主的運動であること、その歴史と伝統を受け継いでいることを主張している。しかし、あの水平社創立の日に集まった「部落」の人たちの中に、行政から交通費や宿泊費をもらって参加した人はいたであろうか。 
 当然ながらいないはずだ。恐らく、多くの人は長年にわたる理不尽な部落差別への義憤に駆り立てられ、なくなれば明日の生活に困るなけなしの金を握って参加したはずである。「同和補助金」は時代は変化したから、運動の成果だと言えば言えるかもしれないが、水平社の人々が目指した「人間発達」にかけた想いを損なってはいないだろうか。
 今日の部落解放運動団体の多くは行政の「同和補助金」に支えられて運動をしているはずだが、ほとんどそのことを明らかにすることはない。また、マスメディアはもとより人権や部落問題に関わる団体や研究機関なども真正面から問題にすることはほとんどなかった。 
 私たちが知る限り、正面から問題にしたのはルポライターの寺園敦史であった。寺園氏は『だれも書かなかった「部落」』(1997年・かもがわ出版)の中で、京都市が部落解放運動団体に支給していた違法な「同和補助金」の実態を明らかにした。「解放同盟」のことはわからないが、京都の地域人権連はそうした批判に誠実に応え、組織が財政的に危機に陥ることも恐れずに粛々と「身を切る」是正をすすめたと聞く。誠に潔い。
 それからほぼ30年近くが経った。最近、『地域と人権』(全国人権連の機関紙)の報道で、福岡県飯塚市の日本共産党市会議員団がビラで飯塚市の「解放同盟」への「同和補助金」の実態を明らかにし、市民に廃止を訴えていることを知った。
​ 早速、そのビラを取り寄せて内容を検証して愕然とした。顔は「解放同盟」、体全体を動かしている心臓は「同和補助金」という奇体な組織が「部落」を固定化し、「部落」の人たちの「自立」と市民交流を妨げていたのである。​
 私たちは部落解放運動団体への「同和補助金」が「公益性」がなく、違法だから廃止しろ、という単純な批判をするつもりはない。むしろ部落差別を解消する運動の中で、人間発達を遂げるべき「部落民」に「同和補助金」がどのような害悪をもたらしてきたかを明確にすることで、真に部落差別の解消を願うすべての人々に、「部落問題」を「終わり」にするための最後の課題が「同和補助金」の返上にあることを認識していただくことを願い、この記事を発信した。

​※詳しくは2019年08月29日・「グローバル時代到来―「部落差別」は日本人の恥です ―著名な寺園敦史さんからお便りをいただきました―」をお読みください。​​
 


​​1、「同和補助金」に「公益性」がないのに50年以上も支出している​​


​同和補助金の事例―部落解放同盟飯塚市協議会が飯塚市に対して行った補助金の増額要求​​

上の資料は「解放同盟」が飯塚市に要求した新たな補助金増額を要求するための根拠とする配分表である。
​​支部長手当や支部活動費に「公益性」はあるか!?
しかも、これは補助金の全額ではないが、これだけでも1年間で2,660,500円もある。​​


​●資料は「日本共産党飯塚市議団活動レポート231」を使用。​




 「同和団体補助金」(以下、「同和補助金」)とは、地方自治体が同和対策を円滑に推進させるために、「同和地区」(部落)の部落解放運動団体を「同和問題の解決を図ることを目的として活動する団体」として位置づけ、支出する補助金のことである。自治体の支出する補助金について地方自治法では「公益上必要がある場合においては寄附または補助することができる」(第232条の2)となっているから、すべての補助金が違法ではないことはいうまでもない。
​ しかし、全国各地の地方自治体で支出されている同和補助金の内容を散見すると、運動団体の基本活動である定期大会や総会、研究会、女性集会、政府交渉への代表派遣のための諸経費が含まれている。当然ながら、こうした活動は「公益上」必要なものと言えない。ましてや、数々の暴力・利権あさりで名をはせてきた「解放同盟」の活動に「公益性」が存在するなどとは到底考えられない。​
 同和特別法が終結して22年も経過しているのに、全国の数多くの地方自治体では依然として「解放同盟」に対して補助金を湯水のように支出している。特に九州方面の自治体はひどい状態である。
 なぜか?


​​​2、「同和補助金」で部落解放運動の対立を煽っている​​​



​同和補助金の事例―福岡県飯塚市の「解放同盟」は税金で運動しているのだ​

上の文章は「解放同盟」が飯塚市に対して、補助金の増額を要求し、それを飯塚市が了解するまでの経緯を説明したものである。
特定の運動目標を持つ団体が「公益団体」であるかのように補助金を受け取り続けているのだ。
「同和対策」で住民を分断し続け、「同和地区」の住民の「自立」への意欲や決意を阻害しているのである。
「解放同盟」も問題だが、長年にわたり、それを許している飯塚市の主体性も疑わざるをえない。
自民党の「闇金」が問題となっているが、こちらの方の補助金の使途は明確になっているのだろうか?
支部長手当は何に使われているのか?支部活動費の使途は明確にされているのだろうか?

​●資料「日本共産党飯塚市議団活動レポート231」を使用。​




 行政は税金を集めておきながら、その税金を補助金として使い住民を支配する傾向を持っていることはいうまでもない。簡単に言えば運動をコントロールし、住民自治支配に活用することである。
 例えば、市政の中に自治体の支配に従わない団体があるとすれば、当局は①排除するか、②対立する団体を育成するか、③補助金づけにして飼いならすかの方法をとる。「同和補助金」は③を活用して対立を煽るというやり方である。
 誠にいいにくいことだが、九州地方の部落解放運動はこのトリックに完全にはまっているようだ。「解放同盟」に多額の補助金を渡す。相対する地域人権連にも活動を最低限保障するために、少額の補助金を渡すことで、「解放同盟」への補助金を正当化し、対立を煽る。その対立の上にあぐらをかいているのが地方自治体なのである。
 ​マックス・ウェーバーは支配の原理を以下の通り指摘する。​
 「支配の特殊の安全装置は、一般的な形でいえば、次の点にある。すなわち指導者の命令に服従することに慣れ、支配とそれのもたらす利益とにあずかることによって、支配の存立に個人として自らも利益を感じている一般の人々が、引き続き命令するままに動き、かつ、支配の維持に役立つような命令権力や強制権力に参加するということ(「組織」)、がこれである」『マックス・ウェーバー 支配の社会学1(27)』(マックス・ウェーバー著・世良晃志郎訳・創文社)
 支配者は自らの意に沿う団体に地位と名誉、金銭を与えて優遇するが、その団体が増長し、自らの支配に悪影響を与えないように、その団体に対立する団体をも同時に育成する。
 部落解放運動においては各団体に支給されている「同和補助金」の額を見れば、その自治体の支配者の考えている団体の利用価値がよくわかる。



​​3、「同和補助金」は部落解放運動を「上げ底」している​​




​同和補助金の事例―福岡県の飯塚市では「解放同盟」になんと年間2000万円をこえる運動資金をわたしている​​

恐竜は生き残っていた。
​私たち神戸人権交流協議会は、ほぼ30年前にすべての「同和運動補助金」を返上したのに九州の自治体では続いていたのだ。​
同和特別法が33年間で終わり、それから22年経っている。通算すると50年以上になるのに、飯塚市の同和対策は終わっていないのだ。
​​​上の表は福岡県飯塚市の「解放同盟」が市に提出した補助金増額の請求書のようなものだ。資料によれば飯塚市では未だに同和対策を継続し、「解放同盟」に総額で年間20,432,500円の運動資金を提供しているのだ。なんと2000万円もらって運動する。これはもう「解放同盟」天国だ!​​​



 「同和補助金」が運動支配の手段であるとしても、運動する側から言えばとても有り難い。運動を財政的に保障するお金を集める必要がないからだ。本来、運動団体は団体の目的を達成するために行う諸活動のために、団体構成員から会費や寄付金を集める。この会費や寄付金が多く集まるほど質の高い組織なのである。 
 誤解を恐れずに言えば、部落解放運動は「ルンペンプロレタリアート」の運動だと「陰口」をたたかれたことがある。それは組織の構成員が地域の貧困者や未組織労働者の結集する地域住民団体であるために、政党や労働組合のように高い自覚と団結力のある組織ではなく、政治的には動揺しやすく、権力や利権の誘惑に弱いなどの傾向を強く持っていたからである。そこに「同和補助金」が入ると、必然的に組織は会費や寄付金を集める努力を低下させていくことになる。
 ましてや部落解放運動は運動の大衆的な基礎を作り上げる主要な方策として、同和対策による利益誘導と「同和補助金」を利用して組織化をすすめてきた。その結果、組織の質を充分に成熟させないまま組織を拡大してきたのである。 
 その結果、現在の部落解放運動の組織実態は、自主財政によらず行政の補助金に頼る「上げ底」の組織である。この「上げ底」状態を長期にわたり継続していくために行政依存から自立できないのである。
 九州方面の部落解放同盟の組織状態を観察すると、顔は「解放同盟」であるが、心臓は行政であり、体を動かしている血液は「同和補助金」であることがよくわかる。
 有体にいえば「同和補助金」の怪物である。



​4、「同和補助金」を守るために「部落差別」を探し続ける​



​​九州地方の同和対策―熊本県では「解放同盟」は社会福祉団体の扱いだ​​

熊本地震の支援で熊本市内の県社会福祉協議会のビルを訪問したら、2階に部落解放同盟熊本本部の事務所があった。
「解放同盟」は水平社の「後継団体」と自称する自主的・民主的な運動団体のはずだが、いつから官制の社会福祉団体の一員になったのだろうか。
神戸では考えられないことだ。




 九州方面の「解放同盟」は「同和対策」を「差別がなくなるまでやらせる」と、主張しているそうだ。そして、その差別の根拠としているのは、だれがどういう目的で発信しているかわからない「ネット差別」である。
 本ブログで日本の歴史に封建社会があり、身分制度があったという事実は消せないから、どうしても歴史認識上での錯誤が生まれることがあるので「部落差別」が「0」になることはないと提起した。 
 さらに、「ネット差別」は、長年にわたる人権教育・啓発による誤った「身分論」の流布、かつて横行した「解放同盟」による暴力・利権あさりに対する不満や恐怖の残滓(残りカス)と強欲資本主義による搾取強化の中で発生するストレスが結合して発信されるものが多いから、その原因を除去することなしに根絶するのは困難であることを指摘した。 
 さらに、「ネット」は匿名性が高いから、運動関係者が自らの運動目的を達成するために「差別発言」(当初の「ネット」では「ド素人」が書いたと思えないよくできた記事が見られた)を発信することも可能であるから、「ネット差別」を部落差別とするならば、部落差別は簡単には無くならないであろう。
​ 九州地方では「ネット差別」が根絶されるまで「同和対策」は終わらないし、「解放同盟」は「同和運動補助金」をもらい続けて運動を続けることになる。「解放同盟」は「部落差別-無限列車」に乗っているのだ。​




​​5、「同和補助金」は地域社会に「部落」を固定化する​​



​​九州方面の「解放同盟」は自治体からの補助金がなければ消えていく​​

神戸人権交流協議会は「アホみたいに」、「同和運動補助金」なしに30年以上も運動を続けている。
九州方面の「解放同盟」は飯塚市だけでなくほとんどの自治体で「同和運動補助金」をもらっている。
なんと財政基盤が税金なのだ。
差別の実態が無くなり、部落解放運動の主体となる「部落民」が激減する中で、これから自主財政を構築するのはもはや不可能だ。
ゆえに補助金が無くなれば確実に消える組織なのだ。

◯写真の骸骨の言葉​「日本中から差別が一件もなくなるまで補助金をもらえるといいね」​




​ 同和特別法が33年間で終結してから、すでに22年目だ。その間も同和対策を継続していたとしたらもう50年以上になり、水平社創立100年の半分は同和対策を受けてきたことになる。このままいけば、水平社創立150年、200年になっても同和対策を受け続けることになるだろう。​
 同和対策は周辺地域との格差を解消するための特別対策であり、それ以上でもそれ以下でもない。ましてや資本主義社会における貧困問題を「同和地区」に限って解決することなどできるわけがないのだが、「解放同盟」などは一般地区との格差を強調し、同和対策を要求する根拠にしている。 
 かつての地域社会は、地域の神社を中心にした共同体意識を持ち、農耕を中心とする生産活動に従事し、それによって習俗・習慣や価値観を共有してきた。そのために、血縁・地縁が尊重され、部外者に対しては極めて閉鎖的であった。しかし、産業の発展と都市化の進行とともに、職業の多様化、核家族化、貧富の格差の広がる中、血縁・地縁を中心とする共同社会は衰退し、個人の自由・平等を基調として交流が広がってきた。
​ 深刻なのは、こうした変化にもかかわらず、同和対策により「同和地区」が50年以上も固定化されていることだ。「同和地区」とは「部落」のことであるから、そこに居住する人たちは「部落民」となり、地域社会の一部に時空をこえて「身分社会」が現存していることになるのである。その結果、「同和地区」は地域社会の中で孤立し、そこの構成員に違和感と異質感を与え続けるのである。 ​
 行政と「解放同盟」が共同して、封建社会に存在していた「部落民」の復活と固定化を進めているのだ。



​​​6、「同和補助金」は部落解放運動を「卑屈」にさせる​​​





​「解放同盟」に運動補助金している自治体に「ふるさと納税」する必要ありますか?​​

飯塚市は「ふるさと納税」では、返礼品がいいからということで、多額の寄付金を全国から集めていることで有名な自治体だ。
飯塚市以外の自治体でも「解放同盟」に補助金を支出しておいて「ふるさと納税」で潤っている自治体がある。その「ふるさと納税」の一部が「解放同盟」の運動補助金に支出されているのだ。​
市は「ふるさと納税」は使用目的を特定しているというだろうが、それはあくまでも名目、市財政の全体から見れば、「ふるさと納税」からも支出されていることになる。
ゆえに「解放同盟」に補助金を支出するのに反対の人は、当該の自治体には「ふるさと納税」をしない方がいいのではないか?
あまり言うと怒られそうだからこの辺でとめておこう




 同和対策を終結し、「同和補助金」を廃止することは部落解放運動の自主的な努力では困難なようである。そこには組織の存亡を左右する「金」の問題があるからだ。
 組織は社会的必要性により生まれ、必要性がなくなれば解散するが、組織を運営する主体が自己の欲望や願望に溺れると、社会的必要性に関係なく維持・存続させようとする場合がある。特に、名誉、権威、利権などが得られる組織については、その傾向は強く現れる。 
 「解放同盟」にとって「同和補助金」は組織を存続するために不可欠であるから、「差別のある限り」を名目として、「差別」を探し続けるのが宿命となった。かつては数多くの「差別落書き」を発見した。その中には「自作・自演」さえもあった。その後現れた「ネット差別」は恰好の口実となったが、これはもう、かつての部落差別という代物ではない。
​ 「ネット差別」が叫ばれていても、部落差別は確実に解消に向かい、「部落民」という自覚は急速に消えつつある。それは「部落民」の自覚を基礎とする「解放同盟」にとっては極めて危機的なことだ。それは組織構成員の減少を意味するからだ。しかし、行政から「同和補助金」を受けとり続けている限り、組織は「上げ底」状態であっても存続できる。その結果、宿命的に組織維持―差別探し―「同和補助金」という連鎖は半ば永久に続いていくことになるのである。「解放同盟」は部落差別の解消という事実から目をそらし、主体性を失い、「同和補助金」に従属してしまったようだ。​
​ 中国の作家魯迅は小説『阿Q正伝』(あきゅうせいでん)で、阿Qという貧しい無知な主人公が富裕者や権力に卑屈にこびへつらい、権力に迎合しながらも、結局は破滅していく姿を描き、中国の後進性が自らの権利を自覚できない無知にあることを告発した。​
 ​水平社運動の掲げる「水平社宣言」には微塵の卑屈さもない。​
 それは自主・自立の旗の下で闘ったからである。その時代の人々が、今の運動が権力から活動資金をもらいながら部落差別を無くす運動をしているのを知ったら、「卑屈なり!」と怒るのではないだろうか。




​7、「同和補助金」から自立を決意した神戸の経験―同和公営住宅家賃の適正化​​



​同和対策の見直し?こんな中途半端な見直しホンマに意味あったの?​​

神戸市が「同和公営住宅」の家賃を一般公営住宅の50%まで引き上げると決めたとき、九州の有名なジャーナリストから「狐を馬にのせたようなもの」と批判された。
これは50%では駄目、100%にしろ。こんなことは、「いい加減で信じられない、信用が置けない」という意味だ。
そうだその通りだ!どんな意味があったのだ。
​◯でも50%の改革が出来ないものに100%の改革ができる?​



 私たち神戸人権交流協議会が「同和補助金」を返上した経験について語ろう。
 神戸市民の間に「同和公営住宅家賃が安い。安すぎる」という批判が広がっていた。(今でもそう思っている人がいる)こうした批判に応え、神戸市は「逆差別解消」をかかげ、全国的に同和対策の最盛期に同和施策住宅(以下、同和公営住宅)家賃の適正化(1982年7月)の取組をすすめた。 
​ 同和公営住宅家賃を一般住宅の50%に引上げるという見直しであったため、家賃の値上げは居住者の日常生活に直結する重要課題であり、「家賃が安いのは差別の代償だ‼」と主張する「解放同盟」の扇動もあって、同和公営住宅の居住者だけでなく、全住民を巻き込む大議論となった。 ​
 同和公営住宅の関係地区で開催された住民説明会はヤジと怒号、灰皿が飛び、椅子が蹴られ、ひっくり返るなど大紛糾した。しかし、神戸市は行政の主体性を堅持し、「部落問題を解決するためには家賃の適正化は必要」という姿勢を貫いた。当時の住宅局の幹部の一人は宮崎辰男市長から「死ぬ気でやれ」といわれ、高額の生命保険に入って説明会に臨んだそうである。(少しおおげさに思ったが、そんな雰囲気もあった)
 この時、神戸人権交流協議会(当時・全解連)も組織存亡の危機に直面した。組織内からも「家賃は安い方がいい」という意見も出され、居住者からは「全解連に裏切られた」という批判を浴びることになった。それでも「組織がなくなってもかまわない」という覚悟を固め、神戸市や地元住民団体とともに火中に栗を拾いに行くがごとく、住民を説得して廻ったのである。
​​​ この激しい議論の中での合意形成の意義は大きいものであった。その意義とは、行政、運動団体、住民とが直接対話することにより、同和対策は一般地区との格差を是正するための特別対策であり、特別対策は永遠に続けてはならないこと、部落差別を解決するためには自立が必要であるという認識を定着させたことである。​​​
​ ちなみに現在では同和公営住宅は神戸市内にはない。公営住宅法の一部改正(平成八年八月三〇日)に伴い、同和公営住宅にも応能応益家賃制度が適用され、一般公営住宅に暫時移行したからである。​

​※詳しくは2017年04月28日・「部落問題解決に覚悟はあるか!?」をお読みください。​​




​​8、「同和補助金」の返上を決意した神戸の部落解放運動​​



​​自立―この決意が神戸の部落解放運動の方向を変えた​​

同和対策から「自立」する。人間は目先の利益に縛られているから、利益に固執する。しかし、将来の利益、本質的な利益に気がつけば、目先の利益を放棄することができる。
家賃を50%にする。これだけのことだが、「自立か」「差別代償か」で、神戸中の「部落」で議論が沸騰した。そして、住民は「自立」を選択した。

◯100%しか意味がないと言った人たちと話してみたい。



 私たち神戸人権交流協議会は「同和補助金」をすべて法期限内(1995年)に返上した。その理由は、「部落差別をなくす」という大義のために、「部落」の住民に同和対策からの「自立」を提起する運動団体が、裏ではほとんど「公益性」のない「同和補助金」を受取り、その「同和補助金」に従属し、運動を続ける行為は住民に対する裏切りであると考えたからであった。さらに、この「自立」の運動が「部落」の住民と一般地区の住民との間にある壁を打ち破り、協同の輪を広げ、部落差別を解決する力になるという確信であった。「自立」とは、「他からの影響や従属から離れ、独り立ちすること」という意味である。
 この「自立」を進める運動に多くの理論的示唆を与えてくれたのは、池上惇京都大学教授(当時)であった。池上氏は「『人間らしさ』とは、人々の対話、交流、協同、連帯などの諸活動によって、人々の潜在的力量を引き出し、一人ひとりの労働能力、生活能力、情報処理能力、統治能力を高め、社会の意思決定がかかる能力をさらに高めるように行われることである」(池上惇『人間発達史観』青木書店)
と、「自立」は人間発達の根源となり、困難な課題に直面しても、学習し、団結し、協同と連帯で解決していく事が、「部落」の住民の生活・教育・文化における人間力の発展の可能性を引き出すものであることを提起してくれたのであった。
 財政は組織の基礎であり、運動団体の質・量を反映するものであると同時に構成員の質も決定する。運動団体は「運動の成果」「運動の力」として誇示しているが、実際は財政の基盤が自治体に支配され、自主性を失っていることは明白であろう。
 運動団体が自主性を失うということはどんな意味を持つかといえば、現状に満足し、社会や社会意識の変化が見えにくくなり、新しい要求に対応する運動が構築できなくなるということである。実際に「解放同盟」のやっていることは今も昔も「差別探し運動」である。だから金はあっても組織は衰退していくしかないのだ。
 

​​9、「同和補助金」から自立―協同(共同)型の新しい運動への道​​



​蓮の花・「同和補助金」で部落解放運動を続けている皆さん、​もう国民のみなさんに甘え続けるのはやめよう​​​​

極楽浄土へは他力本願でいけるかもしれないが、部落差別をなくすのは自力本願しかないのだ。




 「部落解放運動に暴力団を入れない」という神戸人権交流協議会の先人たちの知恵と勇気が作りだした歴史と伝統がある。
 この知恵と勇気は現在にも受け継がれている。その最も典型的な事例がコロナ禍のもとでのたたかいである。神戸人権交流協議会の民主企業組合は神戸の「部落」を中心に50年間にわたり、中小業者の営業と生活を守るために活動してきた経験から、​中小業者の実態や心理を充分理解していた。​
 政府が100万円の給付を決めた時点で、早速怪しい話が「部落」だけでなく、神戸市内全域で横行し始めた。仲介業者に高額な手数料を払えば、「不正」な申請であっても司法書士や税理士が「簡単」に申請してくれるというものである。実際に事務局にも「手数料を払うから協力してほしい」という申し入れがあった。 
 ​​政府の決めた申請制度は高齢化社会なのに申請をネットでしか受け付けないというもので、高齢者やスマホの扱いが不得手なものは申請するな、申請したければ高い税理士や司法書士に高い相談料をはらえという理不尽なものであった。
​ こうした情勢を踏まえ、民主企業組合は「部落」の自治・コミュニティを破壊するような不正行為を絶対許さないとして、すべてコロナ関連相談は全て無料で行うという方針を確定し、相談活動を進めた。「無料」は「有料」に対する大きなカウンターとなった。相談件数は2年間で約2000件をこえた。同時に事務局はほぼ2年間にわたり休みなしで相談活動に埋没させられた。​
 民主企業組合は行政書士(民主企業組合の事務局員)を中心に、年寄りでもわかる「ネット申請手続表」を作り、それに基づき学習してもらった。「お好み焼きは焼けるけど、スマホでこんな難しいことできるか!」「なんでこんなことさせるんや!」と文句を言われ、怒られた。理解出来たら自分で申請書の出来る力がついた人から順番に行政の設置した申請会場に行かせるか、スマホで申請をさせた。
​ 申請が終わると、「できた!」「できたぞ!」と事務所に笑顔を満面に浮かべて報告に集まってくれた。怒っていた人も自分の潜在能力に感動して涙を流していた。​
 私たちはこれこそが人間発達の運動だと確信した。 
 水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という魂の叫びは、虐げられ、困難な中でも共同の力で自己の能力を全面的に開花させ、人間として輝く姿を表現したものではないだろうか。
 「同和補助金」の廃止は部落解放運動を自主的な運動に質的転換させ、「部落」の枠を破壊する協同(共同)の運動を発展させ、人々の意識の中から「部落民」を消し去ってしまう出発点になるのだ。
 一皮むけ。





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最終更新日  2024年07月26日 20時41分44秒
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