ポール・マッカートニー&ウイングスが発表した初のシングル「アイルランドに平和を」は、ポールには珍しいプロテストソングです。1972年1月30日、非武装の公民権運動デモ行進中の北アイルランド、デリー市民27名がイギリス第一歩兵大隊パラシュート連隊に銃撃された事件、俗にいう「血の日曜日事件」に衝撃を受けたポールが、急遽、予定していた「WILD LIFE」の中の「ラヴ・イズ・ストレンジ」に差し替えて2月25日発表しました~事件後、1ヶ月に満たない短い期間で曲を書き上げ、バンドでリハーサル、レコーディング、そして販売に持っていくという、かなり、忙しないシングル・デビュー作となりました・・・
予想された事ですが、「血の日曜日事件」当事国のイギリスではBBCをはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受けました。チャートはイギリスで16位、アメリカで21位で、他の人ならともかく、ポールの実力からしたら、不発の部類といっても差し支えないのでは~といっても当然ながらアイルランドでは1位。他に日本(洋楽チャート)、スペインで1位を獲得しているのはさすがですね…
このポールのプロテストソングに対し、嘗ての盟友・ジョン・レノンは、「歌詞が幼過ぎる」と批判する一方、「歓迎すべきだ」との肯定的コメントも残しています~当時、ポールと子供じみた喧嘩の最中のジョンのコメントとして考えれば、このコメント、かなり好意的といえるのではないでしょうか(笑)
もちろんジョン自身も、この悲劇的な事件を曲にしています。
1972年に発表した『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録された、「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」と「血まみれの日曜日」の2曲が、それです。
「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」は、イギリスによる「アイルランド侵略→収奪→虐殺」によって嘆き悲しむアイルランドの民の嘆き・悲しみ・怒りを代弁したもので、すなわち民の声の歌といえるものです。この曲には民の声だけでなく、アイルランドにまつわるものが散りばめられています。歌詞にはアイルランドの国の花の「シャムロック」、アイルランドの古名の「エールランド」、アイルランドコノート州の州都で港湾都市の「ゴールウェイ」、アイルランド民話に出てくる妖精の「レプラコーン」、口づけすると友好的になるという伝説を持つ石の「ブラーニーストーン」が登場して来ます。
この曲はアルバムに収録する以前に完成しており、前作の『イマジン』が発売されていた頃にはアイルランド支援コンサートでこの曲が披露されている点から、かなり前から作られていたようです…
残念な事に、この曲、シングル・カットされておらず、一般的によく知られていませんが、僕は「イマジン」と並んで~といってもいいほどの名曲と思っています…
英語ですから意味は判らずとも(笑)、何か胸に来るものがあります…
Give Ireland Back To The Irish RARE
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TVのライブ The Luck of the Irish
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