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漫画家の松田洋子さんの「父のなくしもの 」という作品がよさそうなツイートを散見したのを機に
私自身の亡き父についても考えることがあり、大したことではないのですが記録しておかねばいけないと思ったので、ここに作文します。(長文です) 優しい父が亡くなった時には、私は涙は出なかった。 父は幼いころに戦争で祖父をなくし、祖母と二人親せきの家で身を寄せて生活していたそうだ。 自らを抑えて、生きるために我慢する事がきっと多かっただろうと思う。 我慢強く、自ら置かれた環境に馴染むのに長けた父はそのために優しくなれたのだろうと思う。 心臓が弱っていた父は、心臓関係の治療に良いとされている病院に入院したことがあった。 そんな父が病院に対して何か強く気に入らないことがあって病院を抜け出し行方不明になったと母から連絡受けたときには私は涙が出た。 妻に「泣いているの?」と言われたのを覚えている。 父は別の病院の受付で働いている妹の前に現れた。 財布を持たずに脱走して、道中の事をあまり覚えていないと聞いた。 でも、のどが渇いたので自販機の前にいたところに見知らぬ人がジュースかお茶を買ってくれたそうだ。 その後は妹の勤める市立病院に転院ししばらく安静に過ごした後、自宅に戻ってきた。 戻ってきても、すっかり弱ってしまっていてあまり外出もできなくなり検査結果が良くないと再び入院するといったことを繰り返しているうちに逝ってしまった。 最後の入院の時に、私は父を元気付けようと思い購入したばかりの新車のパンフレットも見舞いに持参した。「お前はたいしたもんだな」と感心された。 退院したらこの車でドライブしようと話し、どこがいいか聞いたら父は「ニューヨーク」と応えた。 冗談だと思って父を見たが真面目な顔だった。もうどこにも行けない確信があったのかもしれない。 ニューヨークはかつて父と母が旅行を計画していたのだが、渡航直前に9.11のテロがありキャンセルしたことがあった。当時は「またの機会に」と軽い気持ちでいたのかもしれないが結局、行くことはなかった。悔しかったのかもしれない。 買ったばかりの新車に父の遺骨を載せて墓地のある父の出身地の福島県まで運んだ。こんな形で新車に乗ってもらうとは思っていなかった。せめて新車でよかったなと思うことにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.03 05:13:00
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