城バカ日誌 ~東北城館魂 雑記帖~
城館47
雑記59
私事32
遠征35
資料12
FD3S1
全47件 (47件中 1-47件目)
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ちょっとだけよ~アンタも好きねぇ~ ・・・・・・・・・・・・・ それは加トちゃん(笑) などとくだらない冗談はさておき、、、 何とも奇妙なこのタイトル「カトウドの城」とは一体なんぞやといった所ですね。 今年の夏に県立図書館で資料収集に勤しんでいた折たまたま『「カトウド城」の所在地を推考する』という若松鉄四郎氏の論文を目にし、この「カトウド」なる響きが非常に気になっていた次第です。 その論文によると、安東愛季の没後に起きた湊合戦時に実季勢が湊城・脇本城を放棄して檜山城に籠城する作戦を選んだ際、その檜山城の支城「カトウドの城」を前哨基地とし、激戦が繰り広げられたという記述が『湊・檜山両家合戦覚書』において伝えられているとの事。 この「カトウドの城」の所在が明確ではない、という事で若松氏が伝承・地理的位置・候補とされる各諸館の構成など色々調べられた上、結論から言うと三種町の「館の上館」がカトウドの城に推定されると論じられております。 その「館の上館」と安東氏の拠点である三ヶ城の位置関係を記すとこのようになります。 こうして見ると八郎潟が邪魔しておりますが、確かに脇本城と檜山城の中継位置にありますし、船舶での移動・物流を考えても八郎潟から館の上館へ積み下ろしをして檜山城へ移動するには絶好の地です。さて、その館の上館(推定カトウドの城)にこの度足を運んで参りました。T山のモチベーション(士気で表記)の変遷も明記しました(特に意味はないです)鳳来院鵜川と大曲の中間地点に位置します。この裏手の台地上が館跡です。【士気75】 隣接している斎場と寺の墓地の間にケモノ道を発見、登ることに。それにしても良い気分ではないですね(笑)【士気(↓5)70】 ものの数分で登り切りますがいきなりの藪だらけ。見た感じ右側に迂回出来そうなので行ってみます。【士気(↓10)60】 迂回すると何故かここだけ藪がないエリアに。段々モチベーション下がりまくりで自分の影が写っても気にしない・・・そしてなぜか焼酎「大五郎」のボトルと風呂の汲み桶が・・・(笑)どうせなら秋田が誇る焼酎「そふと新光」であって欲しかったですね。(最近CMが気に入ってふんわり鏡月ばっかりのT山でした)【士気(↓5)55】 ここより縁部のみ藪がない状態が続きます。コンパスの動きが不安定だったこと、縄張り図を読み違えた事により、ここを北辺と思っておりましたが、後で東辺だったと解りました。【士気(↓5)50】 上記の誤りにより、ここを空堀と思っていたのですが画像見たとおりの笹薮・・・・明らかに違っているのは解るのですが、現状打開するにはもはやここを進むしかないと決断。【士気(↓15)35】こんな笹薮の海を漕ぎ出した瞬間、目の前をケモノが走り去る音!大きさからして大型犬クラス、速さから言ってタヌキではない。キツネにしては大きすぎ、カモシカにしては小さすぎる・・・ひょっとして、、、、クマ?あ・・・熊鈴持って来るの忘れた。【士気(↓20)15】笹薮の海を漕ぐ事数十メートル、辿り着いたのは目指していた空堀!『秋田県中世城館調査報告書』によると幅10メートル、長さ90メートル、深さ2メートルの規模。まさにこれです!!一気にテンション↑↑↑↑です。【士気(↑40)55】堀底に降りてみました。う~ん 良いですねー。元来土塁派の私ですが、ここ1~2年の間で空堀派に趣旨替しそうです(笑)ここでコンパスも方角をはっきり示すようになり、位置関係が掴めました。【士気(↑5)60】多少規模は縮小しますが、空堀は南側に伸びており確かに90メートルはありそうです。期待は高まります。【士気(↑10)70】空堀の向こう側です。こちらは耕作地として活用されておりました。便宜上、先ほどの藪だらけの郭を「東郭」こちらを「西郭」と呼ぶことにします。東郭は西郭の先にあり、休耕地となっているため藪だらけのようです。【士気(→0)70】西郭中央部です。縄張り図ではここで区切られており、縄張り図上で最初空堀かと思っていたのですがよくよく見ると空堀ではなく、段築もしくは土塁の標記のような・・・いずれにせよ現在、遺構は何も残っておらず畦道程度です。【士気(→0)70】縄張り図では西郭は東郭の3倍以上の面積であり、さらに西郭の西端にも空堀が存在しているとの事。その規模は幅10メートル、深さ4メートル、長さ50メートル!深さは先ほどの倍です。期待は高まります。【士気(↑5)75】あれ?この辺にある筈ですが・・・30分ほど探しましたが見当たりません。まさかそれほどの規模の空堀を見逃すとも思えず、、、結果的に埋められたのではと推測。ちょっとガッカリです。【士気↓10)65】館跡の西側です。現在は住宅地となっています。かつては「カトウド」と呼ばれており、館の上館がカトウドの城に推定される一因となっております。「カトウド千軒」とも称され、その繁栄が推測できますが今は・・・です。【士気→0)65】以上、カトウドの城を巡ってみました。この西側には嘉藤戸道(カトウドウドウと読む?)が存在し、脇本城 --- カトウドの城 --- 檜山城と続いていたそうです。そこまでは今回調べられませんでしたが、次回のお楽しみに取っておきましょう(笑)さて、これから積雪までどの位訪城堪能出来るでしょうか。
2014年11月09日
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金曜日の夜、21時過ぎに岩手からの帰宅途中秋田自動車道錦秋湖サービスエリアでちょいと仮眠をとったつもりが気づいたら0時半だったT山でございます(爆)ご無沙汰致しております。すっかり年報のような体を擁している当ブログですが皆様お見捨て無きようお願致します…さて、久しぶりの更新でこのタイトル、、、中世城館である黒川館に関してです。黒川館跡に、浦城が落城した後、紆余曲折を経て城主の子孫が移り住み後に豪農三浦氏の邸宅として機能しており、今日に至ります。現在、三浦氏は居住していないものの常時公開はされておらず、年何回かの公募される機会にしか見学できない、即ち「黒川館は応募しないと入れない」という事になっております。今まではTVや新聞等で「先日三浦館が公開され多数の見学者が…」などというニュースを見て「あーあ しまった。今年も見そびれた」と後悔しておりましたが、今回はたまたまネット検索していて公開日8月27日の1週間前に気づき、カミさんに応募を頼み(今回も報酬はお酒)、何とか滑り込みで参加致しました。ただし…金足の旧奈良家とセットでの見学となっておりました。当日、まずは午前中で旧奈良家の見学です。旧奈良家住宅偶然(?)写ってしまったリックドムカミさん画像はほとんど撮っておりません。ですが広大な敷居に数々の建造物、中々興味の持てる見学会でございました。そして午後、念願の三浦館、いや黒川館です。(参加者自主移動)黒川館 遠望実はこの日、天気予報では雨でしたが午前中は怪しい晴れ模様で、午後からはこのような素晴らしい天候に。普段は閉ざされているこの門、今回は開門して頂きました。おおっこれが普段非公開の黒川館(の一部)!ちなみに『秋田県の中世城館』においては1郭と称されております。ところでこの敷地内に勧請されている画像に写る稲荷神社ですが「これって中世時期は館神祀られていた跡だよね」と心の中で呟くワタシです(笑)そして見学開始早々、引きのショットを見せて頂くという事で一旦正門から出たところ…おおおおっこれが伝説の(ウソ)空堀かーっ『秋田県の中世城館』では空堀跡を利用した道路の存在が記してあります。しかしそれにしても、この見学会においてただの道路(に見えるであろう)を激撮するヘンタイは私のみです。そしてこのヘンタイ根性はこの後真骨頂を発揮します。主屋の南側に位置する「見下ろしの庭」です。「これって中世時期は帯郭か腰郭の跡だよね」と自分。そしてさらに、一行が蔵の内部で説明を受けている中、私一人離脱…北側へ移動します。まさにここからが「潜入」です(笑)郭跡キタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!!! これです。これが見たかったのです。切岸を直降すると…おっしゃっ!いかにも中世城館、しかも郭先端の様相です。この引きのショットなど最高でした。この1郭は、三浦氏が居住した四百年間で大分改変があったものと思われますが北側はあまり手つかずの様で、中世の趣が濃厚に感じられました。黒川館、いや三浦館の次回公開は10月頃とか…紅葉の時期だそうで。それはそれで良さげですね。最後にお茶請けとして提供された酒饅頭です。ちゃんと三浦氏の家紋「丸に三つ引両」です(笑)今回、三浦館の南側に位置する2郭や3郭はいつでも行けるだろうと端折らせて頂きました。中世城館跡も堪能させて頂きましたが、三浦氏、奈良氏の豪華木造建築も中々趣があるものでした。さて、今回はこんな感じで終了です。今年はちょっと早く来そうな秋に向け積雪前に何とか本格的に城館訪問したいものですね。
2014年09月07日
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前回の予告で、「今度の土日晴れたら最上氏の城館へ行く」といった予告をしたのですが…実際、6月30日は晴天でした。その日の早朝までは山形県行く気満々でございました。しかし、山形へ行くつもりで4時頃起きたのですが悶々と何か違和感があります。それは私の中で何故か『南秋方面へ行け…』というカミ様(笑)のお告げ(?)が…実は最近の飯田川方面の城館を廻った際、浦城との関連がチラホラ出てきており、ちょっと気になっておりました。そしてこの日、何か無性に浦城へ行きたくなり…行って参りました浦城!約2年ぶり、3度目の訪問です。それにしても前回訪問時にもありました事務用オフィスチェアが良い味出しております(笑)昔(約5年前)と比べて大分整備が進み、登り易くなっております。即行現れる堀切。この角度の切れ込み具合い、何度見ても良いモノですね~ところで話は変わりますが、今回のこの浦城訪問の前半戦は“追撃戦”でした。……… 意味分かりませんよね。振り返ってみたところ。実は下の駐車場付近で出会った、近所に住んでいる方と思わしき“おじい”が登って来ております。拡大画像まるでフラッと庭に出たような軽装で手ブラで腕を後ろに組みゆっくりと、しかし着実に登っておられます。それなりにお年を召しておられるようですが、結構な健脚です。別に追いつかれてもどうという事はありませんが、「画像に写り込んでしまうため通過時間の調整」などといった時間ロスにも繋がる恐れがあるため、被らないように先を急ぎます。堀切を過ぎ、帯郭を抜けます。途中、アスレチックのような縄ばしごが設けられています。これでお子様連れでも安心(?)です。そして…画像撮影に熱中するうちにここ、屋敷跡でついに追い着かれました(笑)結局色々話をしたのですが、どうやら浦城跡の地権者の一人の方でした。小学生の頃(戦時中)から今現在までの浦城における状況など色々聞かせて頂きました。そして二人で主郭へ向かいます。やはり画像に入ってしまうのでややペースの調整は行わざるを得ませんでしたが…主郭跡前回訪問時にまだ建設し始める所であった『歴史学習館』が完成しておりました。そこでバシャバシャと画像を撮影していると好青年が登ってきて…歴史学習館に入れてもらいました。話を聞くと、この日6月30日と翌・7月1日は何と『浦城探訪まつり』なるものが開催されるとか。彼はその準備のために来られたようです。開始時間は10:00からとの事でしたが、時計を見ると9:50!下から続々と人々が登って参りました。そしてNPO法人『浦城の歴史を伝える会』の理事長とも軽く数十分、浦城から周辺地域の件で立話して参りました(笑)いや~全くの偶然でしたが良い機会でございました。ちなみにメインは翌日7月1日の方だったようですが流石に2日連続はキツ過ぎですね。以上、何かのお導きのようなモノで良い経験が出来た話でございました。※山形方面は来月に再チャレンジです。長谷堂城や畑谷城あたりは山城と言えど8月でも整備はバッチリでしょう。山形城の本丸石垣の復原進行具合も気になります!
2012年07月08日
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大館、飯田川と県内が続きましたが、県外にも目を向けております。昨年に続いて一関方面もまだ冷めておりませんし、一昨年の和賀氏もまだまだ廻り足りません。そんな中、隣県でありかつては同じ出羽国でもあった山形県における当サイトでの手薄さは以前より気になっておりました。そこでですが…やっとコレが役に立つ時が来ました。『山形県中世城館遺跡調査報告書』東北地方6県のうち、宮城県を除く5県で城館に関する報告書集がまとめられておりますがこの山形県は最も充実した物と思っております。ファイリングにしてこの量です!さらに集めた資料の数々。左下より逆時計回りに『最上四十八館の研究』山形県の中世城館におけるバイブルです。『野辺沢家と霧山城』意外な所で役に立ちました。『天童の城と館』市町村においてこのような資料が発行されているのは大変うれしいモノです。『中世出羽の領主と城館』『南出羽の城』いずれも高志書院の書籍です。比較的近年の研究成果が著されております。これらを片手に3週連続で繰り出した訳です。【5月19日(土)】■ 左沢城初っ端は左沢城です。なぜ左沢なのか…私にも良く解りませんが連休前からすっと「左沢城…」「左沢城…」となぜか頭の中でリフレインしておりました(笑)昼食は数年ぶりに「白鳥十郎そば本舗」の「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛を食し…■ 楯岡城秋田に転勤してくる前、ほんの駆け出しの頃に一度訪れております。その際はルートが発見できずに麓で退散しておりました。これで10年越しのリベンジとなります。それにしてもこの左沢城と楯岡城、いずれも物凄い規模の山城でした。所要時間は1城あたり2時間程度でしょうか。ずっと登山&藪コギです。先週までの馴らしの成果がここで出ました。この後ちょこっと墓所廻りも含めて、この日の合計は上記2城の成果です。帰宅後、カミさんにこの事を話すと「たったそれだけ!?」と呆れつつも「どれだけ(ものすごい規模の)山城廻ったのよ?」との事。最近コイツも解ってきたな~と思う今日この頃です(笑)【5月27日(日)】■ 野辺沢城延沢城と言う方が通りが良いですが…こちらも先週の楯岡城と同様、10年前に訪城し、その際に頂部の主郭まで登りましたが遺構の確認はまだまだ稚拙だったもので、ずっと再訪しようと考えておりました。それにしてもこの城は濃かったです。2時間半以上堪能させて頂きました。相変わらず凄い藪&クマバチの大群に迎えられましたが(笑)そして今回、野辺沢城と同じ位重要視していたのが…野辺沢氏三代の墓所です。野辺沢城下にある龍護寺に満延・光昌父子の墓所が存在しているのはある程度知られておりますが、それがどの墓石なのかは案内が何もないため何度か訪問しましたが判別できませんでした。恐らく私の他にも諦めた諸兄も多いのでは…そこで上記の『野辺沢家と霧山城』の出番です。ヤフオクで数千円(安いか高いかの判断はお任せします)したこの書籍、三代に渡る野辺沢氏の墓石の画像が載っているのです。おかげで宿願が果たせました。そして昼食は…南方に足を延ばしてやはり「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛 (爆)この後どうしようか麺をすすりながら考え、せっかく2週連続で河北町へ訪れたのですから白鳥十郎長久公へ敬意を表し、白鳥城を訪問です。■ 白鳥館上記の数々の山城に比べれば規模はそれ程大きくありませんがそれでもたっぷり1時間は要しました。【6月2日(土)】■ 天童城一応整備された山城なのですがその規模が物凄い事と言ったら…所要時間3時間半。近世城郭を除けば今までで最長かもしれません。あまりの時間の要し方でこの日は昼食の時間を取れませんでした。流石に3週連続アレなのもナニかなと考えておりましたが…17時頃、昼食兼夕食で「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛です(爆)結局3週連続になってしまいました。店の人もきっと呆れているでしょう。3週連続で週末好天に恵まれましたが、その後は昨日今日も含めた3週連続天候不順で出撃不能です(笑)来週晴れたら…やはり最上氏の城館へ出撃しようかと。そして昼食はやはりアレでしょう…(笑)
2012年06月10日
先だって大館方面に関して記しましたが、実は並行して訪れていた場所があります。それは旧飯田川町方面です。なぜここで飯田川なのか(潟上市にお住まいの方スミマセン)それは大館方面の城館を調べるのに大館市史を参考にしておりましたが、たまたま県立図書館で手に取った飯田川町史の記述が中々良いモノだったのです。『秋田県中世城館報告書集』と大分被る個所もありますが、秋田市からほど近いという事もあり、軽い気持ちで訪れてみました。【4月22日(日)】この日は午後に車でカミさんを職場に迎えに行かなければならないため半日のみの稼働時間です。位置的にも近場しか廻れないため丁度良かったです。■ 小玉館当初、徒歩で登っておりましたが実は車道が整備されており、直下まで車で行けました(涙)■ 築掛館藪しか写りません(笑)ちなみに「築掛」とはつくりかけの意味とか■ 築館これだけ井川町の城館です。いずれにせよこの日はあまり天候が宜しくなく、次回にリベンジです。【4月28日(土)】この日は珍しくカミさんと休みが被ったため、久しぶりに二人で機動です。これが功を奏しました。■ 鬼王館所要時間30分~1時間程度と勝手に解釈し、飲料水を持たずにカメラと軍手と縄張図のみ持って挑みました。結果、段築というか腰郭というか…段を登ってもまた段が現れるというバーミリオン会戦状態に陥り結果的に2時間余りを要して山の反対側に出てしまう事に(苦笑)疲労困憊かつのどカラカラ状態でしたが、幸いにもカミさんが車で 昼寝 待機していたので、電話一本で迎えに来てもらう事が出来ました。■ 鷲尾館上記の鬼王館にも匹敵する規模の山城です。今回はちゃんと飲料水も用意し、万全の態勢で臨みます。最北端に位置する空堀。なぜかここで空堀の向こう側より人の声が…ちなみに向こう側は先だって訪れた築掛館なのですが、とても普通の人が訪れるような場所ではありません(藪だらけ)山菜採りか、私と同じ山城変態マニアか怪奇現象か…真相は不明です(笑)■ 小玉館先だってのリベンジです。青空の下訪れると雰囲気が大分違います。ちなみに路傍に青い花(スミレだっけか)が咲いており、狂喜乱舞してそれを摘むリック・ドムカミさん。いや、地上なのでドム・トローペンか(爆)それにしても意外な形で飯田川の旧道周辺の城館を調べる事になりましたが八郎潟周辺という事もあり、浦城との関連が出てくる出てくる。一度腰を据えて浦城を再訪したいものです。
大分前の事になりますが4月から連休にかけて、大館方面を集中的に廻ってみました。従来、個人的に大館方面はあまり土地勘ありませんでしたが昨年1年間、結構仕事で訪れる機会が多かったので色々頭の中でルートを構築していた事と、何より数年前からある方より色々情報提供して頂いているという事もあり数年越しの悲願達成です。しかし今年は例年を遥かに上回る邪魔モノが…(詳細は後述)【4月14日(土)AM】■ 八木橋城初っ端から私好みの城です。平地にポツンと存在する小さな丘陵上に位置する単郭の城館…こりゃあ幸先良いです。■ 笹館ここの土塁は土塁好みの私としては思わずニヤけてしまう大物ぶりです。ただ往時の遺構かどうかは不明なのです(笑)■ 真館惚れぼれしてしまう土橋です。当然、空堀も素晴らしいです。■ 谷地内館完全に遺構は消失しておりますが、このような城館を記録する事が当サイトの最も重要な趣旨の一つと考えております。午前中はこんな感じで比較的小規模の城館で小手調べです。午後はかなりの大物が控えております。と言うのもこの日構築したルート的な事もありますが、昨年1年間、震災や仕事の都合上ほとんど本格的な山城を訪問する事が無かった私としては果たして技術的(直登や藪コギ)にも感覚的(遺構の発見や判別)にもまだまだ訪城家(笑)として通じるものなのか、試金石というかリハビリというか…うまく表現できませんが要は体が鈍っていないかの確認をこの日しようと考えておりました。そして…【4月14日(土)PM】■ 十狐城奥に倒木が見えます…そして画像左側に白いモノ…これがこの度、私の行く道先々を邪魔するのです…至る所で倒木の数々。4月上旬の爆弾低気圧の影響です。奥に見えるのが十狐城1郭です。画像中央やや右手に標柱が建っておりますが、あれが登口です。この倒木群を越えて行かなければなりません。まるで平均台感覚です。倒木が「俺の屍を越えて行け」と言っている気がします(笑)倒木を乗り越え、掻き分けて到達した1郭。位置的に主郭と思われます。一見普通に見えますが、実は残雪がすごい事になっております。角度を変えたりしゃがむなどして画像に雪が入らないように撮影するのに工夫を要しました。ちなみにファインダー外は残雪一色です。蛇足ですがこの画像左側には普通に登れる入口がまた別にありました(涙)さて、この位の障害は序の口です。次の城は…■ 中野城この画像右側は一面雪です。最大に工夫してもこの程度しか除外できず、再訪を近い退散です。■ 十二所城地面がうっすら白く見えますが、これは積もった雪です。厚さ10~20cm程度です。これが一歩踏み出す毎に「ズブッ」「ザクッ」と靴がのめり込みます。いくらハイカットの登山靴とは言え、しばらく歩けば雪や水がしみ込んで参ります。そして踏みしめて歩くようになるため、歩行速度が遅くなる上にこの上もない体力消耗へ…この画像は郭外の「A台」と称される箇所なのですが、横断して郭へ至るのに数百mほど歩きます。数十分~1時間程度は要した気がします。やっと郭へ到達です。晴れ渡る青空ですがやはり残雪が…伏せに近い角度でファインダーに雪が入らないように工夫してもこの程度です。これは再訪せざるを得ませんね。かなり先の事になると思いますが(笑)<参考>A台と郭間の空堀。※注:1~2月ではありません。4月です。【4月29日(日)】2週間程経過し、もう良い加減雪も残っていないだろうとリベンジです。■ 中野城見て下さい!この素晴らしい空堀の数々を!無名の、と言ったら失礼ですが、それほど名の知れていない城館でまだ県内にこれほど素晴らしい空堀を要する山城があったとは驚愕です。これを見てT山は「土塁派」から「空堀派」へ転向しようかと思った程です(笑)■ 餌釣館何か前回訪れた真館に似た雰囲気を持った城館です。ちなみにこの高台のすぐ下によく仕事で訪れていたのですが(笑)■ 高館一般的には地名を取って「松木高館」と呼ばれております。この地方にしては珍しく浅利氏ではなく秋田氏の支配下の城館です。ちなみに最も比高差の激しい山城でもあります。■ 花岡城大館工業高校の敷地となっており、遺構はあまり残っていない様な話を聞いておりましたがところがどうして、空堀に利用されていたと思われる浸食谷が素晴らしく残っております。■ 女目館位置的に花岡城の一部という事も考えられますが、この「たんこぶ」のような独立丘陵が私個人的にはお気に入りです。この他にもこの後、数軒訪れましたが天候が怪しくなってきた事と、体力もかなり消耗してしまったため今回は紹介及びUPは控えます。いずれ再訪しようと考えているので。それにしてもこの2回の訪城で感じましたが技術的にも感覚的にも何とか今まで通りにやれそうです。それどころかモチベーションもかなり高まって参りました。今後、仕事が楽になることはほぼありませんが時間と体力の調整で何とか更新していきたいと考えております。
今年のGWも本日で終わりですね。皆様、良い訪城生活送れましたでしょうか(笑)私は例年、暦どおりの休みなので、今年は3連休が2回、土日が1回といったところでした。例年であれば多少忙しくとも何とか時間をやり繰りして、2日位は訪城に充てておりましたが今年は震災による社会情勢とそれによる会社の多忙さにより、諦めざるを得ない…というところまで思い詰めましたが、それではこの城館魂が廃ると考え、行って参りました。岩手県一関市へ。初回の3連休は天候不順のため諦めましたが、次の3連休は良い天気予報です。例のごとく、着替えと資料を持って何処かテキトーに一泊しつつという計画で出発です。何と今回は珍しくカミさんも起動しました(笑)初日の3日(火)は一日中晴天の予報でしたが晴れてきたのは昼過ぎ。しかも4日(水)は雨の予報に変わっておりました。そこで急遽日帰りに変更、廻れるだけ廻って参りました。結果…薄衣城上折壁城結果、この2ヶ城くらいでしょうか。更新に耐えられそうな画像が撮影できたのは。それにしても一関市、というか葛西氏ですか。凄すぎます。この遺構は。何度見ても惚れ惚れするモノばかりです。しかも、今回メインとすべきもう2ヶ城は未訪問のままです。僅かな範囲内にこれだけ垂涎ものの城館があるのは感動ですね。これは次回訪問時まで楽しみは取って置けという天からの啓示でしょう(笑)今度休みで晴れそうな時は何が何でも行こうと考えております。
2011年05月08日
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すっかりご無沙汰致しております。遅ればせながら明けましておめでとうございますでございます(笑)ちょっと年末年始あたりから周辺で揉めておりまして…少々モチベーションが下がっております。当ブログの他、本サイトの方も多少更新が鈍るかもしれません。まぁ春ぐらいまでには何とか蹴り付けようと思いますのでそれまでご辛抱下さい。さて、気を取り直して久しぶりに日中僅かに青空が見られた27日の秋田県、この日の訪問先はすっかりご無沙汰の横手市です。今週初め、横手市の積雪量は140cmを超えたと聞いておりましたがこの日訪れた得意先の話ではもう160cmに達したとの事。前日にも全国ニュースで横手市の除雪が取り上げられておりました。そして横手市といえば、、、横手城ですよね。ハイ 期待は裏切りませんよ。車一台が辛うじて通れる位に除雪された道を登り…現れた雪に埋もれた説明板。横手市では説明板も雪囲いするのですね(笑)おおっすっかりご無沙汰の横手城模擬天守と巨大雪見大福(?)です。標柱もすっかり埋もれております。やはり今年は積雪多いと実感致します。数年前に訪れた際、かまくらにはまだ穴が開いておりませんでしたが今回は一つだけ開いておりました。中に入ってみると丁度天井が私の頭と同じ位です。結構大きいものですね。考えてみれば横手のかまくらに入るのはこれが初めてでした。この後、二ノ丸に登ります。こんな事もあろうかと用意していたSORELの防寒靴。以前より欲しかったのですが、値段が高く中々手が出ませんでした。しかし今回、昨年のキノコ騒動における論功行賞により、義母よりT山の恩賞として与えられました。スーツにロングトレンチコートと防寒靴という奇妙なスタイルで二ノ丸へアプローチかけます(笑)ちなみにこの足跡は私ではありません。この豪雪にも拘らず縦断するツワモノがいるようで。そして目に入るものは…こ、コレは…トイレ?すっかり埋もれております。そして模擬天守。瓦が見えない…そして本丸への道。こちらは全くアプローチ不可能です。帰り道もヒヤヒヤものです。対向車が来たらどうすることも出来ないのですから。さて、唐突ですが明日明後日は横浜出張でございます。色々責務がありまして200年前なら直訴は打首獄門ですが、現代のT山は果たして…
2011年01月28日
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12月に入り昨日、本サイト「東北城館魂」のアクセス数が50,000を突破しました。サイト開設より5年半で50,000、前回40,000突破が今年2月ですので、何とか1ヶ月に1,000カウント出来た計算です。まだまだです。せめて1日100カウントは行きたいところですが…これだけは今後の私の頑張り次第ですね。これからも、ググってみれば当サイトしか検索されない、というようなマニアックな城館中心に更新に励みたいと思う所存であります。今後とも宜しくお願い致します。
2010年12月05日
先日、当ブログにて「三連休で遠征」など記述しましたが、結論から申し上げますと…何処へも行きませんでした。初日、あまり天候も良くなかった事に加え、何より愛機の復帰がずれた事が最大の要因です。戻ってきたのは休み明けと相成りました。結果的にやった事は…書斎で資料整理です(笑)しかもまだ終わらない…
2010年12月02日
先週の日曜日、「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と由利本荘市方面の城館を廻って参りました。当初は旧矢島町・鳥海町方面を訪問しましたが、若干、事前調査不足のため消化不良気味に…根城館 二重堀画像では藪がエラい事になっておりますが肉眼では予想より大分良好に遺構が確認できました。しかも今まで土塁と思っていたのですが、実際降りてみると大きめの石がゴロゴロ。これは…ひょっとして石塁? 新荘館 標柱私が最も行きたかった矢島満安の居館です。主郭跡は耕地化されておりますが、藪がすごいので簡単に撤収…荒倉館 遠望ここから望むどこら辺が荒倉館なのか…これもいずれ調査が宿題ということですね。この訪城の際、nao様より「秋田県生涯学習センター」で戦国期の秋田県内の豪族に関して講演が催されているとの事。ネットで調べると次の講演は7日(土)です。という訳で早速行って参りました。この日のテーマは由利十二頭。何とタイムリーな事でしょうか。今回が6回目で最終回ですが、その前は安東氏や小野寺氏の回もあったとか。いや~非常に残念です。この講演、非常に参考になりました。当サイトでも至急訂正しなければならない箇所が多々発生です。特に私は講師の方より指摘を受けた「奥羽永慶軍記」を参考にしているのでかなりの作業が差し迫っております。ところで、大宝寺義興さん…アンダ生きでらったのすが…(笑)
2010年08月08日
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先週土曜日、「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と秋田市北部から南秋方面にかけての城館を廻って参りました。正直、私はこちら方面は2年ぶりとなるのですが、今回最も期待していたのは八郎潟町の浦城です。当ブログでも何度か紹介させて頂いておりますが、「浦城の歴史を伝える会」の皆様により非常に整備されている山城です。私が最後に訪れたのは07年3月ですが、その時もロープや梯子が設置され、大変登り易かった記憶があります。その後も伝え聞いた所によると、さらに整備が進んでいるとの事。これは楽しみです。おおっ 以前にはなかった駐車場が設けられております。さらには新たな登城口「武者返しの坂」が。正確にはこの道は以前よりあった道ですが、今回新しく作った駐車場よりここを経て直接登れるようになっております。そして何故か置かれている事務用チェア(笑)今回登ったのは、以前訪問時には無かった西側の道です。進んだ先には「首人」と称される大規模な薬研堀が。こりゃ凄い…そして物見櫓帯郭気合入っております。この整備具合。行く先々に柵が、物見櫓が。そして何より嬉しいのが下草が刈られ、木が伐採されている事に尽きます。例えば…07年の武者溜今回一目瞭然ですね。近日中、画像の差替えを行おうと思います。さらに嬉しい事に、10月までには本丸に館を建てるとの事。これは絶対また行きますよ!
2010年06月28日
最近すっかり月報と化している当ブログ、久々の更新でございます(笑)今月に入り、特に最初の2週間はハードスケジュールで青森県に日帰りで5回行くという状態、せっかくなので何とか合間を見て弘前城訪問し、天守撮影に成功しました。さらに後半も肉体労働が続き、1週間のうち1度もスーツ着ない週もあるほどハードでした(汗)ですが昨日は久々休日に晴れたために訪城を決行、悩んだ末に男鹿市方面に行って参りました。脇本城毎年訪れておりますが、このように青空の下訪れる事が出来たのは初めてです。脇本城天下道脇本城の大手道は「天下道」と呼ばれておりますがこのような地方の山城に「天下」の名を冠しているのはここ位でしょうか。ですがその名に恥じない規模です。さらに再訪で2ヶ城、双六館染川城男鹿市内では脇本城を筆頭とすると、この双六館と染川城がそれに次ぐ規模・知名度であり、今まで数回訪れておりますが、いずれも曇空だったり藪が凄かったりで今回、やっと満足がいく画像撮影が出来ました。他にも何ヶ所か廻りましたがやはりこの3ヶ城が最も見栄えが良いです。
2010年04月25日
3月に入り、今年度も年度末がやって参りました。もはや見も心もボロボロの状態です(笑)それでも幸い、今年度一年は比較的スムーズに仕事を進めることが出来ましたが来年度は一転かなりの苦境に立たされることになりそうです。って言うか今年が楽すぎた反動なのか…結構県外へ日帰り訪城したりしていたのも心の余裕が大きかったからでしょうね(笑)毎年、この季節になると春分の日の連休の遠征を組んでおりました。実質それがその年の初訪城となる訳ですが、今年の3連休はエラい天候です。雪はおろか暴風も暴風、訪城どころでは無いですね。今回、この連休はおとなしくしている事になりました。最近、仕事の方で等で体が動かない日々が続いていたので束の間の休養に当てはめます。肉体疲労なら寝れば治るのですが心労はそうはいきませんね(笑)次の機会、GWこそは絶対何とかしないと…
2010年03月21日
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唐突ですが、秋田県にはTBSが通っておりません。そこでTBSを視るにはケーブルTVなどで岩手県の放送を視る必要があります。先日たまたま視聴の際、岩手県民会館にて「古代カルタゴとローマ展」という催しのCMが。それを視てカミさんが一言「観たい」お~ これは珍しい。それでは是非連れて行こうではありませんか。今週は猛吹雪が続いておりましたが、土曜日はそう悪くない様子。早速昨日の土曜日に盛岡へ足を伸ばしてみました。まずは行きがけの駄賃とばかりに角館城遠望。ここあたりで非常に良い天候に。そして盛岡市内に入り…白龍でじゃじゃ麺を食しつつ…盛岡城訪問。さすが盛岡市。寒いです。仙岩峠越えあたりでマイナス8度(10時頃)、これは標高が高いので仕方ないにしても、峠を降りても滝沢村周辺でもマイナス4度。うゎ~盛岡城での雪もサラサラなのに踏みしめると「ギュイッ ギュイッ」と…スキー場のような感触。秋田のように水分の多い重たい雪とは一味違いますね。ちなみに石垣に付いている雪は「積もっている」のではなくて「吹き付いている」ものと思われます。そして最後に県民会館へ。これが最後に廻ったためどっちがメインなのか分からない一日に。それはもう…○○の方ですよ(笑)ちなみに、この日に寄った古書店で『宮古地方の中世史 古城物語』『吉田館物語』の2冊を入手。前者は宮古地方の城館を詳細に記載、後者は高水寺斯波氏に関してまとめられた書籍です。う~んこれで三陸方面にも行ってみたくなりました。参ったな。
2010年01月17日
先日、横手市の「大鳥井山遺跡」が国史跡として登録される見通しとなったとのニュースが流れました。大鳥井柵は私はまだ訪問したことが無いのですが、せっかくの機会ですので仕事の途中にも関わらず、訪問してしまいました(笑)やはり登録されたことが契機なのでしょうか、平日のほんの20分程度の間にもかかわらず何人かの御年寄が登っておられました。ちなみに駐車場からは横手城模擬天守が。やはり私は中世城館の方が血が騒ぎます(笑)
2009年11月25日
今週の金曜日、盛岡市の城館を廻って参りました。平日ですが仕事をサボって…という訳ではなく、来週の土曜日が得意先の用件で出勤扱いとなる為、その代休を頂きました。天気予報は絶好調のようでしたので、日帰りで行ける範囲を検討した結果、盛岡市遺跡の学び館発行の『玉山の遺跡』に記載されている旧玉山村の館跡を訪問しました。日戸館玉山館下田館いずれの館跡も説明板が設置され、旧玉山村の教育委員会の情熱(?)が伝わって参ります。それにしても先月の福島遠征の際は遺構の規模の大きさに感動しっぱなしでしたが、今回のように在郷の小さな館跡の意外に良好に残る遺構を発見する楽しみも良いものですね。平田野館資料には記載されていませんでしたが寄ってみました。画像の建物には丁度10年前、入社したばかりの頃に仕事で毎日の様に行っていましたが、まさかこのような形で21世紀に再訪するとは…
2009年10月25日
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金曜の夕方より昨日まで大阪出張、行って参りました。金曜の夜に大阪に着き、安ホテルにチェックイン後ぶらりと出掛け、安酒処で一杯。その後、締めに秋田にはないつるまるうどんを啜りつつこれも秋田にはないセブンイレブンで晩酌とアテを購入。そしてホテルに帰って一口飲んでて爆酔。いつものパターンです。翌日…集合はこのホテルから歩いて5~10分程度の場所。しかも12:20まで集合…さーて 皆様ならこの空いた半日は如何致しますか?そうですね。城廻りですね。大坂城、歩いて行けない距離ではないですね。荷物は駅のコインロッカーでもホテルのフロントにでも預けて行けば良いですね。もうちょっと歩けば真田丸跡へも行けるではないか。墓所も数軒確認してきたぞ。半日あれば充実したものに………といったことは前々日までの中であり、天気予報では12日(土)雨。この時点で私の史跡めぐりの野望は潰えました。故にあんな重いもの(デジカメ)は置いて行く、ということでデジカメ関連に関しては手ぶらの遠征出張になりました。今回のホテルすぐ近くに設置されていた説明板。こんな所にも大坂城の遺構がある物なのですね。さて、実際この日は朝10:00に合わせて梅田に行ってまいりました。目標は買い物です。秋田では手に入らないブランドがわんさかあるのですよ。目指していたネクタイピン、ゲットです。いつも出張の度に買い揃えておりますが、今回は持ち合わせが少なかったためこれ一つ。まだまだ先は長い。話は変わりますが、来週末の福島遠征ほぼ決定しました宿泊も手配付きました。協力者も応援してくれるそうです。今回はカミさんドロップアウトの中、行って参ります。あとは天気を祈るのみ、です。
2009年09月13日
先週、今週と、再訪ブームに沸いております。先週は昼頃になって「何処か廻れないか」と思いついたため久保田城の再訪に行って参りました。この時期は藪が凄いであろうから公園化された城なら大丈夫であろうとタカを括っておりましたが、失念しておりました…久保田城のこの御隅櫓は夏場は繁みが凄くていくら青空でも厳しいものがある事を…ですが、この大手門跡の標柱と説明板は是非来たかったので大満足です。丁度2年前に完成した秋田中央道路と同時期に設置されたと思われますが、引越し前にいつも目の前を通勤で通っていたため、毎朝恨めしく眺めておりました。昨日は花巻城です。こちらも10時過ぎに思い立ったため、片道百数十km(しかも下道)、花巻城のみ目指してまっしぐらです。花巻城西御門(復原)花巻城円城寺門(唯一の現存建造物)共に中々見所のある建造物です。今回で3回目くらいの訪城ですが、改めて今回気付いたのは、各遺構に細かく標柱が建てられているという事です。しかも地図も掲載された説明板も各箇所に設置されており、非常に親切な城館です。話は変わりますが来週は大阪出張、再々来週は仙台出張が入りました。連休は福島遠征を考えておりましたが、この出張のシワ寄せがこの連休に影響しそうな気が…っていうかその前に今更宿が取れるのだろうか…
2009年09月06日
本日、青森県青森市の高田城の文章を訂正致しました。先日ですが城主の子孫の方からご指摘を受け、様々な情報を提供して頂いての更新です。このような書籍では得られない資料を提供して頂けるのは非常に喜ばしい事ですね。高田城 土橋遺構は主郭とその周辺しか残っておりませんが、堀跡と土橋など、非常に良好な状態です。ただ、近所の犬が非常によく吠えます(笑)
2009年04月29日
最近非常に焦っております。何故ならせっかく藪の少ないこの時期、天候・予算・時間・体調といった山城遠征の要素が揃わず、4月に入ってもまだ今年は訪城ができていないためです。ですが先週の金曜日の天気予報、翌日は東北全域が晴れの様子。その中でも特にお日様マークしかないのが…青森県でした。これは…青森県日帰り遠征しかないでしょう。今回の主たる目標は◎先日発売の歴史読本での青森県ベスト6にランクインされた深浦元城の攻略◎2位浪岡城・10位飯詰城の撮り直し◎何かと縁の薄い鯵ヶ沢戸波城の攻略以上でしたが、結果的に2勝2敗といった所でした。浪岡城は時間の都合で、戸波城は倒木多数により断念致しました。し・か・し深浦元城、正直言って期待以上でした。まずは入口です。やはりこの時期は藪が少なく、何とか行けそうです!ちなみに07年8月の状況。この画像を見る限り問題なさそうですが…ちょっと登ればコレでした。今回の画像に戻ります。ちなみに画像に見える橋や踏板は至る所腐りまくりでした。竜神宮。ここまで来たときはちょっと安心しました。一応人が足を踏み入れる場所なのかと(笑)周辺を散策。確かに郭跡の遺構はは存在しますが、「6位と言ってもこの程度なのか~」などと思っておりました。しかし、この数分後に私の認識は大きく変わることになります。竜神宮の裏手をしばらく進むと…空堀が…!?山中に響き渡る私の雄叫び。「うぉぉぉぉぉぉぉぉー すげぇーーーーっ」山中に埋もれる5本の空堀。その総幅規模は50mに及びます。画像でその凄さがお伝えできないのが非常に残念です。他の山城に例えると、この感動は私的には檜山城の枡形虎口に匹敵します。って言うかアチラは国指定史跡ですがコチラは町指定史跡。しかもこのアプローチの難しさを考えれば感動は一塩です。もはやこの空堀を見る事が出来ただけでもこの津軽訪城、大満足でした。という訳で、非常にオススメの元城ですが、3~4月の時期に行った方が良いですね。それ以外では雪や藪・虫・蛇などの恐れがあります。特に登口付近の木橋や踏板が腐りまくって踏み抜かれた跡があるのは恐ろしいものです(笑)
2009年04月14日
週半ばの祝日、中々良い天気でしたので千秋公園の久保田城、行って参りました。休日とはいえ、この時期公園前入口には駐車車両の数々、車停めるにも難儀する程でした。結構訪れる方いるものですね。二ノ丸跡思っていたより雪が少ないですね。長坂門跡表門跡本丸跡出掛ける前は「長靴用意した方が良いか」などカミさんと相談しておりましたが全然必要無かったですね。秋田八幡神社平成17年(2005)1月に浮浪者風情に放火され焼失してしまいましたが見事に再建されておりました。でも往時の建造物が失われたのはとても痛ましいものです。御隅櫓こうして角度考えて撮影すると雪が全く入らない画像になりました。本丸跡の池流石に雪が少ないとは言え、凍っておりました。佐竹資料館昭和33年(1958)に美術館として建造され、老朽化も叫ばれておりますが見学する分には全く違和感を感じさせませんね。最も勤める皆様方は大変でしょうが…佐竹義重公甲冑義宣公の甲冑と共に入口に展示されておりました。父子共に有名な「毛虫の前立」の甲冑です。義宣公の方はブレてしまいました。
2009年02月11日
先週の土日の積雪はあまりにも凄いものでした。考えてみれば半年近く城館廻りをしておらず、そこで今週はあまりの欲求不満さに、仕事中にも拘らず城館廻りをしてしまいました。と言っても片手間に数分写真撮る程度ですが…まずは鶴ヶ岡城水堀この日は曇りであり、今までの自分であれば何もする気が起きませんでしたが「僕の遊休休暇」のnao様よりモノクロというアドバイスを頂き、早速撮影。曇り空の日には中々効果的です。城ではありませんが最上川。水墨画のような雰囲気になりました。それにしてももの凄いガスが…横手城武者溜より本丸を望む。28日、この日は絶好の晴天!以前より青空と積雪の城を撮りたかったのですが、たまに晴れるのはいつも平日。この日も案の定、平日でしたがもうどうでも良いです。たまには良いでしょう。武者溜より二ノ丸を望む。手前の「白いピノの様なモノ」二つはかまくらです。と言ってもまだ穴が開いていない雪の塊ですが。角度を変えて撮影。路面が見えている所が今年の積雪量の少なさを表しています。蛇の目橋付近よりの遠望。いつも載せている場所よりのショット。やっぱり晴天は良いですね。
2009年01月31日
先週の土日ですが、ちょっと所用で仙台に行って参りました。ついでに城館廻りを少々…などと企んでいたのですが、丁度台風襲来も重なり、宮城県は天候思わしくない状態。しかし、土曜日の秋田県内は荒れない様な予報でしたので、秋田県南をウロウロしてから宮城県入りする事に。主に墓所をターゲットにしました。参考にしたのはnao様の「僕の遊休休暇」です。吉田城相変わらず見事な土塁です。この後、隣接する西法寺へ。こちらには小野寺氏の供養塔が祀られております。小野寺氏供養塔撮影を済ませ、手を合わせてお寺より出た直後、向こうより原チャリで来られる方が。どうやら御住職の様子。「お宅さん何しに来た?」「どちらから?」 …どうやら思いっきり不審者として疑われておりますね。慌てて小野寺氏供養塔と隣の吉田城を見に来たことを説明。どうやら納得はして頂けたようです。史跡探訪サイトを運営していることを話すと、丁重に玄関まで入れてもらい、色々お話も頂きました。・小野寺氏の事を調べようとしても史料がかなり少ない事。・吉田城目当てに遠方より見える方もいる事(三重ナンバー)。・来年あたり小野寺祭り(!!)を行いたいとの事。小野寺祭り、良いですね~内容は大々的に小野寺氏の供養をするとの事ですが、是非参加したいものです。それまで秋田に居れれば良いのですが…おみやげに貴重なパンフとお札を頂きました。最後に、東北一といわれる鐘楼。3,500kgもあるとか。
2008年09月28日
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またもや最近更新がご無沙汰でございました。さらにネタも無い事ですし、夏でもあると言う事で…参りましょうか、城に纏わる怪異譚。かつて私が青森に勤務していた頃、当時のチームリーダーは天王町出身の人でした。その人がある日語った話…その人の出身の町内は不幸続きの家庭が多かったそうです。家庭不和・事故・病気・自殺…その人の家庭環境も決して良いとは言えないものだったようで。あまりに重なるため町内皆不審がっていましたが、最後まで残っていた「あの家庭だけはありえない」といった円満な家庭の旦那がついに首を吊ったとの事。理由は不明だそうです…そこで町内でも問題になり、その手の方に視て貰う事になりました。秋田にはカミサマ(アクセントはミに置きます)といったそういうイタコか霊媒師のような方が結構いらっしゃるのです。その視て頂いた人の結果。「かつて脇本で戦いがあって、そこから逃げてきた人が大勢この辺で殺された。 その恨みが今でも残っている」との事。町内会費を使って御祓いするかしないか、かなり揉めたそうですが、結果有志で祓ったそうです。ここで私の記憶が曖昧なところ…「ありえない円満な家庭でも不幸があったため視てもらった」のか「色々続くので祓ったが、それも空しく、結果的に最後まで残った円満な家庭までも不幸にあった」のか、肝心な結果が曖昧な記憶です(←オレのバカ)。後者であればこの上も無く後味悪いものですが…脇本城では確実な攻城戦は記録に残っておりません。ですがあれほどの規模の城、湊騒動においても何も無かったとは考えられないでしょう。脇本城での攻防戦の結果、敗残兵が湊城へ逃れる途中天王周辺で討たれたのは充分考えられます。脇本城 生鼻崎。男鹿方面はミステリーな話が多数あります。・男鹿プリ・日本海・男鹿水族館駐車場・茶臼峠・村○病院これらはいずれまたの機会に…
2008年07月14日
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先日19日、秋田まるごと市場で「安東水軍を語る会」という催しが開催されました。恥ずかしながら、正直私も「安東氏」と「安東水軍」の区別がついていなかったので良い機会と思い、参加してみました。秋田まるごと市場にある「海鮮問屋 北前船」。会社に近いためしばしば昼食で訪れていますが、最近リニューアルして北前船が外壁から突き出しております。講師は「能代市史」を編纂しておられる古内龍夫先生。「安東水軍を語る」というテーマは開催者が先に決めてしまっており、それに沿っての講演という事でした。結果、安東氏の流れと檜山城の変遷の話を聞く事が出来、これは大変良い意味で期待を大きく裏切って頂きました。一番良かった話。檜山城は安東忠季が築城という事になっているが、檜山に一番最初に入部した政季(忠季の父)の頃より館などがあったのでは、という事でした。檜山城は大きく分けて・高山・中館・将軍山周辺・古城に別れるが、高山に城館の性格は無く、物見程度でだったのでは。政季・忠季の時代に中館を居館とし、その後の尋季・舜季の頃に将軍山周辺に城域を広げ、愛季・実季の頃に現在の本丸・二ノ丸・三ノ丸がある古城に移ったのであろうとの事でした。ちなみに尋季は「日下将軍」を名乗っており、これが「将軍山」の由来となっているという説も論じておられました。で、さっそく本日檜山城へ行って参りました!「善は急げ」ですね。檜山城 枡形虎口跡枡形の虎口の遺構が良好に残っております。講演ではこの枡形虎口が本丸より奥、将軍山方向に向いているのは中館→将軍山→古城と城域が移ったためではないか、との事。なるほど理にかなっておりますね!中館跡。聞いたせいでしょうか、やはり奥に進むにつれ、遺構の構成が古いものになっていくような気がしました。檜山城は「馬蹄型」の城とよく言われておりますが、その馬蹄型の端から端まで踏破したのは今回が初めてです。脇本城などと比べてもその規模は引けを取らない大規模な山城でした。
2008年04月20日
先日15日 土曜日で大阪出張でしたが大坂城、行って参りました。日帰りで非常にタイトなスケジュールで一時は訪城も危ぶまれましたがここで引き下がるには私の「城魂」が許さず、終始駆け足で大阪移動を駆使した結果何とか天守のみは撮影できました。それにしても…1年半ぶりの大坂城は輝いて見えました。
2008年03月16日
昨日・今日と曇り模様ながら時折晴天となる日々が続いております。昨日は訪城の予定ありませんでしたが急遽完全防寒装備で千秋公園に行って参りました。そこで一つ、以前よりやってみたかった比較実験を行ってみました。それは現在我が家で所有しているデジカメ3台を使用し、写り具合の差を確かめるというものです。正直私はカメラには非常に疎いので殆どプログラムAEモードで使用しており、はっきり言って機体のポテンシャルを充分に引き出しているとは言い難いのですがそこはご勘弁を…【久保田城 復原表門】カミさんより借りてきましたCanon EOS 20D現在メインで使用しているPanasonic Lumix DMC-FZ7そしてサブ機SONY Cyber-shot DSC-P150現在当サイトで使用している画像は殆どLumixで撮影した物です。(2年前まではCyber-shotがメイン)青の色合いが非常に気に入っており、12倍の望遠も重宝しております。こうして比較すると私的にはやはりLumixの色合いは非常に好みですが、やはりデジイチの写りは別格です。【久保田城 御隅櫓(模擬)】EOS 20DLumix DMC-FZ7Cyber-shot DSC-P150この比較ではLumixの青空が一番深く感じる気がします。全体的に青みがかかってしまいますがこれも私の好みです。しかしこのメイン使用のLumix、画像に不満は全然ありませんが、それ以外で不都合が少々。それは・2G以上のSDカードが使えない・レンズキャップが煩わしい事です。特にレンズキャップは山城攻略の際には非常に手間になります。平城の際は全然構わないのですが、そうなればEOSを持って行ったほうが良いような気がして参りました。山城メインで使えるコンデジが欲しいと思う今日この頃です。カメラに詳しい方々、アドバイス頂ければ幸いです。
2008年02月17日
ここ一週間、秋田県ではかなりの積雪でした。本日の角館武家屋敷通り。桜や新緑の時期も良いですが雪の中もなかなか趣のあるものですね。そして角館城遠望。この時期の北東北の山城への登城は絶望的です。春が待ち遠しいものです。
2008年01月18日
先日の金曜日会社の忘年会でした。深夜25:00頃、川反方面から駅裏まで歩いて帰る私。しこたま酔ったアホな脳裏に…「久保田城寄ってみようか!」と危険な判断。中土橋。日中ただでさえ閑散としている広小路は深夜なのでなお更です。お堀。秋田駅方向は妙に明るいですね。コンビニ1軒以外特に何も無いのですが。久保田城表門。まさかこの時間までライトアップされているとは思いませんでした。という事は一晩中照らしているのでしょうか。城好きの秋田市民としては嬉しいですね~久保田城御隅櫓。12月より冬季閉鎖に入っているハズです。さすがにライトアップはされていませんでしたが中に明かりが…誰かいるのか?それとも非常灯か…何度も申し上げますが深夜25:00過ぎです。公園を出たのは26:00近くか…千秋公園にはさすがに人っ子一人居りませんでした。帰宅した私がカミさんにごしゃがれたのは言うまでもありません…※画像は携帯電話で撮影したため若干不鮮明です。
2007年12月19日
本日久保田城の黒門跡発掘調査現地説明会に行って参りました。肌寒い中100人近く集まりました。普段アスファルトに覆われていた礎石周辺を発掘しております。発掘調査は今年から来年において行われ、今年は二ノ丸方面に向かって左側半分、来年はもう片側を調査するそうです。結果から申し上げますと、現段階では黒門跡がどのような状態の門であったのかはっきり分からないとの事。何せ年代別の絵図には場所や規模がまちまちに描かれているそうなので…まず来年の調査報告楽しみにしましょう。
2007年12月08日
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11月も1/3が過ぎました。今月も…城廻りはちょっと厳しそうです。何とか3連休は時間を割きたいのですがそれ以外はちょっと厳しそうです。他のサイトの方々は皆様頑張っておられますね。秋田は…このままでは雪が積もってしまう…土曜日、脳研に入院中の義父を見舞ったついでにせめてこれぐらいはと発掘調査中の久保田城黒門跡それに続く枡形秋の晴天の中、久保田城の再訪なりました。紅葉が見事でしたが落ちた銀杏がまた臭いこと臭いこと…御出書院跡。南側より望んだところです。久保田城は近世城郭にあたりますがこうしてみると中世山城の雰囲気も持ち合わせている感じがします。土塁好きな私としては非常に魅力的な城です。
2007年11月11日
気がつけば更新2週間放置状態…大変不調法致しました。さて、昨日秋田さきがけ新報にまたもや発掘調査現地説明会の記事が。今回は久保田城の三ノ丸外堀との事。当然行きますよ~久保田城の本丸と二ノ丸は現在、千秋公園の敷地となっていますが二ノ丸の東側に位置する三ノ丸は市街地化されており、保存状況はあまり良くありません。発掘現場を東側より望んだところ。奥の建物は秋田県立脳血管研究センター。こりゃあ大規模な予感…深さ約3~5m程、幅は約20m程掘っていますが、まだ東側に10m程伸びていた様です。という事は幅30mの水堀がめぐらされていたという事に。ところで明治時代、三ノ丸跡には旧日本陸軍第17連隊の衛戌病院が置かれており、第二次世界大戦後は秋田県立中央病院を経て現在の「脳研」が存在しています。その様な経緯もあり、こんな出土品が。「秋田県立中央病院」と書かれた食器。右下の食器には「大源酒店 電話976番」と記されています。昭和の香りがプンプンと。それにしても電話番号3桁の頃ってあったんですね…星のマークの食器。恐らく旧日本陸軍のものかと。しかし底には…!!!ニューヨーク・ヤンキース!?真意は不明です…
2007年10月27日
昨日、秋田さきがけ新報の朝刊を出勤前に何気に眺めていたところ、翌13日AM9:50より「湊城跡発掘調査現地説明会」があるとの記事が!これは是非行かんと。ってな訳で早速土崎へ。以前にも湊城の発掘調査説明会行きましたが、今回で2年ぶりです。発掘現場全景今回は土崎駅前すぐの場所で、かつての湊城内堀跡東北側の外側部分に当たります。結果から申しますと、今回は江戸時代の地層がメインで安東氏時代の遺構・遺物は殆ど発見されませんでした。ですが…それ以外になかなか興味深い遺物が出てきた様です。それは…人骨です。1体は完全に屈葬状態、もう1体は複数の骨が混じった状態であったとの事。一応念の為警察にも連絡したそうです。結果現代の物ではないことが確認され、この度の説明会に至りました。ちなみに説明されている方が棒で示している物、これも人骨だそうで。この奥にも一杯埋まっていそうです。恐らくここは墓地であったのではないかと。頭骨や歯などしっかり残っています。歯や顎には虫歯や歯槽膿漏の痕跡など一切無かったそうです。もし銀なんか詰めていたら今頃この現場にはすずらんテープの替わりに秋田県警のテープが張られていたでしょう。
2007年10月13日
かつて私が五所川原市の支店に勤めていた時、担当エリアは旧西津軽郡全域(旧車力村除く)でした。午前中に会社を出て国道101号線を西へ西へほぼ毎日欠かさず鯵ヶ沢町で日中を過ごしておりました。しかし当時の私としては今ほど城の道に浸っていなくてこれほどの城館が存在しているとは露知らず…今思えばもったいない日々を過ごしていたものです。ですが現在はかつて知った土地である事プラス現在の資料をもってして探索を繰り返し、当サイトで最も辺境かつマニアックな城館が掲載されている地域となっております。そして今回の津軽遠征。久しぶりに昼食を「海の駅 わんど」で。そこには鯵ヶ沢中心部の地図が掲示されており、なかなかマイナーな城館の位置が示されておりました。どれどれ…七ツ石館。既に行きましたよ~舞戸館。ここも調査済みです。天童山館・鯵ヶ沢館。当サイトでは同一城館として掲載してます。ん…? これは……神明館!?なんじゃこりゃあああ全くこれはノーチェックでした!位置的には…すぐ正面じゃねーか!神明社を中心にそれらしいと言えばそれらしい構造です。結果的に手持ちの資料では全く詳細不明でした。こりゃあ町史探して来て調べる他無さそうです。
2007年09月12日
無論…冗談ですよ。しかし下手なアミューズメントパークよりは笑いを(我々夫婦は大爆笑)を誘います。桂小枝さんのパラダイスネタで来てもらえないかなーと思う今日この頃です。
2007年08月22日
何か今日は朝から天気が非常に良かったです。先日のラジオの天気予報では雨だった気がするのですが…急遽これは城廻りしなければ!と思ったところカミさんより「海に行きたい」との要望。折衷~~~という事で…男鹿方面に決定!早速車走らせるとなまはげ出現!3匹(?)現れました。何気に秋田名物ババヘラアイスも。と思ったら「ババさんアイス」でした。ババ(おばさん)がヘラで盛るから「ババヘラ」なのですが「ババヘラ」は「進藤冷菓」の登録商標のようで。こちらは「児玉冷菓」でした。どちらも「元祖」を名乗っているようですが。ちなみに秋田では学校行事(運動会など)には必ず売りに来るらしくそれが全国区だと思っている人も少なく無いとか。ウチのカミさんもその一人でした。あのパラソルで国道所々でアイス売るのは秋田だけですよ。エ○○さん。気を取り直して男鹿半島南端に近い双六館再訪へ。御前落としかつてこの館の時代が異なる館主の室が二人、落城の際に身を投げたことによりその名が付きました。今は行楽客でにぎわっております…その他脇本城の支城ともいわれる岩倉館跡三吉さん像五城目町 馬場目城以上僅かですが3城の訪城でした。気になるのは脇本城。車道登口が道路工事により縁石が設けられ自動車で登れないのです。徒歩で登れなどとはとんでもない!工事終了までには何とかなるんでしょうね。頼みます男鹿市。国指定史跡ですから。
2007年08月11日
今日は平日にはもったいない城日和でした。ちょうど私は仕事で月一の山形訪問だったので朝の天気を見てデジカメ持参と判断。昼食の時間を削って撮りまくってしまいました。東根城の「日本一の大ケヤキ」画像に収まりきれません。長瀞城の水堀方形状に明確に残っているのは嬉しいです。谷地城と大イチョウ山形県は「城に巨木」が多いですね。寒河江城現在は寒河江小学校にあり、丁度夏休みのプールの時間だったようで変質者に間違われるのではとビクビクものでした。今後の当サイトの課題の一つに「山形県」があげられます。UP数5ヶ城…山形県の皆様もしご覧になられていたら申し訳ございません。本年中に「山形県の城館集中月間」設けます…
2007年07月24日
昨日の成果の続きです。横手市(旧増田町)増田城跡 二本杉かつて人柱になった城主の娘と生牛を弔うために植えられたとされます。この増田城は現在の増田小学校敷地内にあります。たまたまですが、12日の接待の際に横手のホテルに泊まりました。そこには秋田では珍しい「河北新報」が置いてあり、その記事のひとつにこの増田城の記事が。なんでも大正期にこの地より石碑が掘り出され、それに刻まれた菩提を弔う年月日とかつて築城時に人柱とされた城主の娘の35日忌が一致したとか。図らずも人柱伝説が史実であると裏付けられてしまったのです。それから小学生達の間では「学校に幽霊が出る」とウワサになったとか。…実は私はこの手の話は結構好きです。毎夏、雑誌やテレビは必ずチェックしております。何せ霊感というものがこれっぽちも無いものですから。そしてカミさんから度々禁止令が出るのです。彼女は見えないまでも「感じる」そうです。かつて能代市の檜山城でも「何か嫌な感じがする」と訴えられ、しばし体調不良に陥られた事があります。確かにこの城は落城は免れたものの壮絶な攻城戦があった城です。「先入観か」とも思われるかもしれませんが、何せ我がカミさんは城に全く興味が無い人なので事前知識もありません。そんな私でも盛岡城の榊山神社郭(かつてお社が祀られていた)や綱取城本丸(落城)でオーブが写ったときは((((;゜Д゜)))ガクガクブルブルでした。………皆様はオヴァケ、信じますか?
2007年07月17日
昨日今日と秋田は快晴でした。そこで昨日は最近気になっていた仙北郡の城館廻りを急遽思い立ち高速飛ばして行って参りました。・大森城 (旧大森町)・四十二館(旧大曲市角間川)・本堂城 (旧千畑町)・六郷城 (旧六郷町)・孔雀館 (旧大曲市)・大曲城 (旧大曲市)以上6ヶ城いずれも3~4年前に行った事のある城館ですが申し訳程度の画像しか撮ってなかったのでサイトUPに堪えずPCの中で眠っていたままでした。特に秋田県南と岩手に多いんですよ。黎明期に廻ったために申し訳程度にしか調査していない城館が。時間をかけてもこれから少しずつ撮り直して行きたいものです。美郷町(旧千畑町)の本堂城本丸跡の(左側の)木の天辺にとまる鷺。う~ん優雅なヤツだ。
2007年06月03日
今 浦城が大変な事になっているようです。本日の読売新聞朝刊秋田版の見出しに『「わが町の浦城」争奪戦』という文字が。どうやら「浦城跡」が五城目町と八郎潟町の境に位置しており、保存整備の主体を巡ってモメている(?)との事。確かに私も最初は五城目町の城跡だと思っていましたが今年になって訪問した際に朽ち果てた「八郎潟町」の標柱を見つけ、それからは八郎潟の城跡と認識していました。ですが実際には東側が五城目町、西側が八郎潟町に属しておりその境界線ははっきりしていないとか。先日訪問した際は散策ルートに道標のビニールテープが展開され、急勾配にはロープや梯子をかける程の親切な整備ぶりでした。これは本丸・三ノ丸・武者溜など、城域の約7割を占める八郎潟町の活動だそうです。一方五城目町側は二ノ丸のほか、山内城・馬場目城・砂沢城など浦城と関わりが深い諸城が多く位置しており、こちら側の活動も期待大です。私個人的にはそれぞれの町による個別の活動よりもお互い連携をとっての総合的な整備をして欲しいものです。同じ南秋田郡として。画像は浦城 急斜面に設けられた梯子とロープ
2007年04月18日
今日は仕事で月1回の山形方面訪問です。それにしても良い天気でした。しかしまだ残雪が多く山城攻略は4月以降になるかと。東根城本丸跡と大ケヤキ東根城は正平2年(1347)に小田島長義によって築かれ江戸時代に入ると里見景佐によって拡張されました。現在は国指定特別天然記念物である日本一の大ケヤキがそびえ立っています。
2007年03月26日
昨日の土曜日は先週のリベンジという事で五城目町を再訪。山内城と浦城を再攻略しました。山内城。こちらは先週ほぼ全ての郭を廻りきっている為、さほどの労ではありませんでした。しかしこの城、何故か他には無いモノを感じます。それは「なんか気配がする」のです。私は一切オカルト系が感知出来ない人らしく、今まで数百ヶ城廻ってきましたがこんな事は初めて。ですが今回は落城の際の供養塔はあるし…という先入観でしょうか、先週から妙に「カサッ」とした音や視界端の動くモノにビクッとしまくりでした。度々立ち止って周囲を窺うと、大抵は風で揺れる木や藪の擦れ合う音または自分自身の足音だったりするのですが。し・か・し最深部へ達した時、十数メートル先の崖下にまたもや気配が。立ち止って確認すると、風で揺れる藪はない音が「ガサッガササッ」と。確実に「何か歩いている音がする!!」のです。カモシカならまだ良いのですが、これが冬眠から目覚めたクマだったら…一瞬頭の中に秋田魁新報に「会社員クマに襲われケガ(最悪『死亡』)」というイメージが横切りました。ですが足音は向こうにフェイドアウトしていった様なので、五分位立ち往生した結果再度探索開始。結局何事もありませんでしたが今思うと自分は何て危機意識の無いヤツなんだろうと思う今日この頃です。次回山城探索時は鈴ぶら下げて行こうかな。ちなみに2003年6月に訪問したときの山内城の説明板。これじゃああんまりだ…と思っていたら少し離れた国道沿いに立直されていました。
2007年03月04日
今日の仕事では本荘・象潟方面を周りました。昨日に引き続き雲一つ無い晴天。雪の鳥海山もくっきりと見えて見事でした。画像は塩越城跡。由利十二頭の一人である仁賀保氏が元和九年(1623)に築いた城です。仁賀保氏は慶長七年(1602)、常陸国武田に5千石で移封されたましたが、再び仁賀保で1万石を与えられ、塩越に居城しました。寛永8年(1631)に当主が亡くなると、塩越城はまもなく廃城となったため実際は9年間しか存在しなかった近世城郭です。現在は国道7号線脇の住宅地の中に僅かな土塁を残しています。
2007年02月26日
昨日の山形県谷地城に刺激されたせいと今日の朝から天気が良かったのとで今日は五城目方面に繰り出してみました。実質これが今年最初の城巡りとなります。2月にもう初城巡りが出来るとは暖冬様様です。まずは一番最初に山内城を訪問。丁度秋田市内から五城目町内に抜ける際、にわかに吹雪となってその雪が一面中に残っていました。撤収も考えましたが、せっかくなので一回りしてみる事に。次は模擬天守のある砂沢館。ここに移動する頃にはすっかり晴天に。そして浦館へ。途方も無く規模が大きいため今回は下見程度に。実はこれらの城館は4年程前に一度訪れていました。しかし当時はまだ城館写真は始めたばかりで説明板やその他目立つ箇所の数枚程度の写真しか撮っていませんでした。そのため、いつか再訪したいと常々考えていましたが、今回やっとそれが実現しました。が、上記にあるように今回も充分満足の行く画像が撮れなかったため近日中にもう一回訪れる事になりそうです。
2007年02月24日
今日は仕事で山形方面を周りました。湯沢から新庄・東根を周り、出羽三山経由で鶴岡へ月1回の山形県北一周です。天気予報では雨との事でにわかに降りましたが、幸い夕方には日差しが出る程。でもさすがに湯殿山IC周辺は雪降ってました。画像は河北町 谷地城本丸跡。村山地方で勇名を馳せた白鳥十郎長久の居城です。長久は天正12年(1584)に長久の力を恐れた最上義光によって山形城にて謀殺され、同時に谷地城も義光の軍勢によって落城しました。現在は本丸跡に三社宮が祀られ、周囲に残っている土塁跡と往時から立っているというイチョウの木が僅かに当時を偲ばせます。
2007年02月23日
昨日は仕事で横手市に泊まりでした。今年の暖冬で、果たしてかまくらが出来るのか不安でしたが山内方面より雪が調達できたとの事。市内には至る所にかまくらが。画像は横手城跡である横手公園です。奥には二ノ丸跡に建つ模擬天守。手前の「武者溜り」跡に4基程のかまくらが作られていました。それにしても暖冬で雪が少ないとはいえ横手の雪の量は秋田市内とは比べ物になりませんね。雪が解けて県南の城巡りが出来るのは何時の事やら…ちなみに昨年はゴールデンウィークにもかかわらず西馬音内城には残雪がありました。
2007年02月07日
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