|
カテゴリ:城館
金曜日の夜、21時過ぎに岩手からの帰宅途中
秋田自動車道錦秋湖サービスエリアでちょいと仮眠をとったつもりが 気づいたら0時半だったT山でございます(爆) ご無沙汰致しております。 すっかり年報のような体を擁している当ブログですが 皆様お見捨て無きようお願致します… さて、久しぶりの更新でこのタイトル、、、 中世城館である黒川館に関してです。 黒川館跡に、浦城が落城した後、紆余曲折を経て城主の子孫が移り住み 後に豪農三浦氏の邸宅として機能しており、今日に至ります。 現在、三浦氏は居住していないものの 常時公開はされておらず、年何回かの公募される機会にしか見学できない、 即ち「黒川館は応募しないと入れない」という事になっております。 今まではTVや新聞等で 「先日三浦館が公開され多数の見学者が…」 などというニュースを見て 「あーあ しまった。今年も見そびれた」 と後悔しておりましたが、今回はたまたまネット検索していて 公開日8月27日の1週間前に気づき、 カミさんに応募を頼み(今回も報酬はお酒)、何とか滑り込みで参加致しました。 ただし… 金足の旧奈良家とセットでの見学となっておりました。 当日、まずは午前中で旧奈良家の見学です。 旧奈良家住宅 ![]()
画像はほとんど撮っておりません。 ですが広大な敷居に数々の建造物、中々興味の持てる見学会でございました。 そして午後、念願の三浦館、いや黒川館です。 (参加者自主移動) ![]() 黒川館 遠望 実はこの日、天気予報では雨でしたが 午前中は怪しい晴れ模様で、午後からはこのような素晴らしい天候に。 ![]() 普段は閉ざされているこの門、今回は開門して頂きました。 ![]() おおっ これが普段非公開の黒川館(の一部)! ちなみに『秋田県の中世城館』においては1郭と称されております。 ところでこの敷地内に勧請されている画像に写る稲荷神社ですが 「これって中世時期は館神祀られていた跡だよね」 と心の中で呟くワタシです(笑) そして見学開始早々、引きのショットを見せて頂くという事で 一旦正門から出たところ… ![]() おおおおっ これが伝説の(ウソ)空堀かーっ 『秋田県の中世城館』では空堀跡を利用した道路の存在が記してあります。 しかしそれにしても、この見学会において ただの道路(に見えるであろう)を激撮するヘンタイは私のみです。 そしてこのヘンタイ根性はこの後真骨頂を発揮します。 ![]() 主屋の南側に位置する「見下ろしの庭」です。 「これって中世時期は帯郭か腰郭の跡だよね」 と自分。 そしてさらに、一行が蔵の内部で説明を受けている中、 私一人離脱…北側へ移動します。 まさにここからが「潜入」です(笑) ![]() 郭跡キタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!!! これです。 これが見たかったのです。 切岸を直降すると… ![]() おっしゃっ! いかにも中世城館、しかも郭先端の様相です。 ![]() この引きのショットなど最高でした。 この1郭は、三浦氏が居住した四百年間で大分改変があったものと思われますが 北側はあまり手つかずの様で、中世の趣が濃厚に感じられました。 黒川館、いや三浦館の次回公開は10月頃とか… 紅葉の時期だそうで。 それはそれで良さげですね。 ![]() 最後に お茶請けとして提供された酒饅頭です。 ちゃんと三浦氏の家紋「丸に三つ引両」です(笑) 今回、三浦館の南側に位置する2郭や3郭は いつでも行けるだろうと端折らせて頂きました。 中世城館跡も堪能させて頂きましたが、 三浦氏、奈良氏の豪華木造建築も中々趣があるものでした。 さて、今回はこんな感じで終了です。 今年はちょっと早く来そうな秋に向け 積雪前に何とか本格的に城館訪問したいものですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|