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トラキチ上司からの写真は届く 写真を受け取ったりんちゃんの思い、少しここに残しておこうと思います 「幸せの黄色いハンカチ」見えますか夕張です。 映画は最初からきちんと観たことがなくて、最後の名場面、空高く一面にはためく 黄色いハンカチ、このシーンしか思い出せない。 帰ってくるはずの人を、変わらぬ思いやりといたわりの心で待つ・・・ 思いを黄色いハンカチに託して・・・ 18年間、優勝を待った虎ファンに通じるものがあるじゃーん、とはこじつけだが、 しかし、そう大きな違いもない熱い思いと忍耐で、今年のタイガースを見守ってマス。 これは小樽運河(だと思う・・・) 小樽と聞いて思い出すのは、プロレタリア文学作家の小林多喜二だ (1903年 10月13日~ 1933年 2月20日) 彼の最期は、とても痛ましく思う。だが彼は、誇り高く自身の信念にのみ従って 底辺の労働者のために全てを捧げた。作家として、比類なき気高さだ 宮澤賢治とは、また違った意味でね。 労働運動が契機で勤めていた北海道拓銀を辞め、東京で地下活動に入ってから、 いつからかは覚えていないが、彼は冬の暖房を断つ生活をしていたらしい 当時の暖房なんて、せいぜい火鉢くらいなのに・・・ 罠にかかった多喜二は特高警察に追われ、持っていたものを投げ、下駄を脱ぎ捨て 必死に逃走をはかったが、結局取り押さえられ拷問の末に監房に戻された。 トイレで用を済ませた多喜二の大便も小便も、血まみれだったという。 全裸で吊るされ、複数の特高から竹刀で滅多打ちにされた多喜二の内臓は、 すでに機能を破壊されていたのだろう。 まもなく絶命した多喜二。 自宅に戻った遺体は腫れてふくれあがり、正視に耐えぬ有様。 さらに恐ろしいことには、特高警察の憎悪の的となった作品を執筆した彼の、 右手の人差し指は完全骨折していた こういうエピソードを思い出す私って、反骨精神に入れ込むタイプなのかな ともあれこのような、言論が暴力で封殺される時代もあったということ それは繰り返してはならないし、多喜二のことも拷問で殺された唯一の作家として 自由な社会の発展のために、語り継がれていって欲しいと思う。 明日から始まる新しい日本の政治 よりよきものに向かって前進していってくれることを、願わずにいられない
こいつは100kgなんだ! Mar 1, 2012 コメント(27)
勝ち組・あめりか Aug 16, 2011 コメント(11)
消えゆく記憶 Jul 23, 2011 コメント(10)
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