鎌倉街道下道てくてくトボトボ歩き旅:2015年2月12日(木)・大崎~丸子の渡し
無機質な道をどう彩るか!? 品川小学校を10年前に卒業したみなさん 〝ありがとう!〟 馬鹿な落書きと違って,無機質な高架下トンネルでも、こういう彩をしてくれるだけで,ちょっとホッとできるんだよなぁ~・・・。 道を歩いていて,ウンザリするような落書きをいくつも見てきた経験から,そう思うのだ。 11時45分,出発! 大井町の住宅街に入って行く。 西光寺,だったと思うが・・・。 意味深な石碑がある。住宅街の中に吸い込まれそうになる。 街はこんな風に新陳代謝を繰り返しているのだろう・・・。 光福寺の大木! 大井の井・・・鎌倉時代から今に至るまで,水が湧き続いているそうな。 墓地の中にあって,あっちウロウロこっちウロウロしてしまった・・・。 来迎院石造念佛溝供養塔三基の案内板 道路整備をもう少し考えてやれば良かったのにと思う。 境内をぶった切った感じで,謂われある祠も,取り残され,放ったらかしにされているような感が否めないのだ。 鹿嶋神社境内には樹齢約200年と云われているタブノキが2本聳えていた。 来迎院は鹿嶋神社の別当だったそうだ。明治になって,神仏分離の令により,昔同じ境内だったのに仕切られてしまったのだという。 だから来迎院の造りがおかしなことになってしまったのだろう。でももちょっとやりようはあるんじゃないかと思うのだけど・・・!? 大森貝塚・・・「ホォ~ホンマにこんな状態であんねやなぁ~・・・」 モース博士に質問・・・ 質問に納得・・・!? 「そうかぁ・・・そういうことだったんですねぇ・・・」 八景坂の案内板。 見事な風景が見渡せたということだけど,今はまぁもうどうしようもない。 案内板にも説得力がなく,ふ~ん・・・てなもんである。 馬込文士村の人々 こういう饅頭を売り出したらどうだろうか!?・・・赤福なら工夫してくれるかも!? 天祖神社は昔のままの高台にあったから何とか風景への想像を掻き立ててみたが・・・。 闇(くらやみ)坂とはなかなかのネーミング! ホンマ真っ暗闇だったんだろう・・・その暗闇でいったい何が!? 「・・・何も・・・」 そんなことはないやろっ! “新井宿義民六人衆”を祀っている墓。 新井宿村の名主六人が,旗本木原何某の圧政に耐えかねて,将軍家綱に直訴しようとしたことが発覚し,処刑されてしまったそうなのだ。史料などないらしいが,庶民の口伝で後世にその六人のしようとしたことが伝えられ,手厚くこのように弔われているということに価値と意義があるんだなぁ・・・。 いつの時代でも真実は必ず事実を超越しているものなのだ。 事実はただの“謀反”だったから成敗したということにされてしまっていたのかもしれない・・・。 お墓なある善敬寺にしばし佇む。 いにしへの東海道・・・とな!? 明神橋跡・・・渡ってみたかったなぁ~・・・とにかく橋を見ると渡ってその風景を望んでみたくなる性分なのだ,私というヤツは!(・・・それが何か!?) 春日神社の境内をブラリブラリ・・・。 子母澤寛さんはここで作品を書いていたのか・・・住居跡というより,小さなポツンとした空間だった。税金対策で広場にしているような違和感があった。子母澤児童公園という名を無理無理つけていたけど,もうちょっと文学的な匂いが醸し出されていても良いのになぁ~・・・と感じたけれど,実際,ホント駐車場にされてしまわなくて良かったってことの方が大事かな・・・!? 山田 “医院” とか,“歯科” とか,何かそういうのが取れたんだろうな。 表札としてはデカすぎるもんな。 太田神社・・・いかにも地域の鎮守様,という趣き。 日樹上人の供養塔。 池上本門寺が右手に見えてくる。 日蓮上人が弘安5年(1282)10月13日,この寺で臨終したのである。 門前通りの石碑。 多くの人々の力や篤志家たちの尽力で,六郷用水路を作り,地域の暮らしや生活文化が振興されたのだ。 石碑の場所が燃えるゴミを出すところ!?・・・どこでもそうやな。 六郷用水路を暗渠にしながら道作りを工夫したのだろうか。 水車を回したりして低いところから高いところへ水を流す工夫なども行われたのだろう・・・。 東急さん,えらいこっちゃねぇ・・・用賀でも大変でしたよ。 地元住民との話し合いは,たいてい平行線をたどって,建築側が法を傘に,違法ではない,と繰り返して意味のない説明??を繰り返し,作ってしまうのが常。・・・で,どうだったんだろう!? 用賀を例にとると,住民が主張していたことにはならず,なんか・・・大丈夫だった,ようなのだけど・・・。 この街にはこの街の主張があるだろうから,東急さんは,きっと住む人の思いを汲んだ街作りにしてくれていることだろう・・・。そう,思いたいけど,どうなんでしょう!? 六郷用水路が世田谷の狛江から始まっていたなんて・・・!! こうやって散歩道に今なっていることで,暮らしの中に潤いが生まれたりするだろう。 「もっと早く歩けないの!?先行くよ」 「ったく,もうちょっとゆっくりできんのか!?」 「ウォーキングの意味がないでしょ!?休んでバッカ」 「何がウォーキングじゃ,こんなもん散歩でええんじゃ!」 「チッ!」・・・てなもんですかねぇ・・・!? 街中にトレヴィアン!・・・て感じやねぇ。 きれいな庚申塔が建っていた。街角のお地蔵さんとともに,民間信仰の象徴として,今に息づいている。 東光院。 境内の石仏の佇まいが良い。 水が溢れている! まさしく泉やんけ! 丸子の渡しだった一帯は,大きな河原になり,人々がスポーツや散歩などの憩いの場になっている。 JR武蔵小杉駅のホームで,夕日に照らされて一杯・・・の水。 “旨い!・・・甘露カンロ・・・” 鎌倉街道は保土ヶ谷方面に向かう。 中原街道はJR武蔵中原駅からJR横浜線の中山橋方面へと進んで行くのである。 しかしこの2つの街道は,大戸神社でまた合流するのである。 すぐに分かれるのだけど,何やら付かず離れずの感じが,仲良さそうでいいじゃないか。。。 あれから5年。 2020年3月3日の日本は,新型コロナウィルスの感染拡大で“緊急事態宣言”なんてのが北海道で出されたりしている。 全国の小中高が3月2日から春休みまで一斉休校し,ディズニーもUSJも15日まで休園。プロ野球も無観客試合でオープン戦を挙行。大相撲も3月大阪場所はお客さんを入れないで行い,感染者が力士から出たら直ちに中止ということを前提の実施を決めた。 日本中が,いや世界が今このウィルスに脅え始め,おかしなことになりつつある。 日本の首相は暢気に構えていたが,支持率が落ちだしたことでようやく動き出し,それが唐突の学校全公立小中高の休校,というようなことをパフォーマンスのように打ち出し,神妙な顔して記者会見したものの,質問は出来レースの記者が3つほどしたらそれで強引に終わらせてしまうという行き当たりばったりの逃げ腰バリバリで,後のことや周囲の混乱など全く知らん顔しての権力の行使に酔い痴れているとしか思えない態度で,この問題に対峙している真っ最中である。 どうなって行くんだろう・・・??? 東京オリンピックまでには収まるのだろうか!? そして次のシーズンまでに特効薬とワクチンは市場に出回るのだろうか!? 4月から,あるいは遅くとも5月のGWすぎくらいには何とかなってくれているのだろうか!? ・・・まだ今はそんなことも全く見えない状況だ。でも世間は全体的にとても静かに淡々と日常が繰り広げられている。 でもマスク購入を巡っての喧嘩や暴力事件が起きたり,衛星グッズの買い占めや出鱈目値段での販売が生じたり・・・まぁいろいろとんだことも起こっているようだ。 こういうことが政治家に上手くすり替えられて“非常事態宣言”などに繫げられ,一極統治されるようようになってしまうと独裁主義的社会に一気に変わってしまう可能性だってある。そうなりかねないように動いているのが今の日々だ。要注意だ!みんなで注視だ! インフルエンザと同じウィルスなのだ。 人類の英知と勇気で撲滅することはそれほど難しくないことだと信じている。 この騒動が一息ついたら,丸子橋を渡って,さぁてどっちに行こうか・・・その時の気分次第で歩き出した方へ足を延ばしてみようと企んでいる。 <2020年3月5日・木曜日・記>