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カテゴリ:人生・よのなか
楽天広場(&スポーツダイアリー)のマラソン仲間であるYASUさんが、先日たった2回目のフルマラソン挑戦で、サブスリー(3時間以内で完走すること)を達成してしまった。
ちなみに、マラソンの世界記録は2時間5分。時速20キロである。これは、400Mトラックを1分10秒程度で走ったときのスピードだ。一度400Mを全力で走ってみるとよい。現役の運動部員か、元運動部出身の20代の若い奴でもない限り、まず1分10秒では走れ切れないだろう。 一方、サブスリーのスピードは、時速14キロ。400Mトラックを1分40秒のペースだ。日頃、運動やジョギングを習慣にしていない人がこのスピードで走ったら、おそらく1キロもしないで息が切れるであろう。マラソンのサブスリーというのは、それくらいの偉業なのだ。 日本のマラソン人口で、サブスリーを達成できるのは上位6%に過ぎないというデータがある。いわば、サブスリーというのは、市民ランナーの「エリート」と「人並み」を分ける一種の指標だと言える。これが2時間30分を切るようになれば、もはや東京国際マラソンにも参加できるような「(準)実業団」レベルに達し、会社がスポンサーになってくれたりするようになる。 YASUさんは、昨年のほぼオイラと同時期に健康のためにジョギングを始め、月間の走行距離(=トレーニング量)もほぼオイラと同じか、むしろオイラよりやや少ない程度だった。もともと陸上部出身なわけでもない。ところが、オイラはこれまでフルマラソンを3回走って、最高記録はギリギリでサブフォー。ほぼ同じ走歴&トレーニング量で、実にタイムの差が1時間以上あるのだ。 この差を「才能(素質)の違い」と言わずしてなんと説明しよう。まあ、強いて挙げれば、才能以外に「若さ」とか「根性の違い」はあるかも(笑)。ともかく、人間には、明らかに「才能の差」というのがあるのだよな。 アインシュタインの格言だかなんだか知らないが、よく人は無責任に「天才は99%の努力と1%のひらめき」だとか言うが、この際ハッキリ言おう。アインシュタインが言っているのは、すでに才能のある人たちが同じ土俵で競争した場合に、最終的には努力がものを言う、ということを言っているのであって、才能のないヤツがいくら努力しても天才にはなれないのだ。 話がそれるが、オイラは翻訳・通訳を本業としており、英語の運用能力を英語検定の結果で示すとすれば、英検1級、TOEIC950点、TOEFL660点のレベルだ。ちなみに英検1級の合格率というのが、オイラが受験した当時のデータで7%だった。奇しくもこの数字はマラソンのサブスリーの率と類似している(ちなみにTOEICで950点以上を取得する受験者の比率は上位2%未満、TOEFLに至っては、650点を超えたヤツをオイラは間接的にでも数人しか知らない)。 いわば、オイラは正業ではなんとか「エリート」「(準)実業団」レベルを維持しているが、マラソンに関してはようやく履歴書に書ける「英検2級」レベルに達した、というところか。 オイラは正業の英語に関しては、「準実業団」レベルに甘んじて(笑)ほとんど何の努力をしていないが、まったく才能に乏しいマラソンに関しては、自由になる時間の多くをトレーニングに費やしながら、多くの人が努力をしないでも到達できるタイムに甘んじている。いわば、オイラはNOVAとかに通い問題集まで買って本気で勉強した末に、ようやく英検2級に合格して喜んでいる三流大学生のようなものだ。 でも、才能と努力の関係というのは、こうあるべきなんだなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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