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カテゴリ:人生・よのなか
朝、目覚ましの鳴るちょっと前に目を覚ましまどろみにひたっていたところ、怒涛のような水音で飛び起きた。隣人の部屋からにしてはあまりにも音が大き過ぎるので、まさかとは思いつつもバスルームへ向かったところ、トイレのタンクから猛烈な勢いで水が溢れ返っていた。まるで水道管が破裂したような勢い。リノリウムのフロアは水浸しである。
慌ててタンクのフタを開けてみるものの、水の勢いのせいでどこがイカレているのかまったく見えない。とりあえず両手を突っ込んで、レバーを動かしてみたり、漏れている箇所を手探りするが、その間にもタンクからは次から次へと水が溢れ出し足元はビショビショである。ようやく水が勢いよく噴出しているのが水中のプラスチックパイプの一部らしいことを突き止め、両手でパイプを握って噴出しているところをふさごうと試みるが、水勢が多少弱まるだけでまったく解決にはならない。 濡れたパジャマを脱ぎパンツ一丁で水中のパイプを握り締めながら、寝ボケた頭でオイラは考えた。 「これは緊急事態だな。」 「この猛烈な水音、隣のおばーさんや下の住人は何ごとかと思ってるだろうなあ。きっと目を覚ましたよなあ。」 「1階のセキュリティ(管理人)に電話してハンディマン(修理係)を呼んでもらわねば。」 「でも、電話をするために両手を離したら、電話を終えるまでに5-10リットル分は噴出するだろうなあ。」 「それに、まだ朝の6時だし、ハンディマンが起きてここに到着するまでにきっと5-10分は掛かるぞ。」 「いくらこうして両手でふさいでいても、その間にも水は次々と溢れ出し、バスルームからリビング、果てはベッドルームに浸出するのも時間の問題だよな。」 「いったい元栓はどれだ。元栓を締めなければ。」 「そういえばタンクの後ろから壁に向かって金属のパイプが続いているぞ。このパイプの途中に何か小さなハンドルのようなものがあったな。」 「…でも、素手でこのハンドルを締められるものなのか。今、この水中の壊れたパイプから手を放すというリスクを負ってまで、素手で試してみる価値はあるのか?」 …などと1-2分の間思考を巡らせた末、思い切ってタンクから手を引き揚げると、便器の下に潜り込み(…先週末に便所掃除しておいてよかったなあ)、タンクから溢れる水をしこたま浴びながらハンドルを右へ左へと回してみた。はじめどちらに回してもビクともしなかったが、諦めずにちょっと力を入れてみたら、お、回った。見る間に水勢は衰え、これ以上ハンドルが回らなくなったところで水も止まった。 こうして、さいわいにも水害はバスルーム内にとどめることができた。バスマットやバスタオルで床から水を吸い上げてはバスタブに絞り出す作業を5-10分続けたところで、何とか収拾がついた。あとは、後日壊れたパイプを付け替えるまで、用を足すたびにバケツに水を汲んで流すしかない。 それにしても、たまたまオイラが家に居たときに破裂してくれたからよかったものの、これが外出時に起きていたら、大騒ぎだったよな。天井から漏れてくる水に下の住人が気づくとか、オイラの部屋のドア下から漏れ出る水が廊下に拡がっているのに誰かが気づくまでは、部屋中に浸水が続いていたわけだ。PCもテレビも本も衣類もみんなパアだったよ、きっと。 こういったことがあると、オイラはいつも「タイミング」というものについて考えざるをえない。 オイラは無神論者というか不可知論者のつもりだが、“神”がいるかどうかは別として、“何か”が作用して物事を適切なタイミングで生起させているに違いないと思う。 例えば、誰にとっても重要なイベントがある日や時間帯には不思議と雨が降らないとか、引っ越した直後にそのアパートが火事で焼失するとか、たまたま電車に乗り遅れて次に乗った車両で旧友と10年ぶりに再会するとか、ウンコだとかオナニーをしている時には不思議と知人から電話が掛かってこないとか、そういった身の回りの“偶然”を確率的に考えてみると、偶然では発生しえないような“何か”が背後にあると考えるといろいろ都合がよい(≠科学的・論理的に妥当である)と思うのだ。 月曜の朝っぱらからこんな目に遭ったにもかかわらず、“何か”の力を垣間見る機会にに恵まれた気がして、オイラはなんだかとってもありがたい気持ちですがすがしい1週間を始めることができるのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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