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カテゴリ:人生・よのなか
さいきんは、「スキューバ」の代わりに、ライセンスがなくともできる「スヌーバ」ダイビングというのがあるらしい。スキューバは、酸素ボンベをはじめとするいろんな機材を身につけて潜らないといけないが、スヌーバは、それらの機材を小型のゴムボートみたいのに乗っけて、そこから長いチューブで空気を水中マスクまで引っ張ってくる。
オイラは「オープンウォーター」のライセンスを持っているが、オイラが訪れたカンクン沖合の島(イスラ・ムヘレス)でその朝スキューバ・ダイビングを希望する客はオイラしかいなかったため、仕方なくスヌーバ・ダイビングのグループに合流させてもらうことになった。 この島の南端はもともと自然国立公園で、珊瑚礁だの熱帯魚だのウミガメだの極彩色の鳥が自然な状態で観察できる場所だったのだが、いまではすっかり観光向けに開発されてしまっていた。珊瑚礁は半分死んでいるし、熱帯魚もオウムも観光客向けに餌付けして集められた連中だし、ウミガメなんかはもう滅多に見掛けることはない。 …それというのも、オイラのような先進国のミーハー観光客がカネをはたいて「自然公園」を「観光」に集まるからだ。不平を言う前に、自分自身に対して反省を促さなければならないのである。 …それはさておき、スキューバ/スヌーバ・ダイビングの気持ちいい点のひとつは、地上では重力に拘束され平面的な移動しか自由にできないが、水中では重力に束縛されずに空間中を上下左右に自在に移動できるところだ。それは鳥が「空を飛ぶ」感覚と基本的に同じはず。宙返りも2回半ひねりも(慣れれば)思うがまま。宇宙空間の無重力と同じ感覚だ。 海の中にも、地上と同じかそれ以上に豊かな「風景」や「地形」がある。白砂の海底、珊瑚礁の林、海草の森と木漏れ日、台地や切り立った崖、窪地や鍾乳洞まである。そこを、エビやヒトデみたいな海底に住む生物たちが駆けずりまわったり、大小さまざまな形や色の魚たちが好き勝手に遊泳してたりする。それらを眺めながら泳ぎ回るのは、見知らぬ惑星の表面を空から観察している宇宙人の気分。 海中は、多少海が荒れることはあっても、地震もない(…というか、あっても分からない)し、大雨も大雪も、火事も竜巻もない。 エサは基本的に豊富にある(植物・動物プランクトン)し、渇きから餓死することもありえない。 …そんな海の中で魚と一緒に泳いだり、ヤドカリと戯れたりしていると、ふと思う。なんで生物は陸上なんかに上がってしまったのだろうか、と。重力に束縛され、つねに飢えと渇きに脅かされ、天災や地災に弄ばれる陸上生活なんかに比べたら、海中なんてまさに極楽だったのにねえ。 …そういえば、イルカというのはご存知のとおり「哺乳類」だが、じつはイルカやクジラというのは進化系統上、「陸から海に」戻った種なんだそうだ。たとえばイルカとウシは同じ先祖を持ち、解剖すると骨格なんかは実によく似ている。一方は海に還ってイルカとなり、一方は陸地で草を食むウシになったんである。 きっと、いったんは陸地に上がって進化を続けたものの、旱魃とかの天候の気まぐれでエサにあぶれたウシの祖先の一部は「やっぱり海の生活のほうがよかったベ。」と思い直し、海に還って行ったんだよなあ。 陸上生活からさらには空を飛ぶことに憧れて鳥と化した爬虫類である「始祖鳥」が“革命的”な種だったとすれば、いったんは陸上でかなりの進化を遂げながら海に還ったイルカやクジラは“保守反動”ってカンジかなあ。 …なーんてことを、氷点下10℃台のカナダの空気に打ち震えながら考えていた今日のオイラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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