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カテゴリ:翻訳・通訳・英語
本日は複数のミーティングが同日に重なりほぼ終日会議に出っ放しであった。
日ごろ日本人スタッフだけが隔離されているオフィスで日本人(&少数の中国人)ばかりに囲まれて仕事をしているので、いきなりアメリカ人&英語のみの環境に投げ込まれると緊張度が一気に3倍くらいになる。 かつてニューヨークのアメリカの会社でアメリカ人&英語ばかりに囲まれて仕事をしていた頃と違って、会議の最中に突然発言を求められたりしたときなどに肝心の単語が出てこなくて発言の途中でつっかえたり、英語でベラベラしゃべっているうちに本来言うべきこととちょっとズレたポイントに着地してしまったりするのはマコトに情けない。知的なニホン人を代表して会議に出席しているのに、ガイコク人まる出しでカッコ悪いよなあ。 ...しかし、あとになってからふと思ったのだが、英語で思うようにしゃべれなくなっている理由は、日ごろ日本人ばかりに囲まれてばかりいるからというのも確かにあるだろうが、一方で比較的長いあいだ「職業としての通訳」をやってきた影響も大きいのではないか…ということに気付いた。 これはどういうことかと言うと、通訳として「“他人が”言いたいこと」ばかりを英語でしゃべるクセがついているせいで、肝心の「“自分が”言いたいこと」を英語で表現することを忘れつつある、ということである。 言い換えると、すでに他人の「発言」だとか「記述」として形になっているものであればそれを「変換」するのはオテノモノだが、まだ形をなしていない「自分が漠然と感じていること」とか「自分がぼやーっと考えていること」(シニフィエ)に当てはまる器(シニフィアン)を探り当ててあらためて形にする(外国語で表現する)過程がスムーズに行かない、ということであーるソシュール。 他人が(日本語で)しゃべっている、あるいは書いていることなら、カッコイイ表現を使って英語でベラベラ or スラスラ表現できるのに、自分のこととなると途端に滑舌が悪くなり筆が滞る。 …もしかするとこれは、たとえばクライアントを弁護させたら右に出るものがいない腕利き弁護士が、自分自身を弁護する立場になったら途端に子供じみたヘタな言い訳しかできないとか、天才コピーライターの書く私信がいくら読んでもよく理解できなかったりとか、インテリアデザイナーの部屋がゴミダメ同然の状態だったりとか、カリスマ美容師がハゲだったりとか、そういった現象と同様の職業病の一種なのかも知れない。 …ま、でも、他人の言うことも自分の言うことも同様に「我が意を得たり」「ドンピシャリ」と言いたくなるような絶妙なことばで表現できる米原万里子さんみたいな通訳・翻訳者もいるわけだから、オイラの逆転現象もまあ、単に才能や根性が足りないだけなんだろうなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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