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カテゴリ:人生・よのなか
オイラがかつて教育関連の会社に勤めていた頃の日本人上司は旅行会社の出身で、大学時代にアルバイトで某大手旅行会社の添乗員をしていたところ人気が出て、やがてリピーター客からの“ご指名”が掛かるまでになり、大学を卒業すると同時にその大手旅行会社に乞われてそのまま就職したのだそうである。
彼は添乗員時代、たとえば客を摩周湖に連れて行って霧で何も見えなかったりした場合、タチの悪い客だったら「何も見えねーよ、カネ返せ!」とか言われるような状況でも、絵葉書を見せながら「目の前に実際に摩周湖があります!この蒼い水をイメージしてください!」と訴え掛け、客をその気にさせて満足させるその手腕で知られていたそうである。 彼は、観光名所のチンケな知識をひけらかすより、添乗員稼業を「夢を売る仕事」と割り切って、城や遺跡を見たって「な~んだ、こんなもんか~」と思われるのを当然の前提として、エンターテイナーに徹することで優秀な添乗員としての実績を残したのであった。 (ちなみに彼は、その大手旅行会社から派遣されたアメリカの大学に留学中、アメリカ人女性と恋愛し、会社に辞表を出してその女性と結婚、それ以来ずっとアメリカに住んでいる。) 彼は、若者相手の教育機関のマネージャー職にありながら、「オレは夢を売っているんだ」と言っていた。日本の大学にも合格できないような成績の学生に、「留学すれば…」「アメリカの大学に入れば…」という夢を持たせて、その夢の対価として給料をもらっているというのである。 自らの子供の留学のために何百万というカネを投資している親が聞いたら怒り狂いそうなセリフだが(笑)、オイラは彼のそんなセリフを聞きながら「その通りだよな」と思っていた。それどころか、教育に限らず、現代社会の商売で「夢でない“実質”」を売ってるものなんてほとんどないんじゃないかと思っていた。 第1次産業と第2次産業の一部を除けば、生鮮食料品みたいな生活必需品の流通や、公共の交通機関や水道光熱、純然たる医療サービスなんかを例外とすると、「本当に必要なもの」なんてなくって、どれもヒマつぶしの余剰に見えるのだ。 たとえばテレビのコマーシャルで宣伝してるものに「無いと困るもの」なんて全然なくって、現にオイラが所持してたり消費しているもので、「コマーシャルで宣伝してるもの」は一品もない。別に要りもしないものを、「これを買えばアナタの人生は変わる!」…みたいな華やかな宣伝でヒマ人の購買意欲(=夢)を無理やり掻き立てて、カネを稼がせ消費させる。 …結果的に、消費したヤツらは、その商品(=夢)を購入して消費したところで人生何も変わらなくって(笑)、結局何かほかの商品にまた“夢”を求めて、何か新しい何かが宣伝され始めると、「何か変わるんじゃないか!」と思ってまたカネを稼ぎ、消費する。…しかし結果的に人生何も変わらなくて… というのをみんな延々と繰り返してるんじゃん…と思ったのである。 こんなことはオイラ以前にいくらでもエライ人たちが指摘していると思うが、現代消費社会の構造は「これを買えばアナタは変わる!」というウソの自己実現すなわち“夢”を原動力にしてるのである。 別に自動車やドレスみたいな形のある製品だけの話をしているのではない。 旅行やレジャー、若さや美貌、モデル並みのスタイルやモデル並みの彼女、難関大学への合格や有名企業への就職、資格・検定、あのステキな彼とのロマンスやあのグラマーな娘とのセックス、パチンコの大当たりに宝くじ1等賞…、何から何まで「これを手に入れれば幸福になれる!」という幻想を抱かせて、人を行動へと掻き立てているのである。 …しかし、パリに旅行した人は日本に帰ってきてホッとし、整形に走った女性はその維持費用のために借金地獄、モデルは鬱病になって酒やドラッグに走り、難関大学に入って有名企業に就職した人はリストラされて途方に暮れたり出来心で痴漢をしてはクビになり退職金もパア、英検2級・簿記2級をとってもいまだにフリーターで、夢にまで見た彼氏は実際に付き合ってみるとナルシストのマザコンでセックスも超ヘタクソ、宝くじで1等を当てた人の大多数は破産の道を歩み…というのが“現実”だったりするんだけど。 まだ結論が出ていないが、今日も長くなりそうなんでこれでおわり~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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