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カテゴリ:人生・よのなか
先日、高峰登山をしている連中の中には世界七大陸それぞれの最高峰「セブン・サミット」の征服を狙う一群がいる(2010年時点で世界中で250人くらいが成功、うち日本人は5~6人)ことを書いたが、世の中にはこれに加えて世界に14座ある8000m級の山全部の登頂を狙う一群(2010年時点で成功者は22人、日本人はゼロ)がいて、さらにはこれに北極・南極の制覇を含めると冒険家の「極地グランドスラム」と言うそうで(笑)、5年前に韓国人男性が初めてこれに成功しているそうである。 ちなみに今年はついに女性で初めて8000m級14座の征服者が2人出たが、これがちょっとした騒動になっている。...というのは、この2人の女性のうち先に14座登頂を達成した韓国人女性が、14座のうちの1つに登頂を果たしていないのではないかという嫌疑がかけられている、というのだ。というのも、彼女が昨年14座の1つ(カンチェンジュンガ)に登攀したのと同じ日に、カンチェンジュンガの登頂に成功している登山家たちが、誰も彼女が登頂したのを見ていないと主張している上に、彼女の「登頂写真」は同じ日に登頂したほかの登山者たちの写真と違って「足元に雪がない」というのだ。おまけに、その疑義を投げかけている「同じ日に登頂した登山者」の中には、彼女に先を越されて「14座征服2人目の女性」に甘んじることになってしまったライバル登山家が含まれていたりして(笑)、話をややこしくしている。 ネットで登山だとか冒険の記事を読んでいると、いつもこの「疑惑」の話に突き当たる。誰かが“偉業”を達成すると、「本当に登頂したのか」「実は極点まで到達していないんじゃないか」とかいった疑義が投げ掛けられるのが常であるようなのである。 たとえば日本語の登山関係のウェブサイトでいちばん目に付くこのテの記事は、栗城とかいうセブン・サミットを目指す青年の「無酸素・単独」の話。この青年は世界七大陸最高峰に日本人としては初めてとなる無酸素・単独での登頂を目指していて、残すはエベレストだけらしいのだが、その「単独」「無酸素」の両方に疑義が投げ掛けられているらしい。...というのも、世界にはガイドをつけない「単独」での登攀が許されていない山というのがあって、世界七大陸最高峰のうちの2つ(キリマンジャロとマッキンリー)がまさにそれなのだ(笑)。要するに「単独でのセブン・サミット」というのはあり得ないということである。また、彼が公開している登攀のビデオには、酸素ボンベを持って待ち構えているシェルパの姿がしっかり映っていたりして(笑)、登攀に失敗した時点でそのシェルパが駆け寄って酸素ボンベを吸わせていたりして(笑)、まるで昔の水曜スペシャルの川口浩の探検隊みたいで、ネットではこっ酷く叩かれているようである。 まあこの青年の場合、ほとんど限りなく黒というか、マトモにとりあう方がバカというか、まだ“偉業”を達成する前の段階であることもあって、山業界の関係者は彼(...というか、彼のスポンサー)の「単独・無酸素」の主張を冷ややかな目で看過しているらしい。川口浩の大発見が学会に取り上げられないのと同じことなのだろう(笑)。 ...ちょっと話が逸れたが、オレはこの「疑義」と「証拠」の話には個人的に不愉快な経験がある。 オレは高校2年の夏休みに、バイトで貯めたカネで3週間弱掛けて北海道を自転車で一周したことがあるのだが、夏休み明けに会った同級生たちの中に、陰でオレの「北海道自転車一周」の話がウソだと言ってるヤツがいることを知ったのだ。その自転車旅行の話をオレから詳しく聞かされていた親しい友人の中には疑っているヤツはいなかったと思うが、オレと親しくない連中の中に「そんなのウソだ」と言ってるヤツがいたらしい。オレと親しくない「ウソだ」と言ってる連中とも親しいけど、オレとも親しいヤツの話によると、「そんなことできるわけない」「証拠の写真もない」というのが彼らの論拠らしい。 オレは、北海道自転車一周なんてオレ以外にもやってるヤツを知っていたし、それが大してスゴイことだという意識さえなかったのだが、狭い世間しか知らない連中には「北海道を自転車で一周する」程度のことが「不可能なこと」の範疇に入っているんだなあ...とむしろ哀れに思った。 あと、写真については、オレは旅行中にはスケッチ入りの日記をつけていたし、後で自分で思い出せればそれだけで十分だったので、最初からカメラを持っていかなかった。かつて独り旅したときはしばしばそうだったように、別に他人に証明するために旅行に行くわけではなかったからである。(まあその時は旅先で知り合って友達になった人が撮って送ってくれた写真もいくつかあったけど。) オレがその経験から最終的に結論したのは、「ウソだ」と言っている連中は「自分には出来ないと思っていることを軽々とやってしまうヤツ」を嫉妬していたのだ、ということだった。 だって、そもそも、自分が何か熱中することをやっているなら他人が何をやってようが関係ないし(笑)、他人のやったことが「ウソだ」「ホントだ」という発想が出てくるはずがない。そういうヤツはきっと自分の周りの狭い世界だけに安住したくて、その世界のスケールより大きい出来事を見聞するたびに「ウソだ」「そんなこと不可能だ」と否定して暮らしているのだろう。そして、どうしても否定できない証拠を突きつけられた場合には、「アイツはフツウの人とは違うから」とか「どうせオンナにモテたくてやってるんだろう」とか、自分を納得させるいろんな言い訳があるんだろう。 ...またちょっと話が逸れたが、何が言いたいかというと、自分が好きでやっていることで「証拠」を残すというのもヘンな話だよなあ...ということなのだ。自分がやっていることに心底納得・満足できているのであれば証拠なんてどうでもいいはずだし、そもそも「証拠をとっておこう」などという発想が出てこないはずだ。逆にいえば、「証拠を残そう」と思っている時点で邪心があるということだ。 北極圏到達でもアイアンマン完走でもいいが、誰かに証明するためにやるんだとしたら、カワイソウなことだと思う。きっと薄っぺらな満足しか得られないだろう。それは、他人に誇示するために見栄えのよい男や女と付き合うとか、相手に好く思われようと常に意識しながらセックスするようなものだ。 まーでも実際の話、そんな境地に達せられる幸運な人はごく一握りで、ほかの大多数は「他人の目」とか「誰かへのアピール」というのをモチベーションにしか行動を決められない、不幸な人なんだろう。そういうオレも、アコンカグアやマッキンリーに登るときは間違いなくカメラを持っていって(笑)、このブログで公開するんだろうし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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