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テーマ:神(510)
カテゴリ:神の摂理
1審を担当した国選弁護団は終了後全員が辞任し、後を引き継いだ私選弁護団は1審判決後、松本が弁護団の問いかけに一切反応せず意思疎通が不可能であることや、弁護側が依頼した6人の精神科医が彼には裁判を受ける能力がないと意見していることなどを挙げ、裁判の停止を求め、控訴審の開始のために必要な控訴趣意書の提出を、2005年8月31日の期限を過ぎても拒み続けていた。
控訴審の開始手続きに関連して、裁判所側が依頼した医師による精神鑑定も行われたが、この鑑定で松本には裁判を受ける能力があるとされたことを受け、2006年3月27日に東京高等裁判所は、弁護側の控訴を棄却する決定をした。この控訴棄却の決定は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、刑事訴訟法の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。 弁護団はこの決定に対し、同年3月30日に東京高等裁判所へ異議申立てを行ったが棄却された。さらに同年9月15日、最高裁判所は特別抗告も棄却し、松本への死刑判決が確定した。また東京高裁は同年9月25日に控訴趣意書の提出遅延に関して、日弁連に対し「審理の進行を妨げた」として、刑事訴訟法に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めたが、日弁連側は2007年2月15日に処分を行わない決定を下した。なお東京高裁は弁護士会にひきつづき懲戒請求をする方針である。 起訴された罪状 男性信者殺害事件 坂本堤弁護士一家殺害事件 サリン量産プラント事件 薬剤師リンチ殺人事件 滝本弁護士サリン襲撃事件 自動小銃密造事件 松本サリン事件 男性現役信者リンチ殺人事件 駐車場経営者VX襲撃事件 会社員VX殺害事件 被害者の会会長VX襲撃事件 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件 地下鉄サリン事件 (途中で取り下げた罪状は含まない) 入学拒否問題 麻原には12人の子がいる([1])。うち松本知子の子は6人である。 彼の三女(知子の子)は和光大学の入試に合格し、一度は入学を許可されたにもかかわらず、2004年3月12日に大学から入学を拒否された。三女らは和光大学を提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に損害賠償を命じた。 その後、同じく入試に合格していた文教大学からも入学を拒否されたが、学生としての地位保全を求める仮処分を申請。東京地裁がこれを認め、入学拒否は違法であるとの判断が再びなされたため、入学することとなった。 さらに2006年2月7日、今度は次男(知子の子)が春日部共栄中学校に合格したものの、松本被告の息子だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えをおこした。因みに次男は日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられていた。 中学校の多くは年齢主義であり、12歳での入学機会を一度逃すと、再受験はさらに困難になる。ただし、麻原の子ではない一般のオウム施設出身者は、神奈川の夜間中学などに受け入れられている場合もあるため、人権侵害ではないかとも言われている。 書籍 1990年代前半に多くの著書を出し、ベストセラーになった。中でも『キリスト宣言』は1991年11月の全国月間ベストセラーランキングで3位を記録した。『麻原彰晃の世界パート13・これが尊師!』は1992年2月の全国月間ベストセラーランキングで4位を記録し、以後5月までベストセラーのトップテンにランクインし続けた。(ランキングは日経産業新聞に掲載されていたトーハン・日販調べによるもの) エピソード 空中浮遊で40cm飛んだことがあると自称している。3秒間の滞空時間があったともされるが、自由落下する限りは11m跳ね上がる必要がある。 秋吉久美子のファンだった。(日本テレビ放送『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー『麻原彰晃の青春人生相談』) 顔が投資ジャーナルの「中江滋樹」やオレたちひょうきん族の懺悔コーナーに出ていた「ブッチー武者」そして、たけし軍団の「グレート義太夫」に似ていると言われている。グレート義太夫は一時期、麻原彰晃の弟ではないかと都市伝説になった事もある。 子供のころ、『8マン』をよく見ていたという。 ハルマゲドン思想は「幻魔大戦」「宇宙戦艦ヤマト」から影響を受けたとされる。 好きな球団は読売ジャイアンツという説があるが、真相は不明である。 若いころ極真会館に入門したが、すぐ辞めてしまった。 代々木ゼミナールにいた頃、「麻原彰晃を称える会」があった。 多数の若い女性信者とイニシエーションと称して性交し、その女性信者の陰毛を名前のラベルを付けた小瓶にコレクションしていた。押収された小瓶は100本近くあったと云う。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー『麻原彰晃の青春人生相談』で、女性視聴者の「尊師は髪を洗う時にリンスは使っているんですか?」という質問に対しての「髪を洗う時にリンスを使うかですか? 髪を洗う時にリンスは使っていません。シャンプーはベビーシャンプーを使っています。」と返答した。 衆院選出馬していた時、女性記者から「もしも、麻原さんが総理大臣になった場合日本の国民の全員がオウム真理教に入信しなければならないのか」尋ねられたとき本人は苦笑いをしていた。 入浴で抜けた体毛を、御宝髪と称して高価で信者に販売していた。購入した信者は、スープにして飲んだり、細かく切って御飯にふりかけて食べていた。 結婚した松本知子の他にも、石井久子、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーの愛人がいた。 インドでは高級ホテルのスイート・ルームに宿泊したが、連れて行った信者をみなその部屋に雑魚寝をさせたということで、インド関係者の失笑を買った。 逮捕前、食事はメロンとパーコー麺、ステーキを好んで食べていたという。しかし、本人は「私が好きなのはバナナなのに」と主任弁護人に伝えていた。 強制捜査で、麻原は札束を抱えて、第6サティアンの1階への階段途中の、壁の中に隠れていた。また逮捕された際は失禁していたと伝えられている。 麻原は取調べの際、目が見えないことを強調していたが「刑事さんは竜雷太みたいでカッコイイですね」と語ったり、的確に障害物を避けるなど非常に不可思議だった。 「思ったことを自由に言ってみろ」と言ったにも関わらず、信者がありのままに言うと「馬鹿野郎。そんなことは聞いていない」と言った。 「裁判中に英語を話した」という記事がある。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語をど忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。 大の巨人ファンだったと云われる麻原は、信者達とナイター中継を観賞しながら「私の前世は巨人軍のピッチャーだった!」と語った。 麻原は前世がエジプトの王であったということからエジプトツアーを行ったことがあった。 麻原は前世、宮沢りえと夫婦だったと言っていた。宮沢りえのヘアヌード写真集を信徒に購入させたのは前世からの因縁によるものらしい。 留置所では、家族から弁当の差し入れを毎日もらっていたが「今日の弁当は鮭が小さかった」と残念がる時もあった。 無罪を主張したとき「私はやってない! 潔白だ!」と言った。 1審の初公判で裁判長に「(本名は)松本智津夫ではないのですか」と尋ねられたとき「その名前は捨てました。(今の名前は)麻原彰晃です」と言った。 拘置所の運動場では、「甲子園の優勝投手だ。大リーグボール3号だ」と発言した。 拘置所そばの建造物(高速道路の柱)から超望遠カメラにより、車椅子に乗った麻原が確認されている(現在撮影場所は警戒が厳しくなっており、近づいたら警察が駆けつけるようになっている。撮影場所から拘置所の塀が当時工事により内部が見えていた、現在撮影された後、塀の高さが嵩上げされた)。 1審で死刑判決を受けたとき「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだ。 精神鑑定で「正常」と判断された根拠の1つには、腕をひねって「痛い」と言った事が挙げられる。 現在、オムツを使用していると報じられている。 麻原が出廷した裁判を傍聴した映画監督の森達也は、朝日新聞に寄せたコラムに「麻原は統合失調症であるように見えた」と書いた。その後テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演した際にも同様の発言をしている。 死刑場に連れてけと発言しているが無罪を主張しており心境はよくわからない。 風呂には自力で入れないので看守等に洗われる訳であるが、体に付着した糞のせいで風呂場はとんでもないことになる。掃除の際は飛び散った糞を靴で踏んで細かくして流し、クレンザーで殺菌するらしい。(獄中で見た麻原彰晃 麻原控訴審弁護人/編 インパクト出版会) 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井弁護士との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに陰茎を露出させて自慰行為をおこない、射精に至ったことがある[2]。 タイム誌の1995年4月3日号において、日本人としては1971年10月4日号の昭和天皇以来、23年半振りのカバーパーソンとなる。 脚注 藤原新也『黄泉の犬』文藝春秋社、2006年 麻原控訴審弁護人編『獄中で見た麻原彰晃』p.101(インパクト出版会、2006年) 関連項目 オウム真理教 尊師マーチ 泡沫候補 個人崇拝 とんねるずの生でダラダラいかせて!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.28 21:17:39
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