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カテゴリ:精神障害者1級の者の日記
感情だけの存在は無我です。女によくいます。自分の感情を吐き出すだけの物達が。吐き出されると、相手は、その吐き出された感情を背負わされるのに、そういう気持ちすら無いと。自分が、楽になれれば、軽くなれれば、それで終わりという物達です。
私に言わせれば、感情というのは、エネルギーなのです。だから、吐き出さないで、何か意味が有る事を達成する為のエネルギーにしなければならないのです。これを「昇華」というのです。飲食致したものを「消化」して、エネルギーにしている。そのエネルギーが有る事によって、自分の内面のデータが、活性化する。エネルギーが無ければ、自分の内面のデータがどうなっているのかすら、認識できないのです。だから、感情を持たされているという事は、いい事なのです。その自分の感情のエネルギーをどう昇華していくのか、それが、貴方の学級担任の仕事なのです。人間は皆、学級担任なのです。 霊界というのは、意思の世界なのです。自分の感情のエネルギーを、何らかの意味が有る目的、即ち、善なる目的の為に、遣っている者達の世界なのです。(悪なる目的を達成する事に、意味が有るとは誰も思わないのです。これは当たり前の事です。サタンも悪なる目的は持っていないのです。その者を成長させる為に、自分が犠牲になろうと思っているだけと。前向きな人生をもう歩む気力が無いので、そういう形で、自分を活かそうとしているだけと。だから、向上すれば、サタン行為をされなくて済むと。もっと下の存在達を相手に、サタンは、サタン行為をしていくという事になるのです。これしか、即ち、サタンよりも上の存在に成る事しか、サタンから逃れる方法が無いのです。だから、物欲を限界まで、落とさないと、損すると言っているのです。「持戒」と。) 即ち、自分が肉体関係を持ってしまった相手と、真剣勝負になっているという事です。だから、私がブログを書いている意味が有るのです。境地の解説をしまくっているから。世の中は、上の境地に成っていく事でしか、持たされている担任=世の中への支払い責任を外す事ができないのです。世の中は、非常に便利になったと。信用貨幣で、色々な、様々なサービスを得られるようになったと。勿論、「等価交換」なのです。世の中は、競争させられまくっているので、安く、高価値のサービスを購入できるように成っています。そのサービスの本当の価値・値段が見えないようになっています。これが「競争社会」と。 生徒は、その先生が与えてきた課題を消化致す事によって、その先生を背負うのです。やっと、学年会ではなくなりました。校長が持たせている学年会の担任も有るのですが、その下に、ちゃんと生徒もいるのです。だから、校長に文句が有っても、関係無い生徒に、あたってはいけないのです。ちゃんと生徒と物々交換をし続けなければいけないのです。私に言わせれば、校長よりも、生徒の方が、遥かに、仕事相手と致しては、魅力が有るのです。親の境地の実践がいくらでもできるから。 ここまで前書きを書いて、やっと、本論に入れます。仏界の境地について。仏界の境地というのは、「学問の世界」、「知識を修める世界」、「霊質を高める世界」と。学問の世界というのは、真理探究=真、芸術の本質探求=美、歴史探究=善、理論的探究=神の愛の法則への理解納得の境地等という事です。スウェデンボルグが、カルマの法則を教育と言っているように、法則は愛によって、運営致されているのです。法律も。校則も。良い教員の場合、生徒の上司をやって上げていると。校則のココロは、全体の秩序維持と。だから、全体の為に働いている教員は、校則の担任ができると。上司というのは、師という事です。道を開いて上げる事ができるという事です。人生の地位を生徒に支払い致す事ができると。これをされると、人間的向上もできるので、非常にありがたい先生という事になると。食べさせてもらえるという事です。卒業式で、「仰げば尊し」を歌っていただける教員と。ここまで、現実が戻ると、いい社会に成りますが、おそらく、有り得ないと。あまりにも大損害・大被害にされてしまうから。権力、サタン行為しかやらない知事、首相に、食いものにされてしまうと。 知識を修める世界というのは、教養人への道という事です。百獣の王、ライオンへの道と。全体的な悟りの境地と。スペシャリスト=専門家ではなくて、ジェネラリスト=一般職と。家庭を持っている部下を抱えていく方々の道と。部下を物扱い致している物達は、権力というのです。ビジネスと。外資系と。 霊質を高める世界というのは、清らかな飲み物、食べ物を摂って、清らかな雰囲気の中で生活して、清らかな言葉を遣って、業・カルマを綺麗にし続けていく世界と。神仙界と。或いは、竜宮界と。文学・俳句・短歌・詩等の世界も、ここに入るという気が致します。 ここまで下の世界について書かされてしまったので、聖天界の境地を書くのが嫌になりました。単独の聖天界の境地でなくされてしまったので。上に乗る聖天界は、聖天界の境地ではない。遥か、遥か、遥か、有り得ない境地と。だから、ストップしました。物々交換しかやる必要はないのです。皆、同じ高さの地面に生活しなければ、やってられないのだ。サタンの犠牲にされるわけにはいかないのです。 寝て起きました。それで、あの蛇校長の現実が少し見えてきました。もしかしたら、自分は非童貞で、奥さんは処女で、結婚したのかもしれないと思うのです。童貞と処女の結婚の場合、雄にはなりません。女にされないように、必死に生きていく生き様にしかなりません。永遠に、奥さんが、自分の女だからです。私は、変な方と感じます。何で、処女と結婚したのかと。兄と妹が結婚するわけないのに。現実が有り得んと。 アダムは、ルーシェルと結婚したのでした。ルーシェルの方が上の地位だったから。即ち、処女と結婚したのではなくて、そのお父さんと結婚したのです。自分に、給料を払って下さった。 即ち、自分の過去の女のお父さんには、返金致さなければならないのです。結婚に成らないで、離婚になったのだから。 ついに、私は、仏陀釈尊救済の法を得る事ができました。金との離婚、即ち、出家の法を得る事ができました。乞食、ホームレス、ネットカフェ住人、マック住人のように、自分の過去の女のお父さんの下の地位を致し続けて、返金する事ができるみたいであると。(童貞は、ホームレスにはなりません。自分の女、即ち、家庭が無いので。元々、ホームを得ていないので、逆の地位であるホームレスにはならないのです。返金する必要が無いから。私は絶対に結婚し続けています。童貞だから、当たり前。自分の両親と離婚するわけないから。非童貞の方々にだけ、自分の女のお父さんと離婚するという現実が有るのです。自分の器で背負い切れないお父さんの娘とセックスをしたから、そういう結末になったのです。即ち、未熟と。世の中を知らなすぎるのです。) 離婚経験が多い女ほど、下っ端と。容易に、自分の女にできる。だから、危ないとも言える。調子に乗って、踏み続けていると、殺されかねないから。もっとも、踏む男が、下っ端の女に手を出すわけないですが。自分も下っ端にされるのだから。有り得ない。 やっと、地位の現実について、書けるように成れたみたいです。 徳には、地徳・人徳・天徳が有ると。地徳とは財産、人徳とは人間性、天徳とは社会性と。先ず、金。次は、人間性。ここまで来たら、次は、社会性の獲得を目指すのです。書くのをやめて眠りに入った聖天界の境地の「王」「帝」への道と。 聖天界の最初の境地である「安の座」というのは、私の道に於いては、夫婦のバトル、闘いを終えた境地と。10段有る神界の境地に於いては、正神と魔神との闘いをずっとやっているのです。正神とは夫、魔神とは妻の事でも有ります。前者はさらに、VIPの白人、或いは精神、後者は、VIPの黒人、或いは身体の事でもあります。正神というのは、精神的向上をやっている。魔神というのは、物質的向上をやっている。 聖天界の境地に突入して、「安の座」を得た者は、次なる境地と致して、「徳の座」を得ると。聖天界の境地に於いての徳積みを致せたという事です。徳を得ると、次は、「寿(ことぶき)の座」に進むと。寿ぎ(言祝ぎ・ことほぎ)、即ち、お祝いを致すのです。お祝いを致した結果、得た境地が、「寿の座」と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.15 09:24:08
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