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カテゴリ:精神障害者1級の者の日記
即ち、未来の自分が男子に成るのか、男の子に成るのか位の差が有ると私は思います。
今、USA.4.11.土 20:51です。あの蛇校長が「婿」だったという事で、返金になったみたいと。婿なんか、生きている意味無いのに、何故、神は生き地獄を味わわせ続けて、悪意の塊に致して、世の中に、これ程の迷惑をかけたのであろう。 婿の前向きな意味・価値とは何か。それは、「この世は甘くないよ。」という事かもしれません。私の言葉で言えば、愛する妻の肉体に指一本触れてはいけないという事です。指一本触れた事の支払いが、これ程、大損害・大被害になったのだから。 だから、私は「妻の心を背負え」と言い続けてきたのです。自分が愛する妻の肉体に触れたいから、触れるのではなくて、妻が触れて下さいと言っているから、その妻の心に従って、触れるだけと。これがスケコマシの基本と。ソフトバンクの犬っころをやって我慢しているだけでは足りないのです。せっせ、せっせと、肉体を鍛えて、妻に荒御魂を与えられるように準備をしておいて、要求されたら、与えるだけ。これが愛人とスケコマシの関係と。勿論、もっと上の関係である一夫一婦の夫婦をやっているのだから、当然、もっと上の生き様を致し続けていなければいけないのです。 婚前肉体関係は絶対に持ってはいけない。世の中の副担任になってしまって、致命的だから。しかし、結婚後も、副担任にならないように、バランス感覚を要求され続けるのです。一言で言うと、自分がやった事に責任を取れない事を絶対に致してはいけないという事です。妻の肉体を今、味わって、本当に、いいのか。永遠に後悔しないのか。即ち、その支払いで、徴兵されて、戦場に送られて、殺害致されてもいいのか。神のヤロウ、蛇・サタンのヤロウは、これ位、人類を不幸にしまくっているのだから。 これが妻と一夜を共にした次の日の朝の覚悟なのです。仕事場・職場の自分への扱いが、激変致しているから。まさしく、戦場に送られたと感じる位、激辛の環境に変化していると。こういう経験を重ねていって、社会人は、鍛えられていくと。鋼(はがね)の意志・精神の持ち主に鍛えられていっているのです。自分の妻をやった物達からの反抗をバーーンと跳ね返す事ができる能力を得られていっていると。快楽を味わうと、即、運が減るので、現実が悪化する。しかし、快楽を全く味わわなければ、やる気が消失する。だから、運が減って、現実が悪化するのではあるけれども、それでも、やる気を消失させない為に、微々たる快楽を味わう必要があると私は思います。 しかし、妻の肉体を味わっている時、その快楽に成っている職場の物達を感じられないようではやばいと。ナメられるから。ピタッと、きっちり、勘定を合わせていかなければいけないのです。即ち、部下の指導をやって上げて、副担任を部下に創って上げた分しか、妻の肉体を楽しむ、即ち、部下の副担任をやってはならぬという事なのです。 ある超有名なアイドルグループのメンバーも、二人の娘がいるメンバーの一人に、皆、おんぶに抱っこしていたと。皆、その娘をやっていたのだ。即ち、妻をやって、そのメンバーに抱かれて、お金の現実支払いを致し続けていたのです。だから、他のメンバーは皆、独身と。これ程、皆、狡かったと。ちゃんとやらせていたら、皆、とっくの昔に結婚しなければならなかったのですが。自分の妻に成ったのは、勿論、メンバーと。娘に成ったのもメンバーと。当たり前の事です。だから、自分が妻と娘を楽しめば、メンバーは、妻と娘になって、お金の現実支払いができると。これを続けて、生きていく事ができると。これを致し続けていると、ますます、フニャフニャになって、結婚する事ができなくなると。結婚生活は、非常に、非常に、非常に、辛いに決まっている。その激激激辛の生活に入っていく事ができなくなってしまうのです。夫をやる事ができなくなってしまうと。 私の感覚では、結婚生活というのは、ひたすら、妻を自分にする為に精進努力を致し続ける事であると。そして、これが完了したら、次は、息子を稼ぎ出す事であると。その次は、その息子を育て続ける事であると。勿論、妻とは夫婦、一体に成っていくという事です。一体に成っていく支払いをするから、子が息子一人で済むのだから。一体に成っていかないのであれば、子は妻の未来の分も支払いする必要がある、即ち、二人創る必要が有るのです。即ち、第一子が雄、第二子も雄の場合は、妻の未来は、雄であると推測致されるのです。普通の方々は、神への道など歩まないから。天命界への道など歩まないから。再び、生まれ変わってくる道を歩み続けているから。即ち、未来に子として生まれてくる貯金も致しているのです。これ、普通の方々は皆、致しています。 念の為に付け加えますが、では娘の場合は、女に転生してしまうのか、そうではありません。娘というのは、男子ではないという事です。男の子くらいかな。自分の娘も当然、結婚して、家庭を持ち、子を生み育てる。だから、娘の父親も、義理の息子を得る。その義理の息子を得るというのが、大体、男の子として、未来に生まれる事ができるという支払いに成ると思われます。即ち、未来の自分が男子に成るのか、男の子に成るのか位の差が有ると私は思います。 ゴータマ・シッダルタを、駄目息子と私は感じる。しかし、婿をやる位なら、出家修行を致す道も有ると書こうと思ったのに、全く違う方向へ行ってしまいました。出家修行の方向へは、神が、行って欲しくないのでしょう。だから、支払いを致したと。 ここまで支払いを致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.04.12 02:01:56
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