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カテゴリ:YS超神霊の摂理
全大気・全鉱物・全植物・全動物・全人類で、一つのゴールに到達する。これが私の思想。
下手な英語の話し方 入門の入門・英会話 深見東州 たちばな出版 「英語寸言集1」 私の人生の究極の目標は、本当の幸せを求めることである。皮肉にも、その目標を達成しようとする過程でストレスがたまると、時々、本当の幸せとは何かがわからなくなることがある。 ※私のコメント: 何故、ストレスがたまるか。それは、自分の利益を得ようとしているからである。即ち、彼が考える本当の幸せとは、自分の利益なのである。しかし、私は、自分の利益を本当の幸せとは思っていない。この考えを抱いていて、実践し続けているのは、大川隆法氏の幸福の科学の世界観で言うと、6次元下段階のレベルまでの存在である。簡単に言うと、4次元=一般人、5次元=芸能人、6次元=学者である。この者達の価値観は、自分の幸せなのである。 一般人とはどういう意味か。それは、物の利益を楽しんでいる存在である。物の利益を楽しむ為に、物の功徳を積んでいる存在である。これが一般人。 芸能人とはどういう意味か。それは、物の利益を他者と共有している存在である。即ち、芸能人が得ている物の利益は、他者と共有できるという事です。芸能人には、商品価値が有るという事です。一般人には、商品価値が無い。労働者と。 昭和の時代には、芸能人はスターだった。即ち、前世霊が前世に積んだ功徳を、今世で、遣って楽しんでいるというのが、芸能人(スター)だった。しかし、今は、そうではない。芸能人も労働をしているから。一般人よりも大きな人生を歩んでいるというだけで、労働者と感じる。スターのオーラが無いから。何故か。おそらく、日本の器が非常に大きくなったのです。だから、スターのオーラが、芸能人の芸能活動という労働の生命エネルギーにしかならなくなったのでしょう。オーラというよりも、生命エネルギーを、即ち、功徳を一杯持っているというレベルに下がったという事です。昔は、一流芸能人だけが、冬休みにハワイに行っていたが、今は、誰でも行っていると。即ち、一般人の生活レベルが、昔の一流芸能人並みになっているという事なのでしょう。 この一般人・芸能人・学者のレベルの活動を致すと、ストレスがたまる。労働だから。労働をするという事は、自分の利益を得るという事だから、自分の利益を得た分、ストレスがたまるのです。 しかし、自分の利益を得たいと思っているうちは、ストレスを感じても、労働をする気になる。世の中、プラスとマイナスとはセットだから。 しかし、もう、そういう世の中の仕組みに嫌気・厭気が差してしまうと、解脱する。6次元上段階の存在になる。阿羅漢と。阿羅漢には、声聞と縁覚の二種類の存在がいると。声聞は、他の方の話を聞いたり、本を読んだりすると思われます。縁覚は、世の中を観察し続けると思われます。それらの活動によって、自分の悟りを深めて、高めて、広げていくという事です。 それを続けていくと、やがて、世の中に、「意志」が存在するという事に気づく。そして、その「意志」の実現の為に、働こうという気が生じる。この気が生じている者達を菩薩・如来という。自分が菩薩になりたい、如来になりたいと思って、何かをしている者達は、菩薩・如来ではない。何故か。菩薩・如来にはならないから。損をさせられ続けるだけなので。エゴは、菩薩・如来になりたいという思いを抱くが、絶対に、ならないのです。エゴが、菩薩・如来の意識の犠牲にされて、抹殺されるだけなのです。だから、普通、エゴは、逃げる。必死になって、逃げまくる。 私は、このエゴが、修行をして、菩薩・如来になっていく方法論は説きません。阿羅漢への方法論も説きません。物欲の世界に、真底、嫌気・厭気が差すまで、徹底的に、物欲を追求した方が良いと思っているから。即ち、皆、王に成れと思っているのです。釈尊も、王の生活に嫌気・厭気が差して、出家して、解脱したのだから。しかし、私は、釈尊を小人物と感じる。王なのだから、側室を複数持たなければいけなかったのだ。何故か。女は非常に駄目な存在だから。一夫一婦の境地は、女にとっては程遠いのだ。皆、蛇のメス。即ち、未熟者。夫と向かい合って、生活する事ができない存在なのだ。 どうにもならない程、女の進化が後れまくっているのだ。基本的に、自分の父親を立て続ける事ができない女は駄目。これでは、夫の「弟」すらできないのだ。勿論、妻は、弟ではない。対等な存在です。 真実を言えば、釈尊の妻が、しっかりしていなければならなかったのだ。何故か。釈尊には息子がいたのだから。息子がいるのに、出家はできない。有り得ない。(もっと言えば、童貞でないのに、出家はできないのだ。この位、女はしっかりしていなければならないのだ。) 出家は神の道に反する。だから、釈尊の妻がしっかりしていたら、釈尊は、王の生活に戻された。そして、果たすべき自分の使命を全うした。これが、神の道というものです。 例えば、釈迦族が、他の部族に全滅させられたとしても、それはそれでいい。釈迦族を全滅させた部族が、釈迦族の子孫と成るのだから。これがスポーツの世界と。勝者は、敗者を背負って、上に上がっていくのだから。世の中には、適者生存の仕組みが有るので、それに従うまでと。 どういう意味かというと、人類全員で、もっと言えば、全大気・全鉱物・全植物・全動物・全人類で、一つのゴールに到達する為に、全被造物は、生きている・存在しているのです。これが私の思想です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.14 00:34:43
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