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カテゴリ:YS超神霊の摂理
その人間の持っている1円の価値は、人類史上最高の価値が有る1円かもしれないのです。
※メール、有難うございます。 ※蒲郡ファンタジー館の画像を見ました。貝殻を貼り付けて創られた絵画を見て、統一原理の成就された世界を感じました。私の中では、統一原理は終わったのですが。蛇校長に、最後のラインまでも犯し尽くされてしまって。このままいくと、ファンタジーの世界に成るか、一気に大清算の嵐に成るかの未来が予想されます。 私が蛇校長の判断が間違っていると思っているところは、私は何も支払いを致されていないのに、次から次へと犯しまくった、犯し尽くしたところです。私の成した貢献に対して、1円も払わないで、邪魔し尽くして、破壊し尽くした蛇校長、???なのです。だから、99%以上の確率で、大清算の未来が予想されているのです。 私の事は置いておいて、君の生活を見ると、君は、統一原理に潰されないで、見事に国際結婚を果たして、未来へ歩めていると感じました。今なお、私は悪霊どもに襲われ続けて、犯され続けています。統合失調症患者生活を送らされています。 私に足りなかった事は、現実支払いを致し続けなければいけないという知識です。私のようにならない方々は、現実支払いを致し続けていたと思えるから。自分の現実生活を護る為に、現実支払いを致し続けなければいけないという事を私は全く知らなかったのです。現実の世の中の仕組みに関しての知識が全く無かったのです。 前世霊に、いいように、使われ尽くして、自分の人生を破綻させられてしまったという感じです。勿論、前世霊が私に与えた飴・人参によって、操られ尽くしてしまったのですが。 勿論、世の中の基本がおそらく、蛇によって、破壊されてしまっているので、その影響・責任を取らされて、教諭であった私も潰されてしまったのでしょう。統一教会が、婚前セックスはいけないと言った。しかし、その百億倍以上の力で、蛇が、世の中を襲いまくったと。だから、世の中は、できちゃった婚になっていると。子供ができなければ、結婚する意味を感じられない状態になっていると。(私の感覚では、親に成る事は非常に、非常に、非常に大変なので、子供を創る以前の夫婦二人だけの生活が、超超超重要であるのですが。君の場合は、娘二人なので、君には大した試練はおそらく、訪れないでしょう。世の中には、娘から死ぬ程の試練を受けている父もいますが、これは、統一原理レベルではないと。私には、???の世界なのです。おそらく、妻以外に女がいたからそういう試練を受けてしまったのでしょう。妻だけしか、女がいなければ、妻も、娘も背負わされ続けているだけなので、踏み返されるわけないから。逆だろと。気を遣わせられ続ける生活を送る事ができて、美味しい思い出が残るだけであると思われます。息子の父親は、かなり、厳しいですが。) 一生の計画は立てられていますか? 夫&二人の娘の父親だから、おそらく、生活費の責任が第一であると思われます。だから、仕事のキャリア計画が、最重要であると思われます。これができていれば、浮気をしなければ、離婚という不幸には墜ちないと思われます。私は結婚生活というのは、死ぬまで続けなければならないものであると思っています。何故かというと、妻は夫にとっての神の現実であり、夫は妻にとっての神の現実であるからです。現実の神を通して、神を体験致し続けるというのが、人間修行であるからです。私はこれが本当の信仰生活であると思っているのです。私には、妻は与えられませんでしたが、両親は与えられたと。童貞だから、両親がいれば、人間修行ができるのです。非童貞・非処女の場合は、金の担任、即ち、性別変更をし続けてしまうので、人間修行をやれていないと。しかし、一日も早く、結婚しなければいけないとは思っていないようです。即ち、人間ではなくなっても平気になっていると。世の中、物=子=動物に墜ちていても平気、許容範囲みたいです。即ち、女になっていても平気と。(人間は女ではないのです。自分の現実を生きているのです。例えるならば、勤務していても、客観的意識が有るのです。職務を背負い続けている・判断し続けている自分がいるのです。パソコンのプログラムではないのです。現実を感じて・考え続けている自分がいるのです。学級担任が有る、自分の成長が有るという事です。これをやれなくなると、担任にされてしまっていると言うみたいです。自分の現実を無くされていると。) 君の場合には、この学級担任というのは、二人の娘の成長を見守っている思いであり、妻を見守っている思いであると。その思いが有るという事は、自分を見守っている思いも有るという事です。私は愛の道を歩み続けているので、他者が先と。他者に愛を注ぎ続ける事によって、自分の思いも与え返されるという事です。延々と、延々と、延々と、…、延々と、私はこの愛の道を歩み続けているのです。(そして、一番最後に、自分の現実の幸せを得る事に成るのです。これが私の歩み続けている道。しかし、普通は、自分の現実の幸せを先に得るのです。そして、最後に、人類全体に成っていくと。どっちの道を歩んでも、全体に成るというゴールは同じなのです。) これが人間生活。ONE FOR ALL,ALL FOR ONE.(全ては一人の為に、一人は全ての為に。) この道を前進致し続けなければ、信用貨幣の担任ができなくなって、破滅という事になっているのです。だから、この世に生きる事ができて、信用貨幣を遣う事ができる生活は、非常に、非常に、非常に、素晴らしいのです、感動的なのです。その人間の持っている1円の価値は、人類史上最高の価値が有る1円かもしれないのです。これ程、やり甲斐が有るのが、信用貨幣生活と。 ここまでの文書ができました。メール、有難うございます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※コメントをしてよい、或いは、してはいけないという事になっていなかったのですが、今回は、コメントを送らせて下さい。現実的な内容を扱っているので、意見表明を神に対して致したいので。現実的な内容を扱った場合は、コメントを許すという事は、民主主義社会では、ルールであると思われます。(勿論、コメントはいけないという契約になっていれば、責任が無いので、コメントをする必要は無いのですが。) ※即ち、今の日本は、遺伝子だけでは、母親と認めないと。受精卵を母胎の中で育てたという苦しみの支払いに価値を見出しているのかもしれません。私は家系の業を背負わされていると思っているので、遺伝子を重要であると思いますが。 ※血統は最重要であるとよくよくよく解っているからこそ、この方は、むしずが走る程、否定しまくっているのであると思われます。向井さんは、この夫の遺伝子を残さないわけにはいかないと思った・感じたからこそ、あれだけの苦労をしたのに。これ、向井さんの直感・直観・女と致しての本能であると私は思ったのですが。(即ち、もし、自分の卵子で、受胎・出産が不可能であれば、他の女性の卵子によっても、夫の遺伝子を残さなければならないというところまで、覚悟致していたと思われます。かなり、人間的に立派であると私は思います。私が夫なら、ここまで言われれば、「いや、君だけでいい。子供の事は二度と言うな。」と言うでしょう。そして、ここまで、自分を立ててくれた妻に感謝するでしょう。 ※私はこの状態を、小さいエゴから、より大きいエゴへの成長のプロセスと考えます。即ち、一つの道・やり方だけでは皆を救えないという事です。カルマ・ヨーガも、一人だけのカルマ・ヨーガ、二人の器が有るカルマ・ヨーガ、…、人類全員の器が有るカルマ・ヨーガと段階が有ると私は思います。 ※私は、向井さんが、批判している人の存在を無視していた、或いは、気がついていなかったから、批判致されたと思います。芸能人だから、一般人に対して、「すみませんが、…」という思いが必要なのでしょう。これが天の業であると思われます。天の存在は、傲り高ぶっているので、下々の存在を踏んでしまう、傷付けてしまうと。そして、その報いで、批判という念を持たれてしまうと。アレフのシステムの場合は、大乗のヨーガのプロセスで、この他者に持たれてしまった自分に対する悪念を解消していくという事になっているのですよね。自分達夫婦の遺伝子を持つ子孫を得るという事は、メリットなので、得た分、功徳を減らしてしまったと。だから、批判をされたとも言えるし、その分、功徳を積まなければいけないとも言えると思われます。世の中、相互依存、持ちつ持たれつだから。 ※批判、嫌悪というのを、もっと上の意識から見ると、カルマ落としの支払いを致しているという事に成ると思われます。向井さんが、芸能人という人気商売をやって生きていく事ができているという立場を忘れて、傲慢な言動をしたから、そのカルマを落として上げるという徳積みを致しているとも言えると。私は、批判・嫌悪というのも、エゴがやっているとは感じないのです。その人のカルマを減らす為にやらせていると感じられているのです。即ち、人は操り人形と。その人のカルマ、プログラムの通りに生きて死んでいく生体人形としか、感じないのです。その本心は、瞳の中にいる魂と。即ち、エゴに自分の生命エネルギーを与えて、活性化してしまった分、エゴがあたかも実体的に感じられるだけで、その幻想を解いていけば、エゴは最初からいなかったという事を実感できると思っています。 ※私が邪悪心に対して思う事は、邪悪心を抱く人の根本に、世の中は悪であるという思いが有るという事です。即ち、邪悪心を実行する事が、自分に利益をもたらすと思っているという事です。私は、世の中が悪であると思っていないので、邪悪心を実行すると損をすると思っています。だから、邪悪心無関係です。批判心に関しては、私には、批判心は無いという事です。相手の悪いカルマを背負って、支払いを致さなければならないと思ったから、表面上、批判をしただけで、その動機・本心は、愛・自己犠牲だけなのです。即ち、批判心を実行する事も損をするだけとしか思っていません。護らなければならないエゴ・観念・自己保存の思いなど無いから。自分の考えがまだ、未熟だった、到らなかったという事は一杯有りますが。批判心が有る人達は、自分がエゴで創り上げた自分の利益を必死に護っているという気が致します。自我を崩壊させられないように。即ち、自己中心と。 という事で、段階的なものの考え方&器の大きさというものの考え方という意識から、話をされれば、もっと良い話が聞けると思いました。 メール法施の向こう側にいた私からの反射を受ける事も、たまにはいいでしょう。(私は、基本的には、出すだけではなくて、受ける事も必要であると思っています。) メール法施、基本と思って、読んでいます。これからもよろしく御願い致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.18 02:34:48
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