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テーマ:世界への旅(305)
カテゴリ:アフリカ
2012年9月25日(火) アフリカ縦断の旅 91日目 ダイヤの町、キンバリーへ 昨夜の夕食同様、朝食も誰も作っていません。 本日は、早めに朝食を食べ、キンバリーへ移動しようと考えていたので、 焦ります。 時間なので、キッチンにあった食パンを焼いて、バターを付けて、コーヒーだけで、 朝食を済ませようと、食べていました。その時、黒人のお手伝いさんが、来たので、 「朝食は?」、と聞くと、何語か分かりませんが、ブツブツ言っているだけです。 これ又、丁度、その時、おバアさんが、入ってきて、20ランドを出し、これで、 朝食を食べてくれ、とアジアの星一番に渡してくれました。 前回、泊まった時は、とても良い宿なので、お奨めです、と電話番号を書きましたが、 下宿人の人間関係が複雑そうで、長居する人には、奨められませんね。 さて、キンバリーへ移動です。 ミニバスタクシーを捕まえようと、宿の前で待っていると、70歳の嫉妬男性が、 送ると言います。(この人以外は、外出して誰もいませんでした。) この人も、英語が得意でありません。皆さん、普段は、アフリカーンスを話して いるようです。アフリカーンスとは、一番初めに、アフリカに入植して来た オランダ人達が、後発のイギリス人などに奥地に追いやられましたが、 そのオランダ語を元にした言葉のようです。 彼は、アジアの星一番を、レストランに連れて行くと言います。どうもおバアさんに そのように、言い付けられているようです。 ミニバス停に行きたいと、何とか説明して、行き先を替えて貰いました。 おバアさんは、外見通り、とっても、良い人ですね。 ミニバス停に着きました。マンデラさんの絵が大きく描いてあります。 ミニバスは、満席になるまで、出発しません。一番後ろの席で、若者と話します。 彼は、ワレン21歳、18歳の彼女がいます。 しかし、2020年に結婚すると言っております。8年後ですよ。 そんなに待たせたら、彼女は、他の人の恋人になってしまうぞ、と忠告したら、 心配そうな顔になりました。 彼は、後から来た、ジョン、23歳です。 彼らと、諸々、雑談をしていたので、あっと言う間に、1時間半が経ち、 満席となり、出発しました。途中も牧草地ですね。 ミニバスが走っている時も、ワレンとジョンが、話しかけて来ます。 いつの間にか、アジアの星一番の名前が、「マダーラ」になっています。 なんじゃ? その「マダーラ」とは? と聞けば、オールドの意味だと言います。 アジアの星一番、いつの間にか、老人にされてしまいました。 南アのどこかで、学生か? と問われた事もあるのに、参ります。 彼らは、色んな話をします。どこの町にも売春があると言います。 50ランドだと、言います。500円です。絶対に行きませんが、何と安いのでしょう。 人類最古の商売と言われますが、どこの国にもあるものです。 日本では、3000ランドだ、と言ったら、目を丸くして、驚いていました。 ワレンの給料が、3200ランドですから、まぁ、驚くでしょうね。 (日本の値段、知りませんが、適当に、3000ランドだと言ってしまいました。) そんな事で、2時間のミニバス、退屈せずに、キンバリーへ着きました。 ビッグホールは、ミニバス停の近くにあると言うので、重い荷物を背負って 歩いて行きます。 電車が見えますが、町の駅から、ビッグホールまで運転されているものです。 この左手が、ビッグホールです。 ミニバス停から、歩いて20分で、ビッグホールの入口に着きました。 何と、75ランド(750円)も、入場料が取られます。 まず、映画を見せられます。ダイヤモンド発掘の歴史です。 そして、入場します。歩いて数十秒、すぐに見えます。 これが全景です。確かにでかいです。これを全て手掘りで掘ったと言うのですから、 驚きます。ダイヤの亡者が、沢山集まったのですね。1860年代の話です。 下に見える切り立った所から掘ったのではなく、この写真の上の方から掘ったのです。 深さ393m、周囲1.6Kmになったそうです。今は、もう少し浅いのでしょうか? 最盛期には、1万人もの鉱夫がテントに住んで働いたそうです。 手掘りと言うのが、すごいですね。 ここは、博物館になっておりまして、当時の機械も置いてあります。 これは、選別機でしょうか? エレベーターで降りて、当時の坑道を再現してあります。 ダイヤモンドです。9種類のカットのダイヤが飾られていました。 その内の一つです。 次回は、有名なダイヤの数々の写真を掲載する予定です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.16 09:07:06
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