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2020年02月14日
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テーマ:現代俳句(52)
カテゴリ:句集
句集探訪1『寺田京子全句集』その3   松田ひろむ

恋と死と‐鷺の巣や東西南北さびしきか

第三句集『鷺の巣』は、〈鷺の巣や東西南北さびしきか〉による。

この句は句集の巻末に置かれている。ただし、句集は先に林桂が指摘しているように編年順ではないので、時系列は不明である。

小康を得たと言っても、常人の生活ではなかった。ただ京都の句があるようにそんな旅もあった。

(鷺の巣)

死ぬものは死に恋猫のあまえごえ 251

正月終る女の部屋の急階段

斧ひかる秋や細谷源二の死257 

韮育つ尼見て尼にあこがれる259  

男墓女墓いずれもアイヌ満月に

 

【解題】

第三句集『鷺の巣』

昭和五十年一月二十五日、牧羊社から精鋭句集シリーズ14として刊行。四六判。一六三べージ、一ぺージ二句組。昭和四十三年から四十九年までの作品三〇〇句を収める。 装幀、直木久蓉。定価一六〇〇円。

小さな旅が出来るまでに健康を取り戻した時期、内側からの充実が加わって、真情の籠った境地が拓かれている。「あとがき」に「句集名は〈鷺の巣や東西南北さびしきか〉から採った」とあり、「これからの残された時間には関わりもなく、飛びたつ日のことを考えていたい」と記す。寂しさと孤高、寺田京子のどこまでも飛翔する詩魂が感じ取れる。病没する一年前の上梓である。(江中真弓)

 

あとがき

『冬の匙』『日の鷹』につぐ第三句集である。昭和四十三年以降の作品から三百句選んだ。『冬の匙』では母を失い、『日の鷹』では父を失っているが、この句集では失なうもののなくなった図太い気楽さのようなものがあったようにおもう。時間に追われる仕事のなかからいささかの旅をした。旅は自然のしたたかさを思い知らせ、また自己を振り返らせる。しかし病みこんできた身には、ひかりの射す方向は見ずに、人の背後ばかりみてきたようでもある。

集名『鷺の巣』は

鷺の巣や東西南北さびしきか

から採った。巣ごもりの心境ともいえよう。これからの残された時間には関わりもなく、飛びたつ日のことを考えていたい。             寺田 京子

昭和四十九年晩秋

 

​​京子の恋​​

 林桂は『全句集』栞「雪の精」で『鷺の巣』からは、愛する句として〈男と女の暮し梯子に雪積もる〉〈食器煮る一湾のいま雪の中〉の二句をあげる。不思議なことにこれは宇多喜代子も同じである。

 

宇多喜代子「後記」より

寺田京子は『日の鷹』の後、昭和四十九年に第三句集『(ママ)(鷺)の巣』を出し、次の句集を見ることなく昭和五十一年の六月に亡くなった。

私に忘れることが出来ない同年同月の記憶の一日がある。当時、愛読していた「俳句研究」 が店頭に並ぶ日、早々に七月号を購読するために馴染みの書店に走った。この号に寺田京子の新作が出ることを知っていたので早く見たいが一心で、書店からの配達が待てなかったのだ。 店頭で頁を繰って、目にしたのが寺田京子の「風音」十五句であった。

  一生の嘘とまことと雪ふる木

を一句目においた十五句を読んだとき、病弱ながらたくましく生きるというそれまでの句とは違う、生きながら自分のいない世界を句にしている、そう感じたのである。その日、そのことを、当時の「俳句研究」の編集にかかわっていた沢好摩に葉書で書き送った。入れ替わりに訃報が届き、作品の言葉が地上の時間より先行している、そんなことを思い知らされた。寺田京子は、「俳句研究」に掲載された作品十五句を見ることなく亡くなったのだ。寺田京子を襲った胸部疾患はついに治癒することなく、五十四歳の命を奪ったのである。

『鷺の巣』

  男と女の暮し梯子に雪積もる     
  器煮る一湾のいま雪の中

 

凧の空女は男のために死ぬ ​

「女は男のために死ぬ」とは、なにやら演歌の一節のようである。男のためにつくす女というのは、やはり演歌の世界であって、寺田京子の世界ではない。ここで問題は「凧の空」である。

 

 凧の空女は男のために死ぬ    284

旧臘から、この句を反芻しては解釈に呻吟してきた。わかりやすいようでいて、わかりにくい。作者が、凧揚げの空を見ているところまではわかる。奴凧、武者絵凧、あるいは「龍」の文字凧など。揚げているのはほとんどが男たちだから、「凧の空」は男の世界だ。でも、なぜ「女は男のために死ぬ」という発想につながるのだろうか。もつれた凧糸をほどくように時間をかけてみても、根拠はよくわからない。私の乏しいデータによると、作者は十代で死も覚悟せざるをえない胸部の病におかされたという。したがって「死」の意識はいつも実際に身近にあったわけで、たとえば演歌のように演技的に発想しているのではないことだけは確かだろう。だが、なぜ「男のために」なのか。十日間ほど考えているうちに得た一応の結論は、ふっと作者が漏らした吐息のような句ではないかということだった。字面から受ける四角四面の意味などはなく、ふっとそう感じたということ。男社会を批判しているのでもなく、ましてや男に殉じることを認めているのでもなく、そうした社会意識からは遠く離れて、ふっと生まれた感覚に殉じた一句。試験の答案としては零点だろうけれど、人は理詰めでは生きていないのだから、こういう読み方があってもいいのかなと、おっかなびっくりの鑑賞でした。『鷲の巣』所収。(清水哲男「増殖する俳句歳時記」January 0812000

 

清水哲男のあげる〈凧の空女は男のために死ぬ〉もそうだが、京子の恋の句には切実なものがある。清水哲男はこの句は結局分らないといい「吐息」という。つまりは句が読めていない。しかしこの句はよく判る句である。いや分りやすいといってもいいかもしれない。

京子はすでに前句集『日の鷹』にも〈緑噴きあげし山脈妻になれず〉207〈地に触れて青葉吾妻嶺まだ見ぬ夫〉208があり、単に恋に憧れているだけではない。具体的な男性がいたと考えていいだろう。それが〈男と女の暮し梯子に雪積もる〉である。母を亡くし、父を亡くしたあとの男と女の暮しである。

とすれば〈凧の空女は男のために死ぬ〉はその男の裏切りである。糸の切れた凧のように飛んで行った男への呪詛である。

栗林浩は、無二の親友であった「萬緑」の平井さち子(一九二五‐)や句友木村敏男(一九二三‐)に取材して次のように書いている。

 

京子は若く見えたという。十歳若いといっても良いほどだ。そうする積りがなくても、男たちの眼を惹いたことであろう。細身の身体に白いベレーが良く似合った。ときとして、恋心に火が点くこともあっても不思議ではないが、ごく親しかった平井(さち子)ですら、特定の異性の存在に気がついていない。木村(敏男)もそうだった。だが、ある日の出来事を平井ははっきりと覚えていた。

石狩川の渡船に京子と一緒に乗っていたときである。思い余ったように京子が白いベレーを川面に投げ捨てた。そのとき、なんと言ったのかははっきりしなかった・・・宿命と言ったのか、縁がなかった、と言ったのか、とにかく「諦めた」という意味に聞こえた。何かから訣別する儀式のようだったという。それ以降、京子は白いベレーを被っていない。京子には実現しなかったが、原田康子著『挽歌』のヒロィン兵藤怜子や、後述する『乳房喪失』の中城ふみ子の激情を、私は彼女に見る想いがした。

ある日、世話好きな平井が月下氷人の役さながら、「寒雷」の独身同人のことを口にした。

しかし、京子の気持は動かなかった。(『続々俳人探訪』文學の森)

 

投げ捨てた白いベレー帽と、糸の切れた「凧の空」は共通する。「女は男のために死ぬ」は死んでやろうかである。あるいは後にあげる句のように包丁を研いで、一緒に死のうとしたのかもしれない。

 

死後へ持つ秘密陶器の寒あかり 288

桜の木樹脂したたりし男の目 289

 

「死後へ持つ秘密」と「陶器」の白い肌。「したたり」と「男」からは、はっきりと性の営みが読みとれると思うが、深読みだろうか。

〈ひとの夫いま乳色に五月の橋〉260の句はその男である。

句友の平井さち子も木村敏男も具体的な「異性の存在」に気付いていないというが、このころ京子は俳句だけなく放送作家(シナリオライター)として交流範囲は多かったはずである。

京子がベレー帽を投げたことは、他のブログにもあった。

 

石狩の浜〈石狩河口に流れ夏帽まひるなり〉(寺田京子)262

以前は、石狩河口にポンポン蒸気の渡船があった。吟行に来ていた京子が、その船の中から、愛用の白いベレー帽を、突然、流れに投げ捨てた。その時京子はどんな思いだったのだろうか。ここに来るといつも思う。何もかも放擲したい、そんな潔さだったのかしら。(「毎日がよれよれ」20170625http://tekkochan.seesaa.net/article/451196703.html

 

石狩川河口の渡船は幕末から始まっているが、一九七六年(昭和五十一年)に石狩川河口橋が出来たため一九七八年(昭和五十三年)に廃止された。

石狩川の河口に、はまなすの丘公園がある。石狩川河口を代表する花はハマナスである。他にイソスミレ、ハマエンドウ、ハマヒルガオ、エゾスカシユリ、コガネギクなど。

京子に〈玖瑰の百歩千歩やほとけいて〉289の句がある。

さらに〈許せぬこと許し暗みの鶴帰る〉265〈呼びたき名絶ちて枯野のけもの臭〉298もある。「鶴帰る」は常識的な季語だが、京子はそれを「暗みの鶴」という。また枯野にしても「けもの臭」を感じるのである。許せないことを許し、男の名も絶ったのである。

 

女が研ぐ包丁れんぎょう情の色295

 

男への呪詛である。包丁を研ぐ女は怖い。対比する黄色い連翹も彼女は「情の色」と詠む。

 

針の目に見えくる末期虎鶫 306

 

虎鶫(とらつぐみ)は一名鵺(ぬえ)で夏。留鳥または漂鳥として周年生息し、本州、四国、九州の低山から亜高山帯で繁殖する。北海道には夏鳥として渡来する。さえずりは「ヒィー、ヒィー」「ヒョー、ヒョー」。地鳴きは「ガッ」。主に夜間に鳴くが雨天や曇っている時には日中でも鳴いていることがある。森の中で夜中に細い声で鳴くため鵺(ぬえ)または鵺鳥(ぬえどり)とも呼ばれ、気味悪がられることがあった。「鵺鳥の」は「うらなけ」「片恋づま」「のどよふ」という悲しげな言葉の枕詞となっている。トラツグミの声で鳴くとされる架空の怪鳥の名となった。(ウイキペディア他)〈虎鶫練羊羹を糸で切る〉(北中富士子)はその声からの発想であろう。〈虎鶫累代の闇裏戸より〉(木村蕪城)はいかにも暗い。〈鵺鳴くや人より怖きもののなし〉(野見山ひふみ)

 句は針の目という女性の日常から、虎鶫の不気味さへと繋がり、自身の末期を見つめているのである。

 

食器煮る一湾のいま雪の中  312

〈食器煮る一湾のいま雪の中〉は、宇多喜代子も林桂もあげる句である。

 この句は「食器煮る」がポイント。この「食器煮る」は煮沸消毒のこと。ここでは茶碗、皿、箸などを「煮て」いるのだろう。結核などの病原菌には煮沸消毒は有効である。彼女にとってはこうした「食器煮る」が日常であったかもしれない。

海(湾)と雪は寺田京子のテーマである。湾も閉ざされた空間、雪もある意味では閉ざされた空間である。そのなかでの「煮る」は生の営みであった。「食器煮る」の切実さが胸を打つ一句である。

 

​鷺の巣や東西南北さびしきか​

 『鷺の巣』の最後にこの句を置いたのはもちろん計算されてのことであった。

 

岡田 耕治(香天)

鷺の巣や東西南北さびしきか

鈴木六林男師に〈ヒロシマや西に六日の陽を送り〉という句があります。この句の場合、ヒロシマが目の前にあるのではなく、八月六日、西に夕日を送ることによって、かつて訪れた広島を想起するという仕立てです。同じように寺田京子さんは、断崖にあって東西南北からの風雨にさらされている鷺の巣を想起することによって、この身の寂しさを鎮めようとしているにちがいありません。https://koutenn.blogspot.com/2019/10/blog-post_25.html

 

岡田耕治は「断崖にあって東西南北からの風雨にさらされている鷺の巣を想起」と読むが、それでは鷺の必然性がない。

京子には〈崖ひるがお風の時刻が止りおり〉263の崖の句もあるが、鷺は断崖に巣を作らない。

孤高、孤独、「さびしさ」をいうならば鷺ではなくそれは鷹であろう。京子は句集『日の鷹』があるように鷹と鷺の違いはよく知っていた。

 鷺はタカ科ではあるものの、鷺山というように群れて樹上に巣を作る。群衆のなかのさびしさである。京子自身は「巣ごもりの心境ともいえよう。これからの残された時間には関わりもなく、飛びたつ日のことを考えていたい。」というように、飛び立つ意志を捨ててはいない。だからこそ主情的な「さびしきか」が効いているのである。(つづく)
「鴎座」2020年3月号(予定稿)

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Last updated  2020年02月14日 08時26分00秒
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