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製糸というと、女工哀史とか野麦峠とかをすぐ連想するのだが、ここは技術者の養成学校だったらしい。職場環境も当初は一日8時間、週休1日だったとか。技術は日本各地に伝えられていったが、残念ながら労働環境までは真似されなかったようだ。
ボランティア?の説明員の方がいて、その場にいた50人くらいの大集団相手にたっぷり1時間色々説明をしてくれた。 それにしても100年前の建物がよくぞ残っていたものだ。震災や戦争の被害を受けなかったというのもあるが、工場閉鎖してから24年間、放置したり取り壊したりせずに維持し続けたというのは大きい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月29日 20時23分30秒
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