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テーマ:大日本帝国と其の周辺(580)
カテゴリ:大日本帝国興亡史
英国と蒋介石政権を援助する米国、ハル国務長官はドイツ寄りの松岡外相を非難。
米国は欧州戦関与の為に1937年と1939年に中立法を改正、1941年には武器貸与法を成立させた。 ○ハル国務長官オーラルステートメント(6月21日) 不幸にして政府の有力なる地位に在る日本の指導者中には国家社会主義の独逸及其の征服政策の支持を要望する進路に対し抜差しならさる誓約を與へ居るものあること及之等の人か是認すへき合衆国との了解の唯一の種類は合衆国か自衛に関する現在の政策を実行することに依り欧州の戦闘行為に巻込まるる如き場合には日本か「ヒトラー」の側に於て戦ふことを予見するか如きものなるへしとの確証か長年に亘り日本に対し真摯なる好意を表し来れる筋よりの報告を含む世界中有らゆる筋より益々政府に達しつつあり 日本政府の「スポークスマン」に依り何等理由なきにも拘らす為されたる三国同盟の下に於ける日本の誓約及意図を強調せる最近の公式声明(複数)の論調は、看過し得さる或る態度を例証し居れり、斯かる指導者達か公の地位に於て斯かる態度を維持し且公然と日本の與論を上述の方向に動かさんと努むる限り現在考究中の如き提案の採択か希望せらるる方向に沿ひ実質的結果を収むるための基礎を提供すへしと期待するは幻滅を感せしむることなるに非すや └─「アジア歴史資料センター:日米外交関係雑纂 第1巻 12昭和16年5月12日から昭和16年7月10日」よりの抜粋 ○米国の「中立法」と「武器貸与法(Lend-Lease Act)」 ◇「中立法」の変遷 1935年:交戦国に対する武器の輸出を禁じた中立法を制定。 1936年:交戦国に対する貸付けの禁止を追加,スペイン内乱の翌年に内乱にも適用とする。 1937年:「現金自国船輸送」方式を導入,交戦諸国は米国港で現金決済・自国の船舶で輸送。 1939年:第2次世界大戦の勃発で,武器禁輸条項を除去,連合国側に軍需物資を供給可能に。 ◇「ニューヨーク・タイムズ(1939.11.5)」による中立声明書と中立法改正記事の概要 交戦国への武器、弾薬、資・機材の売却禁止 (交戦国はドイツの事と思われる、英国には売却可能になった) 米国の国籍を持つ者と船舶の戦闘地域立ち入り禁止(大統領が特別に許可した場合を除く) 修正中立法では英・仏・独などの交戦状態の国に対しアメリカ船舶が荷物を運ぶのを禁止 戦闘区域に関する声明書ではベルギー・オランダなどの中立国との通商を禁止 ソ連・フィンランドには大西洋経由は許可、ソ連には黒海への船舶出入りも許可 貨物輸送許可地域: イタリア・スペイン・ポルトガル・ユーゴスラビア・トルコ・ルーマニア・ブルガリア、 ノルウェーのベルゲン北部 戦闘地域の設定の概要: ノルウェーからベルギー南部、バルト海からイギリス、アイルランド、イギリス海峡 地中海は除外 潜水艦に関する声明: 交戦国の潜水艦によるによる米国内の港湾・領海内の航行の禁止 民間人を爆撃している国家への航空機売却の輸出禁止措置は有効(日本に適用) ◇1940年6月~7月:米国はイギリスに武器を供与 50万梃(一梃に250発の弾丸が付く)、75mm野砲と砲弾百万発、機関銃八万梃など (「第二次世界大戦1/チャーチル」p103より) ◇大統領が再選(1940年11月、三期目)された3日後、英国は発注してあった1万1千機に1万2千機を追加発注 11月までに英国は米国に現金で45億ドル支払い、20億ドルが残っていた。 英国のドルを増やす方法は、南アフリカの金の産出と対米輸出品(ウイスキー・毛織物など) (「第二次世界大戦2/チャーチル」p235より) ◇1941年3月:「武器貸与法」制定、英国の他に中国(6月)・ソ連(11月)等に適用される。 〓勝手に独断と偏見〓 松岡外相はハル国務長官からヒトラーを支持する元凶として非難されている、米国はドイツ・日本と戦争状態、国内事情で軍事的には本格参加していない。 英国は対独戦でドルが枯渇、米国は武器貸与法で英国を助け、中国・ソ連に拡大する事になる。 日本と蒋介石政権は戦争状態だが互いに戦争とは言わず、米英ソは蒋介石政権に援助し米国は日本に経済的な圧力をかけている。 戦時国際法(戦争法)の陸戦・海戦中立条約に於いて、中立国は交戦国に対して武器弾薬の輸出・通過を認められていない、戦時国際法上では米国は中立国として違反行為を行っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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